藤本健のDigital Audio Laboratory

第649回:イヤフォン時代ならでは!? アルバム全曲バイノーラルマイクで録音したユニット「赤と嘘」に聞く

第649回:イヤフォン時代ならでは!? アルバム全曲バイノーラルマイクで録音したユニット「赤と嘘」に聞く

バイノーラルマイクを使ったゾクゾクする作品登場

 サウンドを立体的に録音するためのバイノーラルマイク。このDigital Audio Laboratoryでも過去何回かバイノーラルマイクをテーマにした記事を書いたことがあったが、このマイクを活用してユニークな活動をするアーティストが登場してきた。鈴木Daichi秀行さんがプロデュースをする、「赤と嘘」というユニットによるアコースティックギターの弾き語りの作品だ。

左からDaichiさん、森翼さん

 先日、そのレコーディングが終わった直後にDaichiさんがFacebookにバイノーラルマイクを使ったレコーディング風景の写真を載せていたので、お願いしてそのサウンドをちょっと聴かせてもらったところ、ゾクゾクしてしまう、すごいサウンドだったのだ。

収録に使われたバイノーラルマイク

 9月10日にCDのアルバムをリリースするとのことだが、iTunesでは9月5日に先行販売を開始し、9月16日からは96kHz/24bitのハイレゾ版がmoraやe-onkyo musicで配信スタートする。そのCDリリースを前に非圧縮のWAVの音源の一部を切り出したサンプルをいただいたので、ここで公開するとともに、バイノーラルマイクによる作品を作った背景や、実際どんな機材を使っているのかなどを伺ってみた。

作品の配信や中継にネットを活用。遠足まで!?

 鈴木Daichi秀行さんは、ハロー! プロジェクトやジャニーズ事務所関連の楽曲の編曲や、絢香、家入レオ、いきものがかり……といったアーティストのサウンドプロデュースや編曲などを行なう、日本を代表するアレンジャーであり、プロデューサーでもある。

 そのDaichiさんが今年4月に自らレーベル「STUDIO CUBIC RECORDS」を立ち上げるとともに、さまざまな実験的活動を行なっているのだ。現在このレーベルに所属しているのは「赤と嘘」というユニット。正確にいえば、森翼さんというシンガーソングライターのソロユニットであり、バーチャル的な意味も含めたチーム名とのこと。今回、Daichiさんと森翼さんに、いろいろと話を聞いてみた。

Daichiさん

――まずはDaichiさんが立ち上げたレーベルについてお伺いします。これはどういう経緯で始めたものなのですか?

Daichiさん(以下敬称略):レコード業界、音楽産業がしぼんでいく中、何か新しいことはできないだろうか……と考えていました。これまで、プロデュースやアレンジの仕事は数多くやってきましたが、気が付くと、世の中、大きな企業に頼らなくても、個人でなんでもできる環境が整ってきました。レコーディングだってできるし、できあがった曲は配信サイトにアップすれば、2日でiTunesなどで販売できるようになっています。

 一方で、一番大変だといわれているライブハウスで積極的に活動しているアーティストがいっぱいいます。僕はライブハウスのビジネス的な感覚はないので、あまりよく分からないですが、ライブハウスで活動しているアーティストと一緒にレーベルを始めれば、何か面白いことができるんじゃないか、と思ったんですよ。

――そのアーティストが、森翼さんだったんですね。

Daichi:翼君は、もともとソロで活動していたアーティストで、僕がずっとプロデュースをしてきたんです。レコード会社などの環境が変わったこともあり、今年の4月3日、STUDIO CUBIC RECORDSの第1弾として「赤と嘘」の「あの時君になんて言えばよかったんだろう」という7曲入りのCDアルバムをリリースしました。

 赤と嘘は翼君のソロではあるけれど、いろいろな人が実験的に関わるチーム名みたいなものなんですよ。

STUDIO CUBIC RECORDSの第1弾、「あの時君になんて言えばよかったんだろう」
森翼さん

森さん(以下敬称略):もともと関西で活動していたのですが、7年前に上京して事務所に所属しました。その事務所から紹介してもらったプロデューサーがDaichiさんでした。それ以降、毎日のようにDaichiさんの自宅兼スタジオに遊びに行って、音楽に関する事から個人的な事まで、相談させてもらってきました。仕事の関係というよりも、本当に一人の人間として成長させてもらったので、プロデューサーとアーティストというよりは“師匠と弟子”という感覚ですね。

――実際CDの流通はどのようにしているんですか?

