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今、振り返る「Technics」誕生秘話。創設者の一人、石井伸一郎氏に聞く

 2014年9月、パナソニックは、ドイツで開催された「IFA」で「Technics(テクニクス)」ブランドの復活を宣言。日本でも2015年2月から、リファレンスのR1シリーズプレミアムのC700シリーズを順次発売する。かつて、惜しまれつつその幕を閉じた人気ブランドだけに、「復活」の背景や新生Technicsのコンセプトおよび製品概要は、一般メディアでも幅広く報道されることとなった。

 日本国内では受注生産ながら、発売を待ちわびる読者は多いのではないだろうか? そこで今回は、そんな新生Technicsを迎えるにあたり、改めて、元祖「Technics」の歴史を振り返るべく、Technicsの創始者のお一人である、石井伸一郎氏に当時のお話しを伺った。

石井伸一郎氏のご自宅兼研究室(リスニングルーム)でお話しを伺った

 石井氏が携わった製品を中心に、年表には記されない時代背景や、当事者だけが知るエピソードもご紹介しよう。

石井氏と「Technics」誕生までのストーリー

 お話しを伺った石井氏は、1934年4月19日福島県福島市生まれ。御年80歳の今も、室内音響の研究を続ける生粋のエンジニアだ。

 石井氏は1957年に東北大学工学部通信工学科を卒業し、同年、松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社。ラジオ事業部音響工場設計課に配属され、「8PW1」(通称「げんこつ」)と呼ばれた20cmダブルコーンスピーカの開発者として知られる阪本楢次(さかもと ならじ)氏の下で、Hi-Fi用スピーカーユニットの開発を担当することになる。

 翌1958年、レコードのステレオ化で、「ステレオ」時代が幕を開ける。「オーディオ御三家」と呼ばれた、トリオ、サンスイ、パイオニアが、マニア向けの本格的なコンポーネントオーディオ製品でヒットを飛ばし、躍進を始めた黄金期だ。

 一方、当時の松下電器産業(現パナソニック)の中では、オーディオ部門で「ステレオ事業部」が独立。御三家とは別路線で、当時「アンサンブル」と呼ばれる、チューナー、レコードプレーヤー、アンプ、スピーカーが一体になった比較的手軽な製品を手がけていた。当時のビクターやコロムビアも、アンサンブルやセットオーディオが中心だったという。

石井氏所蔵の資料。LUX SQ62のリーフレット

 1960年、石井氏は「モーショナルフィードバック理論解析」(MFB)を日本音響学会に発表。翌1961年、石井氏は独立したステレオ事業部で20cmのMFBスピーカーを開発し、さらにスピーカーシステムとアンプを組合せ、MFBシステムとして商品化。アメリカで好評を博したという。因みに、1962年にLUXから「世界で初めて商品化されたMFBアンプ」として登場したLUX SQ62は、松下電器産業(現パナソニック)のパテントに基づくものだったそうだ。

 また、MFBシステムに使用したホーンツイーター「5HH17」は、当時としては前代未聞の非常にフラットな特性を持ち、単体スピーカーとしても発売され大ヒット商品となる。他社は「5HH17」を組み込んだスピーカーシステムでさらにブランドの評判を高めることになったそうだ。

石井氏所蔵の「5HH17」。所蔵と言うよりは、その辺に置いてある

 石井氏が開発したMFBシステムやツイーター「5HH17」は、陰で他社の躍進を支えるという皮肉な出来事だったとも言えるが、この一件が、松下電器産業(現パナソニック)が自前のブランドで、本格的なスピーカーシステムの開発を検討する切掛けになったという。そう、「Technics」誕生前夜だ。

1965年「Technics」の誕生

 1965年、石井氏は、自ら開発したホーンツイーター「5HH17」を組み込んだスピーカーシステム「Technics1」と「Technics2」を世に送り出す。「Technics」の誕生であり原点である。当時は、ブランドは「National」で、「Technics」シリーズという位置付けでスタートした。

石井氏所蔵の「Technics1」。
前面サランネット右上部に「National」 のロゴマーク

 「Technics」の命名に際しては、沢山のネーミング候補を挙げつつも、最終的には、阪本氏と石井氏で和英辞書を引きつつ、「技術」を意味する“Technic”の次に並ぶ「Technics」に目が止まり、迷い無く決定したそうだ。

