■ 口上
例年かなりぶつくさ言いながら年末総集編を始めるのが恒例であったが、今年はこの総集編を書くのが楽しみであった。すでに今年の10大ニュースのアンケート調査も行なわれているが、今年のAV機器業界はいろんな意味で「破壊」の兆候が現われた年であったろうと思うのだ。 いろいろなものが大どんでん返しになり、来年から一体どうなるの的なワクワク感を感じている。同じような思いを抱いている方も多いことだろう。では、それぞれのジャンルで今年の傾向を振り返ってみよう。
■ ビデオカメラ篇
毎年Zooma!におけるビデオカメラの比重が高くなってきているような気がするが、それだけハイビジョン動画というのは展開が速い。フォーマットではAVCHDがデファクトスタンダードとなり、撮像素子ではCCDの時代が終わったのが、今年の象徴的な出来事であろう。 まず7月にはビクターEverioが「GZ-HD40」でAVCHDフォーマットに参入、また9月の日立「DZ-BD10H」ではBD記録を残しながらも、HDDとメモリーカード向けにはAVCHD準拠での記録を可能にした。これで一応ビデオカメラとして認識できる製品としては、三洋のXactiを除けばすべてAVCHD化したことになる。そのXactiは、三洋がパナソニックの子会社となることで、今後どうなるかわからなくなってきた。
CMOSのメリットは、低消費電力・スミアレス・高速読みだしなどいろいろある。その中でも、高速読みだしのところに着目した面白いカメラが出てきた。高速度撮影は以前からソニーのハンディカムシリーズで、「なめらかスロー録画」として搭載してきた。しかし記録時間が短く、画質的にそれほど良くはないということで、差別化要因としてはあまり訴求できていない。 カシオの「EX-F1」はデジカメではあるが、この機能を搭載して注目された。それはデジカメユーザーの視点でみた、「ワンショットを撮る」という方向性とこの機能が、合致したのだろうと思われる。記録時間は無制限、一発勝負とはいえノーマルスピードからハイスピードに切り替えられるなど、他にはない機能を搭載した。 また三洋の「DMX-HD1010」はフレームレートは固定だが、S/Nのいいハイスピード記録で驚いた。この手の機能は、子供撮り用途で固定化されつつあるビデオカメラに、新たな新風をもたらすものとして期待したい。
ただフルHDカメラをポケットサイズに仕上げた「HDR-TG1」は、ソニーらしい取り組みとして評価したい。「このサイズに全部入っています」というのは、ソニーのお家芸である。過去これらの製品が、社会現象レベルのパラダイムシフトを引き起こしてきた。ただTG1はバランスのとれたカメラではあるものの、残念ながら社会現象になるほどのインパクトは残さなかったように思える。
ビデオカメラ業界では、自社でメディアを持っていない会社がメディアのパラダイムシフトを起こすことがある。ビクターがHDDを当たり前にし、キヤノンがメモリを当たり前にした。革命は常にソニーとパナソニックから起きるわけではないということを証明した。
またHF11とHG21では、AVCHDの規格上の限界値となる24Mbps記録を実現した。しかしその反面、DVDメディアには保存できないという、AVCHD本来の目的が崩壊するという現象を引き起こした。
■ デジカメ動画篇
真っ先にこの分野に切り込んできたのが、ニコン「D90」である。もちろん本来は写真機なのだが、豊富なNikon Fマウントレンズが使えて、APS-Cサイズの撮像素子で720pのハイビジョン動画が撮れるというのは、ビデオカメラの菱形絞りボケを見て「ダメダメじゃん」と呆れていた層を幅広く捉えた。
動画撮影時はすべてがフルオートにならざるを得ないという欠点があるが、それでもボケ味の美しさがハイビジョン動画で楽しめる魅力の方が勝る。惜しいのは、動画コーデックがMotionJPEGでビットレートがそれほど高くないため、圧縮ノイズを感じてしまうところだ。
こちらも多少の露出制御ができるだけで、実際には絞りリングの付いたオールドレンズのほうがコントロールしやすい。ビットレートとしては十分なはずだが、H.264独自のクセとして、平坦な部分を過剰に圧縮しようとする傾向があり、そのあたりの踏ん張りがアルゴリズム内に見られないのが残念だった。
