西田宗千佳のRandomTracking

手、目、耳を開放? 謎のソニーネックバンド型デバイス「N」

ビームフォーム、カメラ、センサー連動が導く未来

 ソニーは3月に「Future Lab Program」という新しい技術・研究開発の取り組みをスタートした。3月12日・米テキサス州オースティンで開かれたイベント「SXSW Interactive 2016」にも出展、その第1弾となるコンセプトプロトタイプ「N」をはじめとした技術展示を行なった。

Future Lab Programのロゴ。実はこの形にも大きな意味がある
「N」のティザー動画。音を聞くものであるようだが、これだけだとなにかよくわからない

 SXSWのニュースで断片的にその機能が伝わってくるものの、「N」とはどんなものなのか、そして、Future Lab Programの狙いがなんなのか、今ひとつつかめない。ソニーに問い合わせたところ、「N」を体験した上で、Future Lab Programの狙いを聞くことができた。取材にご対応いただいたのは、Future Lab Programを担当する、ソニー RDSプラットフォーム システム研究開発本部 応用技術開発部門 ソリューション開発部 統括部長の岡本直也氏と、Nのオーディオ面の開発を担当する、同ソリューション開発部 1課の平野雄哉氏。

Nの開発を担当する、ソニー・RDSプラットフォーム システム研究開発本部 応用技術開発部門 ソリューション開発部 1課の平野雄哉氏に「N」をつけてもらった

バーチャルヘッドフォン技術を応用し「開放感」のある音響を実現

 まず「N」を見ていくところから始めよう。Nは、ネックバンド型、というか、首にかけて使うガジェットだ。本体にもいくつかボタンはあるが、音量調節用などで、デザインはごくごくシンプルである。

Nはシンプルなネックバンド型。手前に見える細いスリットがスピーカーで、左右にある

 スピーカーを搭載していて「音を聞く」ものなので、まずは音楽を聴いてみよう。ネックバンド型のスピーカーはいままでにもあったが、Nの体験はちょっと違っている。

正面から見ると、左側に小さなスピーカー穴と思わせぶりな「窓」がある

 これまでのネックバンド型スピーカーは、音が肩のあたりから聞こえてきた。スピーカーの位置がそこなのだから当然だ。だがこれは、音楽を聞くには不自然なもの。ヘッドフォンを首からかけて最大音量にしてみれば、なんとも微妙な感じなのがわかるはずだ。

 Nにはその不自然さがない。なぜなら、音がきちんと「耳の横」から聞こえるからだ。

岡本氏(以下敬称略):Nでは、ソニーがサラウンドヘッドフォンに使っている「Virtualphones Technology(VPT)」を使っています。ですから、音が耳の横の自然な位置に持ち上げて聞こえるようになっています。しかも、環境の音が自然に混ざって聞こえます。

ソニー・RDSプラットフォーム システム研究開発本部 応用技術開発部門 ソリューション開発部 統括部長の岡本直也氏

平野:今回、Nを作るにあたって要素技術側からフィードバックしたのは、従来からある「Clear Phase(クリアフェーズ)」と「VPT」ですが、Nで目指したのは従来のVPTのままではできないことで、新しく開発したものです。首元にあるスピーカーからの音を、上に持ち上げたように聞こえるようにと、開発を進めました。特に屋外で聞くと、非常に開放感のある音像感になることを狙っています。

岡本:ここは会議室なので反響もあってあまりよくわからないのですが、屋外だと非常に自然で、音楽以外の、周りの音も聞こえてきます。

 自転車に乗る時は、ヘッドフォンでは非常に危険です。また、知らない街を歩く時にも、周囲に注意が行き届かなくなるので、ちょっと怖い。ですが、このような技術を使い、周囲の音が聞こえてくるとずいぶん違ってきます。安全面だけでなく、気分的な開放感としても、です、

