エンタメGO

Dolby Atmosの最先端がここに! “4通りの楽しみ方”ができる「スパイダーマン:スパイダーバース」

「スパイダーマン:スパイダーバース」は、先日UHD BDが発売となった「スパイダーマン」シリーズ最新作だ。全編が3DCGで描かれたアニメ版ということで、スパイダーマンと言えば実写映画作品が馴染みの深い日本では少々異端視されがちだが、実は、アニメ版の歴史は古い。1967年放送の旧アニメシリーズ、1981年のシリーズをはじめ、数多くの作品が制作されている。最近作としては、「アルティメット・スパイダーマン」(2012年)や「マーベル スパイダーマン」(2017年)などが制作されており、日本でもテレビ放送や動画配信が行なわれている。

「スパイダーマン:スパイダーバース」ブルーレイ&DVDセット
(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

もともと、マーベルのコミックスが原作の作品であるし、原作のテイストを活かすという点でもアニメ版の方が馴染みやすいはず。しかし、CG技術を結集した実写映画もスパイダーマンの現実離れしたアクションを見事に映像化しており、最近では「アベンジャーズ」シリーズにも参加していることもあり、実写映画版の方が印象が強い人もいるだろう。

まあ、実写かアニメのどちらが正統であるかを議論しても仕方がない。エンタメ作品でもあるし、面白ければいい。作者も、子供時代に古い海外アニメのひとつとして見たアニメ版の「スパイダーマン」を覚えてはいたが、映像作品として、物語やキャラクター性を含めて印象が強いのはサム・ライミ版の3部作で、「アメイジング」の2作やアベンジャーズ加入後の作品もついつい見てしまっている。

こんなことを考えたのも、実写とかアニメとか関係なく「スパイダーマン:スパイダーバース」こそが正統では? などと思ってしまったからだ。ストーリー的には異端だ。主人公がピーター・パーカーではなくマイルス・モラレスだし、異なる次元の世界に存在するさまざまなスパイダーマンが結集する内容だからだ。

(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

しかし、その映像と音が強烈に凄かった。3DCGで制作されたアニメの映像は、コミックのテイストやセリフのフキダシ表現、いわゆる「漫符」と呼ばれる記号的な演出を多用し、まるでマーベルのフルカラーコミックスを読んでいるようだし、敵役に対してくだけた調子で語りかけることが多く、茶化したような動作も多いスパイダーマン(ピーター・パーカー)は、アニメの方がよりコミカルに描けていたと感じる。

マイルスがクモに噛まれてスパイダーマンになってしまった後の学校での混乱も、アニメならではの自由自在さで実に楽しい。もちろん、高層ビルの壁を登り、打ち出したクモの糸を使って自由自在に空中を移動する“スイング”などのアクションも、実写映画を超えるような飛翔感覚とスピード感に満ちていた。もしも実写映画版が大好きで、本作を食わず嫌いしていたファンがいるならばぜひとも見てほしい。きっと、筆者の主張に賛成してくれるはずだ。

「スパイダーマン:スパイダーバース」の4通りの楽しみ方

「スパイダーマン:スパイダーバース」は、2D版と3D版、音声は英語版と日本語吹き替え版があり、劇場公開では4通りの上映が行われた。4通りの上映をすべて同じ映画館で行なったわけではないので、いくつかの映画館を渡り歩くことにはなったが、これが実に楽しかった。それぞれにテイストが異なるし、特に日本語吹き替えの声優陣がイメージにぴったりで洋画作品にありがちな声の違和感を感じることがなかったのも良かった。これもアニメ作品のメリットだろう。

これと同じことは自宅でも可能だ(今や3D対応の薄型テレビは減少しているので、3D作品を見られない人はいるかもしれないが)。筆者が入手したのは、「スパイダーマン:スパイダーバース プレミアム・エディション」で、UHD BD版と3D BD版、BD版がすべてセットになったもの。珍しく限定版を入手したのは、UHD BD版と3D BD版の両方を買うよりも安いからだ。本作は、2D版と3D版のそれぞれに面白さがあり、両方を見る価値がある。3D作品は今も映画館で上映されているし、3D版のBDも発売されていて、いずれも楽しいのだが、多くは「3D版がいい」、あるいは「高精細な4Kの2D版がいい」と感じてしまっていた。本作のように2D版も3D版もそれぞれ違った面白さがあるのはなかなか異例だ。

