麻倉怜士の大閻魔帳

第22回

時代劇から製作コスト大幅削減まで“8Kワールド”本格始動。麻倉怜士、mipcomに初見参

本連載では毎年春にカンヌで開かれる「miptv」の動向をお伝えしている。映像番組の国際見本市としての地位を確立しているイベントだが、実は秋にもほぼ同じイベントが、同じ場所で同じ様に開かれているのはご存知だろうか。その名は「mipcom」。このmiptvの兄弟イベントに初見参した麻倉怜士氏が見たものは、世界的な8Kの飛躍だったという。雨ニモマケズ 風ニモマケズ、はるばる秋のカンヌへ赴いたその取材成果を、たっぷりと語っていただこう。

会場のカンヌコンベンションセンターを、夕暮れ時にパチリ。映画に留まらない、映像コンテンツの可能性を追い求め続ける街

mipcomとは何か

――今回は10月にカンヌで開かれた「mipcom」にまつわるお話という事ですが、閻魔帳では毎年春に「miptv」という同種のイベントをリポートしていますよね。この両者はどんな関係なのでしょうか。

麻倉:秋のmipcomですが、実のところ私は今回が初参加なんです。なのでまずは、イベントの概要からお話しましょう。

お察しの通りmipcomは春のmiptvとの兄弟イベントで、併せて年に2回、いずれもフランスのカンヌで開催されています。以前は一般コンテンツのmiptv、アニメ中心のmipcomという棲み分けだったのですが、現在はほぼ違いが無いので「映像番組の国際見本市が年に2回開かれている」という認識で大丈夫でしょう。特に私が参加しているソニーの4Kシアターイベントは、ここ数年ずっと春/秋ともにやっていました。そのためここを半年おきに視ていれば、4Kトレンドをタイムリーに知ることができると言えます。

そういう事で前々から春と併せて、秋のmipcomも是非取材をしたいと願っていたのですが、オーディオビジュアル業界にとってのこの時期は諸々のイベントが重なっていたり、年末のアワード審査試聴が連日あったりという、いわば最繁忙期にあたるシーズン。なのでこの時期のカンヌ出張は無理だろう、と初めから思っていました。ですが今年は何とかスケジュールに折り合いをつけてみたんです。

お目当てのソニーシアターは10月14日からの3日間ですが、今回は間が悪いことに台風19号とカチ合わせしてしまいました。フライトは13日でしたが、羽田のボードは半分くらいに欠航の文字が並んでいるという有様。運良く私の便は飛んでくれたのですが、経由地のパリ到着が遅延したために、カンヌ入りが予定より1日遅れてイベント初日の14日朝になってしまいました。とまあ、確かに多忙ではあったのですが、今回は何とか取材をこなせました。やってみると案外、事前に思っていたよりも出来るものですね。

――それはそれは、なかなかスリリングなカンヌ出張だったようですね…… その分収穫もしっかりありましたか?

麻倉:5月の連載分でmiptvにおける8Kの躍進を伝えていますが、今回行ってみると半年で更に躍進していました。私の感覚で、イベントにおける8Kのスケール感はだいたい1.75倍といったところでしょうか。

mipにおける8KはNHKが従来から力を入れていましたが、これまでは「VPL-VW5000」の4Kプロジェクションを使っており、惜しいことにダウンコンバートでの上映でした。それが4月からはブラビア「Z9G」シリーズの98型8Kテレビによる上映に切り替わっています。今回も同じシステムを使っていましたが、これは今存在する機材で望みうる最高クラスの環境でしょう。階調やコントラストも良好で、本当の8Kを観ることができました。

加えて今回はソニーシアターとは別に、NHKが独自の8Kシアターを設置しました。環境としてはパナソニックDLPプロジェクター×4台による248型の巨大画面で、コンテンツは8Kだけの完全専門シアターです。海外向け番組販売を手掛けるNHKエンタープライズも熱心で、今回は特製の8K番組カタログも作成しています。現地では国際共同制作も広く呼びかけていて「mipで8Kワールドを拡げる」という戦略的命題に挑む様子を見ることができました。mipという場をうまく使い、世界のバイヤーやプロデューサーへ参入を促すPR作戦です。この辺は後ほどお話しましょう。