 音楽に没入する楽しみもありますが、そうでないものも提供できるのではないか、という発想です。

 筆者も体験してみたが、これはなかなか面白いものだ。体験中のインタビューは、Nから音をそれなりの音量(体感的には、普通のヘッドフォンでいうと真ん中くらいのボリューム)で鳴らし続けていたのだが、きちんと相手の話も聞き取れた。しかも、耳を凝らすことなく、だ。

 とはいえ、Nは「スピーカー」なので、それなりに周囲に音を出す。アウトドアや自室内ならいいが、日本人の感覚だと、街中ではちょっと恥ずかしい。

「なので、ちょっとこちらも試してください」

 そう言って岡本氏が取り出したのが、Nに取り付ける「オープンイヤータイプ」のヘッドフォンだ。

Nと一緒に使うオープンイヤータイプのヘッドフォン。少々独特の形状で、ぱっと見どうつけるかもわからない

 このヘッドフォンは、Nの本体に接続して使う専用のものだ。取り付けると、Nがオーディオプレーヤーになったように感じる。

ケーブルをN本体に接続。ただし、接続のコネクターは、一般的なピンジャックとは異なるもののようだ
つけてみたところ。一見、普通のインナーイヤーに見えるが……

 しかし、これは「オープンイヤー」ヘッドフォン。普通のヘッドフォンとは違う。どう違うかは、付け方をみればわかってくる。

耳に「音導管」と呼ばれる部分を挿入し、耳たぶを挟むような形でユニットが耳の後ろに行く。

 耳に入れるのは「音導菅」と呼ばれるもので、これを耳穴に入れて保持する。そこから管が耳の後ろにあるスピーカーユニットまで続いていて、音は耳の後ろから耳穴へと「導く」ようになっている。音導管は開放型なので、外部の音ももちろん聞こえる。人と話しながら音楽を聞いても、特に話し声が聞き取りづらいとか、聞こえないということはない。「オープンイヤー」である以上、これでも音は外に漏れてくるのだが、その大きさは、いわゆるヘッドフォンの「音漏れ」と同じくらいまで小さくなる。

平野:Nでは解放的な音楽体験を目指しているのですが、どうしても音漏れの問題があります。そこで、音導管を使ったヘッドフォンを新規に開発したんです。

岡本:再生中でも、我々には若干のシャカシャカ音が聞こえる程度ですが、つけている人には、きちんと音楽と私の話し声の両方が聞こえているはずです。

平野:ここでもClear PhaseとVPTが活躍しています。通常こうやって音を導くと高域が減衰してしまい、音としてバラバラになってしまいます。そこをClear Phaseで補正し、VPTによって「頭の中」に定位してしまう音を少し広げてあげることで、快適に音を聴けるようにしています。

自動で水平を維持するカメラとセンサー連動「パーソナルラジオ」コンセプト

 解放的な音楽体験を実現するのがNの第一の目的だが、機能はそれだけにとどまらない。

 Nにはカメラも内蔵されている。いわゆるライフログ的に使うものだが、普通のカメラとは少し異なる。普段はレンズが隠れており、音声コマンドで撮影を命令すると、レンズ部が回転して現れ、撮影が終わるとまた元に戻る。この動きがなかなかに面白い。

Nで写真を撮影する時の様子を動画で。本体左側のカメラ部が、コマンドに応じて動くところに注目

 カメラが動くのは、なにもギミック的にかっこいいからではない。

平野:カメラを身体につけて撮影する機器はたくさんあるのですが、いざ撮影しようといしても水平がとれていなくて、思った絵になっていないことがあります。なので、カメラの動きとNのモーションセンサーを連動させて、自動的に水平が出るようになっています。

 ライフログ的なカメラ機能は、Nにとって大きな機能だが、コンセプトの一部でしかない。

平野:Nには各種モーションセンサーとGPSを内蔵していて、いま私がどこにいるか、なにをしているか、ということを認識できるようになっています。例えば音声コマンドで天気を聞くと、いま自分のいる場所の天気が聞けます。

岡本:いまは開発中なので音声コマンドでの実行のみが搭載されている状況ですが、今後クラウド側のサービスを実装し、対応するようにしていきます。例えば「近くのレストランは?」とか「今日のニュースは?」とか。

