藤本健のDigital Audio Laboratory
第581回:8ch DSD録音インターフェイスで、DSD音楽制作が変わる?
第581回:8ch DSD録音インターフェイスで、DSD音楽制作が変わる?
夏発売予定のアイ・クオリア「I88A-U2」開発と、今後の見通し
(2014/2/17 13:46)
既報の通り、アイ・クオリアという名古屋の会社が8chのDSDによるレコーディング、再生ができるUSBオーディオインターフェイス「I88A-U2(仮称)」の発表会を2月3日に行なった。
発売時期は2014年夏頃ということで、しばらく先のことではあり、まだ開発中という段階ではあるが、大手メーカーが手をつけていない分野の製品に、日本のベンチャーが挑んでいるという点で、とてもワクワクするし、期待が高まるところ。このI88A-U2でどんなことができるのか、将来的にDSDの制作環境がどう変化していくのかも含め、考えてみたいと思う。
録音制作の視点から、DSD対応オーディオインターフェイス開発へ
今回発表された「I88A-U2」の前段階の試作機について、昨年6月の「1bit研究会」の本連載レポート記事でも取り上げていたので、覚えている方もいると思う。とはいえ、多くの人にとって、アイ・クオリアという会社をまだ馴染みがないだろうし、初めて知ったという人も少なくないはずだ。
同社は、代表取締役の相川宏氏を中心に活動している2006年設立の会社であり、CDやSACD、DVDといったメディアの委託製造、出張録音サービス、さらには自主レーベルによるCD、SACD作品の販売といったことを手がけている。相川氏自身がレコーディングエンジニア、マスタリングエンジニアとして各種作品の制作に携わっているのだ。
実は、筆者が相川氏に最初にお会いしたのは、アイ・クオリアの代表取締役としてではなく、「音系・メディアミックス同人即売会、M3」という大規模な同人イベントにおける主催者「M3準備会」の事務局長として。相川氏は、まさにM3を育て上げてきた人物でもあるのだ。
その相川氏がレコーディングや音楽制作という枠に留まらず、オーディオインターフェイスの開発、しかもPCMだけでなくDSDをマルチチャンネルでレコーディングできるシステムの開発に着手し、製品の発売が見えてきたというのだから、興味がわくところだ。
「2001年に初めてSACDによる1bitサウンドに触れたとき、非常に鮮やかな音だ、と感激しました。そうした思いもあって、自主レーベルである<エタンデュ>から2010年に初のSACD作品となる『市橋若菜 オンド・マルトノの世界 I』、『市橋若菜 オンド・マルトノの世界 II』をリリースしました。特にオンド・マルトノという楽器の場合、スタジオ録音では表現しきれないサウンドとなるため、ホールでのレコーディングを行ない、それをマルチチャンネルでレコーディングし、サラウンドのSACD作品としたのですが、いろいろな課題も感じていました」と相川氏は発表会で語っていた。
その問題点の第1に挙げられるのは、マルチチャンネルで直接DSDでレコーディングするシステムがほとんど存在しないため、ここではPCMでレコーディングしたものを最終段階でDSDに変換するという手法を取ったという点。やはりPCMを使わず、レコーディングの時点からDSDでできるのが理想なわけで、ここにもどかしさがあったようだ。
相川氏は「だから録音制作する立場からどうにかできないだろうか……と考えるようになりました。サラウンドで録音するなら、やはり最低でも5chは必要だし、DSDマルチチャンネルということを考えれば、8chは欲しいところです。また実際の利用を考えれば従来機器との接続も不可欠です。たとえば、DSD用のA/DやD/Aはいくつかあるので、これらとSDIF-3を用いて接続できるようにしたい。もちろんアナログ機器との接続もできるようにしたい……そんな考えを元に、神戸・ディーエスオーの大中庸生さんにハードウェアの開発や試作に関する協力を得ながら、2011年にDSD対応のオーディオインターフェイスの開発に着手しました」と説明している。
その辺の経緯については、ニュース記事でも少し紹介していたが、今回お披露目されたのは、以前見た機器よりもかなりコンパクトになっており、サイズ的には215×240×44mm(幅×奥行き×高さ)で約3kg、外部電源アダプタを用いて動作する。
主な仕様をまとめると、DSD(5.6MHz)およびPCM(192kHz)での録音再生が可能なオーディオインターフェイスで、Windows XP/Vista/7でASIO 2.1ドライバによりDSD 2.8~5.6MHz、PCM 44.1~192kHz×8chをサポート。Mac OS XではCoreAudioドライバによりPCM 44.1~192kHz×8chに対応する(DSD対応は検討中)。アナログのバランス入出力のほか、DSD用のSDIF-3とPCM用のAES/EBUを装備。同軸/光デジタルも備えている。
録音制作用オーディオインターフェイスとしてだけでなく、PCオーディオや、スタンドアロンのAD/DAコンバータとしての使用にも対応。ADCチップはTIのPCM4204、DACチップはESS Technology ES9018を使用。入出力回路は高級オペアンプを使用したフルバランス構成とした。内蔵クロックは高精度OCXO(恒温槽付水晶発振器)を使用し、デジタルオーディオ信号とクロックの関係をクリーンに保つという補正回路で制御する。
前述のM3の会場や、1bit研究会においても試作機0号、1号が展示されてきたが、今回はほぼ製品仕様となった試作機2号。そして試作機2号に入っていた基板を製品とほぼ同等の形の筐体に収めたプロトタイプの2つが展示された。その筐体のデザインは神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科教授の太田尚作氏が手掛けたものであり、発表会に持ち込まれたものは、それを3Dプリンターで出力したものだ。
