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「ADC」がハイレゾの未来を拓く? 旭化成が目指す“究極”の音。レコードで聴き比べも
2016年7月29日 09:30
オーディオファン、とりわけハイレゾ音源を好んで聴く人にとっては、ヘッドフォンやスピーカー、アンプ、オーディオプレーヤーなど、オーディオ機器のハイレゾ対応が日に日に拡大し、さらなる高音質化が進んでいることはうれしい限りだろう。こうした機器のハイレゾ化を支えているのが、「DAC」(デジタル-アナログコンバータ)と呼ばれるICチップであるということは、以前本誌でもインタビューを交えて紹介した通りだ。
ところで、デジタルデータであるハイレゾ音源をアナログ音声に変換し、ヘッドフォンやスピーカーなどから出力して歌声や楽器の音を耳で聴けるようにするのがDACの役割だとすれば、そもそも元のデジタルデータはどのようにして作られたものなのか。単純に答えを言えば、それを逆方向に変換するのと同じことだが、そこが今回紹介する「ADC」(アナログ-デジタルコンバータ)の活躍するフィールドである。
歌声や楽器の音などマイクロフォンで集音したアナログ音声を、デジタルデータに変換(して記録)するための回路がADCである。アナログからデジタルへ、いかに高品質に変換できるかは、ADCの出来に左右される。ハイレゾ音源を購入して聴いているリスニング専門のユーザーがADCを意識することは普段ほとんどないかもしれないが、音源を作る側にとってADCはDACと並んで重要なファクターとなるわけだ。
音楽制作では、USBオーディオインターフェイスや、PCMレコーダ、ミキサーといった、録音に関する幅広い機器に採用されている。ユニークなところでは、車での音楽再生にも重要な役割を持つ。例えば、カーオーディオでは、エンジンやロードノイズ(走行中のタイヤと地面から発生するノイズ)が音質の大敵の一つだが、車内の音をマイクで録って、ノイズキャンセリングの要領で打ち消すといった用途にも、ADCの性能の高さが求められるという。
そんなADCの市場で現在、世界のトップに立つのが旭化成エレクトロニクス(AKM)。DACについても高い性能を武器にシェアを広げつつある同社だが、ADCはすでに推定で7~8割のマーケットシェアを獲得し、ローエンドからハイエンドまでまんべんなくカバーしているという。
そのADCにおいて、同社は2015年、圧倒的な高音質を実現する「VELVET SOUND」テクノロジーを採用した「AK557x」シリーズをリリース。続けて2016年には、エントリー~ミドルグレードに位置付けられる同じくVELVET SOUND採用の「AK553x/AK555x」シリーズの提供を開始した。
VELVET SOUNDと言えば、同社のDAC製品でも採用している低歪みなどにフォーカスした技術だが、ADCにおいてはそこにどんな意味が込められているのか。また、同社が考えるADCの設計思想や将来像はどういったものなのか。ADCの有無や違いで音質に差が出るのかを試聴で確かめながら、同社シリコンソリューション事業部 オーディオ&ボイス事業開発部で“オーディオマイスター”を務める佐藤友則氏と、同事業開発部 第二グループ 安仁屋 満グループ長に話をうかがった。
目指すADCは「目で見たように聴こえる」音
新たに登場した「AK557x」シリーズのADCは、SN比121dBというハイエンドクラスの性能をもつ、2/4/6/8chに対応した製品をラインナップ。また「AK555x」シリーズは同115dBの2/4/6/8ch対応、「AK553x」シリーズは同111dBの4/6/8ch対応の製品となっている。いずれもハイレゾ音源フォーマットとしてPCMだけでなくDSD形式への直接出力も可能としており、DSDの2.8/5.6/11.2MHz、もしくは768kHz/32bitのPCMに対応する「新世代のマルチチャンネルプレミアムADコンバータ」だ。この他にも、2chのみ対応ながら128dBという驚異的なSN比をもたらす「AK5397」も製品化している。