NHKエンタープライズが今回配布した8K番組カタログ。自慢の8Kクルーが世界各地で撮影した数々のコンテンツを一挙紹介し、8Kの魅力をアピールしていた

8Kで“ドラマ”。そこに大きな可能性が

麻倉:今回現地を見ていると、8Kに対する世界のクリエイター達の考え方が変わってきた様に感じました。大きな流れとしては、まずドラマが出てきたことが挙げられます。

これまで8Kは景色や宇宙など、自然科学のドキュメンタリーコンテンツが多かったですが、ここに来て「ドラマを8Kで真剣に撮ったらどうなるか」という模索が見えてきました。この流れを牽引しているのはやはり日本の陣営で、今回はNHKの「浮世の画家」、日本映画放送の「帰郷」のドラマが会場で注目されていました。

これらを通して、8Kドラマにおけるボケは非常に重要な要素という事が、今回改めて確認できました。ノンフィクションでは効果が認められている8Kですが「これだけ精細感のある描写力はドラマに適するのか?」というのはやはり気になるところ。解りやすい例だと、例えば女優の顔(これはフルHDの時から言われ続けてきた)、大道具の作り物感、などのポイントが指摘できるでしょう。結論から言うとこういった懸念は今回でほとんど払拭され、同時に新たな表現性を獲得できたと見られています。

まず「浮世の画家」について。これは戦争を挟んだ老画家の後悔と複雑な心理を描いた、ノーベル賞作家カズオ・イシグロの初期作品です。本作について、渡辺一貴監督は“黒の再現性”をキーポイントに挙げています。というのも、8Kは従来の黒一色な暗部とは違い「その中にすこし暗い、明るいグラテーションがはっきり表現できる」としており、暗部階調の描き分けに驚きを隠せない様子でした。

8Kらしいエピソードとして、監督は撮影中に蜘蛛が映りこんでしまったトラブルを明かしてくれました。当然演出ではないので蜘蛛を払ったカットも撮影したのですが、OKテイクとして採用されたのは前者。監督は偶然の産物である蜘蛛の糸に、ドラマ的な言葉を与えることにしたのです。しかも、細い蜘蛛の糸は8Kでないと映りません。画家の悩みや後悔、後ろめたさを蜘蛛が絡み取るというドラマチックなこの閃きを、監督は「自然からの演出だ」と言っていました。これはまさに、8Kにおける新しいドラマ表現と言えるでしょう。

ですが、よく映る事は良いことばかりではありません。特に気を使うのは大道具で、例えば目張りをしたところがわからないように処理したといいます。これはハイビジョンが出始めの時も指摘された問題で、映り過ぎはドラマにとって良くないと多々言われたものでした。ですがハイビジョンが普及するにつれ、人々はよく映ることに順応してゆき、いつの間にか普通になりました。「8Kも同じだと思います。(よく映ることは)新しい表現の武器になります」とは渡辺監督の言で、今回に関しても、現場では8Kだ4Kだという様なことは、ほとんど意識せずに撮影できたそうです。

そうして出来上がった8K映像が宿すリアリティは、従来とは一線を画するものがありました。主演の渡辺謙さんは本作について「8K画面を観ていると、モノが焦げる臭いも感じるのです。それは画面からのリアリティに加え、22.2チャンネルの音を聴いて感じる感覚かもしれません」と試写会で話しました。これは5月に取り上げた“ヴェネツィア” 8Kでも見られた、8Kが引き出す共感覚と同種のものと言えるでしょう。

「ストレンジャ~上海の芥川龍之介~」は試写こそありませんでしたが、私はとても注目しました。本作は渡辺あや作、松田龍平主演、2019年12月30日夜に3波同時(BS8K/BS4K/NHK総合)で放送予定のテレビドラマです。あらすじは新聞社の特派員として中国・上海に派遣された芥川龍之介の視点を通じ、芥川の小説世界と派遣当時の中国の現実を織り交ぜつつ、20世紀史中の日中の精神的交流を描く、というもの。撮影は今年の6月中旬から7月上旬にかけてほぼ全編を上海で収録、映画の撮影監督の北信康氏に制作を依頼したというのが大きな特徴です。

