藤本健のDigital Audio Laboratory

第958回

ASMR×POV番組「小岩井ことりになってみた」の作り方。マニアックなシステム公開

小岩井ことりさん

声優でありながら、DTMを駆使し、作詞・作曲家としても活躍……その一方で、イヤフォンの開発に携わったり、自らプロデュースするASMR音声レーベル「kotoneiro」を運営するなど、とにかく幅広い活動を行なっている小岩井ことりさん。

本連載でも何度か協力をいただいたこともあるが、個人的にすごく楽しいと思っていたのが、ニコニコチャンネルで展開していた生配信番組「小岩井ことりになってみた」だ。

配信番組「小岩井ことりになってみた」<URL https://ch.nicovideo.jp/kotonari>

この番組は、バイノーラルマイクとヘッドマウントカメラを使うことで、視聴者がまるで“小岩井さんになった感覚が得られる”というユニークな内容で、結構マニアックな機材とテクノロジーを使っていた。

残念ながら、この「小岩井ことりになってみた」は9月15日の配信をもって、いったん休止となってしまったが、その最終回の現場を取材するとともに、実際どのような機材で何をしていたのか? など話を聞くことができた。今回は本番組の舞台裏を紹介してみたい。

小岩井ことりさんの論文が「FIT船井ベストペーパー賞」受賞!

「小岩井ことりになってみた」の配信現場には何度か遊びに行ったことはあったものの、一度しっかり取材させてほしい、というお願いを以前からしていた。しかし、なかなかスケジュールが合わず、ようやく取材できたのが、最終回というタイミングになってしまった。

実は、その前日にもまったく別件で日吉にある慶応大学・矢上キャンパスにおいて小岩井さんに会っていたので、先にその話について少しだけ触れておきたい。

この日、慶応大学で行なわれたのは「FIT船井ベストペーパー賞」なるものの表彰式だ。

FIT(Forum on Information Technology:情報科学技術フォーラム)とは、情報処理学会と電子情報通信学会情報・システムソサイエティ合同の会議で、そこに提出された論文の中から、毎年3件を最優秀賞「FIT船井ベストペーパー賞」として選出し、船井情報科学振興財団から表彰されるという式典が行なわれたのだ。

この式典と声優の小岩井さんは、一見場違いの組み合わせのようにも思えるが、実は前述のFIT船井ベストペーパー賞に選ばれたのが、明治大学専任准教授である森勢将雅先生と小岩井ことりさん、そして筆者の連名で昨年出した論文「レアなモーラを含む日本語歌唱データベースの構築と基礎評価」だったのだ。

論文内容を書くと、かなり大変なことになってしまうので、詳細は割愛するが、ごく簡単に説明すると、小岩井さんが作詞・作曲した50曲を、誰かが歌って録音し、それをディープラーニングさせると、自由に歌声合成できるデータベースが構築できる、というもの。

その経緯については筆者のサイト・DTMステーションの記事「小岩井ことりさんの歌声を人工知能で完全に実現!? 本人も自分そのものと認めるソフト完成への裏舞台」で書いているので、そちらを参照いただきたい。

URL https://www.dtmstation.com/archives/36984.html

小岩井さんの作業はトンでもないほど大変だったけれど、筆者としては論文作成にも参加でき、面白い体験ができたと思っていた。が、まさか、こんなすごい賞をもらえるとは思っていなかったので、とても光栄に感じるところだ。

そんな厳かな受賞の翌日に行ったのが「小岩井ことりになってみた」……略称“ことなり”の最終回の現場だった。

「小岩井ことりになってみた」の裏側。こだわりのシステムが続々

この番組がスタートしたのは2021年2月。視聴者がヘッドフォン/イヤフォンで聴くことで、小岩井さんに憑依したかのような感覚を味わえる番組をやってみようという、彼女のアイディアで始まった。番組では、「ことなりんぐセット」なるものを小岩井さんが身に着けて配信する仕掛けだ。

もともとは、ことなりんぐセットとともに、ゲストといっしょにデートに行こう、という企画だったそうだが、コロナ禍においてはなかなか難しいために、スタジオでの収録が中心になっていたという。第0回からスタートし、今年9月15日に配信された第19回までの計20回。生配信は終わってしまったが、過去のアーカイブの一部は今も視聴可能なので、ぜひ見てみて欲しい。

前述したことなりんぐセットとは、小岩井さんの耳にとりつけたバイノーラルマイクと頭に付けたカメラのこと。

どうやら試行錯誤を繰り返していたようで、回を重ねるごとに音質もよくなっているし、ことなりんぐセットのバージョンもどんどん上がり、機材も変わっていったとのこと。

取材に行った最終回は少し特殊で、ことなりんぐセットをつけたのは小岩井さんではなく、小岩井さんのヘアメイクを行なっている芳賀さんだった。

当初は芳賀さんが、番組最後までことなりんぐセットを身に着けているはずだったが、頭のカメラがかなり重かったようで途中でギブアップ。その後は固定カメラに切り替えられている。その意味で、最終回は番外編的な扱いにはなったが、番組スタート前に、小岩井さんに機材などについて、実物を見せてもらいながら、話を伺った。