「スパイダーマン:スパイダーバース」プレミアム・エディションの商品内容
(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

ただし、残念なことに、Dolby Atmos音声はUHD BDにしか収録されていない。しかも英語版のみで、日本語音声はDTS-HD MasterAudio 5.1chだ。3D版は英語音声、日本語音声ともにDTS-HD MasterAudio 5.1ch、BD版は英語音声がDTS-HD MasterAudio 5.1ch、日本語音声はドルビーデジタル5.1chだ。劇場で日本語吹き替え版もドルビーデジタル音声で上映されたので、音声の制作がされていることは確かだ。しかし、パッケージには収録されなかった。

Dolby Atmos音声を英語と日本語の両方を収録した作品は少なくとも筆者は見たことがなく、好意的に考えると情報量の多いDolby Atmos音声を2つ収録するのはディスク容量を超えてしまうのかもしれない。3D版も右目と左目の映像の両方を収録する都合上、ディスク容量の問題はありそう。本作の音の真骨頂はDolby Atmos音声にあるので、日本語吹き替え音声がDolby Atmos収録でなかったのはかなり残念。

とはいえ、あまり欲張っても仕方がないので、3D版と2D版、英語音声と日本語音声の4通りの組み合わせの上映を我が家でも行なってみた。そこであらためて気付いたことを紹介していこう。これから紹介する4通りの組み合わせは、作品をじっくりと楽しむなら、おすすめの視聴順だ。

その1:ストーリーをじっくりと味わえる2D(4K)×日本語吹き替え版

本作は、多次元世界のスパイダーマンたちが、ピーター・パーカーのいる世界に集まってしまう話だ。そんな現象が起こるための説明として、相対性理論や多元宇宙論、量子力学などなどの話題が出てくる。もちろん、ガジェット的な扱いだし、いちいち理解しないといけないわけではないのだが、序盤の序盤でそういった事柄が一気に説明される。そこにマイルスがスパイダーマンになってしまったり、能力を扱いきれずにトラブルを起こすといったストーリーが一緒に展開する。敵役であるキングピンが何故そんなことをしたのかという動機が語られるのはかなり最後の方で、本作はなんだかわからない内に事が展開していくタイプの作品だ。

というわけで、正直、序盤はストーリーを追い切れずに戸惑うことが多い。頭をカラっぽにして楽しめばいい作品だが、ささいなことで引っかかってしまうと映画に没入しづらくなり、キャラクターへの感情移入もしづらくなる。そういう意味では、あらかじめスパイダーマンのファンとか、マンガやアニメでよく使われる設定を「わかっている人」に向けて作っているとさえ感じてしまう。決して難解ではないが何度も見たいと感じる作品が持つ傾向を持つ。

それだけに、ストーリーも何もかもわかっていない人(かつ日本人)ならば、日本語吹き替え版がいい。字幕を読む必要がなく、字幕よりもセリフの方が説明も多く、難解なSF設定の話もうまく解説している。いきなりスパイダーマンになってしまったマイルスは、ピーター・パーカーとキングピンらのバトルにいきなり巻き込まれ、死ぬ直前のピーター・パーカーに後のことを託されてしまう。自分の能力を使いこなすこともできず、大きすぎる使命を受け継いでしまって戸惑うマイルスの前には、死んだはずのピーター・B・パーカーが現れる。なかなか混乱しがちな物語であることがわかってもらえるだろうか。

(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

そして、アニメとしては異様と思えるほどに情報量の多い映像をじっくりと見られる良さもある。3DCGアニメがベースとした映像に、後からほぼ全カットに2Dでエフェクト効果を重ねて仕上げたものだそうだ。例えば、キャラクターの陰影は海外の3DCGアニメに多い実写に近いフォトリアルではなく、階調を落としたセルルック風(というよりもアメコミ風)だ。そこに、スクリーントーンのようなドットパターンの模様を重ねて陰影を強調している。服や髪の表現はキャラクターによっても異なるが、グウェン・ステージーの髪の表現は髪の1本1本が描かれたようなリアル系の質感で、服装や靴などのディテールもなかなかに緻密だし、陰影の付け方ものっぺりと影を落とすのではなく、筆塗りで陰をつけたような表現をしている。当然ながら街の雑踏やビルのテクスチャーなどもかなりリアル。いわゆる背景画と呼ばれるものほどディテールは細かい。

