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「君たちはどう生きるか」Dolby Vision/Atmosをどう活用した? 宮﨑監督も気に入ったHDR
2023年8月23日 12:00
スタジオジブリ最新作「君たちはどう生きるか」は、謎に包まれていた内容が話題となったが、それだけではなく、Dolby VisionとDolby Atmos技術を活用したジブリ長編作品として、映像・音響面も注目を集めている。スタジオジブリ制作陣は、どのような部分にこだわったのか? 2人のキーマンを取材した。なお、この記事に映画のシーン画像は掲載しているが、ストーリーのネタバレはほとんどしていない。
語ってくれたのは、スタジオジブリ執行役員映像部長でエグゼクティブイメージングディレクターであり、「君たちはどう生きるか」では撮影監督を務めた奥井敦氏。同じくポストプロダクション担当した古城環氏の2人。
奥井氏は1982年に旭プロダクションに入社し撮影の仕事を開始。「紅の豚」(92)、 「海がきこえる」(93)の撮影監督としてスタジオジブリ作品に参加し、1993年撮影部発足と同時にスタジオジブリに移籍。「平成狸合戦ぽんぽこ」(94)以降、撮影監督、映像演出として全てのスタジオジブリ作品に参加している。
古城氏は、1993年スタジオジブリへ入社し撮影部へ配属。社内での仕上げ・撮影および編集のデジタル化の際、ノンリニア編集の立ち上げに従事。「千と千尋の神隠し」(00)よりポストプロダクション班へ異動。編集作業から、音響作業までの制作管理を担当し、「借りぐらしのアリエッティ」(10)で制作デスク、その後「コクリコ坂から」(11)~「思い出のマーニー」(14)は制作全般から音響作業までを担当している。
宮﨑監督も気に入ったHDR表現
まずは映像から。
HDRのDolby Visionが「君たちはどう生きるか」で採用されたキッカケになったのは、他ならぬ奥井氏だ。
約40年、アニメ業界で撮影の仕事を続けてきた奥井氏。昔は当然、セル画をフィルムで撮影してアニメを作っていた。やがて、アニメ制作がデジタルに移行し、高精細・高解像度になるなど、映像的には様々な進化があった。しかし、奥井氏は「デジタルになった事で、表現の幅が狭まったと感じる部分があった」という。
「フィルム時代には“透過光”という技術がありました。(背景とセルを重ねたものに下から光を当てて撮影する際に)多重露光をする事で、光を表現するものです。この透過光では、どれだけ明るくしてもハイライトに階調が残ってくれていました。しかし、デジタルになると、あるポイントから情報が無くなり、もう白く飛ばすしかなくなってしまう。そこに表現の幅の狭まりを感じていました」。
そんな奥井氏は、「思い出のマーニー」が公開された2014年頃に“北米でドルビーがDolby CinemaでHDR映像をスクリーンで上映している”と耳にする。そこで、ロサンゼルスの劇場に行き、そのデモンストレーションを鑑賞。「黒の締まり方やハイライトの乗り方に衝撃を受けまして、ぜひこの技術を次の作品に使いたいと思い帰国しました」という。
その後、ジブリではジブリ美術館での上映用に「毛虫のボロ」という短編作品を作る。この作品はSDRでの制作だったが、「短編なので、これで一度HDRのテストをしようと考え、2018年にロサンゼルスのシアターにデータを持ち込み、Dolby Cinema化のテストをさせていただいた。そのデータを持ち帰り、HDR対応のテレビを使って宮﨑監督に見せたところ、気に入ってもらい、“次に長編やることがあれば使ってみよう”という事になりました」。
その後、ジブリが手掛けたのは2021年の「アーヤと魔女」は、もともとテレビ用の企画だったのでHDR制作は予定されていなかったが、3DCG作品であったため、改めてHDRデータとして書き出す事でHDR化を実現できた。つまり、「君たちはどう生きるか」のHDR映像は、それ以前の作品でテストを重ねた末の採用だったわけだ。
奥井氏は「君たちはどう生きるか」のHDR映像について、「(作品としては)SDRで絵を仕上げていますが、HDRではそれと差別化しなければいけない。けれど“かけ離れてもいけない”。その調整が難しかったですね」と語る。
具体的には「(Dolby VisionのHDRでは)シャドーが締まってくるので、それを有効に使えるところは使いつつ、そこまで使わないシーンでは使わない……など、シーンごとにかなりシビアに調整しました。“HDRならではの表現”としては、例えばアオサギが太陽から飛んで来る明るいシーンですね。また、この作品は冒頭、暗いシーンからスタートするのですが、SDRでは(暗く)落としきれない部分を、Dolby Visionで表現したいという想いがあり、実際にそれを実現できました」とのこと。
Atmosサウンドは“引き算”がポイント!?
