プレイバック2015

時代は所有からストリーミング? その流れを後押ししたもの by 編集部:臼田

 '15年のオーディオ・ビジュアル関連のトピックは、映像・音楽などの流通・サービス側の変化が大きかった。Netflixの参入やAmazonプライムビデオなどで話題になった定額制映像配信、AWAやLINE Musicに加え、Apple Music、Google Play Music、Amazonプライムミュージックなど、急に役者が揃った音楽ストリーミングなどが話題を集めた。

Netflixが日本上陸
Apple Music

 個人的にも、ほぼ全てのサービスに触れ、どのサービスを使いづつけるか悩みながらも楽しんでいる。音楽・映像ストリーミングの一番便利なところは、やはり「いつでもどこでも」コンテンツに触れられるということ。この環境が当たり前になってきて、“所有”へのこだわりが薄くなったことにも気付かされた。そういう意味では、'15年は、「コンテンツの楽しみ方、接触方法が明らかに変わりつつある」という実感を持った一年だった。

 AV関連のハードウェアで購入したのは、iPhoneや細かなアクセサリ程度で、大きな買い物は無かった。また、CDの購入枚数は減り、BD購入枚数もぽちぽち。2015年に購入したディスクは、全部あわせても10数枚だった。ハイレゾの購入は増えているものの、「物理メディアを発売日に買う」といった、コンテンツへの思いは薄くなったように感じている。

「コンテンツ所有から、ストリーミングへ」。個人的にも、この流れを後押しする事情もあった。ひとつは「引っ越し」だ。今回だけでなく、引っ越すたびに、CDやBDなどのディスクメディアを処分してきており、10年前まではCD、DVD、レコードなどで、2,000枚超はあったディスクは減り続けており、今回はさらに絞り込んだため300枚程度を残すのみ。10代の頃は、棚に並んだコレクションが誇らしく思えたものだし、20代には「これは一生もの」思っていたディスクたち。しかし、5年、10年と聞いていないという事実の前に、「所有している意義」を考えると、「これ映画や音楽じゃなくて思い出を保存しているだけでは? 」などと考えてしまう。それはパッケージメディアの一つのあり方だとは思うが、'15年ぐらいストリーミングが便利になり、「たぶん聞きたい/見たい時に、すぐにアクセスできる」という安心感が出てくると、それらのパッケージを手放すことにも躊躇がなくなってきた。

Fire TVやPS4でSVODをダラダラと見る
Apple MusicのFor You

 また、音楽や映画を深掘りして「自分のものにしていく」という楽しさも、映像/音楽配信サービスの中でかなり満たされてきた印象だ。かつては、自分の好きなアーティストが影響を受けた曲やアーティストの影響関係を、数年かけて辿っていくというのも音楽の楽しみだったが、いまApple Musicを開いて、For Youで「R.E.M.に影響を受けたサウンド」みたいなプレイリストを見るだけで、自分が数年かけて理解した流れが、簡単に整理されていたりする。一昔前からすると夢のような音楽/映像環境にいるのだけれど、少し便利さに戸惑ってしまう部分もある。ストリーミング時代で変わった「楽しみ方」に、自分の体がまだついていけていないようにも感じている。

 そして、もう一点。個人的にパッケージからストリーミングへの移行を促された大きな理由がある。

 それは「ねこ」だ。

テレビ裏をブロック

 新居に越して以来、ねこを飼っているのだが、子猫だからカーテンに登るし、テレビ裏やアンプ裏に入り込んで、アンテナケーブルを抜いたり、充電ケーブルでじゃれだしたりとなかなか手がかかる。電気回りや配線には触らせないようにしなければいけないし、突起物などで怪我をしないよう工夫しなければいけない。

 スピーカー上に置いていたCDのケースを粉々にされるのは、まあイイとして、ねこ的にも危険が増えてしまう。そんな事情もあって、新製品の導入どころではなかった。キャットタワーを導入して運動させていたずらを防いだり、ケージを入れたり、新たなおもちゃやバリアを毎週のように導入していると、AV機器を入れ替えるという気分にはなかなかならない。その点、ストリーミングサービスであれば、ものは増えないので、たまたまねこ導入期のライフスタイルにマッチしたという部分もある。

ケージに入れる
キャットタワー

 とはいえ、特に音回りは大幅に弄りたい気分も高まっている。ねこ諸先輩方によれば、暴れまわるのは子猫のうちだけなので、そのうちおさまるらしい(ねこにもよるが)。我が家のネコも約8カ月(たぶん)。カーテンに登る頻度もやや減ってきたし、体が大きくなったからか、テレビやアンプの裏側にも入ることも減ってきたようなってきたような気がする(そう思いたいだけかもしれない)。来年こそは、ねこ中心ではなく、人間中心の環境を構築したいところだ

(臼田勤哉)