藤本健のDigital Audio Laboratory
第1018回
LUNA SEAも驚いたヤマハの「ライブの真空パック」。ロックバンドの演奏再現も夢じゃない!?
2024年9月9日 08:00
ヤマハは、“ライブの真空パック”をコンセプトに、2017年から技術研究・事業開発に取り組んでいる。本連載でも高臨場感ライブビューイングシステムの「Distance Viewing」、楽器の演奏をリアルに自動再現する「Real Sound Viewing」、音響・映像・照明や舞台演出などのデータ形式を統一化する記録・再生システム「GPAP(General Purpose Audio Protocol)」などを取り上げてきた。
9月5日、それらの再現技術がもう一段階進化するのに合わせて、「ライブの真空パック」アンバサダーとして、ロックバンドのLUNA SEAが就任し、就任式が行なわれた。
今回はその就任式会場に行くとともに、LUNA SEAの再現ライブを体験してきたので、実際どんなものなのか、またその背景にどんな技術があるのかを紹介してみよう。
ヤマハの「ライブの真空パック」とは
「ライブの真空パック」って、どういうこと? と不思議に思う方も多いと思うが、これはライブハウスなどで行なわれるコンサートを、まるごと保存し、それをそっくりそのまま再現できるようにする、というものだ。
生のコンサートを再現するという意味では、ビデオに撮ったり、大きな画面に投影するライブビューイングという手法もあるだろう。ただ、ビデオには確かに音も映像も記録されているけれど、その映像を見てもライブハウスならではの臨場感とは異なる。またライブビューイングでさえ、大きいスクリーンの迫力や、多くの人と一緒に見ているとライブ感は味わえるが、実際に会場で見る臨場感とは別物だろう。
それらの違いはどこにあるのか? を技術的に追及して、ライブのすべてを真空パックにして再現できるようにしよう、というのがヤマハの進めているものなのだ。
その真空パックで再現したLUNA SEAのライブを、iPhoneで撮影してみたのが以下の動画だ。
“ビデオでは再現できない臨場感”と言いながら、それをビデオで撮影するという、ちょっと矛盾するようなことをしているが、この1分程度のビデオを見ると、ヤマハがいうところの“真空パック”の意味と、現場で行なわれている仕掛け、カラクリが少し見えてくると思う。
前述のビデオが何なのか、改めて紹介しよう。
これは、LUNA SEAが2023年5月29日、結成34年の記念日に、東京のライブハウス・目黒鹿鳴館において150人限定で行なわれたプレミアライブを、その真空パックのシステムでそっくりそのままヤマハ銀座店の地下スタジオで再現した、というものだ。
インディーズ時代のLUNA SEAは、この目黒鹿鳴館でたびたびライブを行なっていたそうで、32年ぶりにライブを開催。そこにヤマハのチームが入り、裏で真空パックにする作業を行なっていたのだ。
見てお分かりのとおり、この銀座のスタジオにLUNA SEAのメンバーがいるわけではない。
そこにあるスクリーンにビデオが映し出されているだけなのだが、鳴っているのはビデオからの音ではなく、まさにホンモノをそっくりそのまま再現したサウンド。ひときわ目立っているのが、中央にあるドラムだ。
そう、ビデオに映る真矢さんが叩くドラムとまったく同じように、ステージ上のドラムが動き、揺れているのが分かるだろう。ホテルなどでよく見かける自動演奏ピアノのドラム版というと、ピンとくるかもしれない。
よく見てみると、シンバル、スネア、タム、キック……それぞれに加振機というものが取り付けられており、これを使って鳴らしているのだ。
ご存じの方もいると思うが、ヤマハはショールームなどでこのような加振機を使ったアコースティックドラムの自動演奏というのは行なっていたが、それをさらに大きく進化させて、よりリアルに、よりパワフルに演奏できるようにしたのが今回の新システムだ。
ギターやベースをリアルに再現するためのボックスを開発
技術説明で登壇した、ヤマハのミュージックコネクト推進部 企画・開発担当の柘植秀幸氏によると「真矢さんの叩くパワーがあまりにも強く、従来のものでは再現できなかったので、よりパワーのあるものを新開発しました。また、ハイハットもペダル動作を正確に再現できるようにシステムを開発しています」とのこと。会場でもハイハットをMIDIでコントロールできるデモ機が展示されていた。
一方、この銀座のスタジオのステージ上にはギターアンプ、ベースアンプのキャビネットが3つ並んでいる。
それぞれSUGIZOさん、Jさん、INORANさんが演奏するもので、これもまさに彼らが演奏するサウンドがそのまま再現されている。技術的な面においては、このギター、ベースのシステムが今回、初お披露目となる新開発のシステムだ。
先ほどの動画ではなかなか伝わらないと思うが、会場にいると、ドラムとともに、このギターアンプ、ベースアンプからの音が直接届くために、すごい臨場感を出していた。ライブハウスに行ったことがある方ならわかる通り、このサウンドは現場に行かないと絶対に味わえない迫力がある。それは必ずしも爆音でなくても、言えるもので、スピーカーやヘッドフォンでは体験ができない。
なぜスピーカーやヘッドフォンでは再現できないのか?
