第391回:かないまる氏に聞く、新AVアンプの独自機能

~スピーカー間の位相差を補正する「TA-DA5500ES」 ~



本連載でもおなじみの「かないまる」こと金井隆氏。手にしているのはHYPSのSACDなどの新譜パッケージ「Chaotic Planet

 藤田恵美さんや、HYPSのSACD制作の話でインタビューをさせていただいた、ソニーの「かないまる」こと金井隆氏。これらの記事でも紹介してきたとおり、本来、金井氏自身はレコーディングにおいては門外漢であり、本職はオーディオ機器の設計エンジニア。オーディオの専門家の目からみて、レコーディングはこうあるべきという視点で制作に関するアドバイスをしてきた結果、非常にすばらしい作品ができたという話だった。そのため、筆者自身が金井氏と接触してきたのは、いつも金井氏の本職外の話ばかりだった。

 ある日のこと、金井氏から「ユニークな技術を搭載した新しいアンプを作ったので、見に来ないか? 」というお誘いをいただいた。例の「かないまるルーム」でそのデモをしてもらえるということだったので、興味半分で伺ってみた。



■ 自動音場補正機能が「アドバンストD.C.A.C.」に進化

デモが行なわれた「かないまるルーム」

 今回のテーマとなったのは10月25日に発売されるAVアンプ、「TA-DA5500ES」。TA-DA5500ESについてはすでにニュース記事でも紹介しているとおり、昨年発売された「TA-DA5400ES」の後継モデル。TA-DA5400ESに、位相マッチング技術“APM=Automatic Phase Matching”を搭載するとともに、映画館らしい音にするためのHD Digital Cinema Sound機能などさまざまな改良が加えられている。このAPMを利用することで、サラウンド環境におけるセンタースピーカーやリアに設置するサラウンドスピーカーを自由に選べるようになるという、ちょっと不思議な技術だ。

 今回、このTA-DA5500ESを金井氏とソニーのホームエンタテインメント事業本部エレクトリカルマネジャーの佐藤正規氏のお二人でデモをしてもらうことができた。それと同時に、そのバックグラウンドにある技術について金井氏にいろいろと伺ったので、APMを中心にどんなシステムなのかを見ていくことにしよう。

TA-DA5500ESの前面(左)と背面(右)左はソニー ホームエンタテインメント事業本部エレクトリカルマネジャーの佐藤正規氏

藤本:今回の製品は前モデルを改良したものと伺いました。

H.A.T.S for HDMIで高音質化

金井氏(以下敬称略)昨年出したTA-DA5400ESをベースにしています。そもそも5400には「H.A.T.S. for HDMI」、「D.L.L.」という大きく2つの技術を搭載していました。H.A.T.S for HDMIはi.LINKにあったH.A.T.S.(High quality Audio Transmission System:フロー制御)のHDMI版です。

 SCD-XA5400ESというSACDプレイヤーとの組み合わせで機能するもので、右図のように、CEC信号を利用してフローコントロールを行なっています。データをバッファにためておくことで、DACがアンプ側に内蔵されている水晶発信器のマスタークロックを直接使えるようにしているため、音質がよくなっています。とくに広がり方向の豊かさが改善されています。

 一方、D.L.L.(デジタル・レガート・リニア)はデジタル放送で使われている「AACの音質を改善できないか」、「DVDの音を救えないか」、「古いCDの音を良くしてほしい」といった要望に対応する技術です。これはAACなどの圧縮オーディオには本来の音楽成分はもちろん入っているけれど、音質を阻害する成分も乗ってしまっているため、それで音が悪くなっているという発想により音質を改善する技術です。

藤本:音の成分が欠けているという話ではなく、反対にノイズが乗っている?

金井:確かにこれまで各社とも圧縮オーディオの改善は欠けた成分を補うことで音質を補強するということをしてきました。実際このアンプにもPortable Audio Enhancerという機能として持っています。これはデジタル・ミュージックプレーヤーの小さい音を聴く際に効果的です。それに対し、D.L.L.はAACで流れる映画やオーケストラの放送をより自然な音質で聴く際に効果を発揮するものなのです。

 まず圧縮オーディオは、音楽成分のうち人間の耳に聴こえる音を中心に記録し、そうでないものは棄てるという発想で記録されています。実際記録されているものは相当量の音楽性をもっています。しかし、音の一部を棄てる過程で思わぬ有害な成分が発生し、それが本来の音の聴こえ方を邪魔して音質が劣化しているのではないか、と考えたのです。