Daichi:流通を大手にお願いしたら、これまでとあまり変わらないので、今のところCDはライブに来てくれた人への手売りのみです。それでもすでに700枚ほど売れているので、まずまずじゃないかなと思っています。

 一方で配信は「TUNECORE」というサイトを利用して、iTunesやレコチョクで行なっています。これがとっても簡単で便利なんですよね。そのファーストアルバムに続いて、第2弾もすぐに取り組みました。もともと翼君はストリートでの弾き語りをやっていたのですが、ストリートで歌っていた曲にはCD化されていないものも多くあり、ファンからは音源が欲しい、という声がいっぱいあったんです。それなら、「配信限定で出してみよう」ということを二人で決めて、すぐに「Street」というアルバムのレコーディングに取りかかりました。そして、そのレコーディング風景をそのままUSTREAMで配信してみたところ、結構多くの人が見てくれたんですよね。

アルバム「Street」

森:本当にそのまま流していたので、失敗テイクもそのまま流れていきましたが、そうした過程を見てもらうことで、その曲に対する愛情も持ってもらえるかな、と。でも、レコーディングが終わったときには、お客さんも達成感を感じてくれたみたいで、本当にみんなで作り上げたアルバムという感じでしたね。

Daichi:USTREAMなどをやっていると、お客さんから直接たくさんの声が寄せられるのが新鮮で面白いですよね。今までは、“レコーディングしました”、“CDが発売になりました”、“プロモーションしました”……という仕事の流れだけで、曲を聴いてくれたお客さんの反応というのは、なかなか届きませんでしたから。

 この2つ目のアルバムを出して面白かったのは、「CDが欲しい!」という声がたくさん集まったことでした。歌詞カードが欲しいというのもありましたが、特にライブに来てくれるお客さんの場合、アイテムとして欲しいんだな、と。そこで、この配信限定アルバムをリリースしたすぐ後に、この曲を中心にアコースティックライブを行なったんですが、ここに来てくれた人全員にCDを配ったんですよ(笑)。もう、みんな曲はダウンロード購入してくれていたんで、プレゼントですね。

――すごく実験的なことをいろいろやってますね!

Daichi:さらに、半分遊び、ネタとして、このライブの物販において、このアルバムをUSBメモリに入れたハイレゾ音源を持って行ったんですよ。もともとレコーディングは96kHzで録っていましたが、iTunesだと圧縮されちゃう。かといって、そのまま配信すると、容量が大きすぎてダウンロードも大変だろうからUSBメモリに入れたわけです。ちょっとオシャレな感じのデザインのものに入れ、サインも入れて……。

 そんなマニアックなもの、売れるわけないと思っていたけど、その日持ち込んだ30個は即完売。「すごい欲しい!」って反響がきて、追加、追加していった結果、これまで100個くらい出ましたよ(笑)。

――ちなみに値段設定ってどうしているんですか?

Daichi:配信のアルバムは1,400円なのに対し、USBメモリのほうは2,000円。多少プレミアをつけた感じですね。その後、ハイレゾウォークマンを持っているお客さんから「すごく音がいい!」って言ってもらえましたが、本当にお客さんからダイレクトで声がどんどん返ってくるのは楽しいですね。

 レコーディング時のUSTREAMだけじゃなく、普段からツイキャスやSHOWROOMなんかを使った生放送もよくやっています。そこでのコミュニケーションを利用して、物販で扱うグッズなんかも企画しているんです。今度はiPhoneのケースを作ろう……とかね。でも、冗談の中から生まれて実現したことなんかもあるんですよ。

――どんなグッズですか?

