エンタメGO

王道の成長譚が激アツ! 「スパイダーマン:スパイダーバース」。映像表現にも注目

映画「スパイダーマン:スパイダーバース」。2月にアカデミー賞長編アニメーション部門を受賞

数あるアメコミヒーローの中でも、その知名度や人気の高さはバツグンのスパイダーマン。原作コミックや映画をしっかり観たことがなくてもその名を聞けば、赤と青にカラーリングされたクモの巣柄のコスチュームに身を包んだヒーローの姿がすぐに思い浮かぶことだろう。

だが、3月8日から劇場公開中の映画「スパイダーマン:スパイダーバース」に出てくるキャラクターは、ひと味違う。見慣れたスパイダーマンもいるのだが、手足が細くて姿形がどことなく子どもっぽい紺色のスパイダーマンや、白と黒、ピンクを基調とした女性型のスパイダーマンもいる。しかも実写映画ではなく、シリーズ初のアニメ映画だ。

渋谷モディ1階にある「ソニースクエア渋谷プロジェクト」で映画の世界観を体感できるイベント「The『スパイダーマン:スパイダーバース』Experience」が5月6日まで開催中だが、その取材に行って良い意味でアニメっぽくない斬新な映像に目をひかれ、本作が気になっていた。2月にアカデミー賞長編アニメーション部門を受賞して話題性もあり、3月半ばに「ちょっと観に行ってみようかな」という軽い気持ちでTOHOシネマズ 日比谷に向かった。期間限定のIMAX 3D上映が観られる(現在は終了)ことや、会社からも近いという単純な理由でここを選んだのだが、その選択は大正解だった。

なお、以下は未見の人には若干ネタバレになるおそれがあるので、その点には気をつけてほしい。

3DCGアニメ+マンガ的2D表現が絶妙にマッチ

アメコミものには詳しくない筆者だが、「スパイダーマン=特殊な蜘蛛に噛まれたピーター・パーカーの別の姿。壁に貼り付いたりクモの糸を使って高層ビルの間を飛び回る超能力を持つヒーロー」という設定は、知識として頭に入っている。

スパイダーマン:スパイダーバースでは、この「特殊な蜘蛛に噛まれるとスパイダーマンになれる」という設定に加え、マルチバース(多次元宇宙、あるいはパラレルワールド)な世界観を下敷きにして物語が展開する。無数の宇宙に存在する様々なスパイダーマンが、ひょんなことがきっかけで同じ宇宙に集まって、ひとつの強大な敵に立ち向かう。スパイダーマンが本作では1人だけじゃない理由はここにある。

「ご都合主義的じゃないか?」と感じるかもしれないが、劇中ではさりげなくその辺について説明されており、観ていて唐突な設定だとは思わなかった。雰囲気としては「平成仮面ライダー全員集結!」みたいなものだ。それに、劇中ではまさにご都合主義っぽい演出へのツッコミに対して登場人物がメタ発言をしてさらりとかわす、なんていうシーンもあって面白い。これもアニメ映画だからできた表現だろう。

スパイダーバースの主人公は、ニューヨーク・ブルックリンの名門私立中学に転校したばかりのマイルス・モラレス。ヘッドフォンでヒップホップやR&Bを聴き、ストリートアートに夢中になっている思春期真っ只中の少年だ。彼のいる世界ではスパイダーマン(=ピーター・パーカー)が日々様々な犯罪と戦い、市民にも愛されており、そんな姿がマイルスの憧れ。だが、厳しくも温かい警察官の父や看護師の母、そしてエリート志向で窮屈な学校生活からこっそり逃げ出し、独身貴族生活を謳歌しているチョイ悪オヤジな叔父と仲よく“スローアップ”(要は地下鉄などへの落書き)に興じるのが、今のマイルスのひそかな楽しみでもある。

マイルスが愛用するヘッドフォンのハウジングにSONYロゴがあるのはもちろん、この映画の制作にソニー・ ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)やイメージワークスをはじめとするソニー企業が関わっているためだ。EXTRA BASSっぽい重低音ヘッドフォンを身につけた浅黒いマイルスの雰囲気は、ちょっとひ弱にも見えるが結構キマっている。いつかスパイダーバースコラボのヘッドフォン&ウォークマンが出そうな気もする。

