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ソニー最上位ヘッドフォン「Z1R」は、なぜメイドイン大分? 現場で職人技を見てきた

 ソニーから、ヘッドフォンの新たなフラッグシップモデル「MDR-Z1R」が10月29日に発売された。「アーティストが伝えたい音楽の感動や空気感を再現する」ことを目指し、ソニーの高音質技術とノウハウを結集したという製品で、マグネシウムドーム振動板や新形状のグリルなど、個々の技術/パーツの進化に加え、国内工場で組み立てる“Made in Japan”も大きな特徴。プロ用のマイクやモニターヘッドフォンなどを長年生産している大分県の「ソニー・太陽」で1台ずつ手作りで製造されている。MDR-Z1Rが生まれる現場へ足を運び、なぜここでの製造にこだわっているのかを探ってきた。

MDR-Z1R
大分県にあるソニー・太陽を訪ねた

10年がかりの“最高のヘッドフォン”が、大分で作られている理由

 1965年に誕生して今もテレビや音楽業界などで“サンパチマイク”、“漫才マイク”と呼ばれ使用されているコンデンサーマイク「C-38B」や、1989年の登場以来、多くのスタジオなどで使われているモニターヘッドフォン「MDR-CD900ST」といった、プロユーザーの定番中の定番となっているソニー製品。これらを現在も製造しているのがソニー・太陽であり、ソニーの“音の入口と出口”を手がける重要な拠点。コンシューマ向けヘッドフォンである「MDR-Z1R」や、イヤフォンの「XBA-Z5」といった製品もここで作られている。

ソニー・太陽の玄藤賢一社長が、これまでの歴史と、製品へのこだわりなどを説明
現在生産しているヘッドフォン/イヤフォン
“漫才マイク”として親しまれる「C-38B」は、'15年にグッドデザイン・ロングライフデザイン賞を受けた。写真は、プロ用マイク10万台を記念して'92年に作られたゴールドバージョン

 設立は1978年。大分県速見郡日出町大神(ひじまち おおが)に、設立された株式会社サンインダストリーから1981年にソニーの特例子会社化、現社名へ変更)。1965年に外科医・中村裕 博士が設立した、障害を持つ人々の社会参加を支援する「太陽の家」に、ソニー創業者の井深大氏が賛同して生まれた。日出町をはじめ、近隣の別府市も含めたこの地には、同じく太陽の家に賛同したオムロンやホンダといった企業も生産拠点などを構えている。

“音の入口と出口”を作る
ソニー・太陽の概要

 ソニー・太陽に在籍する170名のうち、111名が障害を持っている人(9月時点)。中村博士による「世に心身障がいはあっても仕事に障害はありえない。身障者に保護より働く機会を。」と、井深氏の「障がい者の特権無しの厳しさで健丈者の仕事よりも優れたものを……」という2つの言葉が同社の理念となっている。

ソニー・太陽の成り立ち

 製品カテゴリとしては、民生/業務用マイクや、スタジオモニター/ハイレゾヘッドフォンに加え、業務用の映像メディア「SxS」や「XQD」、バッテリパックなどを手がけるほか業務用マイクの修理サービスも担っている。

担当する製品カテゴリ

 ヘッドフォンに関して言えば、前述したモニター用「MDR-CD900ST」の原型である「MDR-CD900」(1986年)や、'04年当時に5Hz~120kHzという超広帯域を実現したヘッドフォンの「QUALIA(クオリア) Q010-MDR1」なども製造。マイクは、ソニーのコンデンサーマイクの集大成として「C-800G」が製品化され、多くのプロミュージシャンらが愛用。こうした数々の名機を手がけており、技術的にも確固とした伝統を受け継いでいる。

MDR-CD900ST。オレンジのモデルは、奥田民生がデザイン監修をした限定生産版で、ヘッドバンド部に直筆サイン入り
ソニーのマイクの歴史を、ソニー・太陽 技術部 統括部長の森崎哲也氏が説明

 そのソニー・太陽がMDR-Z1R(以下Z1R)の唯一の生産拠点となっているのだが、興味深いのは、単に製造を担当しているだけではなく、製品開発の試作段階から重要な存在だったという点。

 ソニービデオ&サウンドプロダクツ V&S商品設計部門 機構設計部 機構設計3課 川村麻子 担当部長と、Z1Rのプロジェクトリーダーを務めた機構設計1課のメカニカルエンジニア・尾崎雄三氏によれば、Z1Rは“音のため”を最優先し、それに合わせてサイズや形状を決めたという、ソニーにとっても異例の製品だった。「唯一決まっていたのは“人がかぶれるもの”というくらい」(川村氏)とのこと。個別のパーツで見ると、10年前から開発が始まったものもあり、エンジニアも初期の頃から代替わりした2代目が仕上げたという、まさに“10年がかりのフラッグシップ”だ。