おそらく来年には、フルハイビジョン撮影できる小型なデジカメが登場するはずだ。そうなった時に、ビデオカメラの価値をどこに求めるべきか、悩ましいところである。
■ レコーダ篇
録画メディアの変化でドラスティックだったのが、今年2月のHD DVD事業撤退である。今年初めのCESでは、HD DVDのプレスカンファレンスが突然中止されたりしてかなり不穏な雰囲気ではあったのだが、割と早い時期での撤退表明だったのではないかと思う。 ただしこの撤退は、Blu-ray陣営にも追い風とはならなかったのではないか。各調査会社のデータでは、BDへの移行が順調に進んでいるように見えるが、経済紙では開発コストに対しての収益性の低さが指摘されている。新モデルのリリースも、数年前のレコーダブームでは考えられないぐらい少なくなってきている。北京オリンピック、そしてその前に無理矢理な決着を見せたダビング10も、レコーダ市場の活性化には期待されたほどの効果をもたらさなかった。 レコーダに限らず、テレビ番組を記録してあとで見るというソリューション自体、メディア依存からネットワーク依存への変化が起こっているのではないかと思われる。東芝REGZAで市販のUSB HDDやNASに向かって録画できるという機能は、普通に便利だ。HDMI CECといった機能も、わかりやすさで好評だった。 その点で新たに注目したいのが、ソニーの「BDZ-A70」である。ダビング10、そして自社開発のDRMにより、録画番組をシームレスにウォークマンに転送して見せた。旧来のレコーダの形をしていながら、中身はまったく別の方向に走り出している。 同様にパナソニックの「DMR-BW930」も、転機となる製品だ。すでに「ビエラリンク」で自社製品同士の囲い込みが成功したにも関わらず、逆方向とも言えるDLNA搭載でLANごしの再生を意識したのは、同社としては珍しい戦略だった。レコーダながらアクトビラ・ビデオに対応したのも、面白い。
今ではレンタルビデオはごくごく当たり前の事業だが、80年代に初めて登場したときには、放送に変わる「ニューメディア」として、まさに鳴り物入りでスタートしたものだ。オンデマンドサービスには、まさにその頃の「これまで存在しなかったものを提供する」という独特の雰囲気がある。従来にあるようなテレビの役割、そしてレコーダの役割が、ゆっくり破壊されつつあるように感じる。
■ オーディオ篇
今年扱った製品の中でオーディオ関係は少なかったが、新機軸として新しいスタイルの「楽器」が登場したのは、面白い傾向だった。ヤマハの「TENORI-ON」は、楽器の経験がない人でもそれなりに、音楽の才能がある人には破格に楽しめる、デジタル技術なしでは考えられないインターフェイスで登場した。 従来の電子楽器は、中身は完全デジタルでも、基本は生楽器を模したものがほとんどだ。それは人間が音楽を奏でるという基本的なインターフェイスを、従来の完成された楽器というメソッドに依存しているからである。TENORI-ONも、かつて16ステップのシーケンサをいじくった身からすれば全く新しいものとは言えないが、リアルタイムでシーケンサをいじっていくというインターフェイスを実現した点で、面白かった。
ただ、現時点ではあまりにもライブパフォーマンス時における偶発性に依存しすぎている。もう少し「仕込み」ができるとありがたいのだが、そこは「楽器は弾けないが人前で演奏してみたい」という憧れが強く出過ぎた結果なのかもしれない。
アナログシンセの音作りは、リアルな音を出すというよりも、人間の理解の及ぶ範囲でユニークな音を引き出す、比較的コントローラブルな世界だ。楽器として意図的に「弾く」という要素はほとんどないが、タッチパネルを生かしたフレーズ入力を搭載した。
ソフトシンセと言ってしまえばそれまでなのだが、それを楽器としてではなく、誰もが持ちうるDSでやったところに意義がある。続編でOberheim Xpanderとか出てきたら、泣きながら買う。最先端のデジタル技術を駆使して全力でバックしていくような取り組みは、今後も続くことだろう。いわゆる「神機」をデジタル技術でフルスクラッチする試みは、「テクノロジーの無駄遣い」という最高の賛辞で迎えたい。
