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iPhone SEとiPad Proから見える「アップル40年目の変化」

PC代替を狙うiPad Pro。一見地味な発表に潜む狙いは?

 3月21日(現地時間)にアップルが開催した発表会の詳報をお伝えする。発表会にて公開されたiPhone SEや9インチiPad Proなどの新製品についてはハンズオン速報記事を参照してほしい

発表会場となったアップル本社

「新社屋」移行前最後のお披露目

 製品発表後、ソーシャルメディアなどでは次のような意見をいくつか見かけた。

「このくらいの発表で発表会をする意味はあるのか」

 詳細は後ほど述べるが、確かに、「まったく新しい製品」の情報だけを求めるのであれば、そういった感想にもなるだろう。

 ここ数年、プレスイベントはアップル社内ではなく、より大きな場所を確保して行なうものだった。今回は200名程度の比較的コンパクトなものとなった。だがアップル的には、今回は製品発表だけでない意図があったため、わざわざ本社内で発表会を行なったのだ、と考えている。

アップル本社

 アップルはこの4月で創業40周年を迎える。そして、現在新社屋を建設中で、2017年中にはそちらへと移る計画だ。現在のアップル社屋でイベントが行なわれるのはおそらくこれが最後になる。

現在のアップル本社での大規模な発表会はこれが最後となる予定で、2017年以降は通称「マザーシップ」などとも呼ばれる新社屋へ移る

 後述するように、アップルとしては、iPhoneやiPadといった製品の方向性についてだけでなく、プライバシーや環境に対する意見表明に加えて、40周年の節目の挨拶、もしたかったのではないだろうか。普段、社内の写真撮影については比較的厳しい制限があるのだが、今回は、記者が滞在するエリアについては、ほとんどなにも言われなかった。「アップルのキャンパスはこういう場所だった」ことを残して欲しかったのではないか……とも思ってしまう。

発表会場となったTown Hallの前には、スティーブ・ジョブズの言葉と肖像が飾られている

プライバシー・エコロジー、そして「健康」

 発表会の冒頭でアップルがアピールしたのは、「販売数」でも「ユーザー数」でもなく、「社会的な責任への対処」の説明だった。

アップルのティム・クックCEO

 アップルのティム・クックCEOは、最初に「プライバシー」の問題を説明した。アップルは現在、米司法省との間で「iPhoneのロックを解除するソフトウェアの提供」について、意見が衝突している。多くのIT企業は「セキュリティリスクを高める例外的なソフト開発には協力しない」とするアップルの姿勢を支持しているが、「市民の安全」のために協力を申し出る司法省の立場を、アメリカの多くの市民は支持している。

「iPhoneは極めてパーソナルなツールになっている。我々には顧客のデータとプライバシーを守る責務がある」と、クックCEOは語った発表会に参加したプレス関係者にもこの意見に賛同する人が多いせいか、会場からは大きな拍手が起きた。強く拍手こそしなかったが、筆者もアップルの姿勢に賛成する。少なくともOSメーカー・機器メーカーとしては、国に対してといえど、フリーハンドにつながる可能性があるカードを渡すべきではない。

 次に説明したのは環境への対策だ。ここでは「再生可能エネルギーの活用」と「リサイクル」の2点が軸になった。

アップル全体でのエコロジーに対する取り組みとして、再生可能エネルギーの活用が進められている

 現在、アップル全体では93%が、アメリカや中国を含む23カ国の事業所・操業施設では100%が再生可能エネルギーで運営されるようになっているという。シンガポールではビルの屋根に太陽光パネルを敷き、中国ではそこで草を食むヤクとも共存できるように配慮している。残念ながら、日本は23カ国の中には入っていない。広い土地などがなければ、自前で再生可能エネルギーを活用するのは難しいし、日本はその条件を整えるのが特に難しい場所だ。

ビル屋上に太陽光パネル
日本のオフィスは再生可能エネルギー運営の対象外

 そして、特に目を惹いたのが、iPhoneの分解とリサイクルのために作られたオリジナルロボット「Liam」の存在だ。

アップルが独自開発した分解用ロボット「Liam」を使い、iPhoneの素材の再利用比率を高める試みが進んでいる

 Liamはアップルのエンジニアが開発したもので、細かなビスやフレームまで正確かつ素早く分解する。人間でも分解はできるが、大量のiPhoneを正確に効率的にバラしていくのは難しい。プログラミング通り順番に動くことが得意なロボットの独壇場ではある。正確な手順で分解するプロセスを作ることで、資源の無駄を抑制しようとしているのだ。

 同時にアップルは、これまでも進めていた「下取り」の仕組みを拡大する。iPhoneおよび他社スマートフォンを買い取るのだが、買い取りを担当するのは、少なくとも日本のウェブを見る限り、ソフトバンク傘下で世界的な携帯電話流通会社のBrightstarのようだ。消費者が新しい製品を買いやすくして、そこから出たもののうち使えないものは速やかに再資源化することで、全体サイクルの加速と、持続的サイクルの維持を試みようとしているのだろう。これは、製品サイクルが比較的短いスマートフォンのビジネスを維持するのであれば、重要な戦略になりそうだ。

