麻倉怜士の大閻魔帳

第21回

“時代はアクティブスピーカー”ソニーとGENELECの挑戦。IFAから予想する近未来オーディオ

オーディオは今、大変革期の真っ只中。デジタル化・ハイレゾ化はもはや常識で、立体音響さえ珍しいものではなくなってきた。しかもスピーカーを部屋中に配置するではなく、ヘッドフォンを使うお手軽さ。キーワードはHRTF・頭部伝達関数だ。一方で、スピーカーのオーディオ体験にはやっぱり代え難いものがある。こんな悩ましいオーディオ界の現状に、麻倉氏はこの夏“2本の活路”を見出したようだ。2019年のIFAリポート後編は、フィンランドでの前日譚も含めたオーディオのお話。……え、フィンランドですか!?

新生Technicsブランドで初のイヤフォン「EAH-TZ700」

麻倉:前回に引き続き、2019年のIFA総括をしましょう。今回はオーディオでもたいへん大きな変革があり、新しい流れを発見できましたというお話です。

製品的にまず私が注目したのは、Technicsハイエンドイヤフォン「EAH-TZ700」です。これまでTechnicsのブースでは、基本的には空間音での音響再現を追求していました。つまりスピーカーから音を出すことに焦点を当てていた訳です。今回は流行に乗ってか、高価格帯のハイエンドイヤフォンを作ってみた、と相成りました。日本での発売日は11月15日で、価格は12万円だそうです。

新生Technicsブランドで初となるイヤフォン「EAH-TZ700」。日本では11月15日発売で、価格は12万円

――ここ数年ヘッドフォン祭などのイベントがある度に、僕はパナソニックブースに寄って「Technicsのイヤフォンはまだか」と言い続けてきたんです。以前にも増して今のテクニクスはこだわりの製品を出していますから、今回は「ようやく納得いくものが出てきたんだな」という思いです。

麻倉:その期待は裏切られないでしょう。実際に音を聴いてみたところ、これがなかなか素晴らしい。解像度が非常に高いですが、それだけではなく音楽全体のまとまりがあります。

このイヤフォンの特筆点は何と言っても低音の品質でしょう。これはイヤフォンの低音としては傑出ですね。

まず低音再現性がとても良いんです。ヘッドフォンの低音と言っても様々ですが、本製品はヘッドフォンではなかなか出にくい低音のスケール感を特に感じました。この低音、出方・立ち上がり・立ち下がりが速く、とても充実していてかつキレが良い、それでいて芳醇・豊かな音がします。一般的に芳醇な音はキレが悪く、キレが良いとスケールが貧弱になりがちですが、なかなか並び立たない両者が本製品では同時に成立しています。時間軸をきっちりと低音で支えていて、音の進行はくっきり。実に音楽的な低音感を感じました。

話を聞くと、マテリアルに磁性流体を使用しているのがポイントだそうです。これは磁力を帯びたオイル状の液体で、ボイスコイルとマグネット間に充填していると言っていました。

その御利益はダンパーの役割を果たすこと。一般的な(ダイナミック型)イヤフォンはドライバーのパーツが小さいため、ダンパーがありません。従来は物理的な影響を無視してきたわけで、リニアリティのとり方は偶然性に左右されていました。今回はそこに粘性を持った液体を入れたことで、グラグラしているドライバーがリジットに動き、リニアリティとリジットさを出すことに成功しています。その結果入出力の直線運動が実現して歪が少なくなりました、つまり入力信号に対して振動板が正確に反応し、動かせるようになったのです。

この技術は大きなスピーカーユニット用ではなく、あくまで小さなイヤフォン用ドライバー向け。テクニクスでは数年前から、磁性流体を使った低歪で広帯域なドライバーの研究開発を進めていました。本製品に搭載されるドライバーはもちろんTechnics(パナソニック)のオリジナル謹製。テクニクスCTO(技術責任者)の井谷さんによると、エッジは従来よりも柔らかいしなやかな素材を使用しており、低域の低周波数の動きもリニアにできたとしています。

――10万円オーバーという価格はなかなか手を出し辛いところですが、ゆくゆくはパナソニックのイヤフォンでも広く応用されそうですね。

磁性流体という磁気を帯びたオイルを充填することで、繊細なイヤフォンのドライビングで適度なダンピング性能を持たせることに成功した
リニアリティが高く、それでいて芳醇な低音の響きがあるという。井谷哲也氏(画像右)曰く、EAH-TZ700は「イヤフォンで初めて聴いた、お腹に響く低音」

