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高音質ワイヤレスで注目の「aptX HD」は他とどう違う? クアルコムに聞いた

 最近、ワイヤレスのBluetoothヘッドフォンやスマートフォンなどで採用が少しずつ増えている「aptX HD(アプトエックス エイチディー)」。最大48kHz/24bitに対応した高音質伝送を特徴とした音声コーデックだが、従来の方式と何が違い、どうして高音質なのか。同技術を展開するクアルコムの担当者に、技術の詳細と、音質へのこだわりを聞いた。

ポータブルオーディオで、いち早くaptX HDをサポートしたAstell&Kernのプレーヤーの一つ「AK300」

Bluetoothで「コーデック」が注目される理由

 Bluetoothを利用したワイヤレス音楽再生は、Hi-Fiオーディオ向けプロファイル「A2DP」の登場により一気に普及した。WindowsやMacといったパソコン用OSの対応も大きいが、2009年6月公開の「iOS 3」(当時の名称は「iPhone OS 3」)でサポートされたことが普及に弾みをつけた。以後、Android端末を含めたスマートフォンを送信側、スピーカーやヘッドフォン/イヤフォンを受信側とするリスニングスタイルが定着している。

 Bluetooth/A2DPでは、音声データを符号化(エンコード)したうえで目的のデバイスへと送信、そこで復号化(デコード)することにより音を出す。その符号化/復号化ソフトウェアがいわゆる「コーデック」で、Bluetooth/A2DPでは必須のコーデックとして「SBC」を規定するほか、オプションとしてMP3やAACが用意されている。すべてのBluetooth/A2DPデバイスがSBCをサポートするため、対応コーデックがないために音楽を再生できない、という事態は発生しない。

 Hi-Fi再生においては、そのコーデックが注目される。Bluetooth/A2DPでは無圧縮のPCMも扱えるが、その規格上使用できる伝送帯域が限られ、高速通信用拡張規格のEDR(Enhanced Data Rate)を利用しても実効レートは1.4Mbps程度であることから、安定再生にはデータ圧縮が欠かせない。そしてSBCより圧縮効果の高いコーデックのほうが音質的には有利な(より多くの情報量を伝送できる)ことから、最近のBluetooth/A2DP対応機器はSBCのほかにオプションのコーデックを備えるようになった。AACやLDACは、その一例だ。

 なお、コーデックは符号化/復号化を担うソフトウェアであり、スマートフォンの場合はOSに付属する機能として、ヘッドフォンやワイヤレススピーカーの場合は、搭載するBluetoothチップで処理できるよう組み込まれる。

 クアルコムの「aptX(アプトエックス)」も、Bluetooth/A2DPで利用できるコーデックのひとつ。そもそもはイギリスのAudio Processing Technology(2010年CSRにより買収、2015年にはCSRがクアルコムにより買収)が1980年代に開発、ビットレート低減に効果的な音声伝送技術として映画やラジオ放送などの業務用機器向けに提供されてきたが、Bluetooth/A2DP向けに仕様が整備され、2009年以来多くのスマートフォンやオーディオ機器に採用されている。

 今回解説する「aptX HD」は、そのaptXを拡張したコーデックだ。符号化/復号化のアルゴリズムはそのままに、伝送可能なサンプリング周波数は最大48kHzへ、量子化ビット数は24bitへと拡大された。つまりは16bitに比べ256倍もの細かさで音を表現できることを意味し、最大48kHz/16bitの既存コーデック(SBC/AAC/aptX)に対し大きなアドバンテージとなる。ポータブルオーディオプレーヤーでaptX HDをサポートしたAstell&Kernのプレーヤーの「AK300」シリーズ(AK380、AK320、AK