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「オデュッセイア」IMAX先行上映開始。樋口監督、小島秀夫氏ら絶賛コメント
2026年9月4日 11:37
9月4日からIMAX先行上映がスタートしたクリストファー・ノーラン監督最新作「オデュッセイア」。樋口真嗣監督や、映画「国宝」の李相日監督、ゲームクリエイターの小島秀夫氏など、今作をひと足早く鑑賞した各界著名人からのコメントが発表された。
「国宝」で社会現象とも言える大ヒットを記録した李相日監督は「間違いなく、『極限の地点』にある映画」と語ると、映画「8番出口」で日本中を熱狂させた川村元気監督は「ノーランの神業に飲み込まれる、圧倒的映画体験」と大絶賛。2025年の映画界を大いに盛り上げた第一線の監督たちも、ノーラン最新作が到達した圧巻の映画体験に脱帽している。
また、世界的なゲームクリエイターとして知られ、ノーラン監督との対談経験もある小島氏は、「IMAXで伝承されるノーラン版は、まだ誰もが観たことのない未体験の“オデュッセイア”だ」と、史上初の全編 IMAXカメラ撮影による映像体験を絶賛。
本作の字幕・吹替監修を務める古代ギリシャ研究家の藤村シシンは「紙の上で知っていたはずの物語を、私は初めて全身で体験した。これは神話を観るだけの映画ではない。その船に乗り込む映画だ」と感服の意を表している。
さらに、古代ローマを舞台に描いた大ヒットコミック『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家・文筆家・画家のヤマザキマリも「フィルム撮影によって描かれる壮大かつ芸術的な古代世界と、斬新な解釈が添えられたストーリー展開に、映画史の成熟を垣間見た」と絶賛の声を寄せている。
樋口監督も「私たちが信じて何十年とかけて精緻に複雑に練り上げてきたメソッドは、恐ろしくシンプルで原始的な方法で塗り替えられようとしているのかもしれない。だとしても、これを追従するのは容易なことではないことだけはわかる。掲げたルールを理解したとしても、だったらどうやって画にしたのか、想像できないのだ」とコメント。
そのほか、大のノーラン監督ファンとして知られる三代目J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBEの岩田剛典氏や、お笑いコンビ・ドンデコルテの渡辺銀次氏、「ほぼ日刊イトイ新聞」の主宰・代表としても知られる糸井重里氏、宇宙飛行士の野口聡一氏などもコメントを寄せている。
IMAXでの先行公開にあわせ、参加型SNSキャンペーン「#オデュッセウス俺の10 年を聞いてくれ」も4日からスタートした。主人公オデュッセウスが繰り広げた「10年に及ぶ過酷な帰還の旅」になぞらえ、「現代を生きる私たちが就職や仕事、人生の中で足掻き、闘い抜いた10年の“人生の叫び”を募集する企画」となる。
指定ハッシュタグとともに自らの熱いエピソードを投稿すると、映画オリジナルグッズが当たるチャンスも用意されている。
今作は4日かr19日までがIMAX先行上映期間で、9月11日に日本公開。また公開前日の10日はIMAX、Dolby Cinema、MX4D、35mmフィルム、2D吹替の全5フォーマットが一挙に揃う「『オデュッセイア』TOKYOプレミア」も開催される。
『ちいかわ』と同じような時期に、『オデュッセイア』が見られるというのは、いよいよ新しい「神話の時代」がきているのか。
ノーランに裏切られた!一言で言えば“愛”の映画。
映像と音、キャストの演技、ぜひ映画館で体験して欲しい。
圧倒的なスケールで描かれる神話世界の美しさと迫力たるや!
オデュッセイアと家への旅路を共にしているような臨場感に脱帽。
なにより、2800年前の物語は、そのままに誰のことも信じられず奪い奪われる、今の私たちの物語だった。
ノーランが映画史に刻んだ「体験としての映画」の金字塔。
スクリーンの中で生還したオデュッセウスのように、同時代を生きるすべての映画ファンは劇場に行って目撃し、命からがら帰ってくる以外の選択肢はない。
繊細な剛腕で古代の叙事詩を自分のものにしてしまうノーランが怖い。これまでの彼のフィルモグラフィー全体がこの映画の前振りだったと錯覚するくらい「ノーランらしさ全部入りの翻案」に圧倒された。偏執的な映画原理主義者による数百億円かけた名刺であり、自選のベストアルバム。
最高峰に登り詰めた天才が、神の手触りを求めて更に手を伸ばす。ノーランの神業に飲み込まれる、圧倒的映画体験
全編IMAXフィルムカメラ撮影された本作は、スクリーンをただ“観る”のではなく、そこに“いる“ことを体感させる。俳優たちの表情に容赦なく近づき、彼らの苦悩と運命を執拗に追い続けるノーランとホイテマの絵創りは、現代人に向けた新しい解釈と見せ方で、古典叙事詩を”等身大の人間ドラマ”として昇華する。口頭伝承で始まったホメロスの冒険譚は、これまでも多様な方法でいくつも創られてきた。しかし、IMAX®で伝承されるノーラン版は、まだ誰もが観たことのない未体験の“オデュッセイア(Odyssey)“だ。
古代ギリシャの話かと思ったら、古代ギリシャの話なんだけどさ、なんだよ、これ!