画面サイズをはじめとした視聴環境の違いから、従来だとテレビドラマと映画では画面構成などに違いがありました。ですが現代はスマホやタブレットなどで当たり前のように映画を観る時代です。そのため本作は撮影時から、放送だ、映画だ、配信だ、というメディアの壁を意識的に取り払い、映画で培ってきた手法を積極的に放送に入れようとしていたそうです。その結果出来上がったのが、単焦点レンズを使って、映画の撮影手法を用いたスタイルの映像。これが「映画のキャメラ・マンはこんな映像を撮るのか」とNHK内部でも大評判になり、試写には多くの関係者が集まったといいます。上海の路地裏を芥川が歩くシーンでは、ちょうどよい画角と移動感で、これまでのドラマにない、臨場感やリアリティがあったということでする「水に濡れた道にネオンがキラキラと反射する様からは、8Kによるドラマの新しい可能性を感じました」と担当者は言っていました。

NHKが挑戦した8Kドラマ「浮世の画家」「ストレンジャー~上海の芥川龍之介~」は、今回のmipcomにおけるハイライトのひとつ。よく写る8Kはよく表現できる環境であり、それだけ世界観の可能性を秘めているということでもある
浮世の画家で主演した、渡辺謙さんとのツーショット。些細な動きまで映り込む8Kの描写力は、役者にとっても実力を試される環境となる

麻倉:次は日本映画放送の「帰郷」です。同社は『時代劇専門チャンネル』で既に4K時代劇を20タイトルほど制作しており、高精細作品にも慣れています。今回NHKが大々的にワールドプレミアをやると聞きつけた同社が「ウチも頑張らないと」と、mipcomで公開に踏み切りました。テーマは「時代劇における8Kへの挑戦」で、特に監督のディレクターズインテンションにこだわっています。

制作にあたって杉田成道監督(日本映画放送社長。『北の国から』シリーズの演出家として知られる)が目標にしたのが、キューブリック監督の「バリー・リンドン」という名作。人間の目より明るい開放絞り値F0.7というNASA開発のレンズを用いて、照明を使わず、ロウソクの光だけで撮影されており、暖かく包み込むトーンで、雰囲気や時代性がよく出ていました。

このバリー・リンドンに挑むのが、社長の長年の思い。ですが今までは描写力不足で人工光を使っていたためか、ロウソクのような自然な光のゆらぎがなかなか出なかったと言います。そこで8K。ロウソクをキーライトに使い、バリー・リンドンの様に人の顔を照らし、周りの景色を映しました。この挑戦が予想以上に大当たり、ロウソク光が持つゆらぎ感や暖かさや臨場感が非常によく出てきたと、8Kの描写力に驚いたそうです。

杉田さんの意図として、鮮やかすぎず、綺麗すぎずをカメラマンに要求。撮影は福島でのロケで、自然の広いパースペクティブを活用しています。広角撮影をすると細部がボケがちというのがこれまで半ば常識でしたが、今回は細かいところまではっきり。山の頂の描写や広がり感、雲の動きやグラデーションなど、自然の素晴らしさ・凄さを表現しており、ここでも8Kの描写力に感心した様子でした。

プロデューサーの宮川朋之さんは「8Kだと芝居に嘘がつけないので、企画の内容から厳密に挑む必要があります。人気や知名度に頼ったキャスティングではダメで、役者は演技力のある才能を集めた。本物でないと必ずバレてしまうので、我々も姿勢を正してプロデュースしました」と話していました。音楽でもハイレゾが出たときにインチキがバレた様に、映像でも8Kだとその辺が見える訳です。この辺が日本映画を8Kで撮るという、新しい試みの成果でしょう。

――8Kの精細度は広角で撮る人物の表情も認識可能にし、顔をクローズアップする事から開放しました。そんな事を考えると、カメラの効果的な使い方は時代や技術によって大きく変わるものなのですね。こうした精細度の効果や弊害はまだまだ探求しがいがありそうです。