森:グッズではないのですが、「遠足したいよね」なんて話をしてたら、「行きたい!」って人がいっぱいいて、じゃあやってみようか、ということになったんです。

Daichi:もちろん、どれだけの人数が集められるかによって、できることも変わってきます。そこで、人数を募ってみたところ、結構集まったので、バスをチャーターして先日マザー牧場への遠足をしてきたんですよ。マザー牧場にギター持ち込んで歌ったりね。本当に手作りな企画ではあるけれど、楽しいですね。さらに10月には河口湖のリハーサルスタジオでの一泊旅行も企画してところです。

――いずれにせよ、それほど大規模ではないようですが、実際、ビジネスとしてどうなんでしょう?

Daichi:レコーディングは全部ウチでやっているので、費用的な持ち出しはゼロ。とはいえ、それほどの数のCDが売れるわけではないので、CD単独で見ると収支は厳しいけれど、ライブや物販、さらには遠足などさまざまなものをトータルで見れば全然やっていけるレベルですよ。メジャーでの活動とはだいぶ違うけれど、メジャーにいたって、なかなか厳しいのが実情です。インディーズとしても、こうしたいろいろな実験をしていくことで、それなりにやっていく場所ができるんだな、というのが今感じているところです。

イヤフォンで聴く人が多いからこそ、バイノーラルが面白い

――話が面白くて、いろいろ伺ってしまいましたが、ここからが本日の本題。バイノーラルマイクを使ってのレコーディングについてお聞かせください。そもそも、バイノーラルマイクでレコーディングしようというのは、どんな意図だったんですか?

Daichi:2つのアルバムを出して、次に何をやろうか……と模索している中、翼君の声をどうやったら、もっとうまく聴かせることができるんだろう……と考えたときに、バイノーラルマイクで録るということを思いついたんです。バイノーラルマイクって昔からあるけれど、僕自身はほとんど使ったことなかったんですよね。今、みんなイヤフォンで聴いているわけだから、バイノーラルマイクで録るって、すごく面白いんじゃないか、と。

森:確かに自分自身を含め、みんなヘッドフォン、イヤフォンで聴いてますよね。スピーカーで聴くってシチュエーションがほとんどなさそうだし、あるとしたら、スマホの内蔵スピーカーを使うくらいだから……。

Daichi:今って音楽を聴いた時に、驚きって、そんなに多くはないですよね。そもそも表現できる枠もあるし……。映画なら3Dとか、さらには振動とか水しぶきがある4Dみたいなものもありますが、音楽にはそれがない。でも、バイノーラルマイクを使えば、すごく新鮮な驚きがあるんじゃないかな、って。

――Daichiさん自身、バイノーラルマイクって使ったことはなかったんですか?

Daichi:人が使っているのは見たことあるけれど、自分ではないんですよ。昔から割と奇抜な存在だったし、実際の利用シーンにおいてもドラムのアンビエンス録りに使っているのを見たくらいです。そこで、ネットなどでいろいろと調べた結果、3Dioという会社の「Free Space Pro II」というのを購入しました。

3Dioの「Free Space Pro II」

――3Dioって、初めて聞いたメーカー名ですが、マイクの世界で有名だったりするんですか?

Daichi:僕も全然知らなかったです。バイノーラルマイクというと、昔からNeumannの「KU 100」というダミーヘッドのものが有名ですが、100万円以上するのでなかなか手が出せないのと、あれ、顔が怖いじゃないですか。あんな怖い顔を目の前においてレコーディングすると、アーティスト側も委縮しちゃうだろうと思って、ほかにいいものがないかを探してみたんです。

3Dioの「Free Space Pro II」

――以前、この連載記事において、イヤフォン兼マイクという形のものを実験的に使ったことがありましたが、それとも違うんですよね。

Daichi:直接使ったわけではないのですが、ネットでの情報などを見ていると「ツバを飲み込んだだけでも音が入ってしまう」なんてことを知り、音楽のレコーディング用としては、あまり現実的ではないな…と思いました。その一方で、立体的に録音するには、耳の形状が非常に重要である一方で、顔の形そのものは、あまり影響しないということを知り、それだったら顔のないの「Free Space Pro II」がいいのでは……ということになったわけです。実際、YouTubeなどで音を聴いてみたらすごくリアルだったので、良さそうだな、って。これで翼君の弾き語りを録ったサンプルがあるので、まずはこちらを聴いてみてください。

――ちょっとゾクゾクしてしまうほどにリアルですね。

Daichi:まさに“目の前でギターを弾いて歌っている”という情景がわりますよね。歌いながら顔を動かすと、それがリアルに伝わってくるというのは、なかなか不思議で新しい感覚だと思います。このサンプルは44.1kHz/16bitのサウンドですが、ハイレゾ版で聴くとさらにリアルですよ。

収録風景

――マイクはこのバイノーラルマイクだけで録っているんですよね? エフェクトなどはどうしているんですか?