麻倉:パナソニックの話題をもうひとつ。同社がこれまでベルリン・フィルのトーンマイスターを務めるクリストフ・フランケさんに音楽指導を受けてきたのは、以前からお伝えしている通りです。世界最高峰の誉れ高いベルリン・フィルによる音楽の考え方、オーケストラの音の作り方といったベルリン・フィル流音楽の基礎を、収録・製品化を司るフランケさんから学んできました。その成果を反映させたものとして、これまではテレビのオーディオ機能に「ベルリン・フィルモード」を搭載していたのですが、テレビに入っていたこのベルリン・フィルモードを、本格オーディオへ導入し始めました。まずはテクニクスではなくパナソニックブランドのサウンドバーに導入、従来製品にファームウェア・アップデートで対応します。

これはまさに、パナソニックとベルリン・フィルとの協業における、ひとつの産物です。楽団の本拠地であるベルリンの「Philharmonie(フィルハーモニー)」大ホールで音響測定し、そのデータを畳み込んでソフトへ入れ、サラウンドの中でフィルハーモニーのホール音響を聴く、というもの。

フィルハーモニーではパナソニックの4Kシステムが導入完了しており、撮影・録音のレベルでは4K+ハイレゾの収録となっています。同楽団はサー・サイモン・ラトル時代に「ベルリン・フィル・メディア」を設立し、これらの機材を活用した独自メディアを積極的に展開してきました。

その最たるものがオンラインコンサート配信サービス「デジタル・コンサートホール(DCH)」。4K+ハイレゾの伝送実験が進んでいるものの、現状における音のスペックとしては48kHz / 24bitで、残念ながら最高でも320kbpsのAAC圧縮をかけて伝送しています。ベルリン・フィルモードはこのDCHの音をより良くしようという目論見で企画されました。

使い方としては、パナソニックのテレビにインストールされているDCHアプリで映像と音声を受信し、音声部分をサウンドバーへ流すという、ごく一般的なもの。ベルリン・フィルモードの音としては、フィルハーモニーのブロックB最前列をシミュレートしています。位置としては五角形ホールの一階席中段辺りです。チケット価格的にはもうひとつ高価なブロックAがありますが、このエリアはステージに最も近く、ヴィンヤード型ホールの特徴として音が開放的に上へ飛んでいってしまいます。この飛んでいった音が向かう先がブロックBの正面辺りなのです。

――幸いなことに僕もこのホールはAからEまで色んな場所の音を聴いていますが、ブロックA最前列で聴いた時は奏者との距離が近いため、「松脂が飛んでくるようなチェロの熱演」を体験しました。でも音楽全体の調和を聴くならばブロックB。ステージまでの距離が程よくあり、背面には丁度いい壁もあるので、最も美しいと感じます。

“3大オーケストラ”に数えられるベルリン・フィルとの協業では、サウンドバーの底力を引き出す「ベルリン・フィルモード」を開発。コンサート配信サービス「デジタル・コンサートホール(DCH)」のサウンドをベルリンの本拠地「Philharmonie(フィルハーモニー)」大ホール(Grosser saal)に近づける音質モード
カラヤンが設計に参加した世界初のヴィンヤード式コンサートホール、フィルハーモニー。大ホールの客席はAからKまでのブロック分けがなされており、眺めも音響特性も様々。ホールを象る黄金の五角形は、楽団のシンボルマークにも採用されている

麻倉:今回聴いてみた感想として、サウンドバーの元の音質はそれほどではありません。が、モードオンにすると、それまでちょっと歪みっぽかったところが滑らかになり、広がりが出ました。それが派手な広がりではなく、大人しくも質感が向上するんです。サウンドパノラマがビヨーンと拡がる感じでは決してありません。

話を聞くと、エンジニア側としては“モード1, 2, 3”みたいに選択肢を多数用意して、もっと広がり感のある濃い音を提案したそうな。ところがそれをフランケさんに聴かせたところ、「それは行き過ぎだよ」となったようです。

――一聴してわかり易い刺激を求めるならば、きっと装飾的な“味の濃いサラウンド”を出したでしょう。フランケさんがここを抑えたというところに、音と音楽の精神に迫るベルリン・フィルの音楽哲学を強く感じます。

