藤本健のDigital Audio Laboratory
第844回
無観客コンサート配信の舞台裏。演奏と鑑賞の機会を広げるPiascoreの挑戦
2020年3月30日 11:45
不要不急の外出自粛が求められる昨今、さまざまな業種・業界に影響が出てきているが、筆者の周りでいうとミュージシャンへの打撃が凄まじい。作曲・制作を中心としている人はまだしも、プレイヤー系の方はライブ活動ができず、収入が途絶えてしまっている。一方で観客側にとってもライブイベントが片っ端から中止になり、フラストレーションが高まっているところだろう。そこで、注目されている一つが「オンラインコンサート」だ。
まだまだオンラインコンサートの数は少ないが、ミュージシャン個人が自宅から配信したり、バンドメンバーでライブハウスから配信……といった例も出てきている。そうした中、日本のベンチャー企業であるPiascoreが毎夜開催の無観客オンラインコンサート「On Line / On Live 2020」として、ちょうど現在3月20日~4月2日の2週間、毎日2ステージの計28組のアーティストによる演奏が行なわれている。
YouTube Live、17 Live(イチナナ ライブ)、さらに3月25日からはニコニコ生放送での公式配信が行なわれ、誰でも無料でこのコンサートを楽しめるようになっている。ニコニコ生放送がスタートした3月25日に、配信現場に取材に行ったので、これがどのような経緯でスタートし、どのように運営しているのか、またどんな機材、ソフトを使っているのかなどレポートしたい。
ネット配信やレコーディング未経験でも果敢にチャレンジ
「『観客のいない音楽会』というオンラインでのコンサートを2週間連続で行なっているので取材に来ませんか? 」と、先日Piascoreの社長、小池宏幸氏からFacebookのメッセンジャーで連絡をいただいた。「何か面白そう」と思い、「ぜひ取材させてください」とすぐに返信。あまり事情も分からない中だったが、さっそく19時半ごろ、東京・渋谷にある渋谷スタジオ&ホールに行ってみた。
すでに第一部の配信がスタートしていたため、スタジオの外側にあるテーブルのあるところで待っていたのだが、その壁にあるモニターには中での様子が映し出されている。自分のPCを開き、On Line / On LiveのページからリンクをたどってYouTube Liveへ行くと、ピアニストの吉田太郎さんによる演奏を見ることができ、ようやく状況が少しずつ見えてきた。このグランドピアノのあるスタジオで演奏している様子をリアルタイムに配信しており、一般の人たちはこれを無料で鑑賞できるようになっていたのだ。
「世の中、新型コロナウイルスで大変で、音楽家のコンサートがキャンセルされるという状況が相次いでいます。音楽家のみなさんは、いま演奏する場がなく、困っている。ウチは音楽とITという分野でやってきた会社ですから、このタイミングで何か貢献できないだろうか……という思いから、この『観客のいない音楽会』というネットコンサートを実施してみたのです」と話す小池氏。
小池氏の会社Piascoreは、楽譜をiPhoneやiPadで表示させる無料アプリPiascoreなどを開発するメーカー。Piascore自体は世界中で300万人以上のユーザーが使っている人気アプリだ。
「きっかけは、3月8日に東京交響楽団というところが、オーケストラを無観客で生配信しているのをニコニコ生放送でやっているのを見て、これを自分達でもできないだろうかと思ったのです。そこで翌日、Twitterに興味のある人はいないかと投げてみたところ、そこそこ反響があったんですよね。だったらやってみようかなと」
【ご意見募集】渋谷あたりのキャパ60名のピアノコンサートホールで、2週間毎夜1時間 x 2奏者のネットコンサートを企画したら、演奏したいアーティストいるだろうか。会場費+交通費は Piascore が負担するし、投げ銭収益はすべて奏者にお渡し。興味ある人は fav(参加を保証するものでないです)
— 小池宏幸@音楽都市PiascoreのIT推進課 課長 (@plusadd)March 9, 2020
小池氏は、ネット配信の経験もなければ、レコーディングやPAなどの経験もなかったとのこと。また機材もPC以外何も持っていなかったそうなので、まさに無謀といか無茶な思いつきともいえるものだが、創業以来10年間、ずっとミュージシャンに支えられて事業を進めることができたので、何か恩返しをしたいという思いで、配信システムなどについて調べまくったとか。
もっとも、小池氏自身はPiascoreを起業する以前はソニーの研究部門でビデオ伝送などについて10年間開発・研究を行なってきた人物だから、基本的な技術は誰よりも分かっているし、協力してくれる人たちもいる。そういう意味では、普通の人ではないけれど、最近の配信事情や機材周りについての知識は全然なかったようなので、無謀ともいえる企画であったことは間違いなさそう。