洞窟に閉じ込められたあたりから、「えーー?こっちー?」ってなって、「おもしれー、これ!」って叫びたい気持をおさえて見てたら、最後、夫婦の愛に泣いちゃってる!
少年心と、結婚して年重ねたからこそ感じる心をぐちゃぐちゃに混ぜられて、天晴!
もう一回、家族で観に行く!
観始めるとスクリーンに映し出される一つ一つの場面に心を奪われ、気づけば物語の中にいるような感覚になっていたんです!!
映画を観終わったとき、「私の答えがココにあった‼︎」と感じました。
ただ「感動した」という一言では到底表せないほど、心の奥深くまで揺さぶられる映画でした。
クリストファー・ノーランが神すらたじろぐ熱量で映したのは、敬意と掟を失ったいまの世界への荘厳な神託だ。
2026年、映画館で1本だけ観られるなら、迷わず『オデュッセイア』を選ぶ。
「生きて、帰る。」正義の名の下に戦った主人公の罪の意識。それを背負っての長い道のりに感嘆した。
なんということだ。デジタルで拡張せずに等身大の表現だけで、この神話を撮り切ってしまった。
抑制を究めたルールに基づくソリッドな表現で、一片の嘘のない凄みを帯びた描写が積み上げられていくと、ある疑念が浮かんでくる。
これはもしや、あの時代に存在した要素だけで撮影したのではないか?
まさかとは思いたいが、私たちが信じて何十年とかけて精緻に複雑に練り上げてきたメソッドは、恐ろしくシンプルで原始的な方法で塗り替えられようとしているのかもしれない。だとしても、これを追従するのは容易なことではないことだけはわかる。掲げたルールを理解したとしても、だったらどうやって画にしたのか、想像できないのだ。
後年、あの時だったのか!と振り返ることになるであろう歴史の変節に立ち会わずして、どうする?
行って帰ってくる! ただそれだけの単純で壮大な一往復が、手を替え品を替え、目まぐるしく繰り出す数々の興奮! ノーラン得意のプロジェクト型の映画であり、因果関係を巡るその縦横無尽のイマジネーションが、神話に支えられながら、神話を再生している。原作の映像化を、驚嘆し、また時には危ぶみながら見守る時、観客は半ばオデュッセウスであり、また半ばノーランなのである。
紙の上で知っていたはずの物語を、私は初めて全身で体験した。
三千年近く語り継がれてきた『オデュッセイア』の一行一行が、波になり、風になり、声になる。
これは神話を観るだけの映画ではない。その船に乗り込む映画だ。
三千年間読み継がれてきた人類史上最大のロングセラー「オデュッセイア」
フィルム撮影によって描かれる壮大かつ芸術的な古代世界と、斬新な解釈が添えられたストーリー展開に、映画史の成熟を垣間見た。
間違いなく、「極限の地点」にある映画。これから先、いつ観れるのかも分からない。
何かを成し遂げる物語はたくさんあります。でも、成し遂げること以上に、いるべき場所に帰るまでの過程にこれほどのドラマがある。戦争や災害は、いとも簡単に帰るべき場所を奪っていきます。
「帰る」という、いまの世界と繋がるシンプルな願いが僕たち自身の物語として迫ってくる。
オデュッセウスは戦うこと10年、放浪すること10年。渡辺銀次41歳、私はくすぶり続けること18年。ではさぞかし重なる部分も多かろう、そうお思いでしょうか。否、オデュッセウスの受難の数々は私など足元にも及びません。私が長いこといた場所を、お笑い界の冥府と言うことはできるでしょう。しかし自分のせいで冥府にい続けた私と、人のために本物の冥府にまで足を踏み入れた智将の苦悩では比ぶべくもないのです。
たしかにこれは、原色ベタ塗りのスーパーヒーローが無双するような単純な童話ではありません。弱さも持ち合わせた男が、もがいてもがいて打ち克つ人間の物語です。しかし我々とは規模感が全く異なります。そのスケールは、神の怒り、避けられぬ運命、王の責任、妻子への愛、世界史に燦然と輝く叙事詩の名に恥じぬ壮大なものばかりでした。「自分だったら」などという投影をおこがましいと思わせる規格外の物語。「あいつに負けた」「俺なんて」うじうじうじうじ。そんな我々の苦悩がいかに矮小か、この作品に蹴散らしてもらいましょう。圧倒的なボリュームが圧倒的なスピード感で進む圧倒的な3時間。どうか膀胱を完全に空にしてからご鑑賞ください。

