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庵野氏「第1話を見逃していたら人生変わっていたかも」。「機動戦士ガンダム」セレクション上映会
2025年2月25日 12:22
2月22日に、「アニメ新世紀宣言」44周年を記念したトークショー付き「機動戦士ガンダム」セレクション上映会が新宿バルト9にて行なわれ、監督・プロデューサーでカラー代表取締役の庵野秀明氏、メカニックデザイナー・監督の出渕裕氏、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏によるトークショーが開催された。このなかで庵野氏は機動戦士ガンダムについて「もし第1話を見逃していたら自分の人生は変わっていたかもしれない」と語った。
アニメ新世紀宣言は、劇場版「機動戦士ガンダム」公開直前の1981年2月22日に新宿駅東口のアルタ前広場で行なわれた公開イベント。会場では富野由悠季総監督らが挨拶したほか、「私たちは、アニメによって拓かれる私たちの時代と、アニメ新世紀の幕開けをここに宣言する」とアニメに新しい時代が訪れたことを告げる宣言文が読み上げられた。
今回のトークショー付きセレクション上映会は、そんなアニメ新世紀宣言からの44周年記念と、スタジオカラーとサンライズによるガンダムシリーズ最新作、劇場先行版「機動戦士 Gundam GQuuuuuuX -Beginning-」の大ヒットを受けて行なわれたもので、TV版「機動戦士ガンダム」第1話、第2話、第14話、2014年12月に「日本アニメ(ーター)見本市」サイトで配信された「安彦良和・板野一郎原撮集」が上映された。
セレクトした3話について庵野氏「第1話~第3話だと普通かなと」
トークショーでは冒頭から「いつものメンバーです(笑)」と庵野氏が出渕氏、氷川氏を紹介すると、「昨年からこの座組」(出渕氏)、「一座のような」(氷川氏)とツッコミが入りつつスタート。
まずは氷川氏から、当時『アニメック』用に描き下ろされたという出渕氏のイラストが紹介される。出渕氏は「安彦(良和)さんっぽく描こうとした」と、自身の絵を評するなど、ここでしか聞けないトークが展開された。
今回上映されたのは、第1話「ガンダム大地に立つ!!」、第2話「ガンダム破壊命令」、第14話「時間よ、とまれ」の3話。上映作をセレクトした庵野氏は、「第1話~第3話だと、普通かなと思って」とその理由を明かす。
また氷川氏が『ジークアクス』とも関連する「第39話の『ニュータイプ、シャリア・ブル』は選ばなかったの?」と疑問を投げかけたところから、第39話に関するトークにも発展。45年以上の時を経て、「“緑のおじさん”として人気になるとは」と、氷川氏も驚きは隠せない様子だった。
第1話、第2話に関しては、「特に第3話までは、よく出来ていてツッコミようがない」と庵野氏は語り、出渕氏、氷川氏もその意見に同意。第14話については、「短編で、ガンダムらしい、富野(由悠季。当時は喜幸名義)さんらしいものが入っている」と庵野氏は評価。王道のプロットであることもセレクトの理由としていた。
出渕氏、氷川氏は、担当した作画監督の絵の「個性」があることを指摘。当時のアニメ制作事情についても言及した。
あわせて上映された「安彦良和・板野一郎原撮集」については、スタジオカラーが『原撮集』を映像化するまでの経緯に関して、庵野氏、氷川氏から説明が行なわれ、その発端が2000年前後に氷川氏が進めていた企画であることが明かされた。
映像について出渕氏は、「安彦さんの線、鉛筆のタッチはダイナミックでなまめかしい。どうしても動画だときちっと描かなくてはいけなくなるから、『原撮集』を観ないとそれは感じてもらえない」とその希少性と高い価値を語る。
そこからは、'80年代の雑誌で安彦さんの原画が表紙になった理由や、出渕氏、氷川氏が、鉛筆の線をできるだけそのまま生かすために当時奔走したエピソードなど、ファンにはたまらない内容が続出。会場もその内容に聞き入っていた。
庵野氏、ガンダムには「僕をアニメーションに戻してくれた恩がある」