Daichi:はい、マイクはこれ1つだけの、一発録りです。32bit/96kHzでPro Toolsにレコーディングしているのですが、ほとんど何もしていないですよ。このバイノーラルをRupert Neve Designsの「Portico 5024 Quad Mic Pre」というマイクプリに突っ込んでいるだけ。まあコンプだけ軽く掛けていますが、コンプにはDANGEROUSのCOMPRESSORというものを使っています。DANGEROUSなんて名前ではありますが、すごくシンプルで使いやすいコンプなんですよ。あとは、そのままだと、さすがに生々しすぎるので、軽くリバーブはかけていますね。

Rupert Neve Designsの「Portico 5024 Quad Mic Pre」
DANGEROUSのCOMPRESSOR

――結果的に、想像していた通りに録れた、という感じですか?

Daichi:想像以上でした。僕もバイノーラルマイク、舐めていたんですね。まあ、そこそこの音で録れる程度だろうと思っていたんですが、かなり高品位で聴こえます。しかも左右はもちろん、上下とか前後とかもよく分かるんですよね。これも44.1kHz/16bitのものですが、トークを録ったものがあるので、聴いてみてください。結構面白いと思いますよ。

――すごいですね、これ!! 確かに、上下や前後をハッキリと知覚できます。耳元で囁かれるのは、かなりゾワゾワしますね(笑)。これスピーカーで聴くとどうなるんでしょう?

Daichi:普通に聴こえますよ。ヘッドフォンやイヤフォンで聴くような立体感はなくなってしまいますが、普通のステレオ作品として聴くことができるし、バランスも悪くないと思います。

――これまでバイノーラルマイクで録った作品って、いくつかありましたが、アコースティックサウンドをそのまま録る音楽作品ってあまりなかったように思います。

Daichi:僕もあんまり知らないです。だいぶ昔に、小山田圭吾さんのCorneliusのアルバムに「MIC CHECK」という面白いのがありましたが、あれも喋っているものでしたからね。

 今回の作品のヒントになったのは、コミケなどで売っている声優さんのドラマCDです。最近、声優さんがセリフをバイノーラルマイクで喋る作品というのが流行っているらしいのですが、実際聴いてみると音もリアルなんですよね。だったら、歌でもできるんじゃないか、と試してみたわけです。これを聴けば、お客さんにとっても、聴こえ方として新しいんじゃないかな。ぜひハイレゾで聴いてみてほしいところですね。

――バイノーラルマイクで録った音において、96kHz/24bitのようなハイレゾと44.1kHz/16bitではどんな差が出ますか?

Daichi:立体感という意味では、大きく違いはないと思います。でも、ハイレゾだと、明らかに空気感は出てくるので、よりリアルな歌声になってくると思いますよ。

――最後にこのバイノーラルマイクで録った作品について改めて紹介していただければ。

Daichi:9月10日に新譜発売記念ライブを行なうのですが、ここで「タイムマシン赤盤」、「タイムマシン嘘盤」という4曲入りの2枚のシングルを出します。

「タイムマシン赤盤+嘘盤」

 すべてバイノーラルマイクで録っているものですが、配信においては「タイムマシン赤盤+嘘盤」として2つのシングルをまとめたアルバムの形でリリースします。TUNECOREのサイトに行くと、配信サイトへのリンクがあるので、それで確認していただくのが早いですが、9月5日よりiTunesおよびAmazon Musicで配信スタートしており、9月16日よりハイレゾ版をe-onkyo musicおよびmoraで発売する予定ですので、ぜひ聴いてみてください。

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タイムマシン 赤盤+嘘盤

――ありがとうございました。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。EPUBマガジン「MAGon」で、「藤本健のDigital Audio Laboratory's Journal」を配信中。Twitterは@kenfujimoto