麻倉:これら8Kでドラマを撮るというアプローチ、実は今回、キヤノンも追求していて、台湾で制作したショート恋愛ドラマ『Stand By You』を公開しました。もっともキヤノンの場合はドラマ表現よりも、レンズの性能をアピールする事が主体です。加えて、8Kでドラマを撮ればどんな絵になるかという実験でもあります。消えた弟を探して、日本人女性が台北へ。そこで現地の男性と出会い……というショートストーリーで、本作では特にボケ味を追求しています。

[8K] Stand By You(CanonOfficial)

物語性のある映像においては、インフォーカスとアウトフォーカスで絵の言葉を紡いでゆきます。背景をボカし、主人公にフォーカスを合わせるというのが基本テクニックですが、8Kではそれがさらに見えるわけです。つまりフォーカスが合った部分の精細感はもちろん、バックがきれいで“精細にボケる”。ここで注意したいのが、ボケにも粗いボケと高精細なボケというクオリティがあるということ。レンズが良い事を前提に、8Kは高精細で明確に、はっきりボケます。これによって距離感も視覚的によく出るのです。コンテンツにおけるドラマの存在感に留まらず、映像そのものも8Kになった時のストーリーテリングで監督の意図が出る、というのがキヤノンの説明でした。

日本映画放送が運営する時代劇専門チャンネルは、カンヌでは「SAMURAI DRAMA CHANNEL」として紹介された
旅や街並み、あるいは殺陣など、時代劇において広角シーンは世界観や迫力を演出する重要なツール。こういった場面でも8Kの描写力が十全に発揮されている

麻倉:今回のmipにおけるNHKの第2戦略が、8K共同制作です。

――この点は5月の連載で、私達が取材から考察した部分でもありますね。

麻倉:今回の取材で春の話がより具体的になり、広がりが出てきたと感じました。NHKプロデューサーの堀江さゆみ氏に現地で話を聞いたところ「もちろんNHKは自力で8K番組がつくれます。でも、8Kのコンテンツ的な可能性を拡げるのもわれわれのミッションです。国際的に、8Kの制作者をエンカレジしたい」と語っています。というのも4月のmiptvが相当刺激になった様で、NHKから見て「世界はこんなにも広い、ウチとは違う8Kのやり方がこんなにあるのか」そんな事が判ったそうです。今回はNHKが独自にシアターを作ったわけですが、次回はコンソーシアムの様に集まって作る構想なども練っているようでした。

NHKが外部の8Kコンテンツに求めるポイントはふたつ。ひとつは“エモーショナルな絵”です。公共放送を自認するNHKの基本スタンスとしては、多様なコンテンツに対して内外から客観性が要求されます。この「誰が見ても揺るぎない正しさ」という考え方は8Kになっても同じで、主観性を押し出した強烈なコンテンツづくりはNHKだとなかなか難しい。こういった8Kの可能性を追求する手段として「俺が撮りたい8K映像を撮った!」という作品が欲しいのです。

そのひとつの例が、チベット自治区の山を題材にした「天に光 地に彩 中国四川省ガルゼチベット族自治州」、北京のローカル局である北京テレビとNHKの共同制作番組です。4000m級のミニャコンカ山で朝日を撮ったのですが、重い機材を背負い、食事も取らず、休み無く分け入る過酷な取材だったそうです。

その甲斐あって、午前4時から待ったという日の出のシーンは実に圧倒的。対面の山際から漏れる光は初めこそ小さな点ですが、時が経つにつれて冴え渡ってゆき、雲やこちらの山を黄金に染め上げます。グレーディングではこの時の鮮烈なイメージを可能な限り活かすべく、観たままの光と色を映像に込めたそうです。この様に個人的なインプレッションを全面で主張して完成した「まさに“美はリアリティから来る”ことを実感しました」という言葉に尽きる映像、これこそNHKが求めた「アーティスティックカラー」を極めた8Kでしょう。

北京テレビとNHKの共同制作番組「天に光 地に彩 中国四川省ガルゼチベット族自治州」。鮮烈な朝日の光線や、色彩豊かな民芸など、クリエイターが取材を通して感じたチベット自治区の空気を活き活きと伝える8K作品

