第515回:Android搭載で低遅延の楽器「Miselu neiro」

~米Miselu CEOに聞く「Music SDK」の開発と展望 ~


Miselu neiroのプロトタイプモデル

 楽器デバイス用のOSとして見たとき、iOSと比較してかなり出遅れているAndroid OS。しかし、近い将来、その差は縮まるどころか、大きく逆転するかもしれない。その可能性を見せてくれたのが、6月末に米サンフランシスコで行なわれたGoogleの開発者向けイベント「Google I/O」でお披露目されたユニークな楽器「Miselu neiro」だ。

 米Miseluが開発したこの機材にはAndroid OSとともにMusic SDKという音楽用の開発ツールを用いて作ったアプリが搭載されており、低レイテンシーで高機能な楽器デバイスとして機能するようになっている。

 Miseluはシリコンバレーにある、まだ小さなベンチャー企業。CEOは、これまでもシリコンバレーでビジネスを成功させてきた経験を持つ日本人、吉川欣也氏。その吉川氏が先日、プライベートで帰国したのだが、コルグに立ち寄った際に、1時間ほどインタビューすることができた。またこのインタビューの中で、Skypeを使い現地にいるMiseluのソフトウェアダイレクター、新宮圭輔氏にも話を伺った。Miselu neiroとはどんな機材なのか、どんなキッカケ、思いで開発することになったのか、Music SDKとはどんな機能を提供するものなのか……などの疑問をぶつけてみた。

Androidを採用し、音楽用開発ツール「Music SDK」で作成されたアプリを搭載する閉じた時の外観Miseluの吉川欣也氏に話をうかがった

■ ソーシャルに繋がる、クラウドにアクセスできる楽器

Miselu社CEOの吉川欣也氏

――そもそも、このMiselu neiroはどんな経緯で作ることになったのですか?

吉川氏(以下敬称略):シリコンバレーに何年もいて、何かもっと面白いもの、楽しいものはできないだろうかと思っていました。そんな中、これまでにない新しい楽器が作れたら……と思うようになったのです。ソーシャルに繋がる楽器、直接クラウドにアクセスできる楽器……、そんなものができたら面白いだろうな、と。

――iPadやiPhoneを使った音楽アプリも少しずつ登場しています。

吉川:そうですね、iPadなどはとてもよくできていると思うし、私も大好きです。NAMM SHOWにいくと、最近はいろいろなメーカーからiPad/iPhoneを楽器にするためのアクセサリが出ています。そういうのを見ながら、iPadのアクセサリもいいな…とはおもったのですが、自分としてはどうも盛り上がりに欠ける。シリコンバレーにいる友人とも、いろいろと議論をしていましたが、「液晶はあったほうがいい」、「鍵盤も必要だ」、「液晶も自分たちで作ったほうがいいだろう」……といった意見を集約していった結果、コンセプトが固まっていきました。それが、このneiroなのです。もちろん、ハードウェアだけでなく、アプリのほうがさらに重要。Polysixのようなアナログシンセアプリ、ボーカロイドのようなアプリが搭載され、ソーシャルで繋がっていけば、いままでにない世界観が作れるだろうと考えました。

ノートPCのような本体を開くとキーボードのかわりに鍵盤が現れる

――それにしても面白いデザインですよね。ノートパソコンみたいだけど、フタを開けるとキーボードが鍵盤になっている。

吉川:やっぱり楽器って、いいじゃないですか。ソーシャルのアプリがコンピュータ上で動くのではなく、楽器で使えるとしたら、世の中いろいろと変わると思うんです。楽器はデザイン、音、色、いろいろなところにこだわりも出てきます。デジタル機器ではあるけれど、その辺の楽しさを演出し、持っていること自体で自慢できるようなものを作ってみたいと思っています。たとえばスタバ、電車の中、空港……そんなところで広げるとみんなの視線を浴びるものを作りたいですよね。

――そんなコンセプトが生まれたのはいつごろなんですか?

吉川:2009年くらいでしょうか。一番最初はカラオケをいじれたらいいかな、と考えたのがキッカケでしたが、次に声や音と発想が変わっていきました。そして音を作る楽器が変わったら面白いだろうな、と。やはりiPhoneが見せてくれた世界は大きかった。テキストは携帯を含め、古くから双方向でやりとりできるし、写真もFacebookやInstagramでソーシャルにやりとりできます。

 動画ならYouTubeなどがあるけど、音楽はあまり双方向となっていない。確かにSoundCloundなどいろいろ登場してきてはいるものの、楽器から直接できるものはないですよね。今後、音に情報をつけて発信するアーティスト、若者がどんどんと登場するはずです。彼らのニーズにこたえられるような楽器が作れたらいいな、と。


■ Android 2.3ベースで動作。4.1ベースへの移行も計画

――このneiro、Android OSが搭載されているのが非常に興味のあるところです。これまでAndroidというと、レイテンシーなどの問題から楽器に向かない……と思われていましたが、なぜあえてAndroidを選択したのですか?