麻倉:これまで会って話を聞いたフランケさんの音の考え方は「音楽に対して忠実で、色付けをしてはいけない」、「元の音そのものの素質を出す」という向きが濃かったように思います。ベルリン・フィルモードは決してDolby Atmosのようにリマーカブルな凄まじい効果ではありません。ですが、広がりが得られて質感が良くなるところは感心しました。ただし、スピーカーの基本性能は注文をつけたくなるところ。こういう真に迫る姿勢こそ基礎基本の部分が物を言うわけで、サウンドバーでも可能な限り高性能なものの方がうんと実力を発揮するでしょう。

「だったらプレーヤーなどのHi-Fiコンポーネントに入れれば」と思いそうですが、事はそう簡単ではありません。こういった機能は音の信号を物理運動へ変換する部分に入れないと、サウンドの保証ができないのです。ヤマハがDSP初期に「ムジークフェラインザール」、「ヘラクレスザール」といった有名会場のモードを搭載していた事がありました。ですがこれらはお風呂での反響を聴いているような、ホールトーンとしてはクエスチョンが付くものだったのを覚えています。ここにはひとつ論理矛盾があります。つまり、音源自体に収録場所のホールトーンが既に入っているわけで、それを再度強調するのか、という事です。

今回のものはそこまで追求する訳ではありません。DCH以外の音源でも何でも対応しますが、あくまでDCH前提の音作り。2chとして音が入っている、それを広がり感のある自然な音で聴ける、というところが良いのです。両者の協業における新しい試みとして、注目していきましょう。

ヘッドフォンの注目は「HRTF(頭部伝達関数)」

麻倉:次はイマーシブサウンドの出現で聞くようになった、HRTF(頭部伝達関数)の話です。今年のCESで「360 Reality audio」が立ち上がり、ソニーを中心として着々と環境整備が進んでいます。音源確保としてはアーティストに対してプレゼンをしており、対応音源制作を働きかけているところです。

ではもう一方の出口側はどうか。最初はイヤフォンを使った2ch環境のイマーシブを見込んでいました。この場合、頭部伝達関数でどうパーソナル化をどうはかるかという点が肝となります。

――オーディオにおける頭部伝達関数は、部屋やホール、個人で異なる耳や肩などの音響的な影響を併せ込んだ、周波数特性の事です。部屋と個人の影響で変化する環境イコライジングカーブと思っていただければ、だいたいOKでしょう。

麻倉:例えばビクターは「EXOFIELD」(エクソフィールド)技術を展開、スタジオを想定した特定の場所で専門設備を使い、ユーザー個人の頭部伝達関数を測定していました。これは2chスピーカーの音を外耳道に入れた小型マイクで測定するという方法で、東京のビクタースタジオで測定するこのシステム「WiZMUSIC90」(ウィズミュージック)のパッケージ価格は90万円。東京外の場所で測定するシステム「WiZMUSIC30」でも30万円でした。これでは一般大衆が使うものとはなりにくいですね。

そこでソニーはどうするかと言うと、スマホを使うわけです。「Sony Headphone Connect」アプリで顔の正面/横顔(両耳周辺)の3カ所を撮影。クラウドで演算し、個人の頭部伝達関数を算出します。会場で展示していたので聴いてみたのですが、結構感心しました。上/下/横/後ろなどの方向から音が来ます。しかしスピーカーの様に前方からは来ません。これは問題ですね。

――スマホでHRTF測定とは驚きですが、ソニーは数年前のIFAから何度かXperiaスマホを使った簡易3Dスキャニング技術を展示していましたよね。当時はアバターを作ってゲームに使う程度でしたが、こういう方向で活用されるとは素晴らしい!

ビクターのWiZMUSICは僕も聴いたことがありますが、“スピーカーの定位をヘッドフォンで聴く”というのが全く過言ではない、明らかに前方定位の音でした。ソニーのものはああいう感じではない、と?

麻倉:ではないですね。むしろ前はあまり感じず、その他の方向の距離感や方向性をよく感じました。でも欲しいのは前からの音ですよ。ぜひ本番までに前方定位を獲得しましょう。音質ももっと向上させること。

これに関連する話で、実は今回、IFA前にフィンランドのジェネレック本社ツアーへ行ったんです。同社でもソニーと同じ方向を向いており「Aural ID(※リンク先はPDF)」というものを開発しています。これはソニーと似て個人の頭部伝達関数を測るフォーマットで、AES(Audio Engineering Society:オーディオ技術者協会)で定義・標準化されています。まもなく実用化される見込みで、将来的にVRやゲームなどで対応アプリが出ると、プラグインとして使えるようになるでしょう。予めAural IDを用意しておけば、イマーシブなサラウンドをすぐに楽しめる、という具合です。