「宮﨑監督の前作『風立ちぬ』では、音声にモノラルを採用しました。ですので、(新作で)Dolby Atmosに対応した事で、宮﨑監督から『うるさい』と言われないようにする必要がありました」と、笑うのは古城氏。
「ですので、『君たち』音響チームの合言葉は“引き算”でした。『迷ったら外しましょう』という流れで仕上げていきました。前半は特に静かで、アクション映画のように派手なシーンはありませんが、絵と音のバランスに注意しました。音響監督さんから、『こんなに静かに大丈夫ですか?』と確認されながらのスタートでした」。
「アーヤの魔女の時に、仕上げた5.1ch音声から、Atmosへ変換するという作業を行ないましたが、その時に変換の限界も感じていたので、今回は最初に5.1ch、7.1ch音声を仕上げて、それとは別にAtmosの音声を仕上げました」(古城氏)。
Atmosの効果が感じられるシーンとして、古城氏は「空間の広がり」に注目して欲しいと語る。
「あまり(音の)オブジェクト派手に動かしてどうこう……という映画ではなく、空間の広がりを重視しました。5.1ch、7.1chの音声と、Atmosを比較すると、フロントのLCRチャンネルはほぼ変わっていません。違うのはサラウンドチャンネルで、例えば、建物の外と中での環境音の広がりの違いで聞き取りやすいと思います。室内のシーンではトップ(スピーカー)はあまり使っていませんが、屋外ではトップを使って広がりが感じられるようにしています」(古城氏)。
宮﨑監督が想定した映像に“プラスしたもの”を目指す
古城氏は、宮﨑監督から音声に関しての指示は「すごく少ない」という。
宮﨑監督が手掛け、映画の設計図となる“絵コンテ”が映画制作の柱となるが、そこには映像だけでなく、このシーンでは“どんな音がするか”も指示として書き込まれている。カタカナの擬音で書かれていることが多いが、「なぜそう書いてあるのか? を、読み解く日々でもあります」と語る古城氏。
「例えば、あるシーン……ドアノブのシーンなのですが、そのシーンの絵コンテには『なぜか無音になる』とだけ指示が書いてあります。なぜそこが無音なのかを自分なりに読み解いて、いまのカタチになっているのですが、そういう指示のところも結構あります。恐らく宮﨑監督に聞いてもハッキリと答えは出てこないんじゃないかと思います」。
宮﨑監督と30年一緒に作品を作ってきた奥井氏は、「(宮﨑監督が)どうして欲しいかは、なんとなくわかるので、私なりに仕上げた映像をチェックしてもらう時にも、たいがい何も言われないですね。ただ、指示通りやればいいというものではなく、私がいつも目指しているものは宮﨑監督が想定している映像に“プラスしたショット”です。そのプラスしたものを目指す時に、Dolby Cinemaの技術は武器になりますね」。
ジブリ映画ファンとしては、今後の作品だけでなく、“これまでの作品のDolby Vision/Atmosリニューアル”にも期待したいところ。2人は「技術的には可能だと思いますが、今まで過去作のリニューアルはあまりしない方針ですし、ジブリの重大な運営の指針に関わってくるので、やるかやらないかはわからないですね」と前置きした上で、古城氏は「個人的には、『千と千尋の神隠し』のAtmos版は観たいです」と語り、奥井氏は「映像的には全部やりなおしたいですね」と笑った。