8Kにおけるディレクターズインテンション

麻倉:8Kにおけるディレクターズインテンションという点で、今回は是非、ピーター・チャン氏を語りましょう。4月に「ヴェネツィア」を撮った事を紹介した、サンフランシスコはGolden Gate 3Dのディレクターで、昨年のmipcomでその映像美を見つけたNHKが急遽契約をしたそうです。しかもそこから、なんと3本も一気に制作。NHK 8Kにおける9月テーマ「世界の都市」に沿った『8Kシリーズ ザ・シティ 生きている都市』というシリーズで、ヴェネツィア、サンフランシスコ、ハバナの順に放映されました。

NHK 8K制作陣のハートをガッチリ掴んだこのヴェネツィア、元はというとソニーからの依頼で撮影されたもので、サンフランシスコとハバナは自前制作です。ピーター・チャン氏は元々IMAXのカメラマンで、大画面映像やフィルム、一眼レフによる14Kのタイムラプスなどを撮っていたそうです。今回の取材で個人的に仲良くなり、小さなゴンドラに一人で乗った撮影風景などのメイキング写真を送ってもらいました。

「フィルムでもない、ビデオでもない、新しい映像文化を作りたい。それが8Kなら可能です」と語るピーター氏の言葉どおり、出てきたものは実にエモーショナル。色が豊穣で濃く、まるで油絵のようなテクスチャを持っており、映像を観ていると自分が都市の景色に包まれるという感覚になる、そんな景色の素晴らしさが入っています。街のアイコン的存在であるゴンドラからのシーンでは、静かな画面の揺れがまるで実際に乗っているよう。大きな波とその側の小さな波の砕け散る様子、ゆらぎのディテールに宿る生命感など、昨年夏に彼の地を訪れた実体験が蘇りました。現地でもそうだったように、頬を撫でる穏やかな美風を映像から感じました。

5月のmiptv編でもお伝えした「ヴェネツィア」が、『8Kシリーズ ザ・シティ 生きている都市』としてNHK BS 8Kに。映像から街の雑踏を感じる秀作

それでいて平坦ではなく、動きや広がり感で現場感覚を活かし、その中で景色を撮る。特に時間軸の変動というのを、8Kを使って撮るのが、氏の映像の特徴です。ゆっくりの映像かと思うと、目まぐるしく変わるタイムラプスが挿入されたりする。同じシークエンスやパターンではなく、動きにリズムがあり、彩度も高く、精細で色の表現性があります。そのため見る人に飽きがこない。この辺にNHKとは違う、個人の感性を活かした映像美というのがあるのではないでしょうか。

――言葉にできない感動を視覚で伝える、そういったある種の原初体験的なものが、8Kにおける映像作りでは求められるのかもしれません。

ヴェネツィアの撮影の様子。時にゴンドラの上から、またはサンマルコの鐘楼を望みながら、あるいは運河の縁から。様々な目線で、奇跡の交易都市の姿を捉える(画像提供:ピーター・チャン氏)

麻倉:アーティスティックな8Kで言えば、フランス・Paramax Filmsの音楽作品も見逃せません。5月には「クリスチャン・マクブライド・ナイト マルタ・ジャズ・フェスティバル2018」と、ミシェル・ルグラン追悼作品「Music Hole」の2作品を紹介しましたが、このうちマルタ・ジャズ・フェスティバルはNHKの目に留まって買い入れられ、夏に放映されています。これもmiptvという場が効いていると言えるでしょう。新作は今年のマルタ・ジャズ・フェスティバルで、黒人歌手ジャズメイホーンさんが歌った演奏です。エモーショナルで迫力があり、汗の滴る生々しい映像に仕上がっていて、やはりNHK的なトーンとはまた違う。こういうものはなかなか見たことがないです。