 いまの音声UIは「一問一答」に近いですよね? いつ聞いていいかもわからないし、なにを聞いていいかもわからない。きっかけがなかなかない。なので、いつも身につけていてもらえる機器ならば、適切なタイミング・適切な場所で情報を得られると思うのです。これを我々は「パーソナルラジオコンセプト」と呼んでいます。

 これは、音楽が流れる上にDJが話すような感覚でNからの返答がかぶさる、という考え方だ。Nは、その人のアシスタント端末になることを念頭に開発されたものなのである。

「製品化を前提としない」公開R&Dプロジェクトの意義

 と、こういう話をすると、「では、Nの制式名称はどうなって、いつ製品になって買えるのか」ということになる。クラウド連携によるパーソナルラジオ・コンセプトは試すことができてないが、少なくとも「音楽を聴く」部分については、現状でもかなりの完成度で、製品だと言われても驚かない。

 だが、ここが重要なポイントなのだが、Nを含めた今回の取り組みは「そのままでの製品化を前提としたもの」ではない。すなわち、いまのNがそのまま製品となって世に出るとことはないのである。

 では、なぜここまで「動いている」ものをSXSWのような場で公開したのか? そこが、「Future Lab Program」の狙いである。

岡本:我々はR&D(研究開発)部隊です。その新しい取り組みとしてFuture Lab Programを始めました。「プログラム」なので、組織としての実体があるわけではなく、R&Dの中で横断的に行なうものです。

 我々の中でまだ開発中のプロトタイプをお客様に見ていただき、そのフィードバックを活かしていくことはできないか、という取り組みです。

 今回、SXSWを最初のお披露目の場として選びましたが、イベントに出展するものを作るのが目的ではないんです。フィードバックを得るのが目的ですから。今年の夏以降を予定していますが、実際に使っていただく機会を作り、フィードバックをいただければ、と思います。まだ詳細をお伝えできる段階ではないのですが。いずれしにても、一般の方に体験していただける機会を設けます。

 R&Dと一言でいうものの、その内容は色々だ。技術が高度化した現在、それぞれの担当者の専門性は高まり、要素技術だけを外に出すことは難しくなっている。そんな中で「N」のようなプロジェクトは、見たところかなり「製品」に近いプロトタイプに見える。ソニーとしてはどういう位置付けなのだろうか?

岡本:そこが今回の試みでも、非常に新しい部分です。

 R&Dは幅広いですよね。材料から半導体まで。色々な要素技術を選択し、商品にしていく、というのが今までの流れです。しかし、平井(一夫)社長ですとか、鈴木(智行 執行役副社長、デバイスソリューション事業やR&Dを担当)の元、新しいカテゴリーの新しい商品を作るには「今までのやり方だけでいいのか」という問いかけがありました。

 そこで、我々が要素技術を開発中する中で、それを組み合わせて次のカテゴリーを生むようなプロトタイプを検証してみよう、ということになりました。

 R&Dの現場では、その上で重要になるのが「フィードバック」である。実は、R&Dの中で要素技術を組み合わせたプロトタイプを作ることは珍しくない。「我々の周りにも、そういうものがあふれています」と岡本氏は笑う。ある種の画期的な製品が出た時に、他社の開発の現場から、「ああいうものはすでに社内で研究開発中だった。だが、製品にはならなかった」という話が出ることは少なくないし、それはソニーでも例外ではない。

 技術は魔法ではないので、どこも似たような系譜を辿って開発が進められている。だが、それが「製品になる」には、大きな山を越えねばならず、それを超えたか否かが勝敗を分けている。

岡本:プロトタイプを作るのはいいのですが、問題は検証です。画期的と思えるものを作ったはいいが、本当にそれが受け入れられるのかどうか。技術として不足している部分はどこなのか。潜在的な顧客となる人々に触れていただき、ご意見をいただき、研究開発にフィードバックをいただくのがいいのではないか、というのが、今回の取り組みです。