 「Technics1」は、12cmウーファーの「12PL50」と「5HH17」と組み合わせによる小型システム。この時期、低音の出るコンパクトスピーカーとして、英国グッドマンのARタイプ超小型システムが話題だった。松下電器産業(現パナソニック)が真似をしたという風評もあったが、既に石井氏は密閉式スピーカーにおいて、低音再生におけるキャビネット容積とスピーカー口径の最適化を理論として確立し、論文として発表していたとのこと。「モーショナルフィードバック理論解析」もそうだが、誰よりも先んじた研究を通して理論を確立し、技術に裏打ちされた特性の良い製品を送り出すのが、石井流でありTechnicsの流儀だ。

 Technics1の低音再生能力は、製品発表の場で、オーディオ評論家の池田圭氏(オーディオ評論の草分け的存在。技術に明るく、調整には測定を欠かさない理論派)の目に止まり、氏の目黒スタジオに運び込むことに。Technics1は、そこでもサイズを超える鳴りっぷりを発揮し、氏を含む評論家に賞賛されて大ヒットに繋がったという。

 裏話としては、製品発表会では、30cmウーファーを含む3ウェイの大型の「Technics2」も発表された。阪本氏は、大型の「Technics2」が好評であろうと推測し、当初、「Technics2」を展示のメインに据えたという。一方、石井氏は小型の「Technics1」が受けるだろうと考え、参加者の意見を聞きつつ、展示を「Technics1」に差し替えたそうだ。

 技術だけでなく、時代のニーズを鋭敏に汲み取る感覚も、後の「Technics」に繋がったと言えるのではないだろうか。

1966年、「Technics」初のアンプ誕生

 1966年、「Technics」を冠した第一号のパワーアンプ「Technics 20A」が誕生した。石井氏がNF(ネガティブフィードバック)アンプの周波数特性研究を行い、他社に先駆けてユニークな回路構成の真空管式OTL(Output Transformer Less)・OCL(Output Condenser Less)パワーアンプ「Technics 20A」を開発した。

石井氏所蔵の「Technics 20A」

 アンプの開発の切掛けは、顧客からの「スピーカーはいいけど、アンプが無いね」という言葉だったそうで、スピーカーを売るために、商売抜きでアンプを開発したという。当時の松下電器産業では、テレビ用に自社で真空管を開発および製造していた経緯もあり、それらをオーディオ用に改良。出力段に5極管50HB26を20本(片チャンネル10本)使用し、5本をパラレル動作させることでスピーカーを駆動する。周波数特性に優れ、大出力で低歪みが世界を驚かせた。同時に、プリアンプ「Technics 10A」も発売している。

プリアンプの「Technics 10A」。写真は9月のTechnics国内発表会で展示されたもの

Technicsが真のオーディオブランドとして花開く

 Technics 10A、Technics 20Aは音質面で大いなる評価を受けたが、一方、当時のオーディオ評論家、故・瀬川冬樹氏から、音に対する賛辞と共に、デザインに対する不評を綴った手紙を受け取ったという。

 1968年のプリアンプ「Technics 30A」では、デザインを、世界のオーディオ機器に精通する瀬川氏に依頼。氏は「内緒で」ということを条件に受諾したという。今まで明かされることはなかったが、Technics 30Aの外観は実質、瀬川氏によるものだ。

「Technics 30A」。写真は9月のTechnics国内発表会で展示されたもの

 Technics 10Aのデザインが「家電的」と酷評されたのに対し、瀬川氏のデザインはオーディオ機器として世界に通用する洗練されたものであったと言う。

今まで決して明かされる事がなかった「内緒」のエピソードだが、約四半世紀が過ぎ、「Technics」復活に際し、瀬川氏も許してくれるのではないだろうか。

 かくして、「Technics」は、技術のみならず、優れたデザイン性を採り入れ、オーディオブランドとして開花する。

Technics初のトランジスタプリメインアンプ「Technics 50A」が登場

 1969年、オーディオ事業部に移った石井氏は、オーディオアンプの企画を担当する。その第一号が、Technics初のトランジスタ式プリメインアンプ「Technics 50A」だ。Technics 20Aで始まったOCLはTechnics 50Aでも採用された。プリ部でも、初めてPNP型のローノイズトランジスターを導入。各社アンプに影響を与えることとなる。