いろいろな理由があると思うが、まずはドラムのキックやベースアンプ、ギターアンプから直接出てくる重低音。耳で聴くというより、体で感じる音だからこそ、ライブハウスでないと味わえないのだ。また、それらはマイクで正確に収録できないこと、スピーカーで再現できないというのもあるだろう。またギターアンプ、ベースアンプ、ドラムなどがリアルに配置されているからこその立体感というのもあるはずだ。
では、そのギターやベースをリアルに再現するシステムとは、どのような仕掛けになっているのかというと、ここにはいわゆる“リアンプ”の技術が使われている。
リアンプについてご存じない方も多いと思うので簡単に説明しておこう。まずエレキギターやエレキベースは、演奏した音をヘッドアンプで歪ませたり、増幅させた上で、キャビネットから音を出す形になっている。またライブ会場においては、通常、ヘッドアンプ+キャビネットによるアンプから出てきた音をマイクで拾い、そのままPAからも出す構造になっている。
そこで、ギターから出た弱い電気信号の音をそのままDAWにレコーディングし、今度はそれを再生してアンプから音を出す、というのがリアンプというもので、現在のレコーディングでは頻繁に利用されている。これを行なうことで、演奏はそのままに、あとから自由に音作りができるため、活用されているのだ。
ただ、柘植氏によれば「リアンプの仕組みを使ってエレキギター、エレキベースの再現を試みたところ、大きな課題に直面しました。このリアンプにおける録音の際にはダイレクトボックス、再生の際にはリアンプボックスという機材を使うのですが、これらを通すことでかなり音が変化してしまい、そのままの音で再現することができなかったのです」という。
少し補足すると、一般的なオーディオの入出力は、ローインピーダンスとなっているのに対し、エレクギターやエレキベースはハイインピーダンスとなっている。ギターアンプやベースアンプの入力はハイインピーダンス対応になっているので問題ないが、オーディオインターフェイスへ入力する場合には、そのまま接続すると、インピーダンスのミスマッチが生じて、音質が大きく劣化してしまう。
そのため、ハイインピーダンスからローインピーダンスに変換する際にはダイレクトボックス、反対にローインピーダンスからハイインピーダンスに変換するのにリアンプボックスというのを用いるのだ。そうしたダイレクトボックス、リアンプボックスはさまざまなメーカーから発売されているが、これらを試したら音が変わってしまったというわけだ。
実際、ダイレクトボックスによる周波数特性の変化をグラフで表示させると、かなり極端に変わっているのが分かる。さらに、そこで変化した音をリアンプボックスで出力させると、もっと大きく変わってしまい、「真空パック」という目的からはズレてきてしまう、というのだ。
「そこで、ダイレクトボックス、リアンプボックスを統合的に設計しながら、元の音と限りなく同じ音を再現するシステムの開発に成功しました。それが今回使っているダイレクトボックス、リアンプボックスです」(柘植氏)
ちなみに、オーディオインターフェイスにはヤマハの「RUio16-D」を利用している、とのことだった。
照明も鹿鳴館で行なわれた演出を再現
もうひとつ、ビデオでは得られない臨場感の理由として挙げられるのが照明、ライティングだ。先ほどの動画からも分かる通り、ライブを再現していたヤマハのスタジオの中で、照明が照らされるとともにレーザービームが飛び交っていたのが確認できたと思う。
実はこの照明、鹿鳴館で行なわれたのとまったく同じ演出になっている。しかも、スクリーンのビデオ、ドラムやベース、ギター、そしてボーカルと完全に照明が同期しており、ライブ当日と同じものが再現されている。
先ほどのドラムがMIDIを使ってコントロールしていたのに対し、照明はDMXという通信システムを使っている。