吉川:確かにiOSを使うことができるのなら楽だったとは思います。でも、ハードから自分たちで作っていこうと考えている中で、AppleがOSを提供してくれる可能性(がほとんどないこと)を考えると、ほかを探すしかありませんでした。一方、ソーシャルで接続することを考えると、自ずと選択肢はAndroidしかなくなってきます。Androidはオープンソースであり、カスタマイズがしやすいという大きな特徴があります。そう考えれば、いま使いやすいのはAndroidしかないでしょう。もちろんOSからすべてを作れればいいのかもしれませんが、Miseluはまだ小さな会社。ここで1から全部作るのは無理ですからね。

――オーディオのレイテンシーの問題、MIDIデバイスとの接続の問題などはどのように?

吉川:そうした問題を解決するために、我々はMusic SDKというものを作りました。Androidにこれを組み込んでいくことで、オーディオレイテンシーについては改善できます。また実用に耐えるMIDIのインプリを行ない、楽器としてのアプリを作りやすい環境に築き上げました。やはりiOSは大きな参考にしましたよ。オーディオやMIDIのAPIなどAndroidに足りないものを、このMusic SDKで補間できるようにしています。また今後の展開としてはコルグやヤマハをはじめとするアプリ開発メーカー、またユーザーの声なども吸い上げながらSDKの幅を広げていけたらと思っています。

――neiroに搭載されているAndroid OSのバージョン的にはどうなっているのですか?

新宮:現行のものは、Gingerbread(Android 2.3)ベースのものになっています。しかし、今後Jelly Bean(Android 4.1)ベースへと移行していく計画です。先日のGoogle I/OでもGingerbreadからJelly Beanへの親和性は高いと言われていましたので、大きな問題もなく移行できるのでは、と考えています。こうすることで、さらにレイテンシーを小さくできるだろうと考えています。

吉川:iOSを公開してくれればやりやすいのですが、それは無理なので、とにかくiPadやMac、Windowsにあって、Androidにないものを克服しているところです。


■ NSX非搭載ハードでの低レイテンシー化を検証

――Music SDKを組み込めば、既存のAndroid端末は、音楽デバイスになりうるということですか?

吉川:我々は、Android端末すべてに対応することを考えているわけではありません。リファレンスとなるデバイスを作ろうとしているのです。実際のところ、すべての端末をサポートするのは無理です。スクリーンの大きさ一つをとっても、さまざまだし、10タッチをサポートしているデバイスはどれなのか……。そうiPadの場合、11の同時タッチセンスが可能となっていますが、われわれが作っているのは10タッチ。こうした細かい違いを見ていっても、何でも使えるようにするというのは現実的ではないのです。

――Music SDKは希望すれば誰でも入手可能なものなのですか?

吉川:現時点では、限定した人にしか出していません。今後はもっと多く人たちに使ってもらい、コミュニティーが広がっていけばとは思っています。ただ、まだ発展途上の段階にあり、ある程度限定しておかないと、アプリを開発するベンダーをサポートすることができませんので…。Miseluとしては、研究開発を進めていく中で、音楽業界・楽器業界で必要なものは何かを組み入れていき、ここで提携関係が出てくれば、さらに可能なことも広がってくるだろう、と。

コルグの開発によるPolysixとMusic SDKの組み合わせでも十分な低レイテンシーを実現可能

――以前、neiroにはヤマハのNSXというチップが搭載されているという話を聞いたことがあります。こうした音源チップが搭載されていることで、レイテンシーが縮められているということはないのでしょうか?

新宮:確かにNSXを使うことで、さらにレンテンシーを縮めることは可能です。ただ、実際、先日コルグさんに開発していただいたPolysixはNSXを一切使っていません。これを触っていただければ分かるとおり、NSXを使わなくてもMusic SDKによって十分なレイテンシーを実現できていると思います。

――NSXのない普通のハードウェアでもAndroid+Music SDKでレイテンシーは縮められる、と?