そのため、アニメを見慣れている人ほど「これはどうやって作画しているのだろう?」などと思ってしまったりする。よく見ると3DCGアニメなのだが、パッと見るとアニメ(アメコミ)のように見える。もの凄く手間がかかった映像であることは間違いなく、アニメの関心の強い人ならば、パッケージ版をコマ送りで見てみると、膨大な発見があるのでおすすめ。

ストーリーや台詞は日本語で耳から理解できるので、目は映像の方に集中でき、作品の面白さをじっくりと味わえるというわけだ。とくに、基本的には一人で敵と立ち向かってきたスパイダーマン(仲間もいないし、ヒーローとしての指導者役もいない。「アベンジャーズ」系は例外)が、複数集結するというシチュエーションに違和感を持つ人もいるかもしれない。これは本作でも重要なテーマなので、2D×日本語吹き替えでじっくりとスパイダーマンというヒーロー像を考えながら見てほしい。

その2:アトラクション感覚で見られる3D×日本語吹き替え版

2回目の上映は3D×日本語吹き替え版だ。2Dが3Dになっても見え方が立体的になるだけで情報量としてはあまり変わらないと思う人は多いだろう。この立体方向の情報がよりリアルになるということが、「スパイダーマン」という映画でどれだけ重要かはファンならばよくわかるはず。音声がそのまま日本語吹き替え版なのは、3D映画と字幕は基本的に相性が悪いということ。3D酔いの原因のひとつには、映像を見つつもちょいちょい字幕に視線を移動しなければならないことがあると思う。

現代の3D映画はかなり見え方も自然になっていて、平行法や交差法で2枚並べた絵を裸眼のままで3D的に見るような努力をする必要はまるでない。が、一度視線が動いて字幕を見ると右目と左目にそれぞれ映し出される映像を脳内で立体として認識する作業がほんのわずか生じる。字幕は2D的な見え方なので、ひんぱんに2Dと3D視聴を繰り返しているような感じになり、それが違和感だったり脳の負担の大きさゆえの頭痛や酔った感覚を覚えるのではないかと思う。

という理屈はともかく、実際3D作品は字幕なしで見た方が見やすい。特に本作はアニメだからこそ、現実を超えた立体感を表現しているので、初見で3D+字幕は難易度が高い。

アニメならではの立体感とはどういうことか? 例えば、主人公であるマイルスと会話をする警察官の父がいて、その周囲には同じ学校の生徒がいる場面。マイルスと父は普通の表現だが、背景の学校の建物や群衆はレンズの色収差をキツくしたような感じで色ズレが生じているのがわかる。これは2Dでも同様、というよりも2Dでフォーカスぼけによる立体感だけでなく、色ズレによっても立体感を表現している手法とわかる。コミックにおける立体感を表現するものとして採用しているのだろう。これが3Dになると、まさしく色ズレのきつい映像が立体的に見えていて、正直目が慣れるまでは戸惑う。

こうした日常的な場面ですら、なかなかにキツい3D映像になっているのに、これがアクションシーンとなったらどうなるだろうか。筆者の印象では、目がというよりも脳が混乱していると感じた。例えば序盤のクライマックスである、装置の暴走で多次元の宇宙がひとつの世界に流入してしまう場面、もう大変だ。暴走するエネルギーの流れにのまれてしまうような場面に、異世界のスパイダーマンたちの映像が目まぐるしく挿入される。それを体験したスパイダーマン(ピーター・パーカー)の混乱を体感させるつもりだったのだろうか。

このあたりは、ハリウッド映画でもあるし、子供が見たら(ピカチュー的な意味で)ヤバい映像ではないレベルは保っているとは思うが、相当に“攻めて”いるとは思う。むしろ、ゲームやアニメなどの尖った表現に慣れていない人ほど、身体が拒否反応を示すかもしれない。繰り返すが、字幕は無しで。

とはいえ、こういう刺激的な映像に慣れてくると、まさしく立体的というか、無重力的と言いたくなるような、視角の異次元体験が楽しくなってくる。ピーター・B・パーカーと森林の中で“スイング”を覚えていくマイルスが感じる飛翔感や森をハイスピードで駆け抜けていく爽快感が気持ちいい。