 実際、圧縮信号を周波数分析すると、可聴帯域外に結構な量のノイズを発生しています。可聴帯域外ではあるけれど、サンプリング周波数付近にあるものがビートとなって人間に聴こえてしまいます。そこでこれを取り除こうとしたのがD.L.L.というわけです。

藤本:なるほど、そうした技術を持った5400をベースに今回、新機能のAPMが搭載されたわけですね。

金井:従来からソニーではDCAC(Digital Cinema Auto Calibration:音場補正) という技術を搭載してきました。これによって配置された各スピーカーとの距離、音量差、レベルの周波数特性の補正を高精度に行なうことを実現してきました。今回の5500にはアドバンストDCACというものを搭載していますが、これは従来のDCACにAPMを追加したものです。一言でいえばフロントスピーカーと、センター・サラウンドスピーカーの位相差を補正するという機能です。



■ フロントを基準に、位相の違うセンター/サラウンドを補正

藤本:位相差の補正とは、どういう意味を持つのか詳しく教えてください。

金井:普通、ステレオ2chの再生をする場合、同じスピーカーを2本使いますよね。これは実は非常に重要なことで、左右の位相がそろっているために、音がしっかり定位してくれ、気持ちよく聴くことができるのです。位相の周波数特性を調べてみると、周波数帯域によって、位相は変わっていきます。しかし、人間の耳はこの周波数に対する位相の変化は感知することができないため、このことは問題にはなりません。

 重要なのは位相の周波数特性が左右で揃っていることであり、これがズレていると、非常に気持ちの悪い音になってしまうのです。180度位相がズレれば、スピーカーの+と-を誤接続したのと同じであり、定位しないで気持ち悪い音になるだけでなく、一部の周波数帯域では逆位相であることで、歪み音も聴こえてきてしまうのです。

位相の周波数特性この特性が左右でズレていると、音が定位しないだけでなく、歪み音も聴こえてしまう

 このことは、5.1chのサラウンド環境においても同様であり、本来はすべて同じスピーカーを使うのが理想です。しかし、日本の住環境において、全部同じスピーカーにするというのは、なかなか難しく、フロントの左右のスピーカーとは別の種類のスピーカーを設置するケースが多くあります。しかし、その結果、音のつながりが悪く、結果的にマルチチャンネルの音はよくないと結論付ける人が多いのも事実です。そこで、すべてのチャンネルの位相特性を揃えようというのがAPMなのです。

藤本:位相を揃えるという意味では、パイオニアがすでに「フルバンド・フェイズコントロール」という技術を打ち出していますよね。

金井:フルバンド・フェイズコントロールはフロントを含めたすべてのチャンネルの特性を一本ごとに補正し、結果として位相が揃うという手法をとっていると思われます。これに対してAPMはフロントの左右のスピーカーは位相が揃っていることを前提にし、ここはいじりません。そして、フロントと位相の違うセンターとサラウンドをフロントに合わせるように差分のみを補正するというものなのです。

APMで補正した結果をインパルス応答で比較

 この補正は、FIRデジタル群遅延補正フィルタで実現しているため、原理的にはどのようなスピーカーでも補正することが可能です。実際、APMで補正した結果をインパルス応答で比較してみてください。補正前にはバラバラだったものが、補正後には揃っていることが確認できると思います。

藤本:レベルにおける周波数特性グラフは、いろいろなところで見かけますし、私自身も、よく利用していますが、位相の周波数特性グラフは初めて見ました。これ自体も新しい技術なのですか?


基準となるRチャンネルの、0度からの角度を赤く着色

金井:位相の周波数特性を計測する技術は昔からあるものです。というよりも、レベルと位相は相関関係があるため、レベルを分析すれば同時に位相も出てくるのです。しかし、位相の周波数特性は、これまで利用されていなかったというのが実態なのです。正確にいえば、位相の周波数特性を計測しても、その利用技術がなかったわけです。

 では、もう少しAPMの詳細を紹介しましょう。わかりやすくするために、フロントをRチャンネル、サラウンドをSRチャンネルに代表させて見ていきます。まず、基準となるRチャンネルですが、大きさが分かりやすいように0度からの角度を赤く着色すると右図のようになります。

 一方、補正されるSRチャンネルも0度からの部分を緑に着色すると下図のようになります。目標チャンネルであるRチャンネルと補正されるチャンネルであるSRチャンネルを重ねると、赤と緑の差分が補正させるべき位相差ということになります。この差分には、本来は細かな山谷がたくさんありますが、そのままの差分特性を採用すると、次の過程で作るデジタルフィルタの特性が複雑になって、音質がかえって悪くなってしまいます。そのため、ある程度平準化しているのです。

