小寺信良の週刊 Electric Zooma!

第734回

Zooma!:ズームレンズ、ズームすること、ズームする人、ズズーンの造語

音までカスタマイズ! 世界に1台だけのイヤフォン、Just ear「XJE-MH1」を作ってみた

カスタムイヤフォンとは

 今年4月29日、ソニーグループの商品設計専門会社であるソニーエンジニアリングから、カスタムイヤフォンのブランド「Just ear」の第一弾モデル、「XJE-MH1」及び「XJE-MH2」の受注が開始された。

カスタムイヤフォン「XJE-MH1」

 カスタムイヤフォンとは、耳の型をとって専用の筐体(シェル)を作成するもので、以前はプロのミュージシャンがステージ上で楽器の音をモニタリングするために作られた。しかしミュージシャンの間で次第にステージだけでなく、普段のリスニングにもカスタムイヤフォンを使うという流れができ、それが評判となって一般の人もカスタムイヤフォンの制作を発注するようになっていった。

 現在様々なメーカーがタスタムイヤフォンの受注を受けており、よく知られるところではUltimate Ears(UE)や、日本ではカナルワークスといったメーカーがある。カスタムメイドなのでどうしても値が張るが、ヘッドフォン・イヤフォンマニアの間では次第に一般的になりつつある。ソニーエンジニアアリングの参入は、大手国内メーカーの設計専門会社が自らブランディングして販売するという意味でも、かなり珍しい例である。

 XJEシリーズの特徴は、ドライバがダイナミックとバランスド・アーマチュア(BA)のバイブリッドだということだ。そもそもカスタムイヤフォンはステージモニターとして作られた経緯があるため、耳介の中に目立たないように筐体全体を入れるのが主流だ。従ってドライバとしては小型のBAが採用されるのがほとんどで、13.5mmという大型のダイナミックドライバを使う例は、聞いたことがない。

 さらに上位モデルのMH1は、ユーザーとエンジニアがカウンセリングを行ない、自分好みの音質にカスタムチューンできる“テイラーメイド”を自認するモデルだ。一方MH2は耳型は取るものの、音質の方は広く好まれる3種類の中から選ぶというスタイルになっている。多くのカスタムイヤフォンは、ドライバの組み合わせや数をラインナップから選ぶことはできるが、好みの音質にチューニングできるのは珍しい。

 価格はMH1が30万円前後、MH2が20万円前後で、別途耳型採取の費用が9,000円ほどかかる。イヤフォンの価格としてはかなり高額だが、カスタムイヤフォンの中ではやや高めといったところだろうか。最近はカスタムではない30万円オーバーのイヤフォンも登場してきており、イヤフォンもいよいよ本格的な高級オーディオ路線に踏み出してきた。

 こういったカスタムイヤフォンの場合、お借りしてのレビューができない。なぜならば耳の形は一人一人違うので、他の人のイヤピースでは耳に入らないからだ。そこで今回は実際に筆者用のMH1を製作し、型取りから音決め、製品化までのプロセスを追いかけてみることにした。

 筆者もカスタムイヤフォンを作るのは初めての経験である。ソニー製品の設計者がテイラーメイドしてくれるイヤフォンは、いったいどういうものなのだろうか。一緒に体験してみよう。

耳型採取の工程

 オーダーすると、まずは耳型採取と音決めのカウンセリングの日程調整が必要だ。Just earの耳型採取は、銀座線外苑前駅近くにある、「東京ヒアリングケアセンター青山店」でのみ行なっている。もともとここは補聴器の専門ショップで、耳型採取の正確さでは国内ナンバーワンとの評判が高いところだ。Just earの耳型は当然として、他社メーカーの耳型もわざわざここで採取する人もいるほどである。

耳型採取で定評のある、東京ヒアリングケアセンター青山店

 実は耳型というのは、日本でオフィシャルに採取するには、認定補聴器技能者の資格が必要になる。店長の菅野 聡氏は当然この資格を持っており、安心して耳型を採取してもらえる。

 一方音決めのカウンセリングは、ソニー製イヤフォンを数多く設計している松尾 伴大氏自らが行なってくれる。松尾氏は以前このコラムでも、「MDR-EX700SL」のインタビューでお目にかかったことがある。普段は厚木テクノロジーセンターで製品の設計をされているので、日程を合わせて東京ヒアリングセンターまで来ていただくことになる。割とオオゴトなのだ。