「まったく配信の経験がなかったので、YouTube Liveを有効にするのに24時間かかることが分からずあたふたし、2日後に簡単には投げ銭もできないことを知って、営業的に成り立たないことに愕然としました。まあ、もともと赤字覚悟ではあったので、まずは収入ゼロでも音楽家のみなさんに少しでも還元できれば、という思いでスタートさせることにしたのです。
さすがにプロのみなさんに正規の金額でオファーできるパワーはなかったので、安い金額ではあるけれどダメ元で提示してみたところ、多くの方から賛同をいただき、1日2組×2週間で28組のアーティストに参加いただけることになりました」
ちょうど取材した3月25日の第2部はフルート奏者のarisa(@t_afl06)さん、作曲家・ピアニストのMasaki.(@unchimasaking)さんのセッションのとき。「10日ほど前、小池さんからお声がけいただき、参加させていただくことにしました。いろいろなライブがキャンセルになっている中なので、面白そうだな、と」(Masaki.さん)、「Masaki.さんから一緒に出ないかと誘われて、よく分からないけれど参加してみました。配信のコメントを見ながら演奏するなんて経験はなかったし、怖いコメントがいっぱいくるのでは、とちょっと心配していましたが、温かいコメントがいっぱいで感激でした」(arisaさん)。みなさん、急に決まって、急にこの無観客ライブに参加したということのようだ。
「最初は普通の人がiPhoneで配信するよりは、少しいい程度のことができれば、と思っていたのです。だから定点カメラを1つ設置して……と考えていたのですが、普通はオファーできないような素晴らしいミュージシャンの方々がたくさん集まってくれたので、少しでもいい配信ができればと、ネットでいろいろ調べつつ、機材を調達していきました」と小池氏。
具体的にはカメラはパナソニックのミラーレス一眼であるLUMIX GH5を1台とGH2を2台。その切り替え機としてローランドのV-1HDを導入。またオーディオミキサーとしてヤマハのMG10XUを入れている。
「GH5はレンズ込みで23万円くらいしたので大出費ではありました。が、ネットで情報をいろいろと調べてみると、他社製品はHDMIスルー機能はあるけれど、30分でストップしてしまうものがほとんどだし、画面に露出計や照準が表示されるなどクリア出力ができないため、選択肢としてこれしかないようだったのです」と小池氏。
筆者もDTMステーションPlus!というネット配信番組を隔週で6年近く放送しているので、場数を踏んでいる分、一般の人よりはかなり分かっているつもりではある。が、小池氏の話を聞くとよくこれだけ短期間で知識をつけて、機材を揃えたものだと感心することしきり。実は、我々も以前SDからHDに切り替えるタイミングで、デジタル一眼を導入したことがあった。
単に筆者の手持ちのニコンのカメラを利用しただけのことではあるが、高画質であった反面、まさに30分で落ちる、照準などが見えてしまって消せないという問題が起こり、活用を諦め、業務用の中古のビデオカメラに切り替えた。当時は、そのカメラに問題があるのか、設定の仕方が悪いのだと思っていたが、ほぼすべてのデジタル一眼に共通した問題だったとは、小池氏の話で初めて知った。
マイクのセッティングや映像エンコーダーなどの工夫も
一方で、気になったのはマイクのセッティング。これについて聞いてみると、だいぶ変わったことをしているようだった。
「マイクについてもまったく知識がなかったので調べてみたところ、RODEのNT5がいいらしい、というのを知って、これを2本導入しました。
また、配線をなるべくシンプルにしたかったので、マイクを直接ミキサーに入れるのではなく、GH5用にマイクアダプタを取り付け、ここにXLRで入力するとともに、映像とセットでHDMI経由でV-1HDに入れています。一方、トーク用にはSHUREのSM58を用意し、これはオーディオミキサーのほうに入れています」と小池氏が説明してくれるとともに、図に描いてくれたので掲載する。
「ただ、実際に試してみたところ、2つの問題にぶつかりました。1つは音がバリバリしてしまうという問題。これについてはレベルオーバーだったので、音量を下げることで解決。もう一つはSM58からの音とNT5からの音がダブルに聴こえてしまうという問題で、これに当初苦戦しました。原因はカメラでHDMIに変換する際に遅延が生じるためで、遅延なくオーディオ入力されるものとズレが生じていたのです。どうしようと思って調べてみたら、V-1HDにディレイ調整の機能があり、これで調整してみたところ、完全に解決することができました」(小池氏)。
音質についてどう評価するかは人それぞれなので、ぜひ4月2日までの生放送やアーカイブされているサウンドを聴いてみてほしい。コンプレッサやリミッタなどを入れてないためか、音量はかなり小さめ。
とはいえ、アコースティックの楽器でのコンサートであり、ワンポイント収録ということもあり、バランスもよく、初めてコンデンサマイクを扱った人としては十分すぎるクオリティーを出せていると感じた。
もう一つ気になったのはエンコーダーをどうしているのか、という点。筆者が行なっているDTMステーションPlus!では当初、Mac miniにWirecastをインストールして、Ustreamその後ニコニコ生放送を使ってきたという経緯がある。しかし、途中でニコニコ生放送とAbemaTV Fresh!(現Fresh! Live)の同時配信をすることになった際、CPUパワーが足りず、限界を迎えたためPCを使わない配信専用機、Cerevo(セレボ)のLiveShell Xを導入し、現在に至っている。画質的にやや劣る面は否めないが、とにかく専用機である安定性を優先してこれを使っているわけだが……。
「やはりネットで調べた結果、OBSを使っています。YouTube Liveのビットレート設定なども手探りでしたが、現在フルHDの画像を4.5Mbps程度で配信しています」とのことだ。
またニコニコ生放送も、ドワンゴさんに来ていただいて、ドワンゴさんのシステムから配信しています。そのためOBSは、YouTube Live専用であり、ほかについては協力各社にお任せしている状況です」と小池氏。ちなみにYouTube Liveの配信自体も小池氏一人ではオペレーションしきれないため、アルバイトの大学院生やソニー時代の先輩などにも手伝ってもらいながら運営をすすめていた。
17 Liveにおいては、今回出演するアーティストの一人が17 Liveとのつながりがあり、その関係から協力してくれることになったのだとか。一方、Piascoreの株主の一人が、ドワンゴの代表取締役社長CEOである夏野剛氏。そのため夏野氏に今回のライブ配信について相談をしたところ、「ニコニコ生放送公式」という形で参加する形になったとのことだ。
ちなみに演奏する二人にもニコニコ生放送やYouTube Live、そして17 Liveからのコメントがよく見えるよう、大きな画面で表示していたのも上手な使い方だなと思った点だ。実際演奏していたarisaさん、Masaki.さんもコメントの盛り上がりに、気分も上がっていたようだった。
“次世代音楽スタジオ”も視野に
ネット上にさまざまな情報があるとはいえ、よくこの短期間でこれだけの機材を揃え、実際の放送までたどり着けたと感心するばかり。そして何よりすごいのは、試行錯誤があったとはいえ、ここまで大きな事故なく放送できていること。万全を期しているつもりではあるものの、6年続けている我々でも、いまだトラブルは起きるので、いつも気が気でないのが実情。さらに驚愕したのは、放送までの準備時間。DTMステーションPlus!では、いつも配信スタートの5時間前にスタジオ入りして準備をしているが、その比ではなかったのだ。
「ライブは19時からスタートなので17時入りで準備をしています。本当はもっと余裕を持って準備したいところですが、スタジオは時間貸しなので、できる限り準備を手短にしたいというのが正直なところです。とはいえ、今日から入ったニコニコ生放送の配信チームから、もう少し早く入りたいという要請があり、明日からは30分前倒ししようと思っています」とのこと。
しかも後半の2部のアーティストは、1部終了号にスタジオ入りし、15分後には本番スタートであるため、ぶっつけ本番に近い状況。それでも事故なく配信できているというのは、やはり小池氏やスタッフ全員の努力の結果ということなのだろう。
以上、「On Line / On Live ~ 観客のいない音楽会」についてレポートした。この2週間のために多くの機材を買いそろえ、2週間分のスタジオを自腹で抑え、出演者にギャラを支払い、身を粉にして放送する努力を見ると、本当に頭が下がる思いだ。とはいえ、本来は一企業、一個人の犠牲で成り立つというのものではないはず。視聴者も含め、みんなで実現させていくべきもと思うが、どうだろうか?
「当社はアプリを開発するということを目的にしているのではなく、会社のミッションは『楽器を弾く世界の人々に、最高の演奏環境を提供する』ことなのです。その意味で、このようなライブ配信環境を整えるのも重要な仕事だと考えており、この経験を元に事業として次世代音楽スタジオを作れないかと考えているところです。ぜひ、これからもそのためのノウハウをつけて入れればと思っています」と小池氏は語ってくれた。