本田雅一のAVTrends

活発化しつつある最近のプレミアムイヤフォン事情

Ultimate Ears 700の程良いバランス



 ここ最近というよりも、iPodの人気が定着して以来だから、もう何年も前からのことになるが、高級イヤホンの市場が着実に拡大しているようだ。たとえば、かつての北米市場におけるアフターマーケット向けプレミアムステレオイヤホン市場は非常に小さなものだったが、より高い音質や機能性(遮音性や装着感など)を求めて高級製品を買い求める人が多くなった。

 2年ほど前の状況だが、それらの平均単価は100ドル程度で、こうしたアクセサリの平均価格としては異例に高いことに驚いたものだ。むしろ、通勤文化の違いなどで、給与所得者のポータブルオーディオの利用率が高いと考えられる日本の方が、平均単価は低いという。

 付属イヤホン以外を購入するという人は少なく、買ったとしても2,000~3,000円程度。9,000円台になると、かなり高級なイヤホンという認識の人が多いようだ。AV Watchの読者の中には数万円クラスのイヤホンを所有している人も少なくないだろうが、市場全体から見ると大きな存在ではない。

 しかし、だからこそ、さらなる成長が見込めると考えている人は多い。今やハイエンドオーディオよりも、高級ヘッドフォンとアクセサリのイベントの方が多くの人を集める。リスニングルームを必要とせず、手軽に高音質を求めたいと考えるユーザーは少なくない。iPodをはじめとするポータブルオーディオが根強い人気を持っていることと考え合わせれば、そこに市場性があると考えるのは、ある意味当然の事かもしれない。

 そんな中、主に米国で人気のあるプレミアムステレオイヤホンのブランドが、日本での動きを活発化しつつある。

 


■ パーソナルモニタから発展した密閉型プレミアムステレオイヤホン

ShureのE5c

 たとえばShure。Shureと言えば、我々の世代(40代前半)はアナログディスクのカートリッジや高音質なヴォーカルマイクのブランドとしての方が認知が高いのだが、現在はここ数年のマーケティング努力もあってプレミアムステレオイヤホンのブランドとしても知られるようになってきた。

 以前は日本法人を持たなかったが、一連のコンシューマ向け製品シリーズ投入に伴って約2年前に日本支社が設立されている。筆者も以前、E5cという製品を使っていたことがある。またコストパフォーマンスの高いステレオイヤホンとして、E2cという製品がベストセラーにもなっていたのでご存じの方も多いだろう。

 これらEシリーズは、元々、ワイヤレスパーソナルモニタシステムの一部として作られたものだった。ワイヤレスでPAシステムからの音を演奏者のレシーバーに送り、それをイヤホンで聴きながら演奏するためのシステムだ。僕らが学生時代、ステージ上のサウンドモニタと言えば、地面に転がしておくスピーカーだったのだが、今ではワイヤレスパーソナルモニタの方が一般的かもしれない。

 演奏者の動きや見た目に影響を与えないため、小型の耳の中に入る、しかもある程度以上の音質を持つイヤホンが必要とされた。そこで補聴器に使われていたバランスドアーマチュア(BA)という、金属の振動子がダイアフラムを動かす構造のドライバユニットを用いてモニタ用イヤホンが作られたのが最初(なおE2cはBAではなく、通常のダイナミックドライバが使われている)だ。

 バランスドアーマチュアはダイアフラムの振幅を大きく取れないため、低域の量感を引き出すのは難しいものの、小型軽量でレスポンスが良い素子のため、繊細なニュアンスの表現や解像力はとても高い。この特徴を応用し、たとえば補聴器メーカーのエティモティックリサーチという会社が、高音質なプレミアムイヤホンのシリーズ(ER-4、ER-6シリーズ)を開発し、人気を博しているのをご存知の人も多いだろう。

Apple In-Ear Headphones with Remote and Mic

 エティモティックリサーチの例はかなり特殊なものだが、Shure、それにプレミアムステレオイヤホンのブランドとしてもう一つ広く知られているUltimate Earsは、いずれもパーソナルモニタがオリジナルだ。