東京ヒアリングケアセンター青山店店長の菅野 聡氏(左)、ソニーエンジニアリングの松尾 伴大氏

 まずは耳型の採取の前に、耳のコンディションのチェックだ。耳の中に傷や怪我がないかを調べてもらう。前日に入念に掃除をしすぎて耳の中を傷つけてしまい、当日採取できなかったという事例もあるようなので、当日は掃除などせずにそのままできてくださいということであった。

まずは耳鼻科のお医者さんが使うような治具で耳の状態をチェック

 実際の採取の前に、鼓膜保護のための詰め物を行ない、さらに糸を挟み込む。これは詰め物を安全に取り出すための工夫だ。そこから型取りが始まるのかと思ったら、そうではなかった。ヘッドフォンに似た治具を装着し、ダイナミックドライバがどういう具合に耳介の中に収まるか、入念に調整を行なう。

鼓膜保護のためのスポンジを入れる
取り出しやすいよう、糸を挟み込む
専用の調整治具を使い、ドライバのポジションを決める

 ダイナミックドライバは13.5mm、最外寸は17.6mmと、そこそこ大きい。これが耳介の中に全部収まればいいが、入りきれない場合は少し耳の外に飛び出すことになる。それをいかに自然な位置で、目立たない角度で取り付けられるかを検討するわけだ。実際にドライバと同じサイズの型を使い、それが収まる位置をおよそ20分以上かけて入念に調整していく。

 もちろん左右で耳の形や大きさが微妙に違うため、シンメトリックな位置にすればいいというものでもない。かといって左右がぜんぜん違う位置だと見た目のバランスが悪いので、装着した際のデザイン性まで含めて位置決めを行なうため、時間がかかるわけである。

 こうして位置決めをした後、型を取るための部材を流し込み、位置決めをしたドライバの型まで含めて固めてしまう。こうすることで、ドライバのポジションまできっちり決まった耳型が採れるわけだ。幸い筆者の耳は凹みが大きいため、ドライバがすっぽり全部入るようだった。ここまですっぽり入る例はこれまでなかったということなので、出来上がりはユニットが目立たないものになるだろう。

 耳型採取時は、発泡スチロールのスペーサーを咥えて、少し顎関節を開けた状態にする。こうすると耳の穴も若干開くそうだ。ピンクの充填剤を注入されるが、硬化するまでおよそ8分。周囲で談笑している声が小さく聞こえるのだが、ほとんど内容も聞こえないし口は半開きのままなので、何もできない。

型取り部材を充填し、耳型を取る

 耳型を取り出すときには、鼓膜が引っ張られるような感じがするのかと覚悟していたのだが、そんなこともなかった。引き抜き方にもノウハウがあるのだろう。ただ奥まで入り込んだ部材をねじりながら抜くので、なんとなく爪楊枝でニュルンと身を引っ張り出されるツブ貝の気持ちになる。

 採取された耳型はかなり奥まであるが、完成品はそれほど耳奥まで長いわけではないそうだ。左右の型を見比べてみると、右耳の方が穴が大きい。以前から右耳だけイヤフォンが抜けやすかったのだが、そういうことだったのかと納得した。

実際に採取された筆者の耳型

カウンセリングと音決めの工程

 続いて音決めに移る。MH1では、ユーザーの希望する音質にカスタマイズすることが可能だが、ユーザー自身が音響工学的な知識や技術があるわけではないので、エンジニアの松尾氏とディスカッションしながら、自分の好む音を作っていくというプロセスが必要になる。

 ここで一旦、松尾氏自らの趣味で入れてくれるコーヒーをいただきつつ、雑談をしながらリラックスしたムードの中で音決め作業に移る。型取り作業で動けない状態が30分以上続くこともあり、体と心の緊張をほぐすことは、音決めのプロセスへ移るための重要な「儀式」でもある。

趣味のコーヒーをいれていただき、リラックス
雑談風にカウンセリングが開始

 まず最初に、普段聴いている音楽の話をする。筆者の場合、よく聞くのは'80年台前半から現代までのロックが中心だが、気分を変えるときはエレクトロニクスやワールドミュージックも聴く。音決めのソースはそういうものを中心に聴いていくことにした。