(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

もちろん、日本語吹き替えの声優陣の演技も見事だ。キャラクターの持ち味を見事に活かしているし、演技力の豊かさも見事だ。マイルス役の小野賢章、ピーター・B・パーカー役の宮野真守、グウェン役の悠木碧、スパイダーマン・ノワール役の大塚明夫(英語音声と聴き比べてもまったく違和感がなかった)、などなどいずれも優れた方々だが、実に映像にフィットしていてむしろ英語版で声をあてた俳優陣よりも自然だったと感じたほど。日本語吹き替え版の音響監督は、岩浪美和が担当しているが、彼のキャスティングやアフレコでの仕事も素晴らしい。

アニメでの演技とはひと味違ったものになっているのも新鮮だ。それぞれにキャラクターにピッタリとフィットしていると思うし、実に魅力あふれるものになっている。また、おそらく日系人の設定であろうペニー・パーカーは、オリジナル音声でもキミコ・グレンという母親が日本人のハーフで俳優兼シンガーだそうだ。だから、日本語の台詞も達者なのだが、当然ながら日本語吹き替え版の高橋季依の演技の方が日本人には自然だし、可愛らしい。

3D映画は結局アトラクション的であり、家庭のテレビではまた絶滅しつつある。結局肉眼による立体視とは微妙に違うのだろう。その違和感さえも、アニメということで利用し、現実離れした立体感に仕上げた手腕は頭が下がる。アイデアを思いついた人は天才だし、それを健康上問題のないレベルで実現するために3D映像を研究してきた人のノウハウの蓄積はひとつの偉業だと言っていい。それくらいの、体験することのできない異次元体験だ。

その3:映像と音楽のマッチング感覚が味わえる3D×英語版

ストーリーがだいたい理解できたら、3回目は3D版×英語版。実写映画ならば英語版(オリジナル音声)は、登場している出演者が自ら台詞をしゃべっているわけで、マッチングの良さは他と比べようもない。しかし、アニメ作品では英語版も吹き替え音声なわけでそこに差はない。

また、本作も同じかどうかは未確認だが、ハリウッド映画の吹き替えの場合、俳優がひとりひとりマイクに向かって台詞を収録するのが主流のようだ。日本のアニメの制作や吹き替えは、同じ場面に出演する声優が同じスタジオにいて、同時に収録するスタイルが主流。どちらが正しいということもないし、日本でも別録りすることもあるが、日本のアニメに慣れていると、生で台詞をやりとりすることで生まれるグルーヴ感のようなものがあると思う。

では、英語吹き替え版はそれに劣るのか。英語は苦手な筆者では公平な判断は下せないが、本音のところは同じ吹き替え版ならば日本語吹き替え版は字幕とは違う魅力を感じるものの、英語吹き替え版にそれは感じない。だから、ここで紹介することは何もないかもしれないと思っていた。が、思った以上にあった。それは、本作で使われる音楽との一体感だ。

主人公のマイルスが初めて登場する場面は、彼の自宅の部屋だ。平日は学校の寮に住むが、週末は家族の居る自宅に帰る。その日は月曜日で、自宅から学校へ通う日なのだ。急いで支度をしろとうるさい両親を無視して、ヘッドフォンで音楽を聴いている。彼の聴いている音楽は劇伴(BGM)として流れている。それと同時に彼が歌っている鼻歌も聴こえる。このボーカルのマッチングの良さが見事すぎる。Dolby Atmos版ではさらに凄いことになっている。英語音声ではマイルスはきちんと歌っているのがわかるが、日本語吹き替え版では鼻歌がかすかに聴こえるくらいだ。英語で話す人と日本語で話す人の音のリズム感がはっきりと出てしまうためだろう。

本作はマイルスがヒップホップやダンスミュージックが好きで、自分もグラフィティなどと呼ばれるスプレーアートを行なっていることもあり、楽曲もそうした曲が多いし、歌いながら、踊りながらといった芝居も多い。そのあたりで、英語音声の方が音楽とよくマッチしていて、それだけに音楽の良さもよくわかる。

この音楽は、一度スタジオで録音して完成した音源を元にして、DJがライブでリミックスをするような形で、再リミックスしたものを使っているという。スクラッチプレイ風の演出を加えているのはもちろんだが、映像や台詞に合わせて、ピッチやBPMを微調整をしていることも英語音声を聴くとよくわかる。

このため、映像の動きの良さとセリフ、音楽のノリの良さがぴったりとマッチして、まさしくライブ感覚的なグルーヴ感が出てくる。映像と音の一体感が増せば作品がより面白くなるのは当然だ。自分自身、実写映画では俳優本人の声の演技を聴くのが正解と思考停止していた感があるが、実写映画とオリジナル音声のマッチングの良さは音楽との相性の良さもあったのだろう。