続いてトークの内容はアニメ新世紀宣言へ。まもなく閉館になるスタジオアルタ前に多数のガンダムファン、アニメファンが集った伝説的なイベントで、44年前の2月22日(2・22)に開催されたが、当時、現場にいたのは出渕氏だけだったという。
出渕氏はイベントの様子について「遠くの喫茶店かどこかで見ていた。すごい人で、当時、『アニメック』の編集長だった小牧(雅伸)さんが、進行台本を書いていた」と回想。
氷川氏も、「野辺(忠彦)さんがイベントを企画したもの。『宇宙戦艦ヤマト』によって青年層がアニメを観るということが周知できたけれど、よりモニュメント(記念碑)的なイベントにしたかった」と当時の時代背景を解説。また、現場は混乱状態であったが、富野監督のある一声が、大きな事故を防いだのではないかという伝説についても言及していた。
庵野氏も「81年の2・22なので、ちょうど劇場版『機動戦士ガンダム』の公開の一ヶ月前。この頃からガンプラブームにすでになっていた」と説明。それぞれの視点から「アニメ新世紀宣言」が語られた。
また、アニメ新世紀宣言の文章を引き合いにしつつ、話題は『ジークアクス』に。出渕が『ジークアクス』冒頭パートにおけるセリフ回しを「覚えちゃうんだよね」と、富野節を感じると話を切り出すと、庵野氏は「頑張りました」と回答。大きなこだわりのポイントであることが窺えた。
その後、話題は本格的に『ジークアクス』に移行。脚本の一部を担当した庵野氏は、自身の担当パートについても触れ、「基本的には脚本担当ですから、僕がやった脚本にも当然、鶴巻監督のチェックが入っていて、まるごと却下されたところも」あったと明かす。
一方、庵野氏とは長い付き合いである氷川氏はまったく作品について知らされていなかったそうで、「僕は1ミリも知らなかった。映画館で、“何がはじまったんだ!”と思った」と劇場で得た衝撃を振り返る。スタッフ(デザインワークス)として入っていたこともあり、事前に情報は知っていたという出渕氏も、「それは幸せなことですよ」とネタバレなしで鑑賞できたことの意義を語っていた。
「『ジークアクス』は、“聞いてないよ!”、“どういうこと?”、“どこまで行くの?”の三段活用」と、その冒頭部分について氷川氏は説明。さらに話は、『ジークアクス』の舞台であるイズマ・コロニーについても。出渕氏から作品に「日本語表記」が出てくることを問われ、庵野氏の視点から解説が行なわれるなど、本編の内容についても触れられたのち、トークショーは終了となった。
最後に、登壇者から挨拶が行なわれ、氷川氏は「ヤマト、ガンダムと、放送から40年~50年を超えた作品について語ることができる場にいられて幸せです。次の40年、50年に語り継いでもらえればと思います」とコメント。
出渕氏は「『機動戦士ガンダム』に関しては放送前から期待していました。ちゃんと宇宙もの、それもシリアスな形でやるというのを小耳に挟んでいたし、雑誌『アニメック』に出入りしていたので、“この作品は絶対に来るから特集しようよ”と小牧編集長にも伝えていた」と語った。
「当時、自分はセミプロの立場だったが、その後『機動戦士ガンダム ZZ』からいろいろやらせていただけるようになった。今も作品がこういう形で脚光を浴び続けていて、庵野、氷川とこうして登壇してお話できるのは嬉しいし、光栄です。僕の立場からよろしく、というのは変ですけど(笑)、『パトレイバー』共々、よろしくお願いします」
最後に庵野氏は「『宇宙戦艦ヤマト』があって、その後に、『ヤマト』っぽいものがなかった。浪人していて、アニメもそろそろ卒業かなと思っていた矢先に、『無敵鋼人ダイターン 3』の最終回で『ガンダム』の予告が流れたんです」と明かした。
「ガンダムの顔のアップで、ちょっと顔を上げて目が透過光で光るカット。あれでやられて、これは毎週観なきゃいけないなと。そのときの自分の勘は正しかったし、もし第1話を見逃していたら自分の人生は変わっていたかもしれない。僕をアニメーションに戻してくれた恩があるので、陰ながら応援できればと思います。このあと、『宇宙戦艦ヤマト』もあるので(笑)、よろしくお願いいたします」