小寺信良の週刊 Electric Zooma!
第873回
ついにiPadに本格編集ツールが! iPhoneでも使える「Adobe Premiere Rush」
2018年10月25日 08:00
苦節3年……
最初の12.9型iPad Proがデビューしたのは、2015年のことである。当時からすでにiPadはタブレットのデファクトスタンダードの位置を占めてはいたが、画面サイズ、処理性能でPCに迫るスペックを引っさげての登場であった。
この戦略は、市場に一定の混乱を招いた。タブレットPCかiPad Proかという、次元の違うものを比較検討するような記事が乱立した。それはWindowsかMacかという議論を超越して、“タブレットならできることは一緒”のような印象を与えてしまうものであったと記憶している。
2015年当時のiOSは、今のようにSplit ViewやSlide Overもできず、アプリもそのパワーを使い倒すようなハイエンドのものは存在しなかった。2016年2月に、iPad Proをビデオ編集に使うという記事を執筆したことがあるが、この当時iPad上で動く編集ツールの選択肢は非常に少なく、一般的な編集に対応できるものは「iMovie」か「Pinnacle Studio Pro」ぐらいしか存在しなかった。それに加えて、スマホ向けでしかないiOS独特の縛りが強すぎて、素材を送り込むだけで一苦労と言った状況で、iPadでフルマニュアルのビデオ編集は無理という結論となった。
ところが先日のAdobeMax 2018にて、iPad向けのフル機能Photoshopが発表され、再びiPadに脚光が当たるようになった。当然その背景には、iPad Proの新モデル発表間近(?)というタイミングもあるだろう。加えてクラウドの利用も広がり、ローカルでのファイル受け渡しや、ストレージ容量を気にする必要性が薄れてきたという事もある。いずれにしても、AdobeのクリエイティブツールがiPadに集まってくるのは間違いなさそうだ。
そんな折も折、AdobeからPremiereシリーズの新しいビデオ編集アプリ「Adobe Premiere Rush」が登場した。Webの動画コンテンツクリエイターのために基本機能に絞ったツールで、凝った編集にも対応できるよう、プロジェクトをPremiere Proに引き継ぐこともできるという。映像用語でRushとは“粗編集”の意味だ。つまり“ざっと繋いでみる”と言った意味である。すなわちここにはRushから本編集に移行できるという意味も込められているのだろう。
Premiere RushはiOSのほか、MacOSとWindowsでも動作する。モバイルOSまで含めてマルチプラットフォームで動作する編集ツールは、ユーザーの利用環境が多様化している現在、歓迎したいところである。今回は特に、いい編集ツールがなかったiOS版に注目してみたい。
クラウドを踏み台にジャンプ
Premiere Rushは、App Storeから無料でダウンロードできる。無料版は書き出しが3回までに制限されること、ライセンスに付属のクラウド容量が違うこと以外は、有料版と同じ機能が使える。とりあえずどんな事ができるのかは、存分にテストできる。
有料版はサブスクリプションモデルとなっており、アプリ内から有料版にアップグレードする場合は、月額1,100円となる。一方Webサイトからクレジットカード決済でアップグレードすると、月額980円+消費税となるので、トータル1,058円となる。iOS、Mac、Windowsどれか1つのアップグレードで、3プラットフォーム全部のRushが有料版となる。
iPadでビデオ編集をする場合、どうやってiPadに素材を集めるかがキモになる。というのも、iPad本体で動画撮影をするケースなどほとんどないからだ。2016年に執筆した記事でも、そこが一番の苦労ポイントだった。
だが、もはやクラウドの時代。素材はアプリ内からクラウドにアクセスして、iPad内にインポートできるようになっている。現時点で対応しているクラウドサービスは、Adobeが提供するCreative Cloudと、Dropboxだ。どうにかしてどちらかのクラウドサービスに素材を上げる事が出来れば、Premiere Rushに持ち込む事ができる。