左から、音響を担当した機構設計4課 潮見俊輔氏、機構設計3課の川村麻子担当部長、機構設計1課のメカニカルエンジニア・尾崎雄三氏、
Z1Rなどが披露された「IFA 2016」に合わせて打ち出したスローガン「for and by Music Lovers」は、音楽を愛する人々自身が作った製品であることも示していることを、企画マーケティング部門の澤村宣亮部門長が説明

 そんなZ1Rが製造される場所が、実績を持つソニー・太陽となるのは必然であり、金型などを作る前の段階から、通常よりも多く試作を行なうなど、尾崎氏らヘッドフォン開発者とソニー・太陽の担当者の間で“最高のヘッドフォンを作る”ことを目指した数多くのやりとりが交わされたという。

“空気の気持ちになって”開発。通気を測定する装置まで作るこだわり

 新ヘッドフォンのZ1Rは、同じく10月29日に発売されたウォークマン「NW-WM1A」(実売12万円前後)や「NW-WM1Z」(同30万円前後)、ヘッドフォンアンプ「TA-ZH1ES」(278,000円)とともに、ソニーの「Signature Series」として登場。「ヘッドフォンによる音楽体験を“聴く”から“感じる”領域へ革新する」製品と位置付けられている

「Signature Series」のMDR-Z1R(左上)と、ウォークマン「NW-WM1Z」(右上)、ヘッドフォンアンプ「TA-ZH1ES」(下)

 振動板が70mm径と大型であることを活かし、平面に近い波面を再現。音の波面が平らになり、スピーカーで音楽を聴いているかのような自然な響きが実現できるという。新たな規格の4.4mm 5極バランス接続にも対応したのも特徴。

 このモデルが特にこれまでと違うことを示すキーワードの一つに「空気感」があり、超低域から120kHzの超高域を再現する「広帯域再生」、ハイレゾコンテンツに含まれる微小音も表現する「高ダイナミックレンジ」、前述した“平面に近い波面”で自然な音の聴こえ方を実現する「平面波サウンド」の3つを、最適な空気感を作るための要素として着目している。

 開発のリーダーである尾崎氏が「その耳を信じた」という音響担当の機構設計4課 潮見俊輔氏は、数あるこだわりの一つとして“空気の流れ”を挙げる。Z1Rはカテゴリとしては密閉型に分類されるが、これも「音のため」であり、外からのノイズを防ぎつつ、内部に密閉型特有の“こもり音”を起こさず、必要な音を外に逃さないことを目指した。

機構設計4課 潮見俊輔氏。ソニーの6代目“耳型職人”でもある

 こうした通気のコントロールに大きな役割を果たしているのが新開発の「レゾナンスフリーハウジング」。音響レジスター(高通気抵抗)をフレームと外側のプロテクターの間に使用して通気を最適化することで空間共鳴を排除。密閉型ヘッドフォンに特有の共鳴を抑え、聴感上のS/Nを向上。ハイレゾ音源に含まれる微小な音をもれなく耳へ届けるという。

「レゾナンスフリーハウジング」。中央が音響レジスター。左はハウジングフレーム、右がプロテクター

 この重要な役割を持つ音響レジスターは、カナダ産の針葉樹を原料としたパルプを立体的に成型して使用。年間を通じて温度が均一な日本の雪解けの地下水で抄き上げており、内部損失が高く、色付けのない自然な音になるという。これに至るまで、フェルトや布などを含め、様々な素材をテスト。パルプを採用する際にも、パルプの濃度や、抄く時間、重量をコントロールして、通気度を厳しく管理している。

音響レジスターの試作の数々。左側が最終製品に近い

 通気をチェックするための測定装置も、このZ1Rの音響レジスターのために作ってしまったというから、そのこだわりの深さが分かる。所定の位置に音響レジスターを置いて空気を送り込み、その部分の気圧を測ることで、どれだけ空気が通っているか分かるもので、許容できる数値の範囲内のものだけが実際の製品に使われている。

通気測定装置(写真は初期段階のもの)。一定の気圧となるように品質が保たれる
試しに普通の紙を置いてみると、通気せずに気圧が高くなりすぎてエラーに

 こうした、空気の扱い方で音が変わってしまうことから、“空気の気持ちになれ”という言葉がソニーにはあるという。ただ、空気の流れを計算などで事前にシミュレートしながらも「それは“ツールの一つ”として、最終的には人が判断する。それは、測定できるレベルではない違いを調整するため」(潮見氏)だという。

 音響レジスターを保護するハウジングプロテクターの部分にも様々な検討が行なわれており、最終的にはステンレスワイヤーを繊細に編み込んで3次元曲面に成形したものを採用。表面にイオンプレーティング処理でクロム化合物をコーティングして、表面硬度を7倍まで向上。摩耗や細かい傷に強くしている。

