樋口真嗣の地獄の怪光線
第26回
Zoom飲み会したら「カプセル怪獣計画」と岩井俊二監督の短編映画ができた話
2020年7月30日 08:30
世の中は何がなんでも元どおりになろうとし始めてます。それを望むのが普通だけど、みんな少しずつ今までと同じことを避けるようになってます。自分もそうです。
久しぶりに届いた映画興行収入ランキングの上位に、リバイバル上映されたスタジオジブリ作品が3本並んでいます(参考記事)。まるで「フォードvsフェラーリ」ラストのレース場面みたいですけど、それよりも「初めて映画館で観た」という声が意外なまでに多いのです。
ジブリというアニメ製作スタジオができる前につくられたナウシカに至っては、公開から30年以上の歳月が経っていて、気がつけばどれも遠い昔の映画になっているってことで、それを映画館で観る新鮮さもさることながら、確実に満足できるものを観たいという気持ちが強くあらわれた結果なのではないでしょうか? それとも、今までと同じこと……新しい映画を、新しい気持ちで観に行く事を無意識に避けているのでしょうか?
少なくとも私はそうです。まだ、新しい映画の封切りを心から楽しめないでいます。楽しんでほしいと願うからこそ、すでに完成して、本来だったら上映しているはずのあの大作映画やこの続編映画はズルズルと夏から秋に上映をずらしています。
ずらすことのできない、取り残された映画たちがスタジオジブリが作った名作たちの後塵を拝しています。
観たい気持ち、ひいては観せたい気持ち、作りたい気持ち。それまで無自覚にそれを信じて走って来たところで、突然その道が途絶えてしまった。どこが道なのかもわからない。今まで走ってきた方角を目指しても、そこが目指す方向なのか、もはやわからない。
そんな状況で誰が先に新しい道を見つけることができるのか、そんな岐路に立たされているような気がします。今のところ。
俺たちにしかできない何かってないのか? ~「カプセル怪獣計画」舞台裏
で、4月末から始まるゴールデンウィークの直前に緊急事態宣言が全国規模で発布され、それまで止まることが許されなかった社会活動が必要最低限に制限され、“不要不急の極み”のような我々の仕事は真っ先に煽りを喰らうことになりました。
ある意味、伝染病を広める状況に近いコミュニケーション密度で仕事をしてきた私たちは、突然すべての予定が白紙になりました。仕事はできない、だからと言って飲みに行くことも許されない。これはなかなか酷な事態です。
おそらく多くの人がそうしたであろう、Zoomなどネットを介したコミュニケーションアプリで打ち合わせとかをしながら、人々はその優れたテクノロジーをよりにもよって刹那的な快楽を貪るために使う方法を編み出します。
それが「Zoom飲み」。みんなでZoom上の会議室に集まって、それぞれ酒やつまみを用意してダラダラと飲み語らうというものです。
そりゃリアルに会って飲むに越した事はないけど、感染リスクを下げることをまず考えなきゃならないし、陽も差さないような部屋でじっとしているのも、なかなかどうして鬱屈してきますから、飲むしかないのです。
Zoom飲みでは、各々酒やつまみを持ち寄って飲みます。何よりも自分の部屋だから、かなりリラックスできます。というか、リラックスしてきます。最後はもうみんなぐだぐだで、ゴロゴロと寝っ転がったまま寝ちゃうやつも出てきます。自分の家だから終電とか気にしなくていいし、普段以上にフリーダムです。
散らかった部屋を見せなくて済むように、Zoomにはバーチャル背景なる機能がついていまして、距離情報と人間のシルエットの形状を自動的に判断して、背景を任意の画像に入れ替えられます。宇宙とか、好きな映画の一場面とか。つまり魔窟の如きゴミ屋敷を片付けることなく隠蔽して、会議に参加できる便利な機能なんです。
しかし、どれだけ頑張っても、距離情報と形状判断だけでそんなに素晴らしいマスクが完璧にできるわけはありません。
我々とて、世が世なら特撮映画専門家の端くれです。動くたびに耳が消えたり出てきたり、伸ばした手が体の輪郭を超えたら消えてしまったり。合成の不自然な仕上がりが気になって、重要な会議では話が頭に入ってきやしませんよ、もう。
だから最初の頃は“背景大喜利”を競っていましたが、今やもう背景を頻繁に入れ替える事はなくなってきたのです。
すると、普段見ることのないみんなのプライベートスペースが垣間見えてくるではありませんか。「へえ、棚にあの怪獣を飾っているのか」といったことが白日の下に晒されるのです。普段の付き合いだけじゃわからない新たな一面が、怪獣フィギュアの傾向からわかるのです。
これは発見でしたが、それはそれとして、このまま何もしなくていいのかな? 俺たちにしかできない何かってないのかな? ネットではちょうど、行定勲さんが知悉の俳優さんたちを集め、日常的な会話を定点画像で並べて濃密な会話劇を作り上げていたし、海外でも同様にこの状況下で出来る表現が次々にネットに上がってきていました。
