鳥居一豊の「良作×良品」

ヘッドフォンの頂。オーディオテクニカ「ATH-ADX5000」で、命を救う男の物語「ハクソー・リッジ」を“聴く”

 ヘッドフォンの人気がとどまるところを知らない。次から次へと音の良いヘッドフォンが登場し、ヘッドフォン愛好家にとってはうれしい状態が続いている。ちょっと前までは20万円となると相当な高級機であったが、いまや様々なメーカーやブランドから発売され、驚くような高価格とは感じにくくなってしまった……。このクラスとなると今までに聴いたことがないような音に驚かされるものばかりで、「もう、スピーカーなんていらないんじゃないか?」とさえ、思わされることが多い。今回の良品として取り上げるオーディオテクニカの「ATH-ADX5000」(実売258,000円/税込)もそんなモデルのひとつだ。

 ATH-ADX5000は開放型オーバヘッド・ヘッドフォン。それまでのオーディオテクニカ“エアーダイナミック”シリーズの最上位モデル「ATH-AD2000X」が実売で5万円半ばだったから、かなり高価な設定となった。密閉型と開放型の両方を手掛ける同社だが、ATH-ADX5000は開放型。国内市場では密閉型が人気だが、世界のハイエンドヘッドフォンを見るとその多くは開放型だ。少なくとも世界のハイエンドの市場では、開放型の優秀なモデルを持たないメーカーやブランドは認知されにくい。オーディオテクニカとして、ハイエンド市場に本格的に参入する意欲的なモデルというわけだ。

ATH-ADX5000の外観。ハウジングは六角形の孔の空いたパンチングメタルで保護され、内部のユニットが見える

 使用するユニットは口径58mmのバッフル一体型ドライバー。硬質樹脂(PPS)成型されたバッフルと一体化することでパーツ構成を削減し、不要な音の歪みを徹底的に減らしている。振動板はタングステンコーティングによりレスポンスを向上。タングステンは比重の重さと硬さで知られる金属で(砲弾、鉄鋼弾の弾芯、白熱電球のフィラメントとしても有名)、金属を切削加工するときの刃(炭化タングステン)に使われるレアメタル。スピーカーやヘッドフォンの振動板には、理想的な物理特性を求めてさまざまな素材が使われてきたが、タングステンは珍しい。あまり使われたことのない素材の採用を含めて、求める音があったというわけだ。

 そんな振動板を駆動する磁気回路は、ドイツ製のパーメンジュール磁気回路を採用。かなりの物量が投入されたドライバーユニットとなっている。

 ハウジングはアルミをベースとし、振動板およびバッフルを支えるダンパーがハウジング内の音響空間を1/2に仕切る位置にボイスコイルが配置される構造「コアマウントテクロノジー」を採用した。

 また、ケーブルは着脱可能で、ハウジング側のコネクターはA2DCコネクターとなっている。ヘッドフォンアンプ等と接続する側は6.3mmの標準プラグだ。

アルカンターラ製のイヤーパッドを外したところ。保護用のカバーの丸い孔の奥に振動板が見える。周囲の半透明の部分はダンパーだ
ハウジング部。空気の抜けを良くするため、ロゴマークさえもパンチングメタルの奥にあるというこだわり。ちなみに中央付近にはシリアルナンバーが刻印されている
左右に接続するコネクターはA2DCタイプの着脱式。オプションでバランス接続ケーブルも用意されている
付属ケーブルのA2DCコネクター。コネクターのボディにRIGHT/LEFTがわかりやすく記され、ホールドしやすいようにローレット加工も施されている
付属の接続ケーブル。長さは3m。左右独立4芯構造で、6N-OFCとOFCを組み合わせたハイブリッド導体を採用している
ハウジング下部にある接続端子部。当然ながら金メッキ仕上げとなっている

 さっそく開梱。ヘッドフォンとしては大きな外箱だが、高級モデルではこれは一般的。外箱を空けると、中にはハードケースが収められており、ヘッドフォン自体もケース内に収納されている。こうした豪華な収納ケースはハイエンド級のヘッドフォンでは標準装備。過剰な装備と思う人もいるとは思うが、ユーザーの所有欲を満たすこともこうした高級品では欠かせないポイントだ。収納ケースには、ヘッドフォン本体と着脱可能なケーブル(3.0m)、取扱説明書が入っている。