一方スピーカーも良いものがあるが、あまり注目されなくなってきているようで、残念だ。iPod対応スピーカーは一つのジャンルを作ったが、昔のサラウンドブームと同じように多種多様なメーカーが参入し、大変なバリエーションとなったが、その割にはあまりいいものが出ていないように思う。
そんな中、聴いてみて良かったのが「BauXar」であった。タイムドメイン方式は以前から評価が高かったが、その良さを取り入れつつ、比較的廉価に仕上げている。元々普通のオーディオとして通用する音質だが、あえてiPod対応を訴求して敷居を下げようとしているところが、戦略的に面白かった。
■ 総論
'97年にClayton Christensen教授が提唱した論理によれば、産業構造における「破壊的イノベーション」とは、新しい価値を持った低価格な製品が元々存在しなかった市場ニーズを形成し、旧来のビジネスモデルに取って代わることである。かつてはウォークマンやiPod+iTunes Storeがこれを起こしたわけだが、映像の世界ではデジカメが面白い結果を出しつつある。 記録メディアがメモリになり、画素数がハイビジョンサイズに達したのは特に驚くに値しない。ムーアの法則があてはまる限り、いつかは訪れる結果であった。これは破壊的イノベーションの対局にある、典型的な「持続的イノベーション」である。しかしCMOSは、一度は見捨てられたようにも思えた技術だ。これを再び拾い上げてモノになるように仕上げたのは、日本のメーカーならではのがんばりであった。 デジカメがハイビジョン動画機能を持つことは、持続的イノベーションが行き着いた結果、他のビジネスに対して破壊的イノベーションを生み出すという結果になるのではないだろうか。もしこの傾向が来年以降も続くようであれば、ビデオカメラのビジネスはほどなく破壊される。そしてこの破壊は、デジカメメーカーであるとともにビデオカメラメーカーでもあるソニーやパナソニック、キヤノン自身ですら、止められない動きとなるだろう。彼ら自身がやらなくても、どのみち他社がそれをやってしまうからである。 一方テレビやレコーダ部門では、別の破壊が静かに進行しつつある。これはネットという破壊的イノベーションに対して強硬に抵抗してきた結果、破壊が行なわれる前に持続的イノベーションが限界に達してしまったとも言える。トライできないメーカーは、ひたすら高画質化に挑むしかなくなった。しかしレコーダやテレビに搭載されるハイビジョンベースの高画質化技術は、もはや普通の人が「見てわかるレベル」を超えてしまい、価値があるのかどうか判断できなくなってきている。 人は、自分でわかるものにしか価値を見いださない。その点で新しいアップコンバート技術としての「超解像」は、新しい破壊を生み出す可能性はある。この技術は元々天文写真などの高解像度化技術として古くから研究されてきたが、コンシューマ用に、しかも動画処理としてやってしまうわけだ。ただ現在超解像を謳う製品は、まだイノベーションのレベルにまでは至っていない。 日本は、過去存在しなかった技術的論理を生み出す土壌には恵まれていないが、誰もが諦めた論理をしつこく研究してモノにしてしまう、改良の国である。この強さは、世界に名だたる電気機器メーカーが小さな国に異様に沢山あることからも伺い知ることができる。 しかしすべての部門でそれがうまく働くとは限らない。日本の電気メーカーは、かつては専門性を捨てて、広く均一な技術革命に取り組んだ。しかし拡散があれば収束がある。ビクター、パイオニア、三洋といった電気メーカーに訪れた変革は、拡散の限界値を示したものと言えるだろう。
2002年にソニーが合併したAIWAは、今年5月にひっそりと事業の終焉を迎えた。老舗オーディオメーカー「ナカミチ」も同様である。未曾有の経済危機を言われる今回の世界的不況に対して、多くのメーカーが、開発資本投下の集約を余儀なくされることだろう。しかし破壊のあとに生まれるものこそ、革新である。来年は画期的なイノベーションの誕生に期待したい。
□Electric Zooma!バックナンバー
(2008年12月24日)
[Reported by 小寺信良]
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