音楽作品における8Kをリードする、フランス・Paramax Films。今回は最新のマルタ・ジャズ・フェスティバルで、8Kが魅せる光のエネルギーを披露した

本作はソニーのシアターで4K(プロジェクター)と8K(液晶テレビ)の比較ができたのですが、精細感はもちろん、光の量と模様がまったく違うのには驚きました。ステージ上のカラー照明がレンズに入射する、そんな位置にあえてカメラを配置しているのがポイント。これにより着色された白飛びという演出が入り、生命感に溢れる強烈なヴォーカルを引き立てる映像になっています。その光束の細かさ、数の多さ、色づけの種類は、8Kが圧倒的です。

「それこそ、HDRの効果です。特に私の作品は、ハイブリッド・ログ・ガンマを採用し、シーンごとにピークと平均輝度のメタデータを細かく取る“ダイナミックHDR”で制作しているのが、8K映像に力を与えています。4Kは10年、8Kは2年やっていますが、技術とコンテンツだと、私はコンテンツが大事だと思います。その点8Kは技術がコンテンツを活かします。8Kはストーリーを語れるベストな表現ツールです」とはAmos Rozenberg(アモス・ローゼンベルグ)CEOの言。イスラエル・フィルのUHD BDなど、これまでの同社4K作品はどこかディテールが足りず、少なからずのっぺりで、フィルムタッチの滑らかな映像という印象でした。8K化によって単に鮮明で精細なだけでなく、豊潤な質感を加えるという持ち味が加わったと感じます。

色の再現とワイド撮影時の情報量も8Kの利点

麻倉:ここまではNHKに無い絵を求めるというテーマでしたが、次は“最高の専門家と作る自然科学”という、高画質映像の王道的なテーマについて見てみましょう。取り上げるのは世界の動物たちの繁殖戦略をテーマにした、2022年に放映を予定しているシリーズ「MATING GAME」。BBCで「プラネット・アース」をハイビジョン制作したAlastair Fothergill(アラステア・フォザーギル)氏が立ち上げた、Silverback Films社との共同制作です。

自然科学映像の大家とタッグを組んだ本作は、世界各地の草原・海・極限など、環境ごとに1本、合計5本のシリーズを予定。動物をテーマにした映像は客観視点が一般的ですが、今回は雄の目線で雌を追いかけています。また本作においては、色が極めて重要な要素です。というのも、繁殖においては色の強弱や彩度の違いが個体の優劣として表れる事が多く、これが画面で出ないと個体の良し悪しが出ません。川魚などでは雄が婚姻色という独特の色に変化する例がよく知られている通りで、今回はこの色がより明確に出るという8Kのベネフィットを活用しているのです。

8Kにはもうひとつ、ワイドで撮った時の情報量という利点があります。それを強く感じたのが、イエローストーン国立公園の日食場面。こういったシーンは4Kまでだと太陽をアップで撮っていました。というのも従来の解像度では、引きの映像にしてしまうと精細でダイナミックな自然現象の様がなかなかわかりづらく、殆どの場合クローズアップの絵を選択していたのです。

ですが今回はワイドレンジによる撮影です。山の稜線が陰り暗くなる様が風景として捉えられていると同時に、全景が暗くなってゆき太陽が指輪の様になる皆既日食の様子が、とても小さく、でも確かに捉えられています。この様にミクロとマクロが同時に観られるのも、自然科学における8Kの凄さでしょう。

――広角のパンフォーカス映像における精細さは、8K独自の武器ですね。閻魔帳では以前に愛媛の坊っちゃん劇場における8K演劇映像の例を紹介しましたが、その際も広角の精細感が有用だと確認しました。全景と細部に甲乙つけ難い良さがあるこの様な場面において、どちらを注視するかを視聴者に委ねることができる、8Kはそういう自由度を持ったツールでもあるのだと思います。

「プラネット・アース」で高名なAlastair Fothergill(アラステア・フォザーギル)氏率いる、Silverback Films社との共同制作「MATING GAME」。生物の繁殖をテーマに、8Kが持つ色のパワーで自然の世界を映し出す
画像では伝わりにくいが、8Kにおける日食現象は広角映像でもしっかりと捉えられている。これも8Kが初めて手にした映像表現のひとつ