俺たちが撮ったものと、それをみて世界中のみんなが撮ったものを集めて繋いで一本にしたらいいんじゃないか。俺たちには怪獣がいる。これで何かできるはずだ。酔った勢いでみんなに何かやろうぜとか、柄にもない事を熱く語ったまま寝落ちしてしまいましたが、夢枕に立ったのは他ならぬ恒点観測員340号でございます。
彼が手にしていた小箱に詰め込まれたカプセルというか、アンプルのような形の中に封じ込められていた忠実で憎めないけど、どいつもこいつも決定打不足で敵を倒すには至らない怪獣たち。
そうか、こうすればいかなる条件でも、誰でもどこでも手近にある怪獣で撮影さえすれば、いける。カプセル怪獣を“ゴレンジャーハリケーン”のようにリレーすればいける。(参考記事)
ゴレンジャーハリケーンっていうのは、戦隊ヒーローの始祖「秘密戦隊ゴレンジャー」に登場する、敵怪人にケリをつけるための必殺技。ラグビーボールのような形をした爆弾“エンドボール”をゴレンジャーのメンバーひとりひとりがパスして回って、最後は敵にぶち当てて怪人大爆発という見事なワンパターン技なんだけれども、これがクセになる面白さなわけですよ。
つまり、誰かからのパスを受け、そのパスを自分の怪獣に食べさせて、次の誰かに投げる……。
どんな怪獣がパスされるかは編集しないとわからないから、まず受け取ったらすぐに握って中身を見せないようにしてもらって、それを自分の持っている怪獣のフィギュアや人形に食べさせます。
食物連鎖でどんどん強くなっていくという描写は石井桃子作、中川宗弥絵の絵本「ありこのおつかい」(福音館書店)でありました。食べられてもお腹の中で生き続けて、むしろお腹の中で大声を出すので支配的ですらあるのが、子供の頃読んでめちゃくちゃ面白かった記憶があります。
ともあれ、これでフォーマットは固まりました。
あとはそれを誰がどうやって説明するか……。残念ながら、それができるのは言い出しっぺの私以外にいません。事務所でiPhoneを自撮りモードにして固定し、カメラに向かって説明を始めます。
ここはテンポよく説明しないと飽きられちゃいます。普段と違うテンションを作り上げ、それをキープしないといけません――そう、YouTuberのように!
なんで俺がYouTuberのようにひとりハイテンションで、カメラの前でしゃべり続けなきゃならないんだ? そんな疑問はとりあえず棚にあげ、しゃべり続けます。
「今回こんなことを始めようとしていて、こういう設定で、こうすればそう見える、だからなりきってやってみてください」
簡単なようで意外と伝えるべき要素は多いし、説明が漏れていたら、それでもう本来の意図が伝わらなくなり、誤解されて違うものをみんな撮りはじめて収拾不可能になってしまいかねない。思いついたことをきちんと相手に伝える……監督として出来て当然というか、それこそが監督の仕事ではありませんか。
しかし、その時おそらく自分を偽ろうという気持ちが働いていたのでしょう。
そして、かつてAKB48の高橋みなみ総監督の卒業コンサートでもらったデカデカと“カントク”と刺繍が入ったNEW ERA製キャップをかぶって、普段と違う自分を演じたわけです。仮面を被ることで人間は大きな自分になれるのです。
それでもテンションが落ちたり、セリフに詰まったり、ついつい視線がレンズからずれて、その様が自信がないように見えてしまったり……。これが恐ろしくシビアで、自撮りモードになっているため、どうしても自分がどう写っているかが気になって、レンズではなく画面を見てしまうのです。
画面はレンズから数センチも離れていないのに、この視線のずれによって、自分に自信を持てない男のように見えてしまうのです。まあ実際そうなんですけども。
ふと思い出したのは、小松左京さんが亡くなった際、お別れ会で流す映像を作ることになり、そのイントロで流す宇宙飛行士の毛利衛さんのコメントを撮りに、お台場にある日本未来科学館まで伺ったときのこと。
小松左京さんを宇宙に送り出そうというフェイクニュースの設定だったので、一応台本らしきものがあり、毛利さんに読んでもらうためのカンペも用意しておきました。まあ普通のスケッチブックに台詞を大書きしたモノだったんですけどね。
そうしたら毛利さんは「これを使ってください」と自前のカンペを用意していたのです。それもセリフが書かれた紙がアルミホイルかなにかの巻き芯に巻きつけられたもの。
その巻き芯を回すとセリフがスクロールするので、カンペを見る目線が上下に動かないという見事な仕掛けが施されていて、さすが宇宙飛行士! と感心しつつも、そんなに目線がずれるのが嫌なのか? と戦慄しましたが、今ならその気持ち、わかります。
視線が動いてカンペを読んでいるように見えると、なんとも人間として信用できないというか、カンペを読んじゃう程度の人間だと烙印を押されてしまうのではないかという恐怖に苛まれるのです。
残念ながら、今回はカンペを巻きつけても芯を回してくれる人がいなかった上、撮影に使ったiPhoneとの距離感から、カンペの文字を読むため左右に行き来する目の動きすら見えてしまう。
すいませんYouTuberのみなさん、簡単にできるとたかをくくっていたら大間違いでした。これは難しい。みなさんのプロの技、カメラ目線で喋り続けるだけで尊敬しちゃいます、いや尊敬させてください!
時間にして1時間以上、数十テイクを重ね、やっと納得のする説明が撮れたと思ったら、気力体力の限界がほぼ同時に訪れてきました。
厳密に言えばそれ以上テイクを繰り返しても自分のテンションがどんどん落ち、目に見えて出来が悪くなっていく、いわゆる“峠越え”。これ以上深追いしても、もう宝物は出てこない、諦めなさい、というお告げです。
動画をパソコンに取り込むと、それまで気にならなかったちょっとしたブレスや、細かい言いなおしが気になってきます。
撮影している時は意識していなかったのですが、映像を見直して深層意識的に目指していた人が初めてわかりました。ジャパネットたかたの高田社長(高田明現会長)です。あの揺るぎのないテンション、そりゃ一朝一夕で到達できるはずがありません。
今度は編集ソフトを立ち上げて、視聴者に気づかれないようブレスや、ちょっとした心の迷いがはっきり画に写っている瞬間を丁寧に取り除き、気づかれないように編集点を柔らかくつなぎます。
そういう小細工に頼ることなく、ワンテイクでやらないと真心は伝わらないだろうと意気込んで始めた志など、一瞬にして掌返しですよ。
そうやって出来たガイダンスビデオを内々に見せたところ、その評判が恐ろしく悪いのです。
個人的にはいつもと違う「みんなに伝われ、この気持ち」的な意気込みで体当たりをカマして新境地を開拓したつもりが、「鬱陶しい」「キモい」「無理している感が見苦しい」「哀れだ」「自分だったら参加しない」とケチョンケチョンではありませんか。
とりわけ見た目の新しさ(普段は絶対に帽子をかぶらない……いや、かぶれない。似合わないので)と己の揺れる心を隠蔽するために被ったNEW ERAキャップの評判が悪いんですよ。
「無理して若ぶってる」とか、「YouTuberに憧れてるかっこ悪いおじさん」だとか、もう一切の譲歩がないぐらいの叩きのめされ方。内々にしか見せていないのに、もうすでに炎上、大炎上です。
早くしないと海外の怪獣マニアがいつ同じようなことを始めるかわからないのに、こんな事でつまづいていられないのですが、すでに行く末に暗雲が垂れ込め始めています。
何してるんだ俺。仕事でもないのに!!
続く。
最後に。樋口監督が出演する映画の話
さて、続きは次回なんですが「仕事でもないのに」とかなんとか言いながら、ここから始まってそれがいつしか映画になってもうじき公開です。すごいスピードです。
岩井俊二監督作品「8日で死んだ怪獣の12日間の物語」です。
この自粛期間に、自粛期間でないとできないやり方で映画になりました。7月31日からアップリンク渋谷他の劇場で公開されます。感染症対策を講じた上で、もしよろしかったら是非。
映画「8日で死んだ怪獣の12日の物語」作品情報
<ストーリー>
通販サイトでコロナと戦ってくれるというカプセル怪獣を買ったサトウタクミ(斎藤工)。毎日怪獣の成長を配信しているタクミの元には、通販で宇宙人を買ったという後輩の丸戸のん(のん)や、コロナの影響で無職になってしまった先輩のオカモトソウ(武井壮)など、色々な人から連絡がくる。日に日に怪獣は成長していくが、どうもYouTuberもえかす(穂志もえか)が育てる怪獣とは種類が違うようだ。怪獣に詳しい知り合いの樋口監督(樋口真嗣)にノウハウを聞きながら、日々怪獣を育てていくタクミ。果たしてタクミはきちんと怪獣を育てることができるのか? そして、この怪獣はコロナをやっつけてくれるのか?
<キャスト>
斎藤工、のん、武井壮、穂志もえか、樋口真嗣
<スタッフ>
脚本・監督・造形:岩井俊二
原案:樋口真嗣
主題歌:小泉今日子+ikire 「連れてってファンタァジェン」
音楽:蒔田尚昊=冬木透、ikire
プロデューサー:宮川朋之、水野昌
制作:ロックウェルアイズ
配給:ノーマンズ・ノーズ