ATH-ADX5000の外箱。シンプルなデザインで、外観的な特徴である開放型ハウジング部をクローズアップしている
上質な仕上がりのキャリングケース。持ち運び用にハンドルも付属している
ケースを開けたところ。本体と付属の接続ケーブルなどを安全に収納できる

 実際に持ってみると驚くのがその軽さだ。約270gと、重めのものでは500gくらいのものもある大柄なオーバーヘッド型とは思えない軽さだ。前述のバッフル一体型のドライバーの採用だけでなく、部品点数を減らすことで軽量化を徹底している。

 デザイン上のアクセントにもなっている六角形のアルミ製パンチングメタルだが、円形のパンチングよりも開口率が高いということで採用されたという。ただし加工は難しく、日本の職人の手で仕上げられている。

 ハウジングを支えるアームやフレームなども細身でちょっとひ弱に見えるが、軽量なマグネシウム製とすることで十分な強度を備える。片手で持っても軽々と持ち上がり、しなったりするような不安を感じない強さも備えているので、手に持ってみると不思議な感覚がある。

片手でひょいと持てる軽さはちょっと驚く。それでいて各部は頑強な作りで、細身のわりにひ弱さはまるで感じない

 さっそく装着してみる。手に持っていても軽いのだから、装着してしまうと重さはほとんど感じない。大きめのイヤーパッドとヘッドバンドには、イタリア製の合成皮革アルカンターラを使用。肌触りがよく、耐久性と通気性に優れた素材で、起毛加工されているのでなめし革の冷やっとする感じもなく、肌に優しくフィットする。入念に調整したという側圧もちょうどよい感じで、しっかりと頭部全体でホールドされる感じだ。

装着イメージ。ハウジングは大きめで、なかなかに大柄な印象。音が漏れる開放型なので屋外利用や携帯性は考慮されていない
真横からの装着イメージ。ハウジングの大きさがよくわかる。厚手のイヤーパッドが全周に渡ってフィットするため、すき間などはほとんど生じない
フレーム部分にある調整のためのスライダー。カチっとした感触で位置が固定され、不要にずれたりすることはなかった

ステレオ再生でその実力を確かめる

 さっそくその音を聴いてみよう。使用した機器は、ヘッドフォンアンプがOPPO Digitalの「HA-1」、USB DACはCHORDの「Hugo2」、PCはMac miniで再生ソフトは「Audirvana Plus 3.1.2」だ。ちなみにATH-ADX5000はインピーダンスが420Ωと高めの部類となるので、ヘッドフォンアンプは必須。OPPOのHA-1でもハイゲインに切り換え、ボリュームもいつもより大きめとして聴いている。ふだんより音量は大きいくらいだったが、そういう音量で聴くたくなる音なのだ。

今回の視聴システム。OPPO HA-1はMac mini→Hugo2とアナログ接続。BD再生はOPPO BDP-105D JAPAN LIMITEDからアナログバランス接続している

 まずは、聴き慣れたクラシックのオーケストラ演奏を聴いたが、第一印象として「ヘッドフォンの音とは思えない」。簡単に言うとスピーカーで聴いているような、自分の居る空間に音が満たされ、それを聴いているようなイメージだ。といっても、ヘッドフォン特有の鳴り方である頭内定位を解消するような特殊な構造、あるいは電気的な補正が加わっているわけではない(オーディオテクニカは、そのあたりについては極めて正統派な設計で、シンプル・イズ・ベストに徹している)。だから、中央に定位する音は頭の中に定位する。だが、その音の広がり方が異様だ。

 筆者自身も、ATH-ADX5000をはじめとする、ここ最近のヘッドフォンを聴いていて改めて気付いたのだが、ヘッドフォンの音はハウジングの音がする。自分の両手で両耳を覆ってみよう。両手(ハウジング)があることで、周囲の音がこもった感じに聴こえるはずだ。ヘッドフォンは大なり小なりそういう耳を塞がれた感じの音になる(カナル型の場合は自分の指を両耳に突っ込んだときの音がする)。開放型はそういう感じを解消するための方式だし、どのメーカーもこれを解消するためにハウジング構造などを工夫し、解消できないまでも音を出したときのマッチングも含めて音を仕上げている。