 こうした仕組みを明確にやり始めたのは、平井が社長になり、鈴木が担当重役になってからです。

 ソニーの中にカルチャーとして「草の根でプロトタイプを作る」ことはあったのですが、草の根でやるだけではなく、R&Dへフィードバックすることを促進するのが、我々の活動です。

 ソニーの中でプロトタイプを作ってフィードバックを行なうのは、もちろんNを作った部隊だけではない。Nは第一弾であり、これから色々なものが提案される予定だという。そのあたりの考え方は、Future Lab Programのロゴに現れている。

岡本:あのロゴは「フレーミング」を表しています。この枠の中を目指し、ターゲットを示してアプローチしよう、ということを表したものなのです。

 今回Nでは、ハンズフリー・アイズフリー。さらにはイヤーフリーです。今のスマートフォンは画面の中で完結しています。そこに満足しておられる方もいらっしゃいますが、我々エンジニアは満足していない。『もっと違う未来がありうるだろう』と思うのです。目や手を解放したい、自由なところを目指す。そのためにはオーディオ技術が重要だろう、と考えています。

 こうやって技術を表に出すことにはリスクもある。ある種の気付きを、他社に公開してしまうことにもなるからだ。「そうした部分には、知財的にも技術的にも対処している」(岡本氏)というものの、なんでもかんでも出せるものではない。それでも、商品化の予定がない技術を世に問うのは、「フィードバックを得たい」からだが、そこには2つの意味がある。

岡本:エンジニアも、自分たちが開発している技術に対して視野が狭くなりがちです。どういう技術が求められているのかを把握する必要がありますし、実は「求められているレベルにはまったく届いていない」ことに気づくこともあります。逆に、技術的にはオーバーシュートしていて、別の方向を目指さなくてはならないのかもしれません。新しい発見として、「この技術はこれを目的に開発したのに、実は別の方向でもっと活かせる」と気づくこともあるでしょう。

 Nのオーディオ技術はほとんどがそれです。元々はオープンエアーのスピーカーのために作ったものではないのですが、少し使い方を変えるとこんな風に生きてくる、ということがわかりました。

平野:Nでの音声認識ひとつとっても、色々あります。マイクを複数使ったビームフォーミングによる音声認識は、元々ソニーが得意とするものです。しかし、「外で自転車に乗りながら使う」となにが起こるかというと、風切り音で音声が聞こえなくなったり、衣摺れ音が邪魔になったりしました。「当たり前にできるだろう」と思われることでも、技術的な難易度が高いものがあります。それを信号処理という要素技術技術の形にし、対策していくのがソニー全体の技術向上にもつながっている、と考えています。

岡本:また、エンジニアにとっても、自分が開発している技術がどのように受け入れられるのかがわかると、とても大きなモチベーションになります。これも大事な点です。

 Future Lab Programでは、今後も様々なプロトタイプが公開されていく予定だ。重ねて言うが、それらは商品化の予定がない。とはいうものの、Nのようにそれなりの完成度に達しているものを見ると、「では、これはいつ世に出るんだろう」と考えてしまう。

岡本:製品化の予定はないのですが、最終的に、ここにある技術が、なんらかの形で世に出ることを考えています。私たちはR&Dの部隊ですから、事業化についてはコメントする立場にありません。

 しかし「いつ出るのか」という時間軸については、フィードバックで皆さんに問いかけたいと思っているのです。これは10年先の技術のつもりでやっているわけではありません。しかし、これが今受け入れられるのか、それとももう少し先なのか、それをこうしたプログラムから把握したい。これまではそれを、開発側が「これは3年後」「これは5年後」と勝手に考え、実際に出してみると早すぎたり遅すぎたりしました。そういう部分について、開発段階でフィードバックを受けることが重要だと思います。

 今後、Future Lab Programで生まれたプロトタイプの中で「欲しい!」と思うものがあったら、その場でハッキリ「欲しい」と、自分の希望と共に伝えてみよう。それが、技術開発と製品化を加速するエンジンになる。

西田 宗千佳