ソニーは自社の360 Reality audioのために作ったソフトウエアなのに対して、Aural IDは標準化による幅広い活用を見込んでいます。この両者、目的も作業も同じようなことをやっていながら、考え方がちょっと違うのが面白いところ。ソニーは耳と顔正面の静止画で頭部伝達関数を算出しますが、ジェネレックのAural IDは顔の周りを360度、加えて肩と胸のバストアップを動画で撮ってHRTFを算出するんです。つまりソニーは顔から上だけ、対するジェネレック曰く、音の方向性は全身が絡んでいる。特に胸と肩にあたった音が耳に入る経路が大事だそうです。

Amazon Music HDで今年中の音源配信開始を予定している「360 Reality audio」ヘッドフォンとスマホで聴く、新しいイマーシブサウンドのカタチ
2chでのイマーシブ再現において重要なキーワードが“頭部伝達関数”。ソニーではスマホのカメラを使って顔と両耳を撮影、簡易3Dスキャンとクラウドコンピューティングを組み合わせて個人のHRTFを算出する

――同様の話はfinalブランドを展開するS’NEXTでも熱心に研究していて、6月の音響講座でも解説していました。ここ数年の各所の話を鑑みて、平面サラウンドからイマーシブへ、その中での頭部伝達関数という流れは確かなのでしょう。

麻倉:やり方は違えど、同じ時期にHRTF採取の話を全然違うところから聞けました。今オーディオ界の大きな流れはイマーシブに向かっているのは確実で、そのイマーシブを最も手軽に楽しめるのは、実はイヤフォン・ヘッドフォンなのです。Dolby AtmosでもNHKスーパーハイビジョンでもそうですが、イマーシブを空間音響で楽しむのは相当大変です。対して頭部伝達関数方式は、ヘッドフォンさえあれば頭が錯覚してくれる。これがスムーズな方法のひとつではないかと考えます。

実際問題、2chイマーシブ試聴はHPLという先例があり、UNAMASなどが音源を出しています。これは2chに畳み込み、汎用システムで聴くもの。流れとしてははっきりと出ているわけですから、後はそれがいつ大きくなるか、ですね。

時代はアクティブスピーカーへ

麻倉:そうは言っても、私としてはやっぱりスピーカーで音楽を聴きたい。という事で次はスピーカーの新潮流のお話。ズバリ時代はアクティブスピーカーへ、これがオーディオにおける今回最大の発見でしょう。先述のジェネレック(GENELEC)へ行ったのが大きいです。

ヘルシンキから空路で1時間、更に車で1時間。フィンランド中南部のイーサルミという小さな街に、ジェネレックは居を構えている。“森と湖の国”というフィンランドの異名通りの風景が広がる中で、世界のスタジオを支えるモニタースピーカーの研究が進められている

日本のオーディオファンにはあまり耳馴染みがないジェネレックブランドですが、モニタースピーカー市場において同社は世界的にNo.1の品質評価を受けています。その理由は3つあり、1つ目はアンプ内蔵のアクティブスピーカーでリニアリティの高い音を出していること。2つ目はディスパージョン(音の拡散)が均一で自然なこと。同社のスピーカーは表面が丸みを帯びており、これに応じて音が自然に拡散します。3つ目はDSPによる部屋とスピーカーの音響関係を補正するプログラムを持っていること。この3本立てがジェネレックの音の根幹となっています。

特に他社と違うのはアクティブスピーカーの良さです。同社の説明によると、一般的にパッシブスピーカーはパワーアンプで電力増幅された信号をネットワークで帯域分離します。つまり強電の次元で、オーディオ的に言うと“パワーアウト”のレベルでネットワークを使うわけです。ところがアクティブスピーカーは先に弱電領域で帯域分離し、それをパワーアンプで増幅します。オーディオ的に言うと“ラインアウト”のレベルで、ネットワークを通してしまってから電力増幅するのです。

―― “強電”と“弱電”という考え方、電気を専攻していないとあまり馴染みがないかもしれませんね。強電は10V程度からの、大きな出力で送配電インフラや直接モーターを動かすという分野。対して弱電は主に5V以下の、繊細な電子回路でコンピューター設計や信号制御を取り扱う分野。学問としては前者が古典物理学を中心とした電気工学、後者は量子力学が深く絡む電子工学となります。