今回は、以前のレビューで撮影したiPhone XSと、Nikon「Z7」で撮影した4Kファイルを使用している。XSの撮影データはMOV、Z7はMP4だが、どちらも問題なく読み込めた。ただ、MP4は素材読み込み前にサムネイルが表示されるのに対し、MOVのほうはサムネイルが表示されなかった。OSの素性からするとMOVのほうが扱いやすそうな気がするが、何か事情があるのかもしれない。
素材を選択して「作成」ボタンをタップすると、クラウドから素材をiPadへダウンロードする。これはプロキシではなく、素材そのものをまるごとPremiere Rushアプリ内へダウンロードしているようだ。筆者のiPad Proは容量が32GBしかないため、長編の編集は難しい。またiPadが容量無制限のWi-Fiに繋がっていればいいが、うっかりスマホでテザリングなどしていた日には一瞬で「ギガ」を溶かしてしまうので、注意が必要である。
クラウドから素材をインポートできるメリットは、音声ファイルも気軽にインポートできる事である。iOSの作りでは、音声をアプリ外からインポートする際にはiTunes内のものしか参照できず、映像と同録した音をどうにかしてiTunesに食わせなければならなかった。今回、映像と音声を一元的にインポートできるようになったのは、アプリ内から直接クラウドにアクセスできる仕組みになっているからである。
また素材となる動画は、その場でiPadのカメラで直接撮影する事もできる。この場合はiPad標準のカメラが起動するのではなく、露出やフォーカスなどをフルマニュアルでコントロールできる撮影機能を、独自に搭載している。
素材のインポートが終わると、すべての素材がタイムライン上に並べられる。これは正直大きなお世話機能だろう。編集順が素材選択順とは限らないし、インサート用のカットやオーディオファイルが適当に本編に並んでしまうのは、余計な手間を増やすだけである。言うなれば、料理でまな板に材料を並べるだけで十分なのに、仕上げの皿に生の材料を全部盛られてしまうようなものだ。
またタイムラインに適当に並べられた素材を一気に全選択する方法も提供されていない。左メニューの一番下にマルチ選択ツールはあるのだが、範囲選択などはできず、消すためにクリップを一つ一つ選んでいかないといけないのには閉口する。
ツボを押さえた編集機能
素材インポートだけで結構注意点が盛りだくさんだが、編集機能は必要かつ十分だ。左側のプロジェクトパネルから必要な素材を選択し、「追加」をタップするかダブルタップで、タイムラインに挿入される。あとはタイムライン上で素材を長押しし、素材がぴょこんと跳ねるような動作をすると、それからトリミングモードになる。左右の端を指でなぞって、必要な範囲を指定する。
それ以外にも、プロジェクトパネル上で素材を長押しすると、個別にプレビューやトリミングができる。長回しのクリップの一部分だけ使いたいという時は、こっちで粗く切り取ってからタイムラインに挿入してやると作業がしやすい。
クリップを2タップ長押しすると、拡張メニューが出てくる。「オーディオを展開」を選ぶと、オーディオと映像を切り離して編集ができる。つまりオーディオスプリット編集ができるわけだ。地味ではあるが、コメント動画編集には必須機能である。
映像のレイヤーは、最大4レイヤーまで積み上げ可能だ。トランスフォーム機能により、画面縮小のPinPや4面マルチなども作る事ができる。4K素材を4レイヤー重ねても、プレビュー時にカクついたりなど全くしないのはさすがである。
音楽ファイルも、タイムラインにインポートできる。サービスでRushサウンドトラックとして何曲かフリー音源が付いてくるので、それを利用するのもいいだろう。
音量バランスは、ミキサーのようなインタフェースにはなっておらず、クリップごとの音量を決めていくスタイル。キーフレームを打って音量を上下させる機能はない。しかしPremiere Proで搭載されて好評だった自動ボリュームや自動ダッキング(音量を自動で上げ下げしてくれる)機能もあるので、それらを併用すれば、一見複雑に見える音量バランス調整も、ある程度いい具合にやってくれる。
映像のトランジションは、クロスディゾルブと暗転、ホワイトアウトしかなく、このあたりは将来拡張される部分だろう。サードパーティのために余白として残しているのかもしれない。