 またどういう使用シーンで使うのかも重要だ。家でモニター的に聴くのか、通勤時間に電車内で聴くのかで、音作りの方向性も変わってくる。筆者の場合、これが一番活躍して欲しいシーンは、喫茶店の中だ。外で原稿を書くとき、喫茶店に陣取ってノートパソコンで書くことになるわけだが、元々そういうことに慣れていないので集中できない。

 そこで、喫茶店で長時間装着してても疲れず、かつ気分的にテンションが上がる歯切れのいい音を目指すことにした。こういった方向性を、松尾氏とのカウンセリングの中で固めていくわけである。

 ただ音を作るとは言っても、MH1には電気的に音をいじるようなネットワーク回路はない。内部のフィルタといった物理的な部材の種類や量を変更することで、音の性質を操っていく。周波数特性を見ながらイコライザで音を作るといったアプローチとは全く違うので、素人にはとてもできない部分だ。

 そこで使用するのが、ソニーのヘッドフォンやイヤフォン設計で使用している、シミュレーターソフトだ。このソフトでは、フィルタ部材の特性や量、その他諸々のハードウェア的条件を変更すると、音質がどう変化するかを実際の音として聴くことができる。本来は量産品の設計のためだけに使われるものゆえに、これまでは社外へ持ち出すことは禁止されていたが、このプロジェクトに関しては特別に使用することが許されているという。

 ここでは実際にユーザーが使用するデバイスを持ち込み、いつも聴く音楽を使って音決めを行なう。音決め用のリファレンス機は、耳型がまだできていないため、汎用のイヤピースを使ったものを使用する。ソースの音を分岐して、松尾氏も同じリファレンス機で音を聴きながら、音を作っていくわけだ。

ソースの音をUSB DACを通してPCに送り、リターンを2つに分岐する

 筆者が持ち込んだプレーヤーは、iPhone 6である。もちろんもっといいプレーヤーはいくらでもあるだろうし、MH1の価格を考えるとiPhone 6のイヤフォン出力で聴くのはもったいないレベルだ。しかし実際に一番多く聴くであろうシーンを想定すると、筆者の場合これなのである。従って、これと圧縮音源の組み合わせで気持ちよく聞けるサウンドが目標となる。

2人で同じ音を聞きながら、好みのセッティングを模索する

 リファレンス機は綺麗にまとまった音ではあるが、特徴がない。個人的な嗜好から、もう少し低音を聴きたいということで、パラメータをいじってもらう。物理物しかいじれないわけだが、可変幅は思った以上に大きい。

 低域は十分になったが、バスドラムの音にもう少し輪郭を持たせたい。そう伝えると、松尾氏がそれに該当するパラメータを変更して聴かせてくれる。こうしたやりとりを続けて、低域はいい感じにまとまってきた。が、今度は低域の押しの強さに負けて、高域がマスクされてしまう。そこで高域を少し足してもらったが、今度は女性ボーカルの破擦音が強くて耳障りになってきた。その部分を少し下げてもらい、好みの音にまとめていった。

音決めも終盤。細かいところを詰めていく
これでいいのか……めっちゃ悩む

 全体としては、低域部分のパンチ力がある、キレの良さが身上のサウンドに仕上がった。ただし全体がブーミーになるわけではなく、あくまでも瞬発力重視である。高域には開放感を持たせ、カナル型特有の耳詰まり感を低減するよう留意した。

いよいよ完成!

 こうして耳型とサウンドを決め、あとは実際に専用の工房で製作してもらうのみだ。普段であれば3週間ぐらいということだったが、発注時期がちょうど「秋のヘッドフォン祭 2015」の直後であり、1カ月かかった。

 普通ならこれで受け取って終わりなのだが、Just earの場合は最後にフィッティング作業がある。もう一度東京ヒアリングケアセンターに出向き、店長の菅野氏と松尾氏立ち会いのもと、最終調整に入る。

再び東京ヒアリングケアセンターへ
完成したカスタムイヤフォンを見せていただく
右のほうが少し太い

 実際に出来上がってきたイヤフォンは、耳型から忠実に作られるため、右耳の方が明らかに太い。菅野氏に指導してもらいながら装着すると、右耳はピッタリだった。一方左耳は元々穴が細いせいもあるだろうが、少し緩いように思える。