 もうひとつの試みが、iPhone向けアプリで医学研究への貢献を進める「ResearchKit」についてだ。こちらは日本でも慶應義塾大学や順天堂大学で実践されている。日常的に持ち歩くセンサーの塊であるiPhoneやApple Watchから研究データを集める試みは、着実な成果を出しつつある。

医学リサーチのためのフレームワーク「ResearchKit」は好調

 4月からはさらに広げ、病気中や手術後のケアにデータを生かす「CareKit」も提供が会社される。

術後ケアなどを対象とした「CareKit」も4月に登場

iOS系機器のOSアップデートは「今日から」

 今回の発表内容は、OSおよびハードウェア的にはiOS関連機器に集中していた。マックについては、より開発者向けとしての色合いを強めていくつもりなのかもしれない。

 現在、アップルがiOSをベースにして展開している機器は「Apple Watch」「Apple TV」「iPhone」「iPad」の4ジャンル。後者2つはハードウェアアップデートがあったので、その点は後述することとしたい。他の機器については、OSのアップデートを含めた小幅な変化にとどまった。

 Apple Watchは、最低価格を299ドル(日本では36,800円)に下げ、裾野を広げる作戦に切り替えてきた。機能アップしても買い替えを促せるわけでもないし、利用者を増やしてアプリケーションの価値を拡大する方が優先、との判断だろう。

Apple Watchの価格は299ドルからに改定。デザインバリエーションを増やし、ユーザー拡大を狙う

 Apple TVは、Siriの対応拡大やフォルダの導入など、OS面の若干の機能アップが行われる。Siriでの音声横断検索対象アプリケーションの拡大など、使い勝手に直結する内容もある。それが日本でどのくらい使えているかは、残念ながらこちらには情報がない。Apple WatchもApple TVも、OSのアップデートは22日から開始されたので、ユーザーの方々は直接確かめてみていただきたい。

Apple TVも好調を維持。tvOSのアップデートが発表された

 iPhoneおよびiPad向けのiOSについても「iOS 9.3」へのアップデートが本日行われている。こちらも詳細は別記事をご参照いただきたい。

なぜ「4インチiPhone」は復活したのか

 やはり、日本人にとって一番の注目だったのは「iPhone SE」の登場だろう。筆者の周りにも、「5インチクラスのスマートフォンは片手で持ちにくい」という人は少なくない。

 iPhoneおよびiPadのプロダクトマーケティングを担当する副社長のGreg Jozwiak氏は、「現在アップルには3つのサイズのiPhoneがある」と切り出した。2013年に発売された「iPhone 5s」を強く意識させる作戦だ。「2015年には3,000万台もの4インチiPhoneが売れた。しかも、iPhoneを初めて選んだ人も、その中には多く含まれる」(Jozwiak氏)という。すなわち、アップルからみて「4インチは支持者が多かった」という説明である。だから「4インチのiPhone」を復活させたわけだ。

iPhone 5sの人気が4インチiPhone復活の理由、と説明

 iPhone SEは、ローズゴールドを加えた4色バリエーションとなったが、ボディのデザインはiPhone 5sとほとんど変わらない。そこにiPhone 6s系のSoCとカメラを詰め込んだわけだから、「ヒットしたスニーカーのリバイバルモデル」のような感じだ。4インチを求めていた人にとっては、待ち望んだ製品といえる。正直欠点は「見慣れたデザインでありすぎる」ことくらいだ。

iPhone SEは4色展開に。だが、デザインは大きくは変わっていない。
SoCやカメラモジュールはiPhone 6s世代に近くなり、「4インチの最新モデル」という趣に

 一方で、筆者はもう一つの見方も提示したい。2015年にiPhone 5sは確かに売れたが、「小さいから売れたのではなく、安いiPhoneとして買われた可能性」もある。これは否定しきれない。世界的に見れば、ハイエンドであるiPhoneのニーズはある程度限定的で、ミドルクラスの価格で得られるiPhoneには強い価値がある。日本でのSIMフリー版価格は少々高いが、399ドルからというiPhone SEの価格帯は、「ミドルクラスの上の方」にマッチしている。

 4インチ礼賛の声も大きいが、筆者は必ずしも賛成しない。5インチクラスを買う前には文句を言っていたのに、買ってみたら満足、という人が多い、との話も聞いているからだ。電話としての使い方からネット機器としての使い方に主軸が移っている今、画面が大きいことには十分以上の価値がある。サイズのファクターと価格のファクター、両者が消費者からどのように支持されるかを、アップルも慎重に見ているのではないだろうか。だからこそ、iPhone SEはまったくの新デザインではなく、iPhone 5sのバリエーションとして生まれたのだと、筆者は考えている。答えは、今年秋のiPhoneのバリエーションがどうなるかでわかる。