 ATH-ADX5000にはハウジングの音がしない。だから、宙に浮いたスピーカーが自分の耳のすぐそばにある感じがするし、もっと言うとドライバーユニットが宙に浮いているような感じがする。

 結果的に、ATH-ADX5000を装着しても遮音性はほとんどない。(音を出していなければ)周囲の音が違和感なく普通に聴こえる。音を出せば周囲の音は相当な騒音でない限り耳には入らないので防音室は必要ないが、静かな環境で音を聴くことを想定した作りだ。

 この「ユニットの音だけが聴こえる」というものは、現代のハイエンドスピーカーでも追求されているもので、振動板の素材の吟味はもちろん、エンクロージャーに石や金属などを使って無共振を徹底したモデルもある。その結果、入力された信号以外の音が出ないので、音楽信号の純度が上がるし、音色の正確性も高まるという理屈だ。スピーカーの場合は部屋の環境で音が変わるのでルームアコースティックも追求する必要が生じるが、ヘッドフォンでは、部屋の影響は無視できるほど小さいだろう。結果として、恐ろしいほどの情報量と純度の高い音の洪水に圧倒されることになる。

 オーケストラが一斉に鳴らす音は楽器のひとつひとつがわかるほどにきめ細かく、左右の広がりと奥行きまでリアルに再現される。ホールの響きも部屋の響きの混じらないホールそのものの響きだ。金管楽器の力強いトーンは鋭い鳴り方をするが、決して耳障りなキツさはない。エネルギッシュでなめらかなのだ。

 この感じは、ダイナミック型というよりも、現代のハイエンド級ヘッドフォンで注目されている平面型ドライバーのモデルに近い。歪み感が少なく、不要な音がしない、みずみずしい再現だ。それでいて低音のパワー感が素晴らしい。コントラバスの弦を擦ったときに胴が震える感じまでリアルに伝わる。どちらかというと量感の少ないタイトな低音なのだが、最低音域まで伸びる音域の広さ(スペック上の再生周波数帯域は5Hz~50kHz)と、大きなエネルギーをしっかり鳴らす瞬発力の高さも合わせ持つので、物足りなさはない。鮮烈と言っていいほど、堂々としたスケールを味わわせてくれる。これは、構造上大振幅が苦手で低音のエネルギー感を出しにくい平面型にはないところ。ダイナミック型の面目躍如といったところだ。

 オーディオテクニカに、平面型ドライバーのモデルの製品予定はないのか? と聞いたことがあるが、当然研究はしており、平面型ドライバーを否定しているわけではないという。ただし、使い慣れたダイナミック型ドライバーにもまだまだ伸びしろはあり、現時点ではダイナミック型ドライバーを極める方が求める音に近づけた、という話だった。それがATH-ADX5000のことであるのは言うまでもない。

 ステレオ再生の音の紹介は本筋ではないのだが、思いのほか長くなってしまった。実は、今回の良作にしようかと思っていた「機動戦士ガンダム サンダーボルト2 バンディット・フラワー」(BD/DVD、UHD BDが発売中)のサントラ盤(FLAC 96kHz/24bitでe-onkyo musicなどで配信中)も聴いた。前作のテンションの高さをさらに上回り、狂気と言えるほどの緊張感に痺れる音楽も、その激しさとダイナミックな音の躍動に感激したし、手持ちの曲を全部聴き直したくなるくらい、時間を忘れて音楽に耽溺してしまった。

機動戦士ガンダム サンダーボルト2 バンディット・フラワー(e-onkyo musicで購入)

 話を戻して、今度はバランス出力だ。空間感はさらに広がり、しかも音像の彫りの深さまでも増している。映像的には画角を広角にしてよりワイドになったのに、個々の被写体はズームアップしたようにディテイルが増しているという矛盾したイメージになる。レンズの質が1ランクも2ランクも上がったような感じだ。小さな音から一気に大きな音へと吹き上がっていくような演奏では、エネルギー感がさらに増し、音の躍動感が増している。低音はもはやタイトとは言えない質感で、オーケストラのステージの床が鳴っているような(実際コンサートホールのステージの床は鳴る。そうやって音圧を稼いでいる)、唸るような低音の響きまで聴こえてくる。もともと鮮烈な音の出方をするのだが、バランス接続となるとさらに目が覚めるような鮮やかさとなる。