 デザインは、アクリルのパネルを通して、文字が光で浮かび上がる手の込んだもの。これも瀬川氏が手がけたという。しかし、同時期に登場した英マッキントッシュとそっくりという理由で、その後、このテイストのデザインは採用されなくなった。

石井氏所蔵の「Technics 50A」(下段)

 「Technics」のアンプは、ユニークな発想と確かな先進技術によって、その後も順調に高評価を得てゆく。

「Technics」を世界に轟かせた「SP-10」

 石井氏が関わった製品ではないが、「Technics」の名を世界に知らしめた最たる功労者は、世界で初めてダイレクト・ドライブ(DD)型を実現した画期的なターンテーブル「SP-10」だと同氏は振り返る。

DD型ターンテーブルの「SP-10」

 「SP-10」が登場するまで、ターンテーブルはベルト・ドライブ型とアイドラー・ドライブ型(リム・ドライブ型)のいずれかだったが、小型モーターを高速回転させる構造上、振動を排除できなかった。DD型は、モーターがターンテーブルと同じ低速で回転するので振動が少なく、S/Nの飛躍的な向上に繋がった。もちろん、専用モーターを独自で開発する必要があり、しかも精度高く滑らかに回転させる必要がある。製品は非常に高価になったが、世界の放送局で採用されるなど、「Technics」の名が世界に知れ渡ることとなる。

 「SP-10」はオーディオ史におけるマイルストーン的な存在であるのは周知の事実だが、石井氏は「SP-10」の誕生秘話についても語ってくれた。同僚がDD型の試作機を完成させたものの、高価でもあり、会社として売れるかどうか確信が持てなかったという。しかし、「SP-10」の革新性に惚れ込んだ石井氏は、1969年の「Technics 50A」製品発表時、当時としては異例の「技術発表」としてDD型の紹介を提案。世の反応を見る算段だ。結果、DD型は想像を上回る高評価で手応えを得て、開発を急いで翌1970年に製品化されることになったという。

 その後、他社もDD型で追随するなど、「SP-10」がオーディオ業界に与えた影響は大きく、また、「Technics」を牽引する大きな原動力になった。

名機「Technics7」の誕生

 独自技術で最先端を行くアンプやターンテーブルの人気が高まる一方で、スピーカーの評判は芳しくなくなってゆく。石井氏によると、スピーカーの出来そのものではなく、評論家が全ての製品を褒める訳には行かず、しわ寄せがスピーカーに行ってしまったのではと振り返る。

 そんな中、1975年、石井氏は、HiFiオーディオ事業部スピーカー開発室室長に就任した。

 テクニクススピーカーの評判を挽回すべく、位相特性に注目。帯域内の位相特性を平坦にそろえた世界初の「リニアフェーズ理論」による「Technics7(型名:SB-7000)」を製品化する。当時、既に、位相を考えてスピーカーを段々にズラしたデザインは存在したが、位相を測定する技術は存在しなかったという。石井氏は、独自に位相測定方法を開発し、「Technics7」は、理論的にも測定上も位相特性を平坦に揃えた、世界初の真のリニアフェーズスピーカーとなった。

石井氏所蔵の「Technics7」。デザインも斬新で、復刻版を期待
リニアフェーズ理論を導入した「Technics7」

 実は当時、オーディオ測定器メーカーとして絶大な信頼を誇る「ブリューエル・ケラー」が位相特性を測れる装置を発売すると発表したことを受け、他社の追随を察知して、「Technics7」の開発を急いだそうだ。その先手が項を奏してか、SB-7000は、世界初のリニアフェーズスピーカーとして10万台にのぼる販売を記録し、後世のスピーカーに影響を与えることとなる。

 SB-7000のドライバーユニットは、フレームが当時HiFiで当然とされていたダイキャストタイプでなく、鉄板をプレスしたもの。理論を解明し、特性が優れたモノを作れば音は良くなる。コストダウンした分は、他の必要な部分に回す。コストバランスの良さが、コストパフォーマンスを最大限に引き出す。常識を踏襲するのではなく、常に研究し、技術で改善を行なうのが、やはり石井流であり「Technics」の流儀に感じた。