「本当は、毎回いろいろなところにロケに行って、番組展開をしたかったのですが、コロナ直撃の中、なかなか出かけることができず、スタジオでの収録が中心となりました。それでもゲストを呼んで、いろいろな見せ方をしてみたのですが、最近は一人でスタジオで配信するケースが多かったですね。基本的には生配信でしたが、ショップに遊びに行ったこともあったり、収録とはなったけれど、わかさぎ釣りに行く…なんてこともしましたね」と小岩井さん。

しかし、どうしてこのような企画を考えたのだろうか。

「音声も映像も、ワイヤレスで使える機材が出てきましたよね。それなら自由に動き回ることができる。それで視聴者のみなさんの目や耳になれたら楽しいのでは? と考えやってみました。当初は、イヤフォン型のバイノーラルマイクであるAdphox BME-200を装着するとともに、GoProをつけて始めようとしました。ところが、このBME-200はファンタム電源ではなくプラグインパワー。そこでウチのスタッフさんたちと、どうすればよいか色々調べたのです。結果、MixPre-3 IIという機材が使えることが分かり、これを買ってみました」

Adphox BME-200
MixPre-3 II

MixPre-3 IIとは、ZOOMより早く32bit floatとしてのオーディオインターフェイス化も実現した米Sound Devices製のポータブルレコーダーだ。

詳細をスタッフの方に聞いてみたところ、MixPre-3 IIの32bit float機能などは一切使わず、これのモニター出力であるイヤフォンジャックからステレオの2chを別々に分岐させた上で、Shureのワイヤレス機のトランスミッター2台に接続し、L/Rそれぞれ独立させて飛ばしたという。

Shureのワイヤレストランスミッター
入手に苦労したという変換ケーブル

ただ、このトランスミッターの入力がミニキャノンという仕様だったため、変換ケーブルの入手には苦労したとのこと。

「最初に使ったカメラは、ソニーのアクションカムでした。これもワイヤレスで飛ばしたかったので、HollylandのMARS 400 PROという機材を使い、HDMIを無線化しました。その時は頭にカメラ、背中にこのトランスミッターを背負って放送していました。カメラはその後、GoProを使ったりと、時々で変えていきましたが、現在はGoProのHERO 10を使っています」

HollylandのMARS 400 PRO

番組を見てみると、全部が小岩井さんのカメラとバイノーラルマイクというわけではなかったようだが…

「視点を変えるというのも面白いので、別カメラとノイマンのKU100などの固定のバイノーラルマイクも使ったり、3DioのFree Space ProIIなんかも使っています。ゲストを呼んでババ抜きをする、なんて企画もありました。そのとき、バイノーラルマイクの数が足りなくなり、前々から検討していたDPAの4060というマイクを導入しました。マイクロドット端子になっていて、変換コネクタがいっぱいありましたし、ミニキャノンにも直接変換できますから、MixPre-3 IIが不要になって、結果すっきりさせることができました。普通の4060ではなく、耳に取り付けてバイノーラルマイクとして使うことができる『CORE 4560』という製品なんですよ」

3DioのFree Space ProII
DPAの4060
ミニキャノンにも直接変換可能

どんどんマニアックにすごい機材を導入している小岩井さんだが、取材した日に使っていたのも、DPAのCORE 4560だった。番組のアーカイブを見ていると、いろいろなマイクを使ってきたことが分かるが、やはりかなり高品位なマイクであることが感じられる。

なお、この日はそれほど動き回らないことや、配信用機材がすぐ近くにあることからワイヤレスではなく有線で行なわれていた。スタジオの場合は、有線で行なうケースが多かったようだ。

一方で配信機材のほうはどうなっているのだろう。

「音声はオーディオインターフェイスを通じてWinodws PCに入れていて、映像もHDMIをキャプチャボードを通じてPCに入れた上で、OBSで合わせた上で配信しています。スタジオにいるときはRMEのFireface UFX IIを使っていますが、今日はベリンガーのXR18というラック型のミキサーを持ってきて使っています」

OBSのメニュー
ベリンガーのミキサー「XR18」

と、小岩井さんは話すが、もちろんこうした配信を小岩井さん一人で行なっているわけではなく、この日も5人のスタッフとともに配信していた。しかし、小岩井さん本人を含め、全員が機材を熟知した上で、配信しているからこそ面白い番組になっているのも事実。さらに、小さいとはいえ、それなりの重量のあるカメラを頭にとりつけたまま、番組を進行できる小岩井さんの忍耐力というのも、番組を楽しくしてくれているのだと思う。

残念ながら「ことなり」は終わってしまったけれど、こうした機材をいろいろ駆使したコンテンツを、いろいろな形で発信している小岩井さんには、今後の新しい動きにも期待したいところだ。

藤本健

リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto