麻倉怜士の大閻魔帳

第23回

~映画スマホ Xperia 1からマスモニまで~ 麻倉怜士のデジタルトップテン2019 前編

新たな元号“令和”や、日本代表チームの大活躍によるラグビーブームなど、色々あった2019年も残りわずか。読者の皆様、どの様な1年をお過ごしになりましたか。今年もやります、毎年恒例・麻倉怜士のデジタルトップテン。大々的な8Kデビューが一段落してなお、オーディオビジュアルは進化の手を緩めません。そんな業界の重大トピックを、麻倉怜士氏のチョイス・解説で振り返ります。前編はビジュアル分野がズラリと並んだ10~6位まで、ドドーンとCheck it out!

マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 ベートーベン交響曲 全曲演奏会 ブルーレイBOX

大マエストロ、マリス・ヤンソンスの思い出

――2019年のデジタルトップテン、最初の話題は僕からひとつ提案させて下さい。去る11月30日、バイエルン放送交響楽団(BRSO)とロイヤル・コンセルトヘボウ・交響楽団(RCO)という、世界最高峰のオーケストラ2つを常任指揮者として長年率いた現代の大マエストロ、マリス・ヤンソンス氏の訃報が世界を駆け巡りました。音楽をこよなく愛する我々として、今年はまずマエストロの思い出を語りましょう。

麻倉:ヤンソンスは私も大好きな指揮者ですので、訃報を知った時は大変ショックでした。私が教壇に立つ早稲田の講義でもマエストロを取り上げていて、楽曲に対して誠実で、ダイナミズムがあり、それでいて決して粗野にならない、非常に上質な音楽を奏でる指揮者、と紹介したと記憶しています。

来日時はBRSOとRCOを併せて10回ほど公演を聴きに行ったでしょうか。一昨年くらいからは5月にミュンヘンのオーディオショウ「HIGH END」へ取材に出ていて、そのタイミングでミュンヘンのコンサートにも5回ほど行っています。

ミュンヘンにはミュンヘン・フィルが本拠地とするガスタイク文化センター大ホールと、BRSOの本拠地であるヘラクレスザールという2つの音楽ホールがありますが、私はガスタイクでもBRSOの定期公演を聴きました。最後にマエストロの音楽を聴いたのは本拠地ヘラクレスザールで、この時はヴェルディのオペラ曲をテーマにした合唱曲集でした。2日通ったどちらもが立ち席だったんですけど、アイーダトランペットがホール後方から吹くという演出があり、真横でその演奏を聴いていたのが思い出されます。ヴェルディの歌劇名曲となるとダイナミズムや突進力、エネルギー感などがあるんですね。それらがとても良く出てきて、会場が暖かく一つになる感じがしました。

来日公演で特に印象に残っているのは、2012年にサントリーホールでやったベートーヴェン交響曲全集です。この演奏はNHKが収録しBlu-rayとして出ていますが、この時は全曲聴いて取材もしました。当時NHKエンタープライズに居た深田晃さんに、ライブ収録のマイキングの話なども聴いたことを覚えています。ベートーヴェンにも色々な解釈がありますが、マエストロは凄く良い意味で上質なベートーヴェンでした。

出身はソヴィエトの西の端、バルト海に面したラトビアです。ロシア生粋ではないため、ロシア文化も西洋文化も同時にあったのでしょう。その中で育った、非常にハイクオリティで質感の高い音楽、音楽の真実に迫った解釈の正当さが、マエストロのベートーヴェンにはあります。決して異端ではなく正統的ですが、その中に生命感を感じさせる。

他のコンサートで言うと、ドヴォルザークの新世界が良かったです。やはりサントリーホールで聴きましたが、何度も聴いている定番中の定番なはずなのに「こんなに美しい名曲なのか!」と。特にイングリッシュホルンが良かった。

――先生ほどではないにしろ、日本で、ドイツで、そしてオランダで、僕もマエストロの音楽は何度も聴いています。僕の中では生の音楽に触れた“最も身近に感じる巨匠”でした。

思い出が深いのは、2014年にプライベートで行ったコンセルトヘボウでのRCO定期公演です。調べ直してみると、演目はモーツァルトのヴァイオリン協奏曲3番と、ブルックナーの交響曲7番、ソリストはフランク・ペーター・ツィマーマンでした。建築的にも音響的にも、そしてもちろん音楽的にも、音楽史に残るホール空間の美しさに圧倒されたことが思い出されます。特にヴァイオリンは熱演で、スタンディングオーベーションが何分も続いて、拍手喝采がいつまでも鳴り止まなかったんです。

あの時印象的に感じたのは、人肌の感覚がする音楽だったこと。心の奥底まで響くハーモニーに心を奪われてしまい、コンサート中僕はずっと涙を流しながら音楽に心酔していました。おそらくこれは、一生忘れられない音楽体験でしょう。そんな事もあって、とても暖かい音楽を聴かせてくれるマエストロだったように思います。

麻倉:マエストロに直接インタビューをしたことは無いですが、話に聞くと本当に誠実な受け答えをする方だったというエピソードが絶えません。リハーサルやマスタークラスの風景などが残っているが、特にマスタークラスなどはとても優しいんです。緊張しきった学生に対して、リラックス出来るように笑わせるなど、人間的な誠実さがとても伝わってくるワンシーンですね。それがあるからこそ、音楽もヒューマニックな色味を帯びてくるのでしょう。

――これからの時代の音楽はこうあってほしいという、人間を大切にする人だったように、音楽を聴いただけでそう感じさせるマエストロでした。

麻倉:音楽を大切にして、人間を大切にして。凄く誠実な音楽への眼差しを持っていた巨匠でした。

――もっとたくさん聴きたかった、心の底からそう思って止みません。音楽に捧げた76年の生涯における偉大な功績を讃え、謹んでご冥福をお祈りします。

レストアにおける積極的な絵づくりへの挑戦 第10位:ウルトラQ UHD BD

――気を取り直して2019年の大閻魔帳カウントダウンを始めましょう。まずは何が来ますか?

麻倉:第10位はUltra HD Blu-ray「ULTRAMAN ARCHIVES ウルトラ Q UHD MovieNEX」です。アメリカのSFドラマ「トワイライトゾーン」に着想を得て、昭和41年に30分1話完結型のSFドラマシリーズとして制作されたのがウルトラQ。監督は「特撮の神様」円谷英二、その後に続く「ウルトラマン」シリーズの先駆けとなった事は、皆さんよく知る通りですね。

ULTRAMAN ARCHIVES ウルトラ Q UHD MovieNEX
(C)TSUBURAYA PRODUCTIONS CO., LTD

今回はオリジナルの35mmネガフィルムから5Kスキャンし、4Kで修復、HDR化、グレーディングを施しています。見どころはマスターのフラットトランスファー“ではない”という点。最新フォーマットを使ったレストアモノはいくつもありますが、本作は積極的に絵作りしているレストア盤でしょう。

昔のものをそのままするのが良いか、現代の表現力を想像しながらリビルトするのが良いのか。様々なジャンルのレストアにまつわる一般的な問題ですが、本作は「現代の技術思想や環境でかの製作者が創ればおそらくこうするだろう」という解釈がみられる、つまり後者のスタンスを取っています。例えばコントラストが強まっていたり、ディテールが出ていたり。モノクロームなので色による助力は無いですが、階調が増えた結果としてリアリティが増している。2Kのブルーレイ盤と比較すると、こういった積極性がより感じられます。

――現代において特撮というジャンルは本当に難しくて、現代技術で絵の解像度を下手に上げてしまうと演出が悪目立ちし、視聴者は興醒めしてしまうんです。「ならバレないほど精緻にミニチュアを作ればいいのか」と言うと、それも違う。そもそも絵にリアルさだけを求めるならばCGでやればいい訳で、それでもあえて特撮をやるからには相応の理由が必要なんです。

その理由は何かと言うと、僕は“実物のセットを物理的に豪快にブチ壊したりする事の迫力”だと考えます。本物を超える力を無から生み出すのは並大抵ではない。それが例えミニチュアだと解っていたとしても、やはり物理的にモノを置く、モノを壊すという絵には、他では代え難い独特の迫力を持っている。こういった迫力の追求にこそ、特撮の価値があるのでしょう。

麻倉:その意味で言うと、本作は現代技術がきっちりと迫力を上げていたと感じます。第1話「ゴメスを倒せ!」で具体例を挙げてみましょう、2K・SDRだと古代怪獣のゴメスは肌がのっぺりとしていますが、4K・HDRで見るとケバ立ったテクスチャーや細かな凹凸に驚かされ、立体感が際立つ鋭い牙の反射光からは生物らしい怖さを感じます。

原始怪鳥のリトラは鱗の一枚一枚が明瞭で、反射と影の部分、そして目の白部と黒部の対比が実に鮮やかです。頭部の細かな凸凹も、2K・SDRと比べて4K・HDRでは凄くハッキリ見える。コントラストもしっかり、階調も明瞭で、高い輝度はリトラが発する光線の強大な破壊力を感じさせました。

レストア盤の制作にあたって、当時の制作陣の一員である桜井浩子さん(現在は円谷プロの顧問)や、撮影監督などの関係者にもOKを取ったという本作。その甲斐あって、4Kによるスキャン・レストア・グレーディングのテクニックが活きています。それをより現代風に解釈した表現力の多彩さ、情報量の多さが充分に出ていました。

8K時代のコンテンツデリバリーの可能性 第9位:The Explorers

麻倉:9位はスマホを対象とした8K配信サービス「The Explorer」です。春のmipTV、夏のIFA、秋のmipcomと、今年は本サービスの動向を何度も取り上げましたね。大きな評価ポイントとしては、これまでの放送中心から、プロダクションからユーザーへのポイントツーポイントで8Kがデリバリーされるという、ハイクオリティコンテンツの新しいデリバリーを開拓した事が挙げられます。更にはThe Explorersが持っているコンテンツ力や、世界の自然に対するダイナミックな取り組みなどといった面も大きく評価しました。

自然風景の高画質映像配信を手掛ける「The Explorers」。8K時代の高画質コンテンツ配信スタイルに先鞭をつけた

――今年1年で何度も耳にしましたが、実は僕、このサービスはまだ実際のコンテンツを観たことがないんです。先生的にどういうところが面白いですか?

麻倉:同社は早い時期から4Kに取り組んでいて、高解像度の自然ものコンテンツに対する深い造詣が伺えます。同社のコンテンツを観てみると、自然像という被写体において“広角の大映像に対して細部まで見える”という部分の4K・8Kの良さを感じることが出来るでしょう。自然ものこそ高解像。例えばアップであってもダイナミックに、生命感を伴って見える訳です。そういった4K・8Kの使い方が、同社は凄く上手い。単なる2Kの4K化ではなく、長い間の取り組みで4K・8Kへの研究を重ねて、自然科学モノにおける高精細の威力を知り尽くしている、そんなベテランのシューティング力を、私は感じました。

もうひとつ「世界の自然を保護しよう」というコンセプチャルな部分に、自社の4K・8Kコンテンツを絡ませているところも魅力的です。8K化に伴う11月7日リリースの新アプリで、有料サービスの提供に踏み切った同社ですが、月額1~3米ドルの幅で、発展途上国は安く、先進国は高くという、サービス価格の傾斜設定をしているのがユニークなところ。映像分野のプレミアムサービスは月に3時間の8Kタイトル追加と、毎日2分間の8Kニュース放映です。運営母体は非営利団体の「The Explorers財団」で、自然環境にまつわるコミュニティをつくり、数カ月に1回のイベントを企画するようです。こういった手法も実に現代的だと感じます。

手のひらにプロ用撮影機材、「映画スマホ」 8位:Xperia 1

麻倉:続いていきましょう、第8位はソニーのフラッグシップスマホ「Xperia 1」です。

Xperia 1

――この場に出てきたという事は、通り一遍等なハイスペックスマホという評価では、もちろん留まりません、よね?

麻倉:モチロンですとも! 巷に溢れているスマホレビューの評価と変わらないなら、わざわざ閻魔帳に書き込む必要なんてありません。

麻倉’s EYEによるXperia 1の評価はズバリ「映画スマホ」。Xperiaはソニーが作るスマホとして、これまでもカメラとディスプレイに並々ならぬ情熱を注いできており、例えばカメラは一眼ブランド「α」、ディスプレイはテレビブランド「BRAVIA」の技術を使うなどして、他と差別化をしてきました。本機は更に踏み込んだ性能を詰め込むべく、厚木のプロ機材集団を動員し、撮影も再生・表示も本格映画画調を出してきたのです。そんな映像プロ的なスマホなど、ソニー以外には絶対に発想しないですし、作ることが出来ません。

映画的と評価するポイントは「アスペクト比」「再生画調」「撮影画調」の3つ。まず6.5型ディスプレイのアスペクト比(横:縦比)21:9というのが、実に映画的です。現在一般的なテレビは「ビスタサイズ」と呼ばれる16:9のアスペクト比を採用していますが、映画はほとんどが更に横長の21:9のシネスコサイズ(正確に言うと2.35:1)。映画をオマージュしたXperia 1は当然の如く後者を採用しており、上下黒帯なしの理想的な環境でシネスコ映画を再生できます。

この映画的フォルムのディスプレイは、“画質”によって生命が注入されます。具体的に言うと、グレーディング(色づくり)における世界の業界標準機である30型 OLEDマスモニ「BVM-X300」画調を、なんと民生機のスマホに導入してしまったのです。以前の規範であったBRAVIAは一般大衆向けテレビですから、要求される性能も精度も桁違い。この点だけでも、いかに今回の絵づくりが特異であるか理解できるでしょう。

当たり前ですが、Xperia 1とX300とでは、パネルも駆動回路も全く違います。ですからX300の単純コピーでは、スマホの絵づくりとしては通用しません。スマホの映像というと、ただ明るくハイコントラストというものが大多数ですが、性能をひたすら出すだけでは決して「絵づくり」とは呼べません。対してXperia 1の絵は穏当で目に優しい、実に落ち着いたトーンです。特に色温度の低さ(6,500度=D65)では、映画的な雰囲気を濃密に醸し出しています。グラテーションの推移も美しく、かつてのフィルムを彷彿とさせるシネマ画調に仕上がっていると言って過言ではないでしょう。

リファレンスにはジェームズ・キャメロン監督も信頼を寄せる、映画用ラージセンサーカメラ「CineAlta VENICE」で撮影した、顔の映像を使用。ハリウッド流の派手な表情や、日本人の清楚でしっとりとした肌の質感、陰影に富んだグラテーションという、非常に多彩な画質要素をいかに出すかという難題に挑んでいます。VENICEは再生画質に加えて、撮影画質においてもおおきく貢献しており、プリインストールの「Cinema Pro」という動画撮影アプリを使うことで厚木の映画的な文脈が味わえます。何かと言うと、7mmというサイズが全く異なるスマホセンサーでVENICEの画調を再現してみせた(VENICE CSルック)のです。

撮影した映像を実際に見てみると、映画的にグラテーションが非常に豊富で、しっとりとした滑らかさ。これはきっと、“厚木マジック”とも呼ぶべき相当な技術が尽くされていることでしょう。

UIも通常とは別物で、横撮影専用のオリジナル操作体系を設計。露出調整をISO値とシャッタースピードの両方でマニュアル操作するところなどは、プロ機のVENICEらしい思想です。

Xperia 1 Professional Edition

――10月にはバリエーションモデルとして「Xperia 1 Professional Edition」が発売されましたが、こちらではマスモニさながらの全個体ディスプレイキャリブレーション体制が敷かれ、実際に映像制作の場でサブモニターとして活用されているようですね。それにしても「民生用として世界的に量産されるスマホに、そこまでやるか!?」と言いたくなる様な、ソニーの意地が詰まった1台です。

麻倉:カメラの良さは動画だけでなく静止画にも現れています。とにかく人肌がきれいで、肌色の階調感がとても細やか・なだらか・すべらか。一般的な撮影アプリを使っても、画質がすごく良いんです。ポイントは決してツルンとした“美肌モード”的ではないということ。マスモニ仕様のOLEDディスプレイと相まって、日本人の持っている肌色に対する記憶色がナチュラルに出てきます。HDRは適正露出に加えて、露出過多・不足のイメージを1枚ずつ、合計3枚撮影していいとこ取りをする方式で、効きも上々です。同様の機能はデジカメでもありましたが、本機はCPUがハイパワーなスマホならではの動作感です。

――他機種のHDRに関して言うと、Androidのリファレンス機である「Pixel 4」は9枚撮って活用する、Google謹製のフォトアプリがありますね。

麻倉:これらは「コンピュテーショナル・フォト」と呼ばれる撮影スタイルで、マシンの演算力をフル活用した、より良い画像構成の追求スタンスのひとつです。例えばHDRなどで言うと、バックグラウンドで色々撮っておいて、その中で最適なものを使ったり合成したりします。フォーカシングでも予めアウトフォーカスのイメージを撮っておいて、修正時に参照するという方式です。Pixel 4ではこういったフォト体験が可能で、これも私は高く評価していますが、画調としては、若いなという感じです。修行中ですね。はっきり、くっきりの楷書体です。

対してXperia 1は草書体的です。輪郭がナヨっとしている訳ではないが、全体の雰囲気がジェントルで優しい、とても良い雰囲気の絵に仕上げてくれます。

――美的により深いものはどちらかと問われると、僕はやはり後者を推したいです。

時代が求めたプロジェクター技術 第7位:Frame Adapt HDR

麻倉:第7位はJVCケンウッドのプロジェクター技術「Frame Adapt HDR」です。同社のプロジェクターを語る際、私はJVCケンウッドという社名よりも「ビクター」ブランドがふさわしいと感じますので、ここではビクターで通させてもらいますね。それで、これは何かと言うとプロジェクターの最新HDR再生ソリューションで、HDR10のスタティックメタデータがダイナミックメタデータになるような、ものすごい機能なんです。

――少し噛み砕きましょうか。HDR用のパラメータがソフトを通して固定だった旧来のHDR10ソフトが、この機能を通すとシーンごとに映像分析し、パラメータを動的に変更・最適化して、大雑把に言うとHDR10プラス“相当”で動く、と。

麻倉:ハマる場面ではスタティックでも何ら問題ありません。ですがスタティックはパラメータが固定なので、実際のところ極端に明るい/暗い場面だと合わないんです。するとどうなるかと言うと、光が足りなくなる、つまり明部や暗部が潰れるわけです。これが合うと光の情報が増えて、たちどころに解像感が出る。我々が目で見るものは光と階調で出来ているわけですから、光と階調が増えれば、当然細かいところまで見えてくる、そういう理屈です。

同社は民生機だけでなく業務用の高機能プロジェクターでも広く知られており、例えばNHK技研の8Kレーザープロジェクターもビクター製です。今から5年ほど前にDolby Visionが出てきて「何だこれは?」と各社がHDR研究を始めるわけですが、ビクターはそれよりもはるか以前の10年ほど前から、プロジェクターにおけるHDRを研究しています。

というのもこれ、元々は自動車メーカーに提供していたプロジェクターの依頼で「雪山で白い車体のクルマが白飛びしないように、黒い車が夜に走る時も車体のディテールや背景を出して」という無理難題に挑んだものなんです。この時にHDRで階調を出して許容表現範囲を拡げるというソリューションを開発しました。

そんな訳ですから、その後しばらくして出てきたPQカーブへの理解も、同社は実に早かった。多くのメーカーは当初PQカーブを絶対視しており、「如何にしてPQカーブにトーンマッピングを合わせるか」というアプローチを取っていましたが、ビクターはHDRに対して先述の基礎研究があったため、PQカーブが決して万能ではないという事を知っていたんです。

JVCプロジェクターにおけるHDR化の歴史。元々は業務用の技術が民生機に降りてきたというのが興味深い

――プロジェクターは全画面で定量の光を透過/反射させてスクリーンへ投影します。ですから特定エリアや画素単位で光量を調節できるテレビと違い、プロジェクターにおけるHDRというのはなかなかの難題なんですよね。

麻倉:そういった背景があって同社の民生用プロジェクターでは、黒と白、そして中間部を調整するトーンマッピング機能を搭載しています。最初は手動調整だったのですが、後にスタティックメタデータに対応。MaxCLL(Maximum Content Light Level:最高ピーク輝度)とMaxFALL (Maximum Frame Average Light Level:最高平均輝度)を使って各調整を自動化することで、プロジェクターにおけるHDRに対応していきました。

今回のFrame Adapt HDRは、その発展型です。入力信号を全解析し、シーンごとのMaxCLLとMaxFALLを算出。これに合うように、トーンカーブをシーンごと/フレームごとに動かす、といった事をやっています。実際に絵を見てみると、スタティックメタデータのみでの調整よりも光の階調や情報量が違い、より作品性が、ヴェールが剥がされた感じで見えてきます。

HDR機能開発にあたって、同社は昨年の段階でパナソニックのハイエンドプレーヤー「DP-UB9000」部隊と協業しています。ビクターのプロジェクターと併せて使うことで、パナソニックは白を、JVCは黒を担当し、分担して高画質を目指していました。これはパナソニックのプレイヤーだけの特権だったのですが、今回はパイオニアやソニー、OPPOなど、どんなプレーヤーから来る信号でも対応します。設計者マインドとしては、評判が良かったパナソニックとのジョイント“以上”の絵を目指したということです。

話を聞いたところ、アルゴリズムの抜本的改善でハイスピードな解析演算が可能になったそうです。全帯域をスーパーアルゴリズムで見て、暗部と明部の最適化するという、先述のB2Bの様な仕組みへ変更。もう一歩踏み込んで聞くと、従来は逐次処理、つまり同期信号に合わせて映像データを参照し、リアルタイムで入力→演算→出力→入力をしていたのを、今度は非同期処理、つまりキャッシュメモリに入るだけのデータを溜め込んでおき、一定シーン分の演算を予め済ませるように作り変えたそうです。後はユーザーの操作に合わせて、再生へ送り出すだけ。

――こういった非同期処理は、例えばネット動画のストリーミング再生と同じ考え方ですね。あるいは最初期と現代のCDプレーヤーのデータ読み出しでも、同様のことが言えます。

麻倉:従来手法だと演算に2年くらい時間が必要と予想していたのが、発想の転換によって今年アップデートで実装することができました。コンピュータ処理の新しい思想で、効率が数倍良くなったというわけです。

「Frame Adapt HDR」設定。これでプロジェクター環境におけるHDR表現が一気に広がるだろう

OLED、2枚液晶、サヨウナラ 第6位:DP-V3120

麻倉:前編最後に紹介する第6位は、キヤノンのマスターモニター「DP-V3120」です。

突然ですが、マスモニ市場では今、地殻変動が発生しています。何かと言うと、マスモニにおいてOLED退場が進んでいて、その震源地に居るのがコレ、V3120なんです。

キヤノンのマスターモニター「DP-V3120」

――マスモニと言えばソニーというのが、映像業界では半ば常識ですよね。CRT時代から世界中で使われていて、近年ではXperia 1の開発でも挙がった自社生産トップエミッションOLEDパネルの「BVM-X300」が絶対的な地位を確立していたはずです。一体何があったんです?

麻倉:問題はそのX300のスペックにあります。というのも従来のデファクトスタンダード的存在X300は平均輝度が300nits、ピークは1000nitsです。ところがHDRコンテンツが制作現場からの要求は、ピーク輝度も平均最高輝度もどちらも1000nitsという明るさなんです。HDRコンテンツ制作現場では平均輝度をもっと高めた作品を創りたいという声が多ですが、平均300nitsのX300ではこのニーズに応えられません。

そんな要望に対応するべくソニーが市場投入したのが「BVM-HX310」。ピークも平均も1000nitsのコレは2枚液晶、いわゆる“デュアルセル方式”。IFA編でパナソニック「MegaCon」を取り上げた時に紹介した、アレです。この流れにソニーや日本の池上通信機器をはじめ、中国や韓国の業務機器メーカーが追随。HDR環境におけるマスモニは2枚液晶の時代が到来し、盤石とさえ思われていたトップエミッションOLEDがあれよあれよという間に退場してしまいました。

ですがこれで驚いてはいけません。そうかと思いきや、この2枚液晶は何と「もう時代遅れ」なのです。

パナソニックがIFAで展示した55型マスターモニター「MEGACON」

――ちょっと待って下さい、MegaConが大々的に報道されたのってつい3カ月前の9月ですよ。まだ定着してすら無いのに、デュアルセルはもう時代遅れなんですか!?

麻倉:凄まじい開発競争に目が眩みそうですが、そういう事になります。性能的に言うと、キヤノンのV3120はピーク・平均ともに2000nits。しかもコントラスト比が200万対1。黒レベルがものすごく低く白レベルがものすごく高いんです。

この1,000nitsと2,000nitsというスペックの違いはかなり大きい。HDR対応の4Kカメラは4,000nitsまでの収録が可能ですが、例えば空を撮すとそういう高輝度の絵が出てきます。そんな絵を1,000nitsのHX310で視ても、明るい空は白飛びしてしまう。ところがキヤノンのV3120は、きちっと青空と雲が分離していて、雲の中にもちゃんとシャドウがあるのが解るのです。ということは、ですよ。これから更にHDR表現が深まることを考えると、やはりモニタリングに2,000nitsというスペックは必要なんです。

そもそもドルビーがPQカーブ用として開発したモニター「Pulser」は4,000nitsを出します。もっと言うと、HLGでの想定は1,000nitsですが、ドルビービジョンにおけるPQカーブは10,000nitsを理想として想定しているんです。現状では全くそこまで届いていないわけで、だとすると1,000より2,000の方が良いのは火を見るより明らかでしょう。

ではキヤノンがどうやってコレを実現したかと言うと、トレンドだった2枚液晶ではなく1枚液晶を採用したんです。この思い切った判断が凄い。MegaConでも指摘されていた通り、2枚液晶は構造上分厚くなりがちでどうしても熱がこもってしまい、1,000nits以上を出すと耐久性の問題が表面化します。4,000nitsを出すドルビーのPulserは水冷による強力な排熱システムで対策をしていますが、いかに業務用といえどモニターの冷却に水冷は現実的ではあありません。

加えて斜めから見た時に前後のパネル映像がズレる二重像や色の膨張も、マスモニとしてリファレンスで使うには大きな問題です。そんな訳で、キヤノンは1枚液晶で何とか性能向上を目指したわけですが、200万対1の黒を出すのにものすごく苦労しています。それはもうローカルディミングやるしかない訳で、ここを徹底的に追求しました。

ローカルディミングはハローが出るという問題を抱えています。例えば強い光を出すエリアの隣に黒を沈めるエリアがあると、光が隣の暗部エリアに漏れてしまうのです。闇夜に月が浮かぶシーンで、ぼんやりした光の笠をかぶるアレです。

――そもそもこれを嫌って、液晶業界はデュアルセルを開発していたはずなんですよね。

麻倉:ここが1枚液晶の高画質化における泣き所。キヤノンは10年がかりでアルゴリズムを作って対策したそうです。というのも、キヤノンは自社で動画/静止画双方のカメラを持っていて、その映像を情報量豊かに見るというニーズがあります。なので15年前の“次世代薄型モニター戦争”当時から「キヤノンにはカメラはあれどモニターが無い」と言われており、映像出力に苦心してSED開発を進めていたわけです。

結局SEDは失敗して液晶に転じましたが、今回のV3120はこのSED開発に居た人たちもアドバイスしています。なので液晶プロパーと言うよりも、自発光を経験していて、だからこそ「本当の絵は何か」を知っています。こういうものを今作ることが出来たのは、そんな背景があるのです。

次回は2019年の総決算、トップテンの上位5位を発表します。お楽しみに!

麻倉怜士

オーディオ・ビジュアル評論家/津田塾大学・早稲田大学エクステンションセンター講師(音楽)/UAレコード副代表

天野透