オーディオでざっくり言うと、デジタル音源が弱電、アンプ段以降は強電にあたります。スピーカーの駆動は一般的にプリアンプによる電圧増幅・パワーアンプによる電力増幅という2段階構え。アクティブスピーカーはパワーアンプより前のより弱電に近い領域で、先にネットワークの帯域分離をやってしまおうという訳ですね。

麻倉:ラインレベルの微小信号段階ではリニアリティが高く、アクティブスピーカーはその状態で増幅します。増幅が先のパッシブだと、どうしても微小信号のリニアリティを取りにくい。ここが肝なんです。

考えてみると、アンプとスピーカーの組み合わせによる音の変化を愉しむのは、従来的なオーディオの楽しみのひとつです。でも今の流れは、組み合わせの偶然性よりも、アンプとスピーカーに対する特定の組み合わせに的を絞った、最短ルートがあっても良いでしょう。

――これはヘッドフォンにおけるポータブルオーディオが先行していた様に思います。ハイレゾ前夜のポータブルオーディオは、ハイエンドシステム=外部ポータブルアンプ使用が半ば常識で、市場的にも様々なアンプがありました。ところがハイレゾ時代を迎えて、特にAstell&Kernが「AK240」を出してきた辺りから「プレーヤーにハイエンドアンプを突っ込んだ方が楽だし小さいしサウンドを保証しやすい」となってきていますね。

麻倉:その考え方はポータブルだけのものではない、スピーカーにだって最初から最適解があっても良いんです。ところが一般市場に出回っているアクティブスピーカーはと言うと、音楽鑑賞を前提とする音質評価においては箸にも棒にもかからなかった。一方でジェネレックのような高級アクティブスピーカーはスタジオユースです。あるいはリンの「EXAKT」やメリディアン「SpeakerLink」といった、AoIP(Audio over IP)に近い“超”ハイエンドシステムがほとんど。現実的な価格を探すとせいぜいDALIくらいで、その他多くのHi-Fi向けアクティブスピーカーはワイヤレスユースが前提となっています。

つまり、一般大衆がアクティブスピーカーで手軽に良い音という時に、これまではほぼ選択肢が無かったわけです。ところが考えてみると、今はスマホやPCから飛ばすというように、音源はデジタル機器でアンプは要らないという世界に、もうなってしまっています。であれば、より高品位なアクティブスピーカーが今求められているのではないのでしょうか。

ジェネレックに関して言うと、民生用を本格的に切り拓くべく、10年前からマーケティングを開始しました。その甲斐あって、ヨーロッパではすでに民生用としての評価を持っています。基本的には業務用と同じもので、民生用は入力がバランスではなく一般的なRCAアンバランス端子を搭載。日本は前の代理店が民生用のマーケティングをしていなかったため、スタジオユース以外で知られていなかったのですが、この度日本支社をつくって民生用に本腰を入れてきました。これはオーディオ先進国の日本において、Hi-Fiユースの民生用で評価されるだけの自信があるという事の現れです。

6月の音展でジェネレックのイベントをやったのですが、この時はとても広い部屋でフランス・FOCALの巨大なスピーカーと比較をしました。サイズで言うとジェネレック製品は3分の1以下というところだったでしょうか。それでも会場を揺るがすような雄大で上質な低音と、くっきり明瞭な中高域が聴かれ、大いに驚きました。感心したのは音が強調なく自然に出るという事。丸みを帯びたフォルムが功を奏して試聴位置も従来ほど厳密には選びません。「これはアクティブスピーカーの再発見が日本でも起こるか?」そう期待をさせるIFA前夜のフィンランドでした。

ジェネレックのアクティブスピーカーは丸みを帯びたエンクロージャーと同軸ユニットの組み合わせが基本。アンプより先にクロスオーバーネットワークを通すということに加えて、ネットワークとアンプ、そしてダイヤフラムの物理的回路距離が近い事も、高いリニアリティを支える重要なポイントのひとつだ

麻倉:と、そんな事を思っていたら、ソニーブースでニアフィールドアクティブスピーカー「SA-Z1」がバッチリあった訳です。今回のソニーにおける、紛れもないオーディオの華です。本製品には技術的にも音的にもアドバンテージがあり、なおかつ「ヘッドフォンからスピーカーへ人々を取り戻そう!」というソニーとしての目的意識もあります。