一方でカラーフィルターは最初から11種類と、かなり充実している。そのあたりは時代の要請に応えたという事だろう。タイムライン上のクリップを選んでおいて、エフェクトタイプをタップするだけで、瞬時に効果が反映される。カラー処理も、色温度調整から色かぶり補正、ハイライト、シャドウなど一通りの機能は揃っており、撮影ミスの補正から積極的な演出まで、幅広く対応できる。
テロップは37パターンがプリセットされている。使いどころに困るようなド派手なものはなく、比較的実用性の高いパターンに仕上がっている。フォントタイプやサイズ、字間、行間の調整も可能で、プリセットからスタイルを崩していってオリジナルを作るといった使い方になる。ただプリセットパターンは、実際にタイムラインに載せてみないとどういうものかわからないので、サムネイル状態でもある程度のプレビューが欲しいところである。
ほぼリアルタイムレンダリング
作品が完成したら、共有タブへ移行して書き出しとなる。画質設定としては、オートのほか、720/30pと1080/30pが選択できる。Match Framerateは、素材のフレームレートに合わせるようだ。なおプリセットにおける30pとは本当に秒間30コマで、29.97pではない。素材に合わせたいのであれば、オートかMatch Framerateを選択すべきだ。
なお今回の素材は4K解像度のはずだが、4Kの出力はできないようである。出力先がWebサービスを想定していることを考えれば、現時点では妥当ではあるが、すでにYouTubeでは4Kに対応しているので、今後は4K書き出しも期待したいところだ。
なお今回は約1分の作品だが、レンダリング時間はおよそ55秒であった。4K素材を使い、テロップ処理やマルチレイヤー、オーディオトラック追加でほぼほぼリアルタイムでレンダリングできるのは、かなり優秀と言っていいだろう。
レンダリング終了後はその場でプレビューできるほか、YouTubeほか4サービスへ共有できる。試しにYouTubeへ書き出してみよう。YouTubeアイコンをタップすると、YouTubeへのログインを促される。
ログインが完了すると、タイトルや説明、タグ等を入力する画面となる。この手の機能は多くの編集ツールに付いているが、予約公開時間が設定できるなど、なかなか高機能だ。
総論
初代iPad Proの登場からざっくり3年が経過したわけだが、iMovieのようなホビーユーザー向けではなく、ちゃんとネット公開できるレベルの作品づくりを目的としたビデオ編集ツールがようやく登場した。いたずらに派手なエフェクトなどは搭載せず、基本に忠実な、かつ当たり前の編集テクニックが使える。ようやく3年前に夢見たシナリオが完成したという点において、筆者的には感慨深いものがある。
元々iOSは、ファイルはファイルで、アプリはアプリでと別々に管理しておらず、アプリがファイルを抱え込む構造になっている。それゆえに、外からファイルを入れ込む場合には制約の多いシステムだが、それをクラウドを経由して取り込むという手法でクリアした。
iPhone等で撮影した場合は、単にAirDrop等で転送すればよい。iPhoneをビデオカメラ代わりにするケースは確実に増えており、その点では画面の大きなiPadでフィニッシュできる意義は大きい。
一方で本アプリは、iPhone上でも動作する。画面の小ささを我慢すれば、編集自体は難しくはないだろう。ただ細かい音の編集を行う場合、iPhoneのスピーカーで直接聞くか、変換アダプタ経由でイヤホンをアナログ接続しないと、Bluetoothでは音の遅延が大きく、作業にならないだろう。その点、アナログのイヤホンジャックを残したiPad Proは、編集作業には向いている。
編集したプロジェクトファイルは、クラウドを経由してほかのプラットフォームのアプリと共有される。つまりiPadで編集したプロジェクトがMac版のPremiere Rushにも表れ、それを開くとiPad版とまったく同じ編集状況が再現される。
こうしたクラウドを軸としたコンテンツシェアシステムは、放送局やポストプロダクションといったプロ向けには提供されてきたが、個人ベースで、しかもiPadとMacといった誰にでも買える環境で実現できるのは、驚きである。
クラウドを使ったクリエイティブツールがコンシューマに持ち込まれたことにより、どのような化学変化が起きるのか。これからのネット動画産業の発展には、小さくない影響を与える事は間違いなさそうだ。