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第391回:

アップルが目指す「iPadと理想の教育」。Chromebook対抗の軸はAV性能

 新iPadのレビューをすでにお届けしているが、そのプレスイベントの様子をお伝えする。今回のイベントは、いままでのものとは様相が異なる。フォーカスはiPadではなく、あくまで「教育」であり、会場のいつものサンフランシスコ近郊ではなく、アメリカ中部の大都市、シカゴ。舞台も、アメリカ・シカゴの公立レーン・テック・カレッジ・プレップ高校だった。

アップルが教育向けイベントを開催した、米・シカゴの公立レーン・テック・カレッジ・プレップ高校

 なぜアップルが教育にフォーカスするのか。そして、そこでなぜiPadなのか。オーディオビジュアル(AV)とはまったく関係ない内容に思えるかも知れないが、実はそうではない。タブレットという「オーディオビジュアル性能に優れたコンピュータ」の存在こそが、アップルの教育ビジネスに大きくかかわっているのである。

「アップルと教育」の伝統をiPadでも

 アップルの歴史に詳しい方はご存じかと思うが、アップルの初期の成功は「教育市場」とともにあった。初期のコンピュータ教育向けに、アップルIIがアメリカの学校に大量導入されたことが、アップルIIの台数増加に大きく貢献し、同社成功の礎のひとつとなった。

 発表会の冒頭、アップルのティム・クックCEOは、アップルの教育とのかかわりが40周年を迎えたことを語った。同社にとってはそれだけ重要な市場であり、軸となる領域だ、ということだ。

アップルのティム・クックCEO
アップルの40年にわたる教育との関わりを紹介。アップルIIによる教育市場への参入やマッキントッシュを思い起こさせるスライドが紹介された。

 また、アップルの考える教育の価値も、やはり、クックCEOの引用した次の言葉で理解することができる。

教育は、人間が考えだした他のあらゆる工夫にまさって、人々の状態を平等化する偉大なはたらきをするものである

ホレース・マン

18世紀の教育者・奴隷制度改革論者で、「アメリカ公教育の父」と呼ばれるホレース・マンが自著の中で述べた教育の効果を引用し、アップルの考えを説明

 すなわち、子供たちに能力を与え、将来の機会を最大化する道具としての教育、という考え方だ。それをコンピュータで与えることはどういうことか、というのが、アップルの発想である。そして、今アップルが与えうる教育向けにもっとも向いた製品が新iPad、というわけだ。

 とはいうものの、アップルは新iPadを「教育市場特化製品」とは捉えていない。アップル関係者は「広く一般の人々にお勧めできるiPad」といういい方をしている。iPad Proとの機能差が整理されたことで、「最新のiPadは割高だ」というイメージを払拭したいのだろう。

アップルの理想は、映像やセンサーを活かしや「自由な学び」だ

 では、アップルは今回のiPadでどんな教育効果を狙っているのだろうか? アップルは今回の発表会を「明日の教室の発表会」と位置づけている。ところが、そのアップルの言葉とは裏腹に、アップルのプレゼンテーションは「教室の中」に縛られていない印象を受けた。

テーマを「明日の教室」に設定。これからの教育のあり方を問うプレゼンが多かった

 ビデオの中では、教室に座って授業を受ける姿が極端に少ない。子供達がiPadを抱え、教室の外やグラウンドに出て行って使う映像が多かった。

発表会でのひとこま。どちらも「教室での座学」でない点に注目。

 発表会後には、参加者が教室でiPadを使い、各種教育アプリを試す機会が設けられたのだが、それも、いわゆる「座学」向けというより、ARアプリケーションやドローンとの連携などが目立った。

発表会後、教室では教育向けアプリの体験会を実施。そこではARアプリやドローンのプログラミングなど、「座って学ぶ」のではない用途が中心だった

 そして、それ以上に今回活躍していたのが、アップルがiOS向けに無償提供している「Clips」というビデオ編集アプリだ。これは、iPhoneやiPadのカメラを使い、ナレーションやタイトル入りのショートムービーを簡単に作れるもので、「SNS向け動画用」という印象が強かった。だが今回は、教育現場で子供たちが自ら動画レポートを作ったり、詩の朗読を表現したりと、非常に広汎な用途で使われていた。

 発表会終了後の夕方には、シアトル中心部にあるApple Chicagoにて、Clipsを使った教育関連の特別セッションが行われた。プレス関係者を含め多数の来場者が、「詩の学習のための動画活用」のあり方を学んだ。

シカゴにある「Apple Chicago」。昨年10月にオープンした、「今のアップル直営店設計」に沿った店舗。実は、シカゴという街に最初に入植した人々が耕作した記念的な場所に作られている
アップル認定教育者であるアンソニー・ストライプ氏を招き、「Clips」を使って詩でストーリーを語る教育の手法についてセミナーが行なわれた