 ATH-ADX5000は実売で25万円を超えるが、これに別売のバランス接続ケーブル「AT-B1XA/3.0」(実売価格42,980円/税込)を組み合わせると約30万円だ。本機の価格は25万円ではなく、30万円だと考えた方がいい。つまり、バランス接続ケーブルは必須だ。

AT-B1XA3.0の外箱。バランス接続ケーブルとしても高価な部類に入るものなので、外箱も立派だ
AT-B1XA3.0の外観。A2DCコネクター採用で、バランス端子は4極XLR端子。導体は付属ケーブルと同じ、6N-OFC+OFCのハイブリッド導体だ。
AT-B1XA3.0のコネクター部。XLRは4極でノイトリック製のコネクターを採用。ヘッドフォン側はA2DCコネクターだ。

「ハクソー・リッジ」を「DTS headphone:X」で聴く!!

 ATH-ADX5000の音については、すでに他の雑誌やメディアでも紹介されているが、筆者は最初から映画で視聴すると決めていた。初めてATH-ADX5000を聴いたとき、すでに「これは映画で使える」という手応えがあったからだ。

 映画で使えるというのは、低音のエネルギー感だ。これがないと、どうしてもアクション映画の轟音が物足りなくなる。しかし、低音のエネルギーを最優先してしまうと、有り余った低音のエネルギーが中低音に影響し、解像感の低下に繋がってしまう。オーバーヘッド型のヘッドフォンに限れば、基本的にフルレンジで全帯域をカバーするので、サブウーファーとメインスピーカーで鳴らす映画の音は難しいのだ。

 ATH-ADX5000は、これだけの低音が出て、しかもトップクラスの解像度の高さも両立しているのだから、これで映画を聴いたら凄いことになると感じていた。

 というわけで、良作の出番だ。前述の「機動戦士ガンダム サンダーボルト2 バンディット・フラワー」は、前作同様に音楽が重要な役割を果たしているので2.1chとはいえ音響はよく出来ているし、ステレオ再生用のサントラもハイレゾだ。これもなかなか捨てがたかったのだが、最終的にはDTS headphone:X音声を収録した「ハクソー・リッジ」を選んだ。

「ハクソー・リッジ」スペシャルエディション Blu-ray(C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

 ATH-ADX5000の広大な音場再現をじっくりと確認するうえでも、サラウンド作品を試してみたかったのだ。DTS headphone:Xは、最近収録タイトルも増えてきており、ホームシアターを持っていない人、持っていても大音量で聴くのは難しい人にとってはありがたい。ソフト側で専用にエンコードされたDTS headphone:X音声を収録する必要があり、一般的なバーチャルサラウンド技術と違い、どんなサラウンド作品でも対応できるという技術ではないが、サラウンドの再現性はかなりレベルが高い。高さ方向の再現も可能な技術で立体的な音響をヘッドフォンで楽しめる。

 再生に必要な機材は、DTS-HD Master Audioに対応したBDプレーヤー(ほぼすべてのBDプレーヤー)のステレオ音声出力をヘッドフォンアンプなどに接続するだけ。HDMI出力でAVアンプなどに接続し、ヘッドフォン出力を使う方法もある。今回の試聴では、OPPO DigitalのBDP-105D JAPAN LIMITEDのアナログバランス出力を、OPPO HA-1のバランス入力に接続している。ATH-ADX5000とはもちろんバランス接続だ。

 なお、きちんと音が出ているかの確認は、チェック用コンテンツもあるのでそれで確認できる。「ハクソー・リッジ」に収録されたチェック用コンテンツは、森の中の木々のざわめきや鳥や獣の声が周囲に広がるもの、前後左右の4本のスピーカーが画面に現れ、点灯したスピーカーがあると思しき位置から音が聞こえるというもののふたつだ。だいたいはこれを聴いただけで、ヘッドフォン側の実力がわかる。