スパイダーバースの主人公、マイルス・モラレス。愛用ヘッドフォンにはSONYロゴ(イベント「The『スパイダーマン:スパイダーバース』Experience」にて撮影)

ある日、叔父と一緒にスプレーアートを描くために忍び込んだ地下空間でマイルスは謎の蜘蛛に手を噛まれ、自分が知らないうちにスパイダーマンと同じ能力を得たことを自覚する。周囲には適当にごまかしつつもその力をうまくコントロールできないマイルスは周囲から「キモい」「変なヤツ」などと、思春期特有の奇異の視線にさらされて苦悩するハメに。マイルスはスプレーアートを描いた空間を再び訪れ、自分を噛んだクモの死骸を見つけて「普通のクモじゃん」といいながら例の能力が勘違いだと思い込もうとする(もちろん勘違いではない)。

だがそこで突如、ニューヨーク一帯を大きな地震が襲う。これこそが悪党・キングピンが地下で引き起こしている“時空を歪める実験”の一端なのだが、その最中に事態の進行を止めようと飛び込んでいったスパイダーマン=ピーター・パーカーが死亡。ニューヨーカーはそれを知って哀しみのどん底に突き落とされる。彼の死の直前、地震による地下の崩落で命を落としかけたマイルスはスパイダーマン=ピーター・パーカーに命を救われるのだが、その際にあるキーを渡され、彼の使命を引き継ぐことになる……。

一見重い展開になりそうな筋書きだが、決してそうはならない。それは、アニメ映画だからできる映像表現の多彩さ、そしてリズミカルな軽快さのおかげだ。

画面がまるでマンガの1ページのようにコマ割りで分割されたり、モブを含むキャラたちの心情が吹き出しと文字で現われたり。コミックのザラッとした紙っぽさを表わすためのドットやスクリーントーンも多用される。出版社の人間としては、2色以上の版を重ねて印刷した時のズレによってできる「版ズレ」(色の輪郭ボケ)を逆手に取った表現につい目が行ってしまうのだが、これもなかなかお洒落。スパイダーマンが身の危険を察知する能力“スパイダーセンス”も、マンガ的な記号で現われる。

3DCGと2Dの平面的な表現が、意外なことによく馴染む。IMAX 3Dの映像ではそれらにほどよい奥行き感が加わり、没入感がグッと高まる。日本のマンガCMでも最近見かけるようになった“動くマンガ”っぽさが、スパイダーバースでは全編を通して世界観を魅せるための小道具としてうまくはたらいている。

ニューヨーク中が悲しみに暮れるなか、マイルスはスパイダーマンのスーツを買い求める店の列に混じる。この店の店主のセリフが印象的で、「寂しくなるな、わしらは友達同士だったんだ」と口にし、マイルスがスーツを見て「サイズが合わなかったら返品できる?」と尋ねると「サイズは合う、いつかね」と笑顔を見せる(なお、彼の背後には「返品不可」の文字がある)。名もないキャラクターなのに妙に含蓄のある言葉を口にするなと不思議だったのだが、実は彼こそがスパイダーマンの原作者の一人であるあの人で……(スタン・リーは’18年にこの世を去っている)。

王道物語と異次元のスパイダーマン。“冴えないオジサン”に親近感

中途半端に終わった実験の影響で、別の次元から様々なスパイダーマンたちが、マイルスのいるブルックリンに集まってくる。身なりも体型もすっかり”冴えないオジサン”になってしまったスパイダーマン(=ピーター・B・パーカー)、マイルスのいる私立中に転校してきた美少女グウェン・ステイシーの真の姿であるスパイダー・グウェン。

左からマイルス・モラレスのスパイダーマン、ピーター・パーカーのスパイダーマン、スパイダー・グウェン

パラレルワールドである1933年の時空からやってきた白黒デザインのスパイダーマン・ノワール。3145年のニューヨークからやってきた日系の女子高生ペニー・パーカーと、彼女が操るスパイダーマン並みの力を持ったロボット「SP//DR」。デフォルメされたブタ(!?)の姿をしたスパイダーハム。彼/彼女らもまた、アメコミ版シリーズでそれぞれに作品化された、れっきとしたスパイダーマンなのだ。