新宮:そのとおりです。お手元にあるMusic neiroのプロトタイプにはTIのOMAP4シリーズのCPUが搭載されており、Music SDKはこれをサポートしています。またOMAP以外のCPUサポートも検討しています。

吉川:NSXなしで絶対に十分な性能が出せるのか、という点については現在検証中です。これはやはりメーカー、またユーザーの判断というところだとは思います。また通信機能、カメラ機能などと組み合わせて使っていたっときどうなるのかは、まだハッキリわかりません。ただ、このPolysixなど単独で動作させている分には、かなり気持ちよく弾くことができますね。

――Music SDKにはほかにどんな機能がインプリされるのでしょうか?

新宮:オーディオとMIDIの入出力のほか、Wi-Fiを使ったデータ通信機能というものも考えられます。またOSCを使ったWIFi/MIDIコントローラーの開発も進めているところです。もちろん、オーディオのミキシングをどうするかなど、まだ検討中の部分も多々あります。


■ 開発者向けリリースは来春

――ユーザーとして気になるのは、やはりこのMiselu neiroがいつリリースされるのか、という点です。以前、来春には登場するという話を少し聞いたことがありますが……。

吉川:そうですね、来年の春にはなんらかの形でリリースしたいと思っています。ただ、それはエンドユーザー向けではなく、まだデベロッパー向けという形になるかもしれません。誰もが買えるようになるには、やはりアプリを充実させ、ソーシャル系のサービスなどが決まってからになるので、もう少し時間がかかるかもしれません。

開発中のプロトタイプでVOCALOIDをエンジンとするソフトMV01を動かしているところ

――いくらぐらいで発売されるのかも、非常に気になります。

吉川:今回持ってきたのは、Google I/Oに出品するために作ったプロトタイプで、アルミ削りだしのモデルです。これは2オクターブ版ですが、一回り大きい3オクターブ版も作っています。VOCALOIDのデモを動かしていたのは3オクターブ版ですね。

 価格は、まだハッキリと出せる段階にはありませんが、10万円を切るくらいに設定できたらいいなと思っています。我々がメーカーとして作るとして試算すると、それでも赤字ギリギリでまったく利益が出ない感じではあります。もし、今後Miselu neiroを作りたいというパートナーが現れたら、そこと協業していくなど、いろいろな選択肢はあると思うのですが……。

――ぜひ、早く、また安く登場してくれることを心待ちしています。本日はありがとうございました。



■ 操作感はまさに楽器。コンボジャック、ギター入力、MIDI入出力対応

Androidの操作系ボタンとして鍵盤の左にホームボタン、手前にメニューボタンとバックボタンを用意

 今回、まだできたばかりというプロトタイプを触らせてもらったが、想像していた以上にしっくりとくるUIになっていた。ここでは、コルグが開発したPolysixを使ったのだが、PC上で動かすソフトシンセやiPadとMIDIキーボードの組み合わせとは明らかに異なり、楽器という感じがする。

 ユニークだったのは、ピッチベンドやモジュレーションホイール。液晶を左手で挟み、ピッチベンドを親指で動かしながら、右手で鍵盤を演奏すると気持ちよく使える。鍵盤のほうも、ミニキーではあるが、かなりしっかりしたタッチで弾きやすいものになっていた。鍵盤の左にホームボタン、手前にメニューボタンとバックボタンなどAndroidの操作系のボタンが3つ用意されている。

左から、ギター/マイクを接続可能なコンボジャック、ファンタム電源スイッチ、ギター入力端子、MIDI入出力、RCAのステレオオーディオ出力、ヘッドホン出力、HDMI出力、USBなどを配置

 一方、リアパネルはカバーが外れた状態だったので、見栄えはよくなかったが、ここにさまざまな入出力端子が並んでいる。左から、ギターもマイクも接続可能なコンボジャック、ファンタム電源スイッチ、ギター入力端子、MIDI入出力、RCAのステレオオーディオ出力、ヘッドホン出力、HDMI出力、USBなどが配置されている。以前に写真で見たプロトタイプでは本体の左右にMIDI端子やUSB端子が配置されていたが、接続系はすべてリアに配置しなおしたとのことだった。

 この日、Miselu neiro版のPolysixを作ったコルグのエンジニアにも話を聞いたが、もともとKORG Legacy Collectionとして作っていたPolysixを移植したので、移植自体は比較的簡単だったという。UIの合わせ込みなどに多少時間はかかったが、音が出るようになるところまでは1日で出来てしまったとのことだったので、確かにMusic SDKはかなりよくできていそうだ。早く製品として登場してくれることを楽しみにしたい。


(2012年 7月 23日)

= 藤本健 = リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。
 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。EPUBマガジン「MAGon」で、「藤本健のDigital Audio Laboratory's Journal」を配信中。Twitterは@kenfujimoto

[Text by藤本健]