西田宗千佳のRandomTracking
第534回
Adobe MAXで発表、フェイク写真を防止する「コンテンツ認証イニシアチブ」とはなにか
2022年10月21日 08:30
フェイクニュースや恣意的な写真編集は、残念ながら日常茶飯事となっている。デジタルツールとAIの進化はアーティストに力を与えるものであると同時に、偽の情報を拡散させようとする人にも等しく力を与えてしまっている。
そこに一定のトレーサビリティを持ち込もうとしているのが「コンテンツ認証イニシアチブ(Content Authenticity Initiative、CAI)」である。
アドビとニコンは協力し、カメラで撮影した瞬間から過程の変更履歴まで、写真の来歴(クレディンシャル)を記録できるシステムを開発、10月18日・19日(アメリカ太平洋時間)に開催されたアドビの年次イベント「Adobe MAX 2022」で発表している。
CAIの動作と狙いについて、Adobe MAX 2022が開催されている米・ロサンゼルスで、キーパーソンに取材することができた。
どのようなものになり、どのような狙いがあるのだろうか。
CAIでの「来歴記録」とは
まず、具体的にどんなことができるのかを、デモから解説してみたい。
前述のように、ニコンはアドビと協力し、「撮影した段階から写真の来歴を記録する」カメラを開発した。ベースとなったのはニコンの「Z9」。ただし、あくまで試作機であり、Z9にCAIを使った来歴記録機能が搭載されると決定しているわけではない点にご留意いただきたい。
通常、写真を撮るとそこには、画像に加えて撮影したカメラの種別などがタグとして記録される。いわゆる「EXIF」だ。
CAIではそれに加え、「どのカメラでいつ撮影されたのか」「どんな画像なのかのサムネイル」などが記録される。「C2PA(Coalition for Content Provenance and Authenticity)」という規格に準拠しており、来歴データがローカルもしくはクラウドに記録される仕組みだ。今回の場合、カメラ内で処理されるので「ローカル」にデータが残る。
それらのデータは写真そのものとともに1セットのデータとしてまとめられ、暗号化される。今回のデモでは、ハッシュ関数としてSHA-256が、暗号としてRSAが使われているという。
さらに、Creative Cloud上には、画像データと切り離して来歴データが保存されている。
使い方そのものはシンプル。カメラの中に機能が入っているから、使う側は単にシャッターを切るだけだ。
だが、それをCAIに対応したPhotoshopに読み込むと、来歴がちゃんと表示される。
ここでさらに加工をする。写真の端に熊を入れてみた。立派なフェイク写真の出来上がりだ。
だが、さらに来歴を確認すると、「この写真がPhotoshopで合成されたこと」「使われたのが2つの写真であること」「1つがニコンのカメラで撮影され、もう1つはアドビのフォトストックから取得されたものであること」がわかる。
CAIのサイトには「Verify」という機能がある。
ここに、先ほどのフェイク写真の「スクリーンショット」をアップロードしてみよう。スクリーンショットなので画像データには来歴はない。
しかし、PhotoshopからはCreative Cloudを介して「来歴情報」が記録されている。画像の特徴がマッチされ、スクリーンショットであっても「元になった写真である」ものが見つかると、ちゃんとその来歴も表示されるようになっている。
試作機を開発したニコン・映像事業部 開発統括部 ソフトウエア開発部 第一開発課の末長涼太氏は、「圧縮などには相応のパフォーマンスが必要であり、その点、ハードウエアには負荷がかかる」と話す。Z9の場合秒間最大20コマの連写が可能だが、そうした高速連射を行う場合、処理と記録のバランスをとるため、専用ハードウエアの搭載なども検討する必要はあるという。ただ、SHAにしろRSAにしろ、非常に長く使われた一般的な技術ではあるので、技術的に著しく困難、という話ではない。
同・映像事業部 UX企画部の井上雅彦参事は、「当初は報道などのプロフェッショナル向けのカメラでの導入となるだろう」と方向性を語る。コストの問題もあるので、まずは必要性の高い部分で、という発想だ。
一方で「報道だけでなく、市場の可能性は非常に大きい」とも言う。
警察の鑑識業務など「改ざんされていないこと」が求められる業務では現在、一度しか書き込めない「改竄防止メディア」が採用されている。だがそうしたSDカードは特殊で価格も高く、数が増えると管理も大変だ。そこでソフトウエア的に来歴管理ができれば、コストは大幅に削減できることになる。
「真贋」でなく「判断するための情報提供」が目的
ただ、こう思う人もいるのではないだろうか?