スパイダーマン並みの力を持ったロボット「SP//DR」(渋谷モディにて撮影)
SP//DRを操る女子高生ペニー・パーカー(同)
スパイダーマン・ノワール(右端)とスパイダーハム(右下)(同)

冴えないオジサンに同年代の才女、モノクロ紳士に日本アニメっぽい女子高生、そしてブタ。世界観も絵柄もまったく異なる5人のスパイダーマンが一堂に会するのは見た目に華やかで楽しいが、一方で「様々なスパイダーマンがいっぱい出てくる“ファン向けお祭り映画”だったらどうしよう、楽しめるだろうか……」という不安も、鑑賞前には若干あった。

だが、ただのお祭り感だけでは終わらない。本当に面白いのはここからだ。どのスパイダーマンも姿形は異なるが、“力を得た代償として大切な人を失った”という心の傷や悩みを抱えていることを口にする。マイルスも劇中で大切な人を失うが、だからこそ異次元のスパイダーマンたちはマイルスに対して親身になって言葉をかけられるし、マイルスも彼らとの絆を強くして、使いこなせなかったスパイダーマンとしての力をしっかりと自分のものにする。そしてその力を、異次元からやってきた彼らを元の世界に戻すために使おうと奮闘するのだ。彼らの心が通じ合っていく過程が、いつしか見ているこちらの胸にも迫ってくる。

マイルスは蜘蛛に噛まれたからスパイダーマンになったのではなく、「ヒーローの条件とは何か」「本当にスパイダーマンになるには何が必要か」を経験から学び取ったことで、スパイダーマンになる。悪党キングピンが時空を歪めてまで叶えたい願望も実に人間らしいが、その切実な願望が他人にとっては狂気に変わる恐ろしさをマイルスの力で止めて欲しいと願わずにはいられない。

いざ見終わってみると、映像もストーリーも想像以上によくできていて、スパイダーバースはエンタメとして「文句なしに面白い!」といえる映画だった。先入観は打ち壊され、いい意味で裏切られた。評判良さそうだし面白そう、という単純な理由でIMAX 3D上映を観たのだが、初めて3Dで映画を観て楽しいと思えた。後で通常スクリーン+日本語吹替版も観たが、こちらも声優の熱演ぶりがキャラクターの動きと上手くマッチしていて良かった。画面に出てくる吹き出しのセリフが日本語表記に直されているのは、アメコミの雰囲気が薄くなるので英語のままで良かったとも思うが……

新たなヒーローが生まれるまでの王道ストーリーを“エモい”ドラマとアクションで描き出したスパイダーバース。TwitterなどのSNSを見ていても、スパイダーマンファンやアメコミファンだけでなく、若いアニメファンなどにもウケているようで、連日コメントに混じって結構な数のファンアート(イラスト)を見かける。特に、お絵かきSNSで知られるpixivでは、グウェン・ステイシーやペニー・パーカーの笑顔が眩しいイラストが日々投稿されており、スパイダーバースは幅広いファンの心をガッチリ掴んだようだ。

個人的には、冴えないオジサンのピーター・B・パーカーに親近感を覚えた。年代的な意味で彼に近づきつつあるのもひとつの理由ではあるが、最初にマイルスと出会ったときは「ガキは嫌いなんだ」とつれない態度をとった彼が、渋々マイルスと行動を共にするうちにその能力の高さや純粋さにほだされたり、「(未熟な)マイルスにこの世界を任せて大丈夫か?」と他のスパイダーマンたちに疑わしげな視線を浴びせられているところをかばったり。

下半身がスウェット姿で(一応事情はあるのだが)、スパイダーマンらしく跳ぶ前には一生懸命準備運動しているかと思えば、ピザやハンバーガーを食べまくるせいで下腹が出ていたりと、彼の情けなさの表現は結構辛辣。それでもスパイダーマンとしての身のこなしは誰にも引けを取らないのが、流石ベテランだと思わせてくれる。序盤でマイルスにかけた言葉や行動が、終盤でマイルスの成長の証として回収される演出なども見事だった。こればかりは言葉にしてもきっと伝わらないと思うので、ぜひ映画館で、ピーター・B・パーカーの活躍ぶりに胸をアツくして欲しい。

ピーター・B・パーカーのスパイダーマン(左)と、マイルス・モラレスのスパイダーマン(右)
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』予告3

庄司亮一