現代はオーディオにおいて、ヘッドフォンしか聴かない、あるいは体験したことがないという時代になってきました。そういう人達に、スピーカーによる空間音の魅力を味わってほしい。これはオーディオ業界全体の願いであり課題でもあります。でもこれまでのアンプ+スピーカーという組み合わせでは、なかなか人が来ない。何故ならスピーカーはどうしても広い音場が必要で、広い部屋が必要だから。現代日本の住宅事情を考慮すると、若者はなかなか手を出せないのです。

そこでソニーはプラットフォームをデスクトップに絞ってきました。近接試聴、いわゆる“ニアフィールドリスニング”での解像度を最大限にしようというコンセプトで勝負です。

デスクトップでのニアフィールドリスニングに特化したアクティブスピーカー「SA-Z1」。鼓に発想を得たというウーファーの対向配置や、完全点音源化を目指した「I-ARRAY」ツイーター配置など、贅沢なパーソナル音響空間を創るための技術を惜しみなく投入している

――精緻な細部表現が可能なハイレゾ時代が求める、いわゆる「イマドキの音」ですね。

麻倉:そうですね、そしてここがヘッドフォンリスナーを意識している様に見えます。

そのためにソニーは数々のテクノロジーを投入。まずアクティブ化によってスピーカーとアンプを一体化。でも物理的にはエンクロージャー内で完全分離し、振動が伝わらないようにしています。エンクロージャー内にアンプが入ると、ユニットの振動がアンプに伝わるのは当たり前ですが、それを物理シールドで徹底的に排除しているのです。

アンプ部は同社の高級ヘッドフォンアンプで使っていた、アナログ構成デジタルアンプ。アナログとデジタルの波形を比較し、アナログの歪をデジタルで補正するハイブリッドアンプシステムです。半導体はハイスピード伝送を見据えてGaN(窒化ガリウム)素子を使用。完全点音源を目指し、ツイーターが上下に3つ並べられた「I-ARRAY」。ウーファーは鼓を意識した前後2基対向配置、これは前方ユニットの振動がアクティブに後方ユニットへ伝わるというものです。アンプは合計16chも搭載。時間軸をFPGAで完全に同期させています。

これらの技術を単に盛るだけに留まらず、組み合わせで新しい価値を創る。ここがポイントです。つまり机の上で聴いた時に、音場がより広大になるように音響設計をしたわけです。これがなかなか驚きで、音の出方、広がり方、空間感が実に自然。空間の中に音像が定位し、手前と奥行きが強調されず自然に出てきます。スピーカーから出るのではなく、空間から音が湧き出す感じです。音色の美しさも特筆点で、近接試聴故の不自然さが無く、ニアフィールドリスニングでも音がキリキリ立たず、しなやかで気持ちいい音像を感じます。

――この音の方向性は近年のソニーで一貫していますね。僕の感覚では2006年のSS-AR1辺りにルーツを見出す感じでしょうか。民生用音源のデジタル化・ハイレゾ化によって90年代の低音主義的なサウンドから精細度主義に移行し、フラット志向、ナチュラル志向と変遷。ソニーの企業体力が回復するに従って開発も思想も深化し、2016年のハイエンドウォークマン「NW-WMZ1」に端を発する「Signature Series」で流れが決定的になった。これが僕の見立てです。

麻倉:元々の発想は高解像度の音像でヘッドフォンユーザーを振り向かせる、というもの。が、それには価格がどうしても問題となるでしょう。IFAで発表された欧州でのプライスタグは7,000ユーロ。これだと普通のヘッドフォンユーザーを振り向かせるには厳しい。ハイエンドユーザーはプレイヤー・ヘッドフォン/イヤフォン・ケーブルと併せて100万円、みたいなお買い物をするので、そういう人向けでしょうか。

でも私には、この製品のあり方はそういうオーディオマニア向けではなく、音楽をもっと親密に感じたい普通の音楽ファン人向けではないか、そう見えるのです。大きな部屋で大音量を出すハイエンドオーディオのスケール感とはちょっと違う、ニアフィールドならではの包まれ方、親密さがこの体験にはあります。それは大会場のオーケストラではなく、小ぢんまりした部屋でのチェンバーコンサートの様な親しみ、近さ。“オーディオラバー”はもちろん、より広い“ミュージックラバー”へ向いたこの方向に、ソニーはもっと進んでいってほしいと願います。

麻倉怜士

オーディオ・ビジュアル評論家/津田塾大学・早稲田大学エクステンションセンター講師(音楽)/UAレコード副代表

天野透