 バランスドアーマチュアがパーソナルモニタとして好まれる理由はいくつかあるが、「遮音性が高く楽器や自分の声など、必要な音声以外の音が気にならない」、「小型ユニットのためヘッドフォンより目立ちにくく、耳の後ろに配線コードを回し、背中で束ねてレシーバに接続すると、正面からはモニタの装着が目立ちにくい」が主立ったところだろう。

 なお、遮音性に関しては、一部(たとえばApple In-Ear Headphones with Remote and Mic)に遮音性の低いものもある。

 ところが、BAを用いて音楽モニタ用ステレオイヤホンを作ってみると、それが高音質イヤホンとしてコンシューマユーザーにも売れ始めた。


■ 通勤族のニーズに合致したBAユニット採用イヤホン

 BAは超小型の精密なユニットで、部品代はシンプルなダイナミック型(小型スピーカーそのものを内蔵させたもの)よりも確実に高価になる。今では生産量も増えて多少はコストも下がっているようだが、BAを作る部品メーカーは限られており、高価な事は否めない。

Ultimate Earsのフラッグシップモデル「Triple.fi 10」

 現在ほどBAを用いたイヤホンが多くなる前ならなおさらだ。しかし、多少価格が高くとも予想外に音楽鑑賞用イヤホンとして売れ始めたため、より大きな市場を目指してShureやUltimate Earsなどがコンシューマ製品に力を入れはじめた。最近はオーディオテクニカやパイオニアといった国内メーカーも高音質イヤホンとしてBA採用機種をラインナップするようになっている。

 BA採用イヤホンは、耳栓のように装着するため開放的な音は求められない。しかし、代わりに、ダイナミック型では得られない細かな音の情報を伝えることができる。高品位なオーディオを知らない人が付属イヤホンとの違いを知れば、十分に強いインパクトを持つだけの音質差がある。もちろん、オーディオを知っている人なら、なおさらその違いには敏感だろう。ダイナミック型イヤホンにも、もちろん優れた音質の製品はあるが、それでもBA型のイヤホンに人気が出たのは、それだけの差を認めるユーザーが多かった証左に違いない。

 特に日本においては、通勤族のニーズに合致していることも、製品を評価する上で重要な点だ。遮音性の高さは電車内の騒音中でも高いS/Nを引き出せるし、それによりより大きな音を出さなくとも十分に音楽を楽しめるようになる。サイズがコンパクトでポケットに収めやすいことも利点だ。

 長い前振りとなったが、こうした中でUltimate Earsは米Logitech(日本でのロジクール)に買収された。米Logitechはこれまで、何か新しい市場が生まれるたび、そこに向けて周辺をサポートするエレクトロニクス製品を繰り返し販売して成功してきた。

 我々に最もなじみ深いのはマウスだが、他にもパソコンキーボード、ゲームコントローラ、PCオーディオ、ネットワークオーディオ、iPod関連製品などを提供している。そうした流れの一環として、プレミアムな高音質のステレオイヤホンという市場に本格参入するためにUltimate Earsを買収したわけだ。

Ultimate Ears 700

 買収後、ダイナミック型のローエンド製品を2種類発売したが、Logitechの一部門になって初めてとなるBA採用のイヤホンが発売された。Ultimate Ears 700(UE700)である。

 UE700はポータブルオーディオのユーザーに適したコンパクトな形状と高級感のある仕上げに加え、接続コードの取り回しを良くするなど、日常的に持ち歩いて使うことを考えて開発された、コンシューマ向けに特化して新規開発された初めての製品となる。

 想定価格34,800円と、高価な製品が多いBA採用製品の中でも比較的高価なモデルだ。Ultimate Earsのラインナップとしては、BAユニットを1個用いるSuper.fi 5の上位、3ユニット(2ウェイ、ダブルウーファ)のTriple.fi 10の下位に位置する。