「本格的なPC代替」を狙う戦略の可否は

 もうひとつの大きな発表が「9.7インチ版iPad Pro」だ。

9.7インチ版iPad Proを発表する

 この製品については、ワールドワイドプロダクトマーケティング担当上級副社長のフィル・シラー氏のコメントを引用するのが一番だ。

9.7インチ版iPad Proを発表する、フィル・シラー氏

「アップルはこれまでに2億台の9.7インチiPadを売ってきた。非常に支持された大きさだ。同時に多くの人がウィンドウズPCからiPad Proへ移行してきた。100万本のアプリのあるiPad Proは、究極的なPCの置き換えになり得る」

 すなわち、iPad Proブランドでは、スマートフォンとPC(Mac)の間にある機器ではなく、プロダクティビティをカバーする、直接的にPCと競合する機器として打ち出していくことになる。

いわゆる「2-in-1」PCの代替にiPad Proが最適、とアピール

 iPad Proが昨年末に発表された時、アップルは「プロフェッショナル向け、創造的な作業をする人向け」とした。それは、大きなキャンバスサイズと不可分である。筆者も日常的に使っているが、慣れてしまうと代えがたい魅力がある。

 一方、より小さく軽いモバイルPCも多くある現在、特にキーボードをセットにした12.9インチ版は「大きすぎる」「重すぎる」という声も大きい。だから、同じコンセプトで9.7インチ版を作るのも頷ける。登場した9.7インチ版iPad Proは、ハードウェアの出来としては申し分ない。一部は12.9インチ版よりも進化しているほどだ。今後は9.7インチ版をさらに改良する形で、iPad Proシリーズとシンプルで低価格な「iPad」に分かれていくのだろう。

9.7インチ版iPad Proはかなりのハイスペック。サイズバリエーション展開で広げる他、iPad miniなど、過去に出た製品も「Proではないライン」として残る

 今回、周辺機器としてUSBカメラアダプターをリニューアルしたが、これは、Lightning端子から別途電源供給をすることで、これまでのモデルでは消費電力が足りずに使えなかったUSB機器も使えるように、との配慮から用意されたものだ。PCとの差を埋める施策の一つだ。

USBカメラアダプターをリニューアル。Lightning端子から給電、より消費電力の大きな機器も使えるようになる。

 2010年に登場したiPadは、「ラップトップより気軽で、登場流行していたネットブックよりも使い勝手が良くて、スマートフォンよりも見やすいもの」だった。別にコンテンツ消費専用のデバイス、と強く打ち出したわけではないが、人々はそう受け止めたし、アプリもそうした方面が軸になって広がった。

 しかしコンテンツ消費デバイスは「あれば便利だが、なくても生きてはいける」ものだ。しかも、コンテンツ消費では、性能を強く問われることもない。例外はゲームだが、iPad向けのハイエンドゲームは、アップルとゲーム業界が期待するほどには市場が伸びていない。だから、一度iPadを買った人も、壊れない限りなかなか買い替えない。

 そのため、iPadをより「仕事にも使える道具」という方向性でアピールしよう、というのが、これからのアップルの作戦だ。これなら、ラップトップ並みの能力とスマートフォン並みのカメラを持ち、大量のアプリがある「最新のiPad」を求める意味が出てくる。

 しかし問題は、「PCの置き換え」としてiPad Proを選べるか、という点だ。

「iPadではできないことが多いので仕事はできない」という声も多い。実は、筆者はその意見には同意しない。別にiPadを贔屓しているわけではない。アプリが増加した結果、「PCとまったく同じではないが、別のアプローチで同じようなことができる」例は意外なほど多く、日常的な作業ならかなりこなせてしまうからだ。しかも、タッチに特化したアプリはそれなりに使いやすい。例えば写真処理をするとき、マウスオペレーションとタッチオペレーションはどちらがいいのか? 多機能なアプリと単機能アプリの組み合わせはどちらがいいのか? 使ってみると、アプリ+タッチのアプローチの方が楽なことも多い。

 しかしそのためには、アプリの組み合わせ方を含め、PCとは異なるワークフローの構築が必須だ。PCは長年かけてそのワークフローをみんなで作ってきて、ノウハウが溜まっている。我々が「PCでは仕事ができる」と思うのは、そうしたノウハウの積み重ねがあるためだ。「SDカードからフォルダを開き、写真をコピーして分類する」作業を考えた場合、PCのファイル処理に我々は「慣れている」からなんとも思わないが、タブレットの流儀でやったとしても、それはそれで簡単だ。我々が後者に慣れていないし、ワークフローの見通しが効かないから「これでは仕事にならない」と感じる。

 筆者の仕事では、それなりに「iPadで仕事をするためのワークフロー」が見つかった。だが、他人のワークフローとは違うだろうし、職種が違っても違う。

 アップルはハードウェアとして「仕事のためのiPad」を提示したが、ワークフローとしてはまだ提示できていない。iOSのさらなる改善やアプリの紹介も含め、より積極的なアプローチが必要だ。iPad Proの路線にアップルが舵を切るならば、「MacやPCとは異なるプロダクティビティ環境」の快適さを示す必要がある。

 iOS機器のニーズ多様化を狙うということは、そういうことだと筆者は考える。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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