ひるがえって、日本語吹き替え音声のことを考えると、歌声の比較以外ではそうした違和感にほとんど気付かせなかった俳優陣の技量に改めて感心させられた。吹き替え音声に出演することが多い人は、声を似せるとか、イメージを近づけるといった演技的なものに加えて、こうした言語の持つリズム感の違いなども理解して声を当てているのだろう。アニメでの演技とは感触が違うのもそういう理由があると思われる。どんな職業もそうなのだが、知れば知るほど奥が深い。

その4:パッケージ版では事実上の決定版2D(4K)×英語版(Dolby Atmos音声)

さて、いよいよ4回目だ。映像についてもすでにさんざん語ってきているが、本作はDolby Atmos音声も最先端を行っている。3回目で冒頭のマイルスが音楽を聴いている場面について触れたが、これをDolby Atmos音声で聴いたときの凄さを紹介しよう。本作もそうだが、基本的に映画の音楽は前方中心の定位で、特殊な効果を狙っていくつかの楽器が後方から聴こえたり、動き回ることもあるが、あまり派手な効果はしない。映像の邪魔になるからだ。台詞も同様で声はスクリーンの中央(センター定位)で、音楽がスクリーンよりやや後方、台詞はスクリーンより前方に定位し、両方が重なっても混濁しないように計算されている。

だが、本作のマイルスが音楽を聴いている場面では、音楽が自分の目の前まで迫ってくる。後方スピーカーも含めてすべてのチャンネルから音が出ているのは確かだが、それをギュッと凝縮して頭の中に響いている感じだ。これは、マイルスがヘッドフォンで音楽を聴いているので、ヘッドフォンで聴いている感じの音響にしているのだろう。

そこにマイルス自身が歌う声がセリフとして画面の前に現れる。驚くほどきれいに一致して、ボーカルをマイルス役の人にサシカエたような感じがしたほど。このため、歌声のわずかなリズム感の違いがよくわかったのだ。そして、マイルスが親に支度をしろと急かされてヘッドフォンを外すと、音楽がスッと画面の奥へと移動する。音の鳴り方も普通のBGMになる。この絶妙なセリフと音楽の音の定位の移動には驚いた。

こういう演出をした作品がほとんどないし、あってもうまくいっていなかった。というのは、スクリーンの奥、スクリーンの手前、といった前後の定位感の移動は通常のサラウンドではとても難しいからだ。後方のサラウンドスピーカーを鳴らせば、音は視聴者側に寄ってくるが、そういう微妙なコントロールは難しいし、ましてや部屋中で音楽が鳴り響いているのではなく、ヘッドフォンで音楽を聴いている感じを映画館のたくさんの座席で表現するのは至難の業だ。

こういう至難の業を実現できてしまうのがDolby Atmosだ。簡単に言えば、従来のサラウンドは5.1chや7.1chで、各チャンネルに音を振り分けている。これに対し、Dolby Atmosは、劇場にある数十本のスピーカーを個別に制御して音を振り分けることも可能だ。現実には、すべての音が映画館にあるすべてのスピーカーを個別に制御して再生されているわけではなく、オブジェクトと呼ばれるチャンネルだけがそうした制御を行なっている。基本となる音はベッドと呼ばれる7.1chに振り分けられた音で構成される。つまり、基本的な音は5.1/7.1chとほぼ同様に制作され、一部の特殊な効果を狙った音をオブジェクトとして配置し、自由な位置に定位させたり、動かしているというわけだ。

おそらく本作は、すべてのシーンではないだろうが、ここで紹介しているマイルスが音楽を聴いている場面では、セリフも音楽もオブジェクトチャンネルで制御しているものと思われる。マイルスがヘッドフォンを外すと、通常のフロント中心の再生に切り替えたのだろう。

(C)2018 Sony Pictures Animation Inc. All Rights Reserved.