技術のTechnicsは新生Tecnicsに継承されるのか

 今回ご紹介した歴史やエピソードから、「Technics」は、既存概念にとらわれないユニークで先進的な技術の数々によって、輝かしい歴史を積み重ねきたことが改めてご理解頂けるだろう。それは、「Technics」を生んだ阪本楢次と石井伸一郎氏が大切にした「技術= Technic」へのこだわりが、一貫して受け継がれてきたからに違いない。

 一旦はその幕を閉じた「Technics」ブランド。新生「Technics」には、どのようにユニークで先進的な技術が詰め込まれているのか、期待せずにいられない。

 次回は、新生「Technics」の取材を予定している。乞うご期待。

石井伸一郎氏の略歴

1934年4月19日福島県福島市生まれ。
1957年 東北大学工学部通信工学科卒、松下電器産業株式会社(現パナソニック)に入社
1960年 「モーショナルフィードバック理論解析」(MFB)を日本音響学会に発表
1965年 「Technics」ブランドを冠した初の製品「Technics1」を製品化
1967年 「Technics」初のパワーアンプ「Technics 20A」を製品化
1975年 HiFiオーディオ事業部スピーカー開発室室長に就任
1980年 日本音響学会に、試聴室の壁を吸音と反射の2種を交互に配置する「新しい試聴室の設計法」(現在の石井式リスニングルームの基本)を発表
1982年 AES(AUDIO ENGINEERING SOCIETY 米国)にて「新しい試聴室の設計法」を発表。
1983年 オーディオ事業部技術部長に就任
1988年 米国ルーカスフィルム社を訪問。その際、同社のスタジオがAES発表(石井式リスニングルーム)を参考に設計されている事を知る
1990年 テクニクスとルーカスフィルム共同開発の「ホームTHXシステム」を発売開始
1994年 松下電器産業株式会社を定年退職。以降、MML(マルチメディアリビング推進協議会)会長として、リスニングルーム・ホームシアターの普及促進に携わる。以降、石井式リスニングルームの研究を続ける

石井伸一郎氏の現況

改訂増補 リスニングルームの音響学

 2007年より、日本オーディオ協会「デジタルホームシアター普及委員会」のWG1(室内音響)主査に就任。以降、リスニングルームの研究に加え、調音技術の教育と普及に努める。

 2014年新著「改訂増補 リスニングルームの音響学: 断然音がよくなる! 視聴ルームの設計・測定・改造法」(誠文堂新光社)を出版。現在も石井式リスニングルームの設計で全国のオーディオファン宅を飛び回り、新規専用建屋、新築住宅、改装まで、手がけた案件は100件を超える。

余談

 石井氏は松下電器産業を定年退社後、電機メーカーでは取り組み難かった、室内音響の本格的な研究に着手。40歳代半ばから趣味のグライダー製作で磨いた工作技術を活かし、精密な模型を手作りし、測定実験で定在波による伝送特性への影響を解明。音が良くなる、理想の部屋の寸法比を割り出した。その後も、研究を続けて新たな知見を得、石井式リスニングルームは進化を続けている。近年では、2001年までパナソニックAVC知的財産権センター長を務めた高橋賢一博士(建築音響)と共に、コンピュターシミュレーションを採り入れ、最適な残響特性と伝送特性を持つリスニングルームの設計補助を行なうソフト開発と、石井式リスニングルームの普及に努めている。

あるリスニングルームの1/10スケール模型(一例)。音響特性の検討に際しては、模型を製作して測定で確認することも。扉やラックなども精密に再現。細部までの拘りに感服
B&W MATRIX 801の模型。見よ、このディテール。リスニングルームの模型検討時はスピーカーも精密に再現。スピーカードライバーも手作り
石井氏邸敷地内の工作室。40歳代半ばから始めた趣味のグライダーは、製作だけでなく、大会で入選するほどの腕前

鴻池賢三

オーディオ・ビジュアル評論家。 AV機器メーカーの商品企画職、シリコンバレ ーの半導体ベンチャー企業を経て独立。 THX認定ホームシアターデザイナー。ISF認定ビデオエンジニア。日本オーディオ協会諮問委員。