チャンネル数は、以前の製品は最高4chだったが、ADCを採用する機器メーカーの中には、既存の4chデバイスを複数使って独自で高音質化に取り組んでいるところもあったという。ユーザーからの要求に合わせる形で、最新製品では8chまでチャンネル数を拡張したラインナップを展開。音質面の向上と合わせて進化してきたという。
同社がADCに求める性能は、安仁屋氏によると「繊細な音の輪郭をとらえて、感情を余すところなく表現する」こと。最終的に目指すのはサンプリングレートとビット深度を高め(あるいは1ビットでサンプリングを高速化)、「究極のアナログ」を実現すること。感覚的には、安仁屋氏いわく「録音したものと感じさせない、目で見たように聴こえる」音だ。
これを実現するため同社がADCの設計で特に注力しているのが、入力と出力の時間差(遅延)を限りなくゼロに近づける「低レイテンシ」と、高いSN比を実現する「歪みと雑味をなくす技術」、そして音質の印象を決定づける「サウンドカラーデジタルフィルター」だという。
デジタルフィルターを選択できる初めてのADC製品
例えば、コンサート会場などでボーカルが発声した歌声をミキシングし、アンプを通じてスピーカーから出力することを考えてみる。マイクから入力された音声信号は「ADC→DSPイコライザ(ミキサー)→DAC→アンプ→スピーカー」という流れで機器を通過していくことになるだろう。この間にADCやDACで変換処理に時間がかかってしまった場合、「自分の声が遅れてエコーのようになり、気持ちわるい状態」(安仁屋氏)になってしまう。
同社のADC(DACも同様)では、この遅延を合わせて1桁ミリ秒以下に抑えており、DSPイコライザ(ミキサー)である程度処理時間が取られてしまっても、発声している本人が感覚的に遅延を感じないレベルを達成できる。歌を聴く側が気にする部分ではないが、アーティストのパフォーマンスに影響を与える可能性があると考えれば、ADCやDACが低レイテンシであることは多くの人にとって重要なポイントとなるはずだ。
次の「歪みと雑味をなくす技術」は、VELVET SOUNDテクノロジーのコアとも言える部分。1kHzの音声信号をADCに入力した際の波形を示すグラフでは、原理上発生してしまう2/3/4/5kHz付近などに見られる不要なノイズが極限まで抑えられ、-120dBまで一切歪みとして現れていないことが分かる。
また、異なる周波数の音声信号を同時に入力した場合、互いに干渉し合って全域に渡りノイズ(スプリアストーン)が生まれ、“歪み”あるいは“雑味”として聴こえてしまうことがある。しかし、同社製のチップでは「スプリアスフリーテクノロジー」により、それらのほぼ全てが-120dBを下回る性能を発揮している。安仁屋氏は、「本来あるべき信号を他の信号で汚さない、というところに細心の注意を払っている」と話す。
同社製ADCのもう1つの特徴は、音の立ち上がりの鋭さや音場の広がり感などに影響する4タイプ(Acoustic Tone/Traditional Tone/Acoustic Sound/Traditional Sound)の「サウンドカラーデジタルフィルター」を選択できることだ。どのデジタルフィルターを選ぶかはADCを搭載する機器メーカーの方針によってくるが、4種類あるのはメーカーの要求に対応させるためというよりも、「忠実な録音と再生」を可能にするという意味の方が大きいと佐藤氏は話す。
というのも、同社製のDACではこのようなデジタルフィルターを以前から数種類備えていたものの、ADC側でそれに対応するデジタルフィルターを選べる製品は他社も含めて存在しなかったからだ。「録音時(ADC)と同じデジタルフィルターで再生(DAC)すれば、音がほぼ同じにそろう。これまでは対応するADCがなかったため、変換によって微妙に音が変わっていたのでは? という、スタジオ録音現場やコンサートホールにおけるプロエンジニアからの問いに対する1つの解」(佐藤氏)なのだという。
このほかにも、設計ノウハウの一例としては、LSIの中でデジタルとアナログの部分を距離的に遠ざけるなどアイソレート(独立)してノイズの発生を抑え、信号のスムーズな流れを最優先している。製造は国内の自社工場で行ない、オーディオに有利な製造プロセスを採用できるといった、自社で調整しやすいこともメリットの一つとして挙げている。
アナログレコードを音源に、ADCの違いによる音質の差を体感