ハウジングプロテクターの試作。左下の赤い“編み物”も検討の一つだったという
最終的なプロテクター部分。独自の細かな編み目で、3次元曲面を成形

 これに至るまでも、金網や、排水口の部品などをヒントに、様々な素材や手法を検討。珍しいものでは「国内でここでしか作れない」という高度な技術で作られた“3次元の編み物”も検討の一つとして挙がり、実際にそこへ依頼して試作もしてみたというのが驚き。その他にも、既存のマイクグリルの形状なども検討し、マイクを手掛けるソニー・太陽の協力も得たが、多くの手法では、金型から出した後でも形状が定まらなかったり、網目が動いてしまうといった問題が出たという。

機構設計3課の川村麻子担当部長

 イヤーパッドは羊革を使い、表面は日本でなめし加工を施している。肌触りや耐久性なども考慮し、「暖かいところで育った羊、寒いところで育った羊、毛が巻いた羊、まっすぐな羊、子供の羊、成長した羊などいろいろな種類がありますが、その中から質感、耐久性、量産性を考慮して選択した」(尾崎氏)という。また、耐久性を重視するヘッドバンドの部分には牛革を使っている。

機構設計1課のメカニカルエンジニア・尾崎雄三氏
様々な羊の皮を比較

製造の現場へ潜入。CD900STを手掛けてきた職人の技術が品質に

 実際の製造にあたり、ソニー・太陽では試作段階から作業者が参加したことに先程触れたが、厳しい品質管理のために繊細な作業が求められ、そのために製作した治具(部品などを作るための器具)は20アイテムに及ぶ。Z1Rの作業には、マイクやウォークマン、ヘッドフォンなどの製品をこれまで担当した、製造一筋の熟練がそろい、一つ一つが手作りとなっている。

ソニー・太陽の工場
ヘッドフォン/イヤフォンの製造セル

 今回、じっくり見ることができたZ1Rを生産するセル(同じく現行機種のMDR-Z7も担当)の他に、ヘッドフォンの製造ラインの中には、定番モニターヘッドフォンの「MDR-CD900ST」を製造するセルがあり、この工場は今もCD900STを作る唯一の拠点でもあるのだ。両製品は同じ作業者が担当する“渡り鳥生産”で、プロの厳しい品質が求められるCD900STと同じ人が作っているヘッドフォンということも、安定した品質の高さにつながっている。

製造一筋のエキスパートがそろうZ1Rの作業担当者
20種類の治工具を新規製作した
イヤーパッド取付治具や、ワイヤーメッシュ挿入治具、レーザーマーキング、ボンド塗布治具などの細かなこだわり
専用の治具により、直接ユーザーの肌へ触れるイヤーパッドに手を触れず、シワにならないように取り付けられる

 例えば、ヘッドフォンなどの製造において「ボンドを使う」ことは、一定の品質を保持するのが難しいという。しかし、ソニー・太陽にはボンドを使うことにも熟練した作業者がいて、強度と音響(気密性)などを考慮し、数種類のボンドを使い分けている。あらかじめ決められた塗布量を自動で出し、効果時間などのばらつきを防ぐ塗布装置も用意した。

 また、ヘッドバンド伸縮時の動作を確実にするため、ワッシャーなどの細かなパーツを1つ1つピンセットで取り付けているが、その作業はとてもスピーディー。作業している人は難なくこなしているように見えるが、後ろから写真に撮ることも難しいほど小さなパーツを素早く所定の場所にはめ込み、固定するまでの作業が、尾崎氏による言葉での説明を大きく上回るスピードで行なわれている。

ヘッドバンド部の可動部などにパーツを取り付ける工程。パーツが細かくて手の動きが早く、撮影も難しいほど

 伸縮時の「カチカチ」と鳴る音は、ジョイント部分に入れた小さなボールで出しているもので、ハイエンド機器などに限られている。CD900STなどと同様に“金属の繊細な音”を出すことにも技術が詰め込まれているという。

可動部に小さなボールをのせる

 最終的な音質チェックも、モニターヘッドフォンのMDR-CD900STの聴き分けを行なっている“達人”が担当。実際に楽曲を流して問題がないかを確認している。ヘッドフォンから出る音だけではなく、外観や各可動部の動作チェックも行ない、ヘッドバンドを伸縮させたときに生じる「カチカチ」という音も、一つ一つ確認しているとのことで、この音に違いがあるかどうか判別できるのは、職人の手にかかっている。

音質検査の工程。“達人”の厳しい耳でチェックされる
イヤフォンの製造セル。こちらも細かいパーツを、熟練の職人たちが手作りで組み上げる
マイクなどの開発に使われる無響室も備える。ユニバーサルデザインのフラットなフロアで、フローティング構造

 Z1Rは、20万円を超える高級なヘッドフォンではあるが、“音への執念”にも近い開発者の情熱と、それに応える現場の作業担当者が持つ技術の連携があって生まれている。ただ年月を重ねただけでなく必要な過程を経たことで、ソニーを代表する製品となって送り出されていることは間違いなさそうだ。

MDR-Z1Rの開発者と、ヘッドフォン製造を手掛けるソニー・太陽のスタッフ

中林暁