 前述したようにBAは低域のボリュームを出すことが構造的に難しく、低域の量を出せる設計にすると高域の追従性の高さが損なわれる。そこで高価なBA採用イヤホンの多くは、中高域用と低域用に異なるBAユニットを用いる2ウェイの構造を採用している。Ultimate Earsも2ユニットのSuper.fi 5Pro、5EBを発売していたが、これらはロジテックへと製品とサポートが移管された際にラインナップから外されていた。

 そのポッカリと空いた空席に入ったのがUE700だ。型番号が飛んでいることからも判るとおり、この製品は新たなシリーズの始まりとも言える製品だ。

 たとえば、前述したように接続コードはSuper.fi 5などより細めで、エラストマを用いた弾力ある被覆もあって絡みつきにくく、クセも付かない。ふたつのドライバを内蔵しているとは思えないコンパクトなボディは、一部のシングルBAイヤホンよりも小さくポケットの中で邪魔にならない。

 このあたりの“扱いやすさ”が、コンシューマ市場向け専用に設計された新シリーズの特徴と言える。その代わりに従来は2ドライバ以上の製品に採用していたドライバユニットの脱着機能(ケーブル断線時にケーブルのみ交換できる)が省略されるなど、プロ仕様の高耐久を狙った要素は省かれている。

 また、耳道に押し込むイヤーチップも、以前のデザインよりも装着感が向上した。Ultimate Earsは、低反発の発泡素材を用いたソフトフォームイヤーチップと、シリコンラバーを用いたイヤーチップの両方を用意してきたが、シリコンラバーのイヤーチップは今ひとつ装着感がしっくりと来なかった。

 UE700では、シリコンラバー製のイヤーチップがデザイン変更され、従来の円筒形に近いフォルムから、楕円球を半分に割ったような形状になった。先端部が細く絞られており、S、M、Lのサイズと組み合わせることで幅広いユーザーにフィットする。

Ultimate Ears 700。小型のBAデュアルドライバを搭載ケーブル長は1.12mシリコンと低反発素材のイヤーチップが付属する

 


■ BAらしい解像度の高さと情報量の多さ

 その音はBAらしい解像度の高さと情報量の多さが特徴だ。2ウェイ構成となったことで中域に二つのユニットの音が重なるクロスオーバー帯域が生まれるが、それによってヴォーカルの繊細さが失われる心配は無用だ。

 BAが不得手な低域も、かなりタイトで収束が速いものの、帯域そのものはかなり下まで伸びている。Apple In-Ear HeadphonesなどローエンドのBA採用イヤホンは、低域があまりにスッパリと出てこない事に驚いたが、それに比べると低域は十分出ていると誰もが感じると思う。

 たとえばジェニファー・ウォーンズ The Hunterの8曲目Way Down Deepの冒頭や、セルジオ・メンデスのMorning in Rioの1曲目ファーギーをフィーチャリングしたLook of Loveの前奏・間奏部には、ポピュラー系楽曲のCDにはあまり入っていない低い低音が入っている。実際に聞いてみると、これらの音も完全ではないが、それなりに出ている。余談だがThe Hunterの1曲目は、非常に広帯域で立体感溢れるミックスとマスタリングで、昔からオーディオチェック用CDとして有名な1枚。音好きなら持っておいて損はない。

 もう少し上に上がってウッドベースの帯域では、かなり締まる傾向だが量もそこそこ出始め、音に表情が加わってくる。ダイナミック型やBAユニットを3つ搭載するTriple.fi 10などと比較すると、量はかなり控えめなのだが、どうしても高域寄りになりがちなBA採用イヤホンの欠点は、かなり補われている。

 一方、中域から高域にかけては、ひじょうに伸びやかで明るい音が出る。従来のシリーズと比較するとドライでクール。フワッとした音場の濃さを引き出すのは不得手だが、その分、スッキリとクリアな見通しの良い音だ。すぐ下のモデルSuper.fi 5はシングルBAモデルとは思えない低域の量を感じさせるものの、高域の描写は本機よりもさらに荒く感じられた。その点、本機はBAの最大の美点がきちんとキープされているという点で優れている。