試作機1号と2号で仕様が大きく変わったわけではないが、1号で1枚にまとめた基板を今回は小さな筐体に収めるために2つに分離させて、プロトタイプでは上下に重ねている。また試作機1号にはなかったSDIF-3などのデジタルインターフェイスが搭載されたのと同時に、ユーザーインターフェイス用のマイコンが搭載され、液晶画面を使っての操作も可能になっている。
この2段重ねの基板、上がADコンバータ、AES/EBUとSDIF-3のデジタルインターフェイスを搭載したもの、下がDAコンバータ、USBインターフェイス、そしてAlteraのFPGA、Cyclone IIを搭載したメイン基板となっている。
この3Dプリンタで作られた筐体にはワードクロックの入出力の端子がないが、実際の製品にはそれが搭載される予定。現在の仕様において入出力は下の図のようになる予定だ。
DSDマルチトラックレコーディングの今後に期待
今回の発表会においてはオーディオ雑誌の編集者、記者などの参加も多く、会場では相川氏が試作機を使ってレコーディングしたDSDのサラウンドデータを中心に鑑賞会が行なわれた。確かに非常にリアルなサウンドであり、高品位なSACDのサラウンドサウンドか、それ以上なもの、という印象であった。が、一つ大きな問題もあった。現状e-onkyo musicなどでDSDの配信は行なわれているものの、基本的にすべてステレオであり、サラウンドがないのだ。というのも、再生環境が存在しないから売っても意味がない……という状況で仕方がないところ。このI88A-U2のような機材がいろいろ出てくれば、DSDのサラウンドデータの配信がスタートする可能性もあるだろうが、しばらくは難しいのかもしれない。DSDサラウンドで録るレコーディングシステムであると同時に再生環境でもあるという点にも大きな意義がありそうだ。
ここで気になってくるのはI88A-U2がいくらぐらいで登場するのか、という点。今回の発表会においては、価格未定、とはなっていたが、相川氏に聞いてみたところ、唯一競合となるであろうMYTEK Digitalの8X192 Series AD/DAよりは安く出したい、という答えが返ってきた。8X192 Series AD/DAはDAWであるSONOMAと組み合わせてシステム売りされるケースが多いが、SONOMA自体が高価であることもあり、システム全体ではかなり高価になってしまう。それに対し、I88A-U2の場合は、WindowsにおいてはASIO 2.1で動作する汎用的な機材となっているので、PCMベースであれば、各種DAWでもそのまま利用できる。問題はDSDでのレコーディングだが、試作機の段階の2011年にはWin32コンソールアプリケーションとしてDSDストリームをトラックごとのDSDIFFファイルに記録するコマンドラインで動作するプログラムを作っているという。
相川氏によれば、「実際、これを使ってレコーディングする一方、再生はHQ Playerなどを利用し、これらを連携させることで、セッション録音については十分対応できました。しかし2013年夏に再生の機能を追加するとともに、WindowsのGUIをかぶせたアプリケーションの作成を試みました。改造を繰り返すうちJUCEの要素が混ざるなどしてUI部品に統一性がなく、いかにも素人っぽい出来ではありました。しかしこの時点で一般的なトランスポート機能とロケーターを持ち、再生時のレベル表示にも一応対応したのです。とはいえ、何ぶん接木的な改造により作ったもので不具合も多く、あまり安定していなかったため、昨年末からまったく新しく書き直す作業を始めています。こちらについては第一目標は、やはりマルチトラックテープレコーダーの操作性を模倣することで、ここまでは製品リリースまでには完成させる予定です」とのこと。
トラックごとのデータ管理ができ、容易にリージョンを再配置できることを意識した設計にしているとのことなので、これがあれば、とりあえずのことは十分できそうだ。相川氏は、「このレコーディングソフトは、次の段階ではトラックビューを開き、編集ができることを視野に入れています」とのことなので、期待したいところだ。
DSDに対応したDAWであるSONOMAやPyramixは非常に高価であるし、オーディオインターフェイスとどのようにやりとりしているのかわからないが、もしASIO 2.1をサポートするようになれば、I88A-U2でもそのまま使えるかもしれない。
国産のDSD対応DAWとしては、もう一つ気になるものがある。それはコルグの開発した「Clarity」だ。これも第558回の記事の中で紹介していたが、やはり8IN/8OUTを装備したUSB接続のオーディオインターフェイス、「MR-0808U」とセットで使うかなり高性能なDAWとなっている。AudioGateと同じエンジンを採用してレコーディングやある程度の編集も可能なClarityはASIO 2.1をサポートしているため、もしかしたら、Clarityの入ったPCにI88A-U2を接続すれば、そのまま動いてしまうかもしれない。ただ、現状においてClarityは市販されておらず、コルグが運営するレコーディングスタジオであるジーロックス下高井戸スタジオでのみ使えるというもの。可能ならば、ジーロックスにI88A-U2を持ち込んで、認識して使えるのか、試してみたいところだ。
今のところ、DSDのマルチトラックレコーディング、再生のためのソフトウェア、ハードウェアにどこまでのニーズがあるのかはわからないが、I88A-U2やMR-0808U、そしてClarityなどが比較的手ごろな価格で入手できる時代がやってくることを期待したい。