8K作品にかかるコストを、いかに下げるか

麻倉:この様に良いこと尽くめの8Kですが、そうは言っても8Kはとにかくコストがかかる。この現実的で切実な問題の事例を、南極をテーマにした1時間のタイトル2本を例に見てみましょう。

1本目は「ANTARCTICA -The Frozen Time Capsule」。2016年10月に撮影を開始した本作は、制作陣によるとデータ量が40TB、作業時間はポスト・プロダクションだけでなんと12カ月を費やしたそうです。

2本目の「Exploring Antarctica」は作業時間が短縮されたそうですが、それでも2017年10月の撮影開始から、ポスト・プロダクション終了まで15カ月・51TBを費やしたとしていました。

なぜこんな膨大な時間とデータ量が必要かと言うと、今までは8K撮影後にコンバートをかけ、2Kにしてから編集をしていたため。編集が終わるとまた8Kに再変換して戻しており、ここで時間がかかっていたと言います。

そこで出てきたのが編集用の2Kコンバートをやめて、8Kのままダイレクト編集するというチャレンジ。これを実践したのが「SCAN RUINS -Ancient Maya: The Great Excavation」という、マヤ文明をテーマにした45分の作品。撮影クルーはディレクター/カメラマン/オーディオ・ビデオエンジニア(各1名ずつ)という身軽さで、作業環境もiMac Pro+4Kモニターというもの。この8Kダイレクト編集効果は絶大で、所要時間は撮影開始からデリバリーまでわずか3カ月に、ハンドリングデータ量はたったの9TBにまで削減されたそうです。

――時間といいデータ量といい、凄まじいリソース削減ですね。撮影スタイルの違いなどもあるでしょうが、45分の8K RAWデータを3カ月/9TBで処理できるならば、作業量としてかなりハードルが低くなったと言えそうです。

南極がテーマの8K作品「Exploring Antarctica」。撮影開始から、ポスト・プロダクション終了まで、15ヵ月・51TBの作業量を必要とした。時間的にも金銭的にもなかなかコストがかかるというのが8Kの悩みのタネだったが……
「SCAN RUINS -Ancient Maya: The Great Excavation」で2K変換を見直し8Kダイレクト編集へ移行。その結果所要時間は撮影開始からデリバリーまでわずか3カ月に、ハンドリングデータ量は9TBにまで削減する事に成功した
コストがカットできても質が伴わなければ元も子もないが、Ancient Mayaの映像はご覧の通り。撮影の幅などの制約はあるが、工夫次第で8K制作が身近になるという好例だろう

麻倉:作業リソースだけでなくディトリビーション方面でも様々な模索がなされています。全仏オープンテニス選手権、通称ローランギャロス大会の8K撮影映像を5Gで伝送する実験の報告もありました。これはNASAの4K番組ストリーミングを手掛ける「Harmonic Inc.」がフランスTVから依頼を受けたもので、9月のIFAではシャープが同様のソリューションを提案しています。

2024年にパリ五輪が控えているフランスですが、ここに向けてのアプローチが様々な方面から試みられているところです。今回の実験、機材はカメラがシャープ、エンコーダーはNECで、Harmonicの自社開発ストリーミングマシンを使って送り出し、NOKIAの5G網に送信しています。それをOPPOの5Gスマホで受信、4本出しのHDMIで8Kテレビに受信しするというもの。ビットレートは放送よりやや低めですが、IFAでシャープが言っていた事は、6月の段階で既に実験が進んでいたという事になります。

「東京の次」に控えているフランス・パリ。現地ではここを見据えたUHDライブ収録・伝送といった、8K+5Gによる実験が進められている。IFAではシャープが同ジャンルのソリューションパッケージを提案していたが、今回はローランギャロスの事例が紹介されていた

麻倉:8Kディストリビューションで言うと、フランス・Explorerも注目すべきでしょう。マスメディアとしての映像配信は、プロダクションが作った映像を放送局へ売り込むのが従来の常識でしたが、今や1対1のコミュニケーション時代。ネットを使えばプロダクションが自分のコンテンツを直接世界に発信できる訳で、その最先端が5月でもお伝えした「The Explorer」アプリです。