補正されるSRチャンネルの0度からの部分を緑に着色赤と緑の差分が補正させるべき位相差となるこの差分をある程度平準化させることで音質の悪化を防ぐ
差分特性の逆特性を持つデジタルフィルタを生成

 次に、この差分特性の逆特性を持つデジタルフィルタを生成します。普通、デジタルフィルタは、位相特性が変わらずに周波数特性だけ変えるものが一般的ですが、このフィルタは周波数特性が変わらず位相特性だけが変わるFIRフィルタとして構成されているのです。

 このフィルタを再生時にフロント以外の信号に通すことによって、位相を揃えるというのがAPM処理の流れなのです。これにより全チャンネルの位相がそろい、各スピーカーがきれいにつながっていくのです。もちろんFIRフィルタはSRだけでなく、C、SL、SBL、SBR用にそれぞれ別々に存在しているので、それぞれに違ったスピーカーを置いてもうまく位相が揃うようになっているのです。



■ 独特の反射/残響音で「映画館らしい音」を家庭で再現

藤本:APMのほかにも「映画館らしい音」にするための機能が追加されたとのことですが、これについても簡単に教えてください。

米国・カリフォルニア州・カルバーシティにあるソニー・ピクチャーズ・スタジオのケリーグラント・シアター

(C)ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
金井:アンプもスピーカーも良質な機材を設置し、位相が揃ったとしても、自宅での音は映画館の音とはどうしても違ってきます。それは映画館という環境が持つ反射音や残響音が作り出す物理的なものなのです。映画のサウンドは、こうした環境があることを前提に作られており、ダビングシアターと呼ばれる映画館そのものである環境で音の編集作業も進められているのです。そのため、反射音や残響音がない一般家庭の部屋で再生すると、どうしても違和感のある音になりがちなのです。

 そこで、映画館独特の反射、残響音を家庭で再現するのがDigital Cinema Soundであり、それをさらに改良し、Blu-rayディスクのHD音声のクオリティーに高めたのがHD Digital Cinema Soundというものなのです。今回はハリウッドのSony Pictures EntertainmentにあるCary Grant Theatreというダビングシアターを最新の技術により精密に測定・解析を行ない、それを再現するための処理機能を5500の中に搭載しています。

 実際の映画館の残響量を再現する標準タイプのほかに、残響量を少なくしたタイプと多くしたタイプの3タイプを用意しているので、好みに合わせて効果を選択できるようになっています。



SRとSLのみ交換して鳴らすと、非常に違和感のある音になった

 以上のようなやり取りをしながら、実際に音も聴かせていただいた。以前にも何度か音を聴かせていただいた「かないまるルーム」の通常のセッティングは、やはり最高の音が出るのだが、あえてサラウンドスピーカーを交換して行なった実験はとても面白かった。通常この部屋は、すべてのスピーカーに「B&W 801 MATRIX SERIES 3」を使っているが、この実験では、SRとSLを「Wilson Audio WATT & PUPPY」の頭部分のみに交換して鳴らしたところ、非常に違和感がある音になった。やはりいいスピーカーなら何でもいいというわけではなく、位相が重要であるというのは、とてもよく実感できる。

 それをAPMで補正すると、その違和感がスッキリ解消し、気持ちよく聴けるし、それぞれの楽器の音がどこにあるのかが、ハッキリと感知できるようになる。サラウンドスピーカーにフロントとは異なる小さいスピーカーを置いている人は非常に多いと思うが、APMを使うことでかなり音が改善されそうである。

 また、予想外によかったのが、HD Digital Cinema Sound。よくあるこの手の空間処理は、さまざまな設定のリバーブをかけたもので、個人的には好きでなかった。が、これはリバーブとは明らかに違い、映画の音を正しいものに補正するというものだった。

 たとえば、HD Digital Cinema Soundオフで雷の音を鳴らすと、それこそ“ゴツン”という衝撃音で、妙に感じるものが、オンにすると“ゴロゴロ”という本来制作者が意図したのであろう雷の音になるといった具合いなのだ。変に音が広がったり、奥へ行ってしまうということもなく、自然に聴こえるため、不思議に感じるほど。「かないまるルーム」のレベルの音を出すのは困難ではあるのだろうが、家庭に「映画館の音」を運んできてくれるというTA-DA5500ESをぜひ、店頭などで試聴してみてほしい。

(2009年 10月 26日)

= 藤本健 =リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。また、アサヒコムでオーディオステーションの連載。All Aboutでは、DTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。

[Text by藤本健]