では、こうして作られたADCを通して聴く音楽はどのように聴こえるのだろうか。比較のため旭化成の最新ADC「AK5574」と、2種類の他社製ADCを用意。アナログレコードを音源として、直接アンプ(デノンのPMA-SX)に入力しアナログのまま再生した場合と、ADCとDAC(エソテリックのD-05)を経由して192kHz/24bitでハイレゾ再生した場合とで、音に違いがあるのか、ないのかをチェックしてみることにした。
これは、あくまでも旭化成が狙いとしている「雑味と歪みの少なさ」や「(音再現の)忠実さ」を確かめるための試聴であり、音質の良し悪しを比較するものではない。したがって、アナログレコードを直接アナログ再生した時の音の印象と、ADCを介して再生した時の印象が近いか、近くないかがポイントとなる。もちろん、事前に1kHzのテストトーンでボリューム合わせをしており、ADCの違いで音量が変わることのないよう注意を払ってセッティングした環境となっている。
そのような前提で聴き比べると、AK5574による音質は、アナログ再生の音と見分けるのはかなり難しかった。厳密には、前面に出てくるような近い位置の楽器の音に、ごくわずかに張りのある元気な色づけがなされているような印象もあるが、基本的には「何も足さず、何も引かない」音。たしかにアナログの音を忠実に再現していると感じた。
他社製のADCも各社の評価ボードを使って同じ環境で聴き比べたが、ある一社のADCでは全体的に音が遠ざかり、その分音場の広がりや場の雰囲気みたいなものが生まれたようだ。もう一社のADCは、前面にどんどん出てくるような押し出しの強い音。華やかさがプラスされたキレの良いサウンドとなるなど、明確にアナログレコードとは異なる部分が感じられた。
ADCを経由させたところで、アナログソースをデジタルに変換しているだけであり、原理的には(ADCの周辺回路に致命的な問題がない限り)音質に影響を与えることはほとんどないのではないか、という考えもあったのだが、それは大きな誤りだった。ADC 1つでここまで変わるのか、という気持ちになったのが正直なところだ。
「究極のアナログ」は「省かないΔΣ」か
ADCの違い、あるいはチップメーカーの個性として変換後の音が異なっていることがよく分かった。とはいえ、制作者の意図がより正確に反映されるという意味では、やはりできる限り忠実に原音を再現する旭化成のADCにアドバンテージがあると言える。また、そういった開発方針で作り込んできた結果が、現にADC市場で同社がトップシェアを獲得している理由だろう。
“忠実”という側面で見ると、「DSD対応」や「32bit対応」も重要だと佐藤氏は語る。「再生できるDACがあっても、録音ができないと32bit音源は広がらないだろう、という思いでADCを作った。すでにSRC(サンプリングレートコンバータ)もDSPも32bitのものがあり、768kHzのPCMだけでなくDSDの11.2MHzでも録れるADCができたことで、録音から再生して確認するところまで、トータルで補完できるようにもなった。DSDの生録もできるし、だんだんいろんなことができるようになるでしょう」。
さらに佐藤氏は「32bitと24bitで録音された音源を聴かせてもらった時に、特に低音が全然違った」と話す。VELVET SOUNDの名を冠する同社のADCは、DACと同様に低歪みや電流面での余裕度などにおいて高い性能を達成した製品ではあるものの、それ以上に製品のラインナップとして、いわば“入出力”の両方のスペックを合わせることは、“ハイレゾの広がり”にとっても、大きな意味をもっている。
1つの製品の開発には、およそ3年もの年月を費やしている。つまり現在は3年後に日の目を見ることになる製品を検討している段階だ。市場をリードしているだけに、将来に必要とされる性能を見越して開発しているというが、これからのADCやDACがどのように進化していくのだろうか。佐藤氏は、「究極はDSDみたいにΔΣを用いない、1ビットで高速化するのが1つの方向性だと思う」と語る。「ある意味“省かない(無限にサンプリングする)ΔΣ”というのが、これからの技術開発の方向性でもあるのかもしれません」。
(協力:旭化成エレクトロニクス)