これまでに約50万ダウンロードを積み上げており、世界で自社の自然科学映像の視聴者を獲得している同社。従来は4Kまでの対応でしたが、11月7日にリリースの最新アプリで8K化を達成し、同時に有料サービスとなりました。価格は月額1~3米ドル、発展途上国は安く、先進国は高くという、サービス地域による価格設定差が特徴で、リリース時はだいたい月50万ドルの収入を見込むようです。

自然保護が社是だという同社では、映像配信に留まらず、ユーザー同士のコミュニティを設けて、数ヶ月に1回のイベントなども企画している様子。8Kはこれまで55時間ほどのライブラリを持っているほか、月に3時間のタイトルを追加、加えて2分間の8Kニュースを毎日放映するようで、これが有料化のサービスとなるわけです。5Gに積極的な中国を有望市場としているようで、ワールドワイドの展開ではサムスンの8Kテレビにアプリがプリインストール済み。同社では「ぜひソニーの8Kテレビにもプリインストールを!」と意気込んでいました。

8Kのディストリビューションにおける麻倉氏の注目株は、冒険家SNSをベースとするフランス・Explorerのアプリ「The Explorer」。世界的に見ると、8Kは放送よりもネット配信の可能性が追求されている。ただしAVウォッチャーとしては、コストはかかるが品質が安定している8K放送にも、もっと頑張ってもらいたいと願って止まない

麻倉:そのほか8Kの新顔事業者としては、インドのTravelxpがいましたのでご紹介しておきましょう。4K時代から草分け的存在として、速いテンポで4Kの旅行コンテンツを作り続けていた同社が、今回の展示会で8K番組の制作開始をアピールしていました。現在ではユーテルサットを使って全世界に番組を配信していますが、衛星までは既に8Kレディー。なのであとはSTBさえ対応すれば、8K番組の放送も可能だとしています。

ニューワールド的な存在としては、韓国のプロダクションも8Kに挑戦していました。CJ E&Mの「Planet of Machines」という、機械が人間に与える影響とその結末を追う番組がひとつ。Minprodutionの「Ocean fantasy! dreaming of a Mermaid」海に潜る女性を通じて幻想的な海面下の光を捉え、海洋環境保護の重要性を伝えるという番組がもうひとつです。

――韓国はサムスンとLGという8Kテレビメーカーが存在するので、他地域に比べると8Kに対する心理的なハードルが少し低いのかもしれませんね。

では、今回のカンヌ出張をまとめていただきましょう。8K先進国の日本から出て、業界全体の動きはどうでしたか。

麻倉:春からたったの半年ですが、端的に言って8Kワールドのノビを感じました。内容的に進化が見られ、火がついた感じがします。数年前と比べるとテレビ端末が出てきて、鶏しかなかった8K市場に卵がそろったというところでしょうか。特に大きいのはディストリビューションの動きがあったことです。放送は電波法をはじめとした制度の問題がありますが、ネットは自由度が高くフットワークが軽い。インフラが構築され、The Explorerなどのサービスもだんだん具体化してきています。

コンテンツ面ではNHKが言っていた事ですが、スポーツが如何に8Kに向いているかという事もアピールされていた様に感じます。来年はオリンピックイヤーですから、次のmiptvではスポーツと8Kがテーマになることでしょう。さらに2022年には北京、2024年にはパリが控えていて、8K向け大規模行事は2年おきにあるわけです。これら大イベントをメルクマールに、業界は盛んに動くことでしょう。

また半年前と比較して、コンテンツの“深化”が急激に進んだ事も見逃せません。8Kのポッシビリティはまだまだ未発見な部分が多く、これら魅力的な金脈の発掘が進めば、クリエイターにもサービス提供にもどんどん人が集まるはずです。シャープはハードウェアのエコシステムをやっていますが、コンテンツを出発点としたエコシステムは出来てきており、各事業者の部分が徐々に加わりつつあります。その意味で今後の展開はよりアグレッシブになる、そんな感触を得た秋のカンヌでした。

麻倉怜士

オーディオ・ビジュアル評論家/津田塾大学・早稲田大学エクステンションセンター講師(音楽)/UAレコード副代表

天野透