 これはなにを示しているのか? 筆者には、2つの方向性が感じられた。

 ひとつは、アップルの考える「教育向けコンピュータ」が、「ノートをノートPCで置き換えたもの」ではない、ということだ。iPadにはカメラとマイクがあり、ジャイロセンサーと高性能なプロセッサーがある。それらを縦横無尽に使い、ノートでは表現できないこと、理解しづらいことを体験しながら学ぶのが教育用のコンピュータであり、そこではiPadが望ましい……とアピールしていたのだ。

 その際のツールとしては、シンプルにビデオ作成ができるClipsの価値は高い。高いAV性能とアプリの組み合わせは、現状、iPadが非常に有利な点である。

 発表会でクックCEOは、久々に「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点である」という言葉を使った。スティーブ・ジョブズが好んで使った表現であるが、ノートとは違う文房具というiPadの特質を表現するには、ぴったりのものである。

ティム・クックCEOは、同社の理念である「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」という発想方法を、教育にも適用していくと語る

透けて見える「Chromebook」との差別化

 iPadの特質をアピールしたもうひとつの狙いは、アメリカの教育市場を席巻している、GoogleのChromebookとの対比、という側面がある。

 Chromebookはまさに「低価格で頑丈なノートPC」であり、管理が容易であることが教育市場で評価されている。iPadは300ドルだが、Chromebookは200ドルからでさらに安く、壊れにくさではiPadより有利である。教育に求めるものが「ノートをデジタル化し、コミュニケーションや管理を容易にするもの」という、大人がPCに求めるものと同じであるなら、Chromebookは優秀な製品だ。

 だが、アップルは「教育にはそれでは不足である」と考えており、AV性能とアプリの組み合わせが充実しているiPadを教育用コンピュータとして推しているのだ。

 一方で、そういう教育を実践するには、従来の一方通行なカリキュラムとは異なるものを作り上げる必要がある。今回発表会では、多数の教育者が実際に壇上に上がった。その意味するところは、「アップルと一緒に新しい教育のカリキュラムを作っていきましょう」というアピールに他ならない。

 アップルは「Apple Teacher」「Everyone Can Code」といった無償の教育カリキュラム学習プログラムを用意しており、日本語のものも手に入る。今回はそこに、文章・絵・写真・動画・音楽などを組み合わせた「Everyone Can Create」というプログラムを展開し、差別化を図っている。

アップルは様々な「創作」を支援する「Everyone Can Create」というカリキュラムを今後展開する

 一方、Chromebookが強いと言われる管理系については、教室内のiPadを一覧し、授業を円滑運営する「Classroom」というアプリのMac対応を公開したり、学校用iCloudでは、各生徒に無償で200GBのオンラインストレージを提供すると公表したり(一般向けには、無料の場合5GBだ)と、「アップルも近い要素を持っている」ことをアピールした。

教室での管理をスムーズなものにする「Classroom」が、Macにも対応。過去には教師もiPadを使って授業することしかできなかったが、拡張された
学生に提供されうiCloudでは、無料ストレージ容量が5GBから200GBに大幅増量

 率直にいって、アクティブな新しい学びのカリキュラムを作り、現場の教師が実践するのはハードルが高いことだ。そのため日本でも、意欲的な学校・先生がいるところはきわめてうまくいっているものの、機器を押しつけられたような学校では思うような成果が上がっていない。今回のイベントで示したような世界を実現するためには、「Apple Teacher」「Everyone Can Create」などの教師支援プログラムを、いかに十全に機能させ、学校に理解してもらうかが重要になるだろう。

 そうした活動をしていること、それを理解してもらいたい、ということこそが、今回、アップルがイベントで教育関係者に示したかったことだ。容易な道ではなく、短期でChromebookを追い抜くのは難しいやり方だが、アップルとしては、後追いで低価格路線につきあってもビジネス上の旨味はない。そしてなにより、アップルという企業の理念にそぐわない。

 だから、アップルはあえてコストをかけてやり方をアピールする方法を採った。iPadの新製品は、そのための条件を整える商品に過ぎないのである。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、週刊朝日、AERA、週刊東洋経済、GetNavi、デジモノステーションなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。
 近著に、「顧客を売り場へ直送する」「漂流するソニーのDNAプレイステーションで世界と戦った男たち」(講談社)、「電子書籍革命の真実未来の本 本のミライ」(エンターブレイン)、「ソニーとアップル」(朝日新聞出版)、「スマートテレビ」(KADOKAWA)などがある。
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