 ATH-ADX5000の場合は、予想した以上に立体的な空間が再現されてびっくりした。手持ちを含めて、さまざまなタイプのヘッドフォンやイヤフォンで試しているが、ここまでの再現性は今までになかった。

 さて、いよいよ「ハクソー・リッジ」の上映といこう。この作品は、銃や武器を一切持たずに戦場に立ち、たった1人で75人を救った衛生兵の物語。戦争映画なのに誰一人として死なない映画かというと、そんなことはなくて敵も味方も死にまくる。リアルで生臭い戦場の再現では、「プライベート・ライアン」がひとつの指標のように扱われるが、同等かそれ以上に惨たらしい場面が連続する。

 筆者も見てから気付いたが、ハクソー・リッジとは、沖縄にある前田高地と呼ばれる旧日本軍の陣地のこと。海上から向かうと150mの切り立った崖が立ちはだかっており、そこからハクソー(ノコギリ)・エッジ(崖)と呼ばれたそうだ。つまり敵は日本で、戦場は沖縄。日本としては、沖縄を失えばいよいよ本土決戦となるわけで、絶対死守の玉砕戦が展開した場所だ。

 オープニングはいきなりクライマックスが挿入されるが、物語そのものは主人公である衛生兵のデズモンド・ドスの子供時代から始まる。兄とのふたり兄弟で、第一次大戦に出兵した父は戦場でのショックから酒浸りになり、母との暴力を伴うケンカが絶えず繰り返されていた。

 それを苦々しく感じていたデズモンドなのだが、ある日の兄弟ゲンカで劣勢を挽回するために庭に落ちていたレンガで兄を殴打してしまう。昏倒する兄を見ながら、自分のしたことを深く後悔する。家の壁に貼られたモーセの十戒。そこにある第6戒「汝、殺すなかれ」という言葉。その後、彼はその教えを大切にしてきた。

 このあたりの場面は、まだ戦争の気配もなく、父の暴力はあるものの、ほのぼのとしたシーンが続く。近所にある小高い山や森は、自然が豊かに描かれ、鳥の声もしっかりと上の方から聴こえてくるし、浅い川を兄弟二人で渡るときのばしゃばしゃとした水音もきちんと二人分、前後感をもって再現される。だが、このくらいの再現はDTS headphone:Xならば当然だ。

 成長したデズモンドは、医者を志していたが家庭の事情で挫折。教会の手伝いをしながら軍需工場で働いていたようだ。恋にも落ち、結婚を考えるほどの仲にもなるが、戦争の激化にともない、彼は一足先に軍に志願した兄と同じように軍隊に志願する。ただし、衛生兵として。

 ここからは、新米の二等兵を一人前の軍人にするための訓練が始まる。時代は異なるが、ベトナム戦争を描いた「フルメタルジャケット」を思い出させる場面だ。ロープで壁を登ったり、ドロ水の中を這い進むような訓練場面では、板の壁を登るときの足音、ドロ水がしぶきを上げる様子がリアルな音で再現される。個々の音は実に明瞭で実体感があるし、なによりも広い訓練所に軍曹の声が響き渡る様子など、空間の広さが印象的だ。

 本作は本年度のアカデミー賞に作品賞ほか6部門でノミネートされ、編集賞と録音賞を受賞しているが、後半の戦場が舞台となる前でも、その音の良さはよく実感できる。訓練とはいえ、まだどこか緩い感じのある空気感、そのわりにヒステリックに叫ぶ軍曹のイラつくほどの生々しい声をATH-ADX5000はリアルに描いている。

 訓練はスムーズには進まない。銃の訓練でデズモンドは銃を持たない。衛生兵志願の彼には自然なことだが、規律を重んじる軍隊でそれは通用しない。銃を持たせるために軍曹や上官は説得するが彼はきかない。この姿勢を貫く結果、周囲とも軋轢が生まれ、同僚には暴力をふるわれ、軍法会議にかけられてしまう。それでも彼は屈しなかった。

 このあたりの場面は、やはりデズモンドや同僚たち、軍曹や上官の声が聴きどころ。デズモンドを臆病者呼ばわりする仲間、厳しく叱咤しつつも、時には諦めて除隊を進める上官たち、それに対し堂々と「皆が殺し合う戦場で、僕は命を助けたい」と言うデズモンド。この声が、それぞれに感情が込められ、力のある再現ができないと、映画に入っていけない。なぜそこまで頑ななのか、訓練くらいは妥協してすませればいいじゃないか、と、見ている多くの人が思うはず。それは彼の信念の強さを表すものだ。