これだけでDolby Atmosの威力がよくわかるが、そうした細かな音の定位の制御が実に緻密に行われていることがわかる。例えば、その後の通学シーンでは、路上で地元の学校に通う友人たちと挨拶を交わすが、前方に歩いていくマイルスに対し、見送る友達の声はセンターから後方へと移動していく。それがひとりやふたりではなく、3人いる友達の集団、売店の店主などなど、通学するマイルスに合わせてつぎつぎと現れては去っていく。これを、セリフでやっていることに痺れる。後ろから声をかけられれば、誰でも思わず後ろを振り返るように、声のような重要な音は人の注意を引きやすい。つまり、あちこちから声が聞こえるのは脳の負担になる。ただの挨拶であり、ストーリーを理解するための重要な情報ではないが、声が聞こえれば意識が向く。だから原則的にはセリフはセンター定位なのだ。

この原則を平気で壊している(当然ガイドラインを超えないギリギリの線で抑えているだろうが)のだから、アクションシーンで何をやっているかは予想がつくだろう。一番面白いのは、ピーター・パーカーのメイおばさんの家にスパイダーマンたち6人が集合し、そこに敵役たちが襲撃して、狭い家の中でのバトルとなる場面。せまい部屋で天も地もなく動き回るスパイダーマンたちのバトルが、音でも映像そのままの位置関係で再現される。

こうした場面に限らないが、自由自在な位置情報を含めて音の情報量が極めて膨大で、初見では脳が疲れる。スパイダーマンは基本的に自分の身体一つで戦うので、アクション場面で爆音が連続するということは思ったよりも少ない。もちろん、多数の異次元がひとつの世界に飲み込まれようとするクライマックスなどはかなりの爆音だが。肝心なのはそういう派手な音だけではなく、細かな音が実に自由自在に動き回ること。まさしく目の回るような感覚だ。

Dolby Atmosは、わかりやすく説明すると天井にもスピーカーを追加して、それまでできなかった高さ方向の再現ができるようになったことが特徴だ。そのため、立体音響と呼ばれる3次元空間そのままの音響が実現できる。より自然で実際に自分が体験しているような感覚が得られる。だが、筆者は自然な音響の再現だけでなく、こうした自在な音の定位を操れることこそが最大の特徴だと思っている。

Dolby Atmosで制作されるタイトルは、ハリウッド作品ではかなり増えているし、アクション映画はほぼDolby AtmosやDTS:Xだ。だが、派手な爆音とは別に、こうしたDolby Atmosならではの緻密な音の定位と制御を駆使した作品はごくわずかだ。

Dolby Atmosの導入を検討している人は少なくないと思うが、その反面、「5.1chで十分」あるいは「天井のスピーカーは無理」と思っている人は多いと思う。実際のところ、ほとんどの作品では、5.1chでも十分に楽しめる。Dolby Atmosならばもっと臨場感が味わえますよ。という程度だ。しかし、時々「スパイダーマン:スパイダーバース」のような作品が出てくる。これほどに5.1chとDolby Atmosの差がはっきりとわかる作品はあまりない。

わかりやすく言うと、本作は5.1ch音声の方が聴きやすい。なぜなら音の移動が少なく、脳の負担が少ないから。セリフが動くといった演出はあるし、音数が減っているわけではない。しかし、細かな音の定位や移動はかなり曖昧になるし、たくさんの音が一斉に出るような場面では音が混濁しがちでそれらをいちいち聴き分ける必要はないと脳が判断してしまう。だから、映像に集中しやすいのだ。

では、Dolby Atmosは脳に負担の多い、一般的な人には必要のないものなのかというと、それは間違いだ。人間の脳はよくできていて、驚くほど速く順応する。一度美味しいものを食べると、もはやそれ以前に戻れなくなるとはよく言うが、一度本作のDolby Atmos音響を体験すると、5.1ch音声が寂しく感じる。情報が足りず、物足りなくなるのだ。特に音の定位が曖昧で結果的に音数が少ないと感じる。だから寂しい。本作は岩浪美和音響監督たってのお願いで、日本でもDolby Atmosでの公開をすることになったというが、Dolby Atmosで本作を見て、BDソフトなどの5.1chで家で再生して音が寂しいと感じた人の感覚は正しい。音量がとか、爆音が、ではなく、音の情報量がまるで違うのだ。音の洪水のような感覚を感じつつも、ひとつひとつの音が鮮明に聴き分けられる感じ。この感じを体験してみてほしい。

そんな映画はどこにあるの? という声が聞こえる。本作はもうDolby Atmosで再上映される機会はあまりないはずだから。だが、安心してほしい。「ガールズ・アンド・パンツァー最終章 第2話」のDolby Atmos版が今も上映中だ。