採取した耳型から作った凹型
採取した耳型と実際の製品
早速フィッティング。この段階でも微調整は可能

 そう伝えると、菅野氏が部材の太さを調整し、再度フィッティングしてくれる。MHシリーズのシェルは、一見すると全体が透明のアクリル形成のように見えるが、耳の中に入る先端部分は材質が違っており、体温によって柔らくなる樹脂でできている。この部分は後から追加で部材を足したり削ったりできるため、最終的なフィッティングが可能なのだ。

先端部分だけは柔らかい別素材でできている

 フィット感の調整が終わったら、もう一度松尾氏に最後の音質の微調整をしてもらえる。実際に自分の耳型のイヤフォンを装着すると、想像以上に密閉度が高い。痛みもないのに、ピッタリ耳穴まで何かが充填された感じである。

 こうなると音決めの際のリファレンス機では気持ち良かった低域が、閉塞感を強く感じさせるものになっていた。そこで低域を少し落としてもらい、逆に開放的に聴こえるよう、高域の涼やかさを感じる領域を少し伸ばしてもらった。

 やはり耳へのフィット感で、音の印象が随分変わってしまう。初めてではなかなか最後の仕上がりまで想像できなかったが、最後にフィット感と音決めの微調整が出来ることで、「あれこんなんだったかな?」という疑問を持ったまま納品されるということがない。結構高い買い物なので妥協したくない部分だが、最後の最後までプロフェッショナルが自分のためだけに時間をかけて付き合ってくれるのが、Just earの最大のポイントだろう。

納得いくまでチューニングしてくれて、大満足の1台が完成

 現在、納品されて2週間ほどいろんな条件で聴いているが、話には聞いていたカスタムイヤフォンと違い、意外に周囲の音もそれなりに聞こえる。これはドライバが半分ダイナミック型なので、空気圧を抜くための穴が空いているためだろう。あまりにも周囲の音が聞こえなさすぎると、駅のホームの狭いところを歩いていて、後ろから電車が迫っているのにも気がつかないようでは危ない。

 一方で喫茶店での遮音性は、十分だ。当たり前だが、喫茶店が駅のホーム並みにうるさかったら大変である。そういう点で、遮音性のバランスはちょうどいいところに収まっている。

 当然装着感も十分だ。普通のカナル型は2〜3時間もつけていると、外した時に耳穴が凝ったような違和感を感じるものが多いが、MH1はそれぐらい装着し続けていても、耳が痛くなることがない。これなら長時間のモバイル執筆作業も、集中してできるだろう。

 もう一つベストな使い方は、楽器の練習時の使用だ。そもそもカスタムイヤフォンは、ミュージシャンのステージモニターから生まれたものだけあって、こうした使い方は実に快適である。筆者は趣味で電子ドラムを練習しているが、ヘッドフォンと違って頭を動かしても、ずれることはない。何せドラムは両手がふさがっているので、一旦ズレたヘッドフォンを直すには、1曲終わるまで我慢するか、途中で演奏を止めるしかないのだ。これでは集中して練習できないので、困っていた。

 また分解能が高いので、耳コピーする際も原曲の聞きたいところが良く聞き分けられる。さらに原曲と合わせて練習する際も、曲中の音と自分の音が聞き分けられるので、失敗したところが良くわかる。カスタムイヤフォンなどオーディオマニアのものと敬遠せず、これは趣味にお金が使えるアマチュアミュージシャン必須のアイテムなのではなかろうか。

 30万円はどう考えても安くないが、ここまで第一線のプロが付き合って作る工数や人件費などを考えれば、“耳型を元に作って終わり”という他社の方が高く感じる。Just earは、一度作ってしまうともう一旦崖から落ちたのと同じである。もう既に耳型はあるので、今度は違うチューニングでもう一台作りたくなってしまう、ヤバい魅力を持っている。

 なお今回筆者がチューニングしたモデルは、「Kickin’Drive」という名称で東京ヒアリングケアセンター青山店で試聴できるようになっている。またこのチューニングに合う曲も一緒にご紹介しているので、ぜひ一度足を運んで、独特のドライブ感を味わってみてほしい。一緒に崖を落ちよう。

小寺 信良

テレビ番組、CM、プロモーションビデオのテクニカルディレクターとして10数年のキャリアを持ち、「難しい話を簡単に、簡単な話を難しく」をモットーに、ビデオ・オーディオとコンテンツのフィールドで幅広く執筆を行なう。メールマガジン「小寺・西田の『金曜ランチビュッフェ』」( http://yakan-hiko.com/kodera.html )も好評配信中。