 ATH-ADX5000の音は、高解像で情報量が高いこともあり、絵でいうならば鋭く尖った鉛筆で描かれたような繊細な描写だ。だがその線の一本一本が鉄筆で刻みこんだように、深く力強い。歪み感が少なく、清らかで耳当たりのよい高音でさえ、一本芯の通ったようなエネルギー感がある。ハイエンド級の製品ということもあって忠実度の高い音だし、感動を演出するような作為的な音はしない。飾りのないそのままの音なのだが、心に響く。

 映画館のスピーカーは、かつては能率の高いコンプレッションドライバーと大口径ウーファの組み合わせが定番だった。これは、広い劇場内に音を届かせるためだが、高能率ゆえのエネルギー感たっぷりの音は独特の良さがあり、アルテックやJBL、エレクトロボイスといったブランドの過去の映画館用スピーカーを家庭で使っている愛好家も少なくない。僕自身もそういう音への憧れはある。これこそが映画の音だと言われても反論する気はない。その理由のひとつが音のエネルギー感だと思う。ATH-ADX5000は前述したようにハイインピーダンスで高能率とは言いにくい。だが、駆動力の高さは驚異的で、抜群の反応の良さと力強さを感じさせてくれる。良質なヘッドフォンアンプで鳴らしてやることで、エネルギーたっぷりの音が出てくる。

 さて、厳しい訓練は終了し、舞台は沖縄に移る。デズモンドも看護兵として沖縄の地に立つ。彼らを迎えるのは、トラックに山と積まれた死体。すでに6回攻撃を行ない、6回とも撃退されたという。生き残った兵士は日本兵をまるで化け物のように形容する。

(C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

 兵士達の攻撃に先がけて、海上にいる戦艦からの艦砲射撃が行なわれる。この轟音が、普通のヘッドフォンではなかなか出せない。しかし、ダイナミック型のATH-ADX5000はサブウーファと遜色のない力の漲った低音を轟かせる。艦砲射撃というのは、音源は遙か彼方の海の上で、その後目の前の戦場に着弾する。遠くでの発射音と、崖の上の着弾音をしっかりと描き分け、上空を砲弾が飛んでいく様子まで伝わってくる。

 150mの崖に掛けられた縄ばしごを登ると、そこは戦場だ。砲撃で立木は燃えてパチパチと音を放っている。四方には兵士達の足音が響いている。足元を見れば米兵と日本兵の死体がそこかしこにころがり、ウジが湧き、ハエが飛び交う、死体に食いつく大きなねずみも山のように居る。ヘッドフォンのいいところは、スピーカーでは聴き取るのが困難な細かな音まできちんと耳に届くところ。しかし、戦場のこういう音は聴いていると辛くなる。

(C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

 余談だが、筆者はかつて雑誌の企画で、ホームシアター経験のない女性編集者にサラウンドの魅力を体験してもらったことがある。それが「プライベート・ライアン」の冒頭なのだが、感想は「気持ち悪くなった」とのこと。題材選びを失敗した。筆者的には飛び交う銃弾と悲鳴でサラウンドの醍醐味を伝えたかったのだが、おそらく映像が残酷すぎたのだろうと。

 それから10年以上が経ち、「ハクソー・リッジ」をATH-ADX5000で聴いて、やっと気持ちが理解できた。映像が残酷すぎるならば目を閉じればいい。だが、ヘッドフォンなので耳もふさげない。この状況で、硝煙に紛れていた日本兵が攻め込んできた。飛び交う銃弾、四方で手榴弾などが爆発し、火炎放射器が目の前の兵士を炎が燃え上がる独特の音を放ちながら火だるまにしていく。