筆者はインタビューなどで岩浪美和音響監督が本作の音に衝撃を受けたことは知っていたが、「ガールズ・アンド・パンツァー最終章 第2話」のDolby Atmos版の舞台挨拶で、公式に「第2話は“スパイダーバース”の音響がお手本です」とのコメントがあったことを報告しておく。ちょっとネタバレすると、第2話は重量級の戦車があまり出ないどころか、ほとんどが中軽量級の戦車がばかりの対戦だ。だが、繰り広げられる戦車戦の臨場感は「ガルパン劇場版」さえ超えるものがある。爆音や音量の大きさではなく、飛び交う砲撃の密度が高い。しかもそこには、時に熱く、時に涙腺を刺激する名台詞がいくつも交わされる。作られるごとに情報量が増えていくガルパンだが、今回の音は本当に凄い。これぞDolby Atmosと言える音だ。

「スパイダーマン:スパイダーバース」再上映にも期待したいが、まずは「ガルパン最終章 第2話」をDolby Atmosで見ておこう。ホームシアターを導入するとき、5.1chで満足か、Dolby Atmosまで行くか。それを悩むのはまず見てからだ。

最後に4K化された2D映像にも少し触れておこう。本作はおそらく2D制作で、4K版はアップコンバートだと思われる。だから、3D版の方が情報量はむしろ多いと思うくらいだし、4K映像の良さという点ではアドバンテージは少ない。とはいえ、4Kアップコンバートされたおかげで、緻密に描き込まれたディテイルはより鮮明になっていて、2D版でも映像の奥行き感がよりよく感じられるものになっている。また、アメコミならではのカラフルな色彩もより鮮明だと感じる。コマ送りで細かく見ていても見応えがある。

面白いのは、日本のアニメキャラ的な造形のペニー・パーカーは、動きも日本のアニメ的で、他のキャラクターがなめらかに動くのに対し、ペニー・パーカーは動きに緩急を効かせたものになっている。絵柄だけではなく、動きまで日本のアニメ的なのだ。こういう点を挙げ出すとキリがないほど本作はこだわりが詰まっており、それがより鮮明に楽しめるのが4K版だと言えるだろう。なにより、Dolby Atmos音声は4K版のみの収録なので、それだけでも価値がある。

『スパイダーマン:スパイダーバース』映像特典付予告編 2019年8月7日(水)BD&DVDリリース/6月26日(水)デジタル配信

イマーシブ・オーディオの意味がわかる本作をぜひDolby Atmos音声で。

個人的には、映画館で一番面白かったし、本作を見るならコレと言いたい組み合わせは、3D映像×日本語吹き替え(Dolby Atmos)だった。残念ながらこれを家庭で実現することはできないのだが、3DとDolby Atmosの相性の良さが一番良くわかるのもこの組み合わせだと思う。現実に近づくというわけではないが、感覚的に没入できる立体感が感じられた。これをイマーシブ(没入感)と呼ぶのかもしれない。

Dolby Atmosをホームシアターで導入するのはなかなかハードルが高く、おいそれとオススメしにくいのは確かだし、「これぞAtmos」と言える作品は決して多くはない。なかなか悩ましいところではあるのだが、しかし、今後はますます本作のような作品が増えてくるはず。Dolby Atmos自体、2012年にはじめて登場した新しいフォーマットでその歴史はまだ10年にも満たない。作り手の側でもノウハウが蓄積されてきた今が一番美味しい時期だし、これからどんどん優れた作品が出てくるはず。そんな作品と出会えたときには、またこうした紹介させていただくつもりだ。

鳥居一豊

1968年東京生まれの千葉育ち。AV系の専門誌で編集スタッフとして勤務後、フリーのAVライターとして独立。薄型テレビやBDレコーダからヘッドホンやAVアンプ、スピーカーまでAV系のジャンル全般をカバーする。モノ情報誌「GetNavi」(学研パブリッシング)や「特選街」(マキノ出版)、AV専門誌「HiVi」(ステレオサウンド社)のほか、Web系情報サイト「ASCII.jp」などで、AV機器の製品紹介記事や取材記事を執筆。最近、シアター専用の防音室を備える新居への引越が完了し、オーディオ&ビジュアルのための環境がさらに充実した。待望の大型スピーカー(B&W MATRIX801S3)を導入し、幸せな日々を過ごしている(システムに関してはまだまだ発展途上だが)。映画やアニメを愛好し、週に40~60本程度の番組を録画する生活は相変わらず。深夜でもかなりの大音量で映画を見られるので、むしろ悪化している。