 とはいえ、高域のキツさはやや気になるところ。200時間以上鳴らしてみても基本的な傾向は変わらず思案していたが、その原因はイヤーチップにあった。やや腰高な点や女声の“サ行”が強く聞こえる傾向は、筆者がシリコンラバーチップのSサイズで評価を始めたからだった(最初はMサイズが装着されているが、筆者にはやや大きい)。イヤーチップをソフトフォームに交換すると大幅に緩和されるほか、同じシリコンラバーのチップでもMサイズを付けるとバランスが改善される。ソフトフォームの場合、聴きやすくはなるが、同時に情報量がやや落ちるので、シリコンラバーチップのMサイズが音質的にはベストだと思う。

 店頭で試聴の際にはMサイズが装着されているはず。イヤーチップによる音の違いまでは店頭デモで比較試聴できないかもしれないが、上記のような傾向があることを意識しながら聴けば、後から好みじゃなかったなんてことがないだろう。

 


■ こんなユーザーに

 BAとダイナミック型の違いは、昔のアナログディスク用カートリッジの方式とも似ている。MM型とMC型といっても、若い人にはわからないだろうが、繊細な表現力と高域の伸びやかさが特徴MC型と、低域、中域の充実感が魅力のMM型という対比構造は、ダイナミック型ユニットとBAユニットの対比とひじょうによく似ている。

 BA採用のイヤホンには、さらに使うBAのユニット数によって、1個、2個、3個と価格クラスごとに違いがあるため、全く同様の傾向というわけではない。しかし、低域再生能力は欲しいものの、シングルBAの持つ繊細な中高域から高域にかけての表現力は捨てがたいという人には、UE700は程良いチューニングのイヤホンだ。

 5万円台のトリプルBAモデルの購入者は、その多くが3万円台のデュアルBAモデルからのステップアップユーザーだそうだ。ポータブルオーディオ機器の価格を考えると、5万円のイヤホンはいかにも割高だ。しかし、イヤホンをグレードアップして高音質に慣れてくるにつれ、だんだんと音の良さとは何か、音が良いと音楽の聞こえ方、心地よさが変わってくるといった事をユーザーは知ってくる。その結果、より上級なイヤホンへと物欲を向かわせるのだろうか。

 そうした意味でも、UE700は重要な位置付けの製品であり、より力も入るのだろう。製品としてのまとまりはいい。小型のポータブルオーディオ機器と組み合わせ、胸ポケットに入れて手軽に使うのであれば、コンパクトさや取り回しの良さといった点で音質と機能性のバランスが取れた製品である。通勤や通学など移動時に高音質を楽しみたいというユーザーに勧める。

 一方、自宅でヘッドフォンアンプを用いて音楽を聴くために……という人や、多少、コードの取り回しや装着感が落ちても音質が良ければいい、という読者には、別の選択肢がある。Ultimate EarsブランドならTriple.fi 10があるし、もっとモニタライクでフラットな音が好きならばShure SE530という選択肢もある。ヘッドフォンアンプを使うなら、本格的なヘッドフォンの方が装着感や圧迫感といった面でも有利だ。

(2009年 5月 21日)


本田雅一
 (ほんだ まさかず) 
 PCハードウェアのトレンドから企業向けネットワーク製品、アプリケーションソフトウェア、Web関連サービスなど、テクノロジ関連の取材記事・コラムを執筆するほか、デジタルカメラ関連のコラムやインタビュー、経済誌への市場分析記事などを担当している。
 AV関係では次世代光ディスク関連の動向や映像圧縮技術、製品評論をインターネット、専門誌で展開。日本で発売されているテレビ、プロジェクタ、AVアンプ、レコーダなどの主要製品は、そのほとんどを試聴している。
 仕事がら映像機器やソフトを解析的に見る事が多いが、本人曰く「根っからのオーディオ機器好き」。ディスプレイは映像エンターテイメントは投写型、情報系は直視型と使い分け、SACDやDVD-Audioを愛しつつも、ポピュラー系は携帯型デジタルオーディオで楽しむなど、その場に応じて幅広くAVコンテンツを楽しんでいる。

[Reported by 本田雅一]