 負傷した兵士の悲鳴があちらこちらから聴こえてくる。そんな地獄絵図の中でデズモンドは負傷兵の治療や救出を行なっているが、こちらはすでに気持ち悪くなっている。

 ATH-ADX5000の音は、恐い。

 あらゆる音がすべて明瞭に耳に入ってくる。バーチャルとは思えないサラウンド感のおかげで、自分が戦場のど真ん中に居ると錯覚してしまう。恐怖のために身体がすくんで動けなくなっている仲間に共感してしまう。戦争映画を見て、そのリアルさや残酷さに心が痛むことはあっても、恐いとか気持ち悪いと感じたことはなかった。映画の狙い通りなのだが、そういう作り手の意図がストレートに届く。いっさいのフィルターもなく、ダイレクトに感情を刺激する。これは恐い。作品によっては決して音質的には良くない部分を、あからさまにしてしまう恐さもある。今回の試聴の題材として、ホラー映画を選ばなかったのは幸運だったかもしれない(機会があれば見てみたいが)。

 圧倒的な物量で攻め込むアメリカに対し、日本は地下に拠点を構築し、あらゆる場所に抜け穴を掘って神出鬼没のゲリラ戦を仕掛けてくる。銃剣で突撃してくる表情にも目を背けたくなるし、攻勢に転ずるや四方から続々と姿を現し、大群となって白兵戦を挑んでくる姿は恐怖以外のなにものでもない。

 援護のための艦砲射撃が始まると、米兵は崖の下に退避し、日本兵も地下に潜ってしまう。残ったのは死体とケガで動けない負傷兵、そしてデズモンドだ。ここから、一昼夜にわたるデズモンドの奇跡の救出がはじまる……。誰になんと言われても決して銃を持たなかった執念にも似た信念がここで発揮される。

(C)Cosmos Filmed Entertainment Pty Ltd 2016

 この映画は、リアルを極めた戦争を描きながら、誰も殺さずにたくさんの人の命を救ったデズモンドを描いたことが見事だ。そのリアリティーを申し分ないほどに、ATH-ADX5000は胸に刻み込んでくれた。

 防音の視聴室を作るために一戸建ての住宅を手に入れた筆者としては、「こういう音をスピーカー再生で目指したい」と思う。だが、大きな音量を出せない人には、ATH-ADX5000のようなヘッドフォンを選ぶと、満足できる環境をできるのではないかと思う。サラウンド再生でここまでの再現力が得られるならば、なおさらだ。

 ヘッドフォンの高級化は年々続いているものの、部屋自体の改築なども必要なスピーカー再生に比べたら安いものだ。だから買えなどと暴論を吐くつもりはないが、質の高いスピーカー再生を好む人でも、ATH-ADX5000の音は素直に受け入れられると思う。

 一般的なイメージとしては、メインがスピーカーシステムで、サブとしてヘッドフォンという使い分けになるかもしれないが、メインがヘッドフォンで、サブとして比較的安価なスピーカーシステムを家族で楽しむときなどに併用するスタイルというのも、十分にありえると感じた。

 ヘッドフォンによるバーチャルサラウンド技術としては、PCなどで導入されている「Dolby Atmos for Headphone」などもあり、こちらもかなり立体的なヘッドフォンサラウンドが楽しめる。ATH-ADX5000のような空間再現力と解像感の高い音のモデルを使えば、それはもうリアルサラウンドと遜色がない。これからのヘッドフォンは、音楽再生だけでなくサラウンド再生の実力も重要になってくるかもしれない。

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鳥居一豊

1968年東京生まれの千葉育ち。AV系の専門誌で編集スタッフとして勤務後、フリーのAVライターとして独立。薄型テレビやBDレコーダからヘッドホンやAVアンプ、スピーカーまでAV系のジャンル全般をカバーする。モノ情報誌「GetNavi」(学研パブリッシング)や「特選街」(マキノ出版)、AV専門誌「HiVi」(ステレオサウンド社)のほか、Web系情報サイト「ASCII.jp」などで、AV機器の製品紹介記事や取材記事を執筆。最近、シアター専用の防音室を備える新居への引越が完了し、オーディオ&ビジュアルのための環境がさらに充実した。待望の大型スピーカー(B&W MATRIX801S3)を導入し、幸せな日々を過ごしている(システムに関してはまだまだ発展途上だが)。映画やアニメを愛好し、週に40~60本程度の番組を録画する生活は相変わらず。深夜でもかなりの大音量で映画を見られるので、むしろ悪化している。