レーザーはILDAというシステムを使ってコントロールしているのだが、これらがすべてピッタリ同期しているのは、ヤマハが開発したGPAP(General Purpose Audio Protocol)というシステムが利用されている。
このGPAPについては、以前の記事「ライブ丸ごとWAV保存!? ヤマハの世界初“ライブ真空パック”システムが凄い」で詳しく紹介しているので、詳細は割愛するが、簡単にいうとMIDIやDMX、ILDAなどを音に変換してDAWに記録する、という仕組みだ。
音に変換するというのはどういうことかというと、8ビット時代のコンピュータのプログラムやデータをカセットテープに記録したり、パソコン通信時代やインターネットの初期にモデムを使って通信していたのと似た仕組み。つまりデジタルデータを「ピー」「ガーーー」という音に変換した上でDAWのトラックに記録してしまう、というわけ。
かなりローテクというか原始的な手段を使っているけれど、これによって、複雑な規格・フォーマットの違いを乗り越えて、DAWですべて一括管理することができ、クロックやフレームレートの違いを気にすることなく、映像も音も含めて、同期できるのだ。
ライブ担当のPAエンジニアが「真空パック」を開封
そしてもう一つ、真空パックの実現で大きな力を発揮していたのが、PAエンジニアの人的パワー。
LUNA SEAのライブにおけるサウンドはPAエンジニアの小松久明氏がオペレーションしていたが、その小松氏が、この銀座のスタジオでも同じ音になるようチューニングを行なっていた。
ライブにおけるサウンドエンジニアの仕事は本当に多岐にわたるが、具体的に上げるとギターアンプやベースアンプへのマイキングや、その音をPAを介して鳴らす際の音量調整や音質調整、同様にドラムへのマイキングやその調整、そしてもちろん、ボーカルを含めたすべての音のバランスをとり、最適な音に仕上げていく。それをライブ当日に行なったエンジニアが、真空パックの開封をするのだから、再現度が一段と高まるのは必然だろう。
そんなライブの真空パックによる再現ライブを、LUNA SEAのSUGIZOさん、Jさんはどう感じたのか。
「僕らライブのやり手として唯一叶わないのが、“ライブを行なっている僕らの姿を見ることができない”ということ。でも今、僕たち見てみたんです。いや、もう本当になんていえばいいのか……。自分のライブを外から見ることは基本的に不可能だったけれど、初めて見てちょっと恥ずかしいけど、感動します。これ、夢の塊じゃないですか。僕らのライブが100年後、500年後に残る。そこにとてもロマンを感じて、『ライブの真空パック』のアンバサダーに就任されていただきました」とSUGIZOさん。
「僕自身、ベースという楽器を担当していまして、バンドサウンドにおいてすごく重要なところを占める楽器でもあります。今回の真空パックの話を最初に聞いたとき『僕が演奏した音と違っていたら嫌だなぁ』という不安を持っていたんです。ところが僕が弾いたタッチとまったく同じ。これは本当にとんでもないことが起きているんじゃないか、と」とJさんは話す。
ただ、柘植氏によるとまだ完璧というわけではなく、開発途上であるとのこと。例えばシンバルを叩いた際、どこを叩くかによって音のニュアンスに違いが出てくるが、現在の加振機ではそこまで再現できていないなど、課題はまだまだあるようだ。
一方で、この“ライブの真空パック”のシステムは、まだ一般化されていないため、映画のように全国各地同時実演といったことはできない。ライブ本番と同様のドラム、ギターアンプ、ベースアンプや照明システムが必要となるし、そこにセッティングする加振機やリアンプボックスなどを用意するのも、まだすぐには難しそうだ。
また、小松氏のようなサウンドエンジニアが必須となると、そこにも課題が残る。この辺もより汎用化して、誰でも簡単に再現できるようになると、本格的な実用化へと近づいていく。こうした点において、さらなる進化を期待したいところだ。