「特定のカメラでしか来歴が記録できないなら、あまり広がらないのでは」
「アドビのツールでの変更履歴しか残らないなら、他はどうなるのか」
ここについては、少し考え方を明確にしておく必要がある。
アドビでコンテンツ認証イニシアチブ(CAI)担当ディレクターを務めるアンディー・パーソンズ氏は、次のように説明する。
パーソンズ氏(以下敬称略):CAIは“真贋”を判断することはありません。あくまで情報を提供するものです。それによって人々が、自分の中で判断することができるようになります。
「熊が合成された写真」を先ほど、私は「フェイク写真」と紹介した。だが、それはちょっと語弊がある。
あの写真は明確に「どのツールで合成されたかがわかっている写真」というべきだろう。逆に、合成に使ったソフトが明記されていなかったり、撮影に使ったカメラが明記されていなかったりすれば、その写真はいくらリアルに見えても「来歴がはっきりしないもの」と言える。
CAIがあくまで「来歴記録」であるのは、真贋や信頼性を判断するのは情報を受け取る側の考えであるからだ。
現実問題として、すべてを保証するシステムは作ることができない。しかし、撮影の来歴・編集の来歴が途切れることなく残っていれば、それは人々に「信頼できるかどうかを判断する手がかり」を残すことになる。
CAIは業界団体であり、アドビのようなツールメーカーやニコンのようなカメラメーカー、さらにはメディア企業など、多くの関係企業が参加している。すでに800を超える団体が加盟したという。
同じような役割を持つ組織に、マイクロソフトが音頭をとった「Project Origin」がある。
両者は決して対立するものではなく、同じC2PAという技術を使っている。
パーソンズ:2019年にアドビとマイクロソフトがお互いに歩み寄り、ともに力を合わせて進むことになりました。
さらにその時、一企業の傘下で標準を開発するのではなく、標準開発団体として有名なLinux Foundationで新しい非営利団体を作ることになりました。それが「C2PA」です。
Project Originは放送とニュースに特化したもので、CAIはカメラメーカーからソーシャルメディア、ウェブサイトやクリエイターに至るまで、より広いサポートを行ないます。
すべてのアドビ製品への搭載が目標、将来的にはスマホからも
今年のAdobe MAXでは、PhotoshopにC2PAの来歴を記録・確認する機能が搭載されたことに加え、アドビとの協力により、ニコンとライカという2つのカメラメーカーが「来歴記録対応カメラ」を開発、将来商品化を行なうことが発表された。
一方で現在は、カメラとして「スマートフォン」が使われることが増えている。また、ソフトウエア処理の比率も多いため、専用機器であるカメラ以上に、スマートフォンの方が実装は有利であるように見える。パーソンズ氏は「スマホでの実装も進んでいる」と話す。
パーソンズ:私のスマホでは、テストアプリが動いていますよ。これはスマホ上での処理負荷を検討するために作られたものです。まだ一般公開はされていません。
同時に、写真だけでなく動画への来歴記録も検証しています。手元のアプリでは、30フレーム/秒と60フレーム/秒の動画への記録ができています。
すべてのデスクトップ用OSとスマートフォン用OSで利用できるようにすることが目標ですが、まずはアプリケーション単位でゆっくりと導入していくことになるでしょう。とはいえ、(OSへの実装は)将来には実現するものと信じています。スマートフォンOSメーカーからは、非常に積極的な支持を得ています。
前出のように、すでにPhotoshopにはCAIの実装が行われ、提供も始まった。だがアドビとしても、Photoshopだけで止めるつもりはない、という。
パーソンズ:Lightroomを含め、あらゆるアドビのアプリケーションで使えるようにしていく予定です。
Photoshopではもう完全に使えるようになっています。また、ドキュメントごとにCAIをオン・オフできる「ドキュメント設定」が追加されました。これは、画像やビデオそのものではなく、メタデータの暗号チャンクだけをAdobe Cloudに保存する機能です。
これによりCreative Cloudのユーザーは、画像にメタデータを恒久的に添付することができます。
ですから、悪意を持って画像から来歴情報が削除された、あるいは誤って削除された場合でも、(画像の特徴を検出する)フィンガープリント技術を使って出所情報を再構築できます。
「AIが描いた」ことの証明にも活用可能
現在は、AIの力を使って映像そのものを、プロンプト(呪文)を使って作り出せるようになってきた。今は人間が目視で「AIが描いたものか、人間が描いたものか」を判断可能だが、それが難しくなっていくのは間違いない。
AIを排除するのは間違いだと思うが、「AIだけで描かれたもの」と「AIに手助けしてもらったもの」と「人間の手だけで作ったもの」を区別したい、というニーズはある。
CAIは写真や動画だけでなく、音声や文書など、あらゆるデータの来歴確認に使える技術である。だとすれば、「AIが描いたかどうか」をCAIで確認することも可能なはずである。パーソンズ氏もその発想に同意する。
パーソンズ:具体的にどうなるかを述べることはできませんが、AIとともに使うことは十分に可能です。
実際、Stability. Ai(Stable Diffusionの開発元)がCAIのメンバーになっています。
AIがなにから学習したかを示すことはできませんが、「AIで作られた」ことを示すことはもちろんできます。そしてクレディンシャルの中には「プロンプト」を含むことも可能です。
プロンプト・エンジニアリングは新しいタイプの、芸術と科学を併せ持った芸術表現です。画像を生成するために使われた言葉も含めて、何かがどのように作られたか、そのすべての側面を取り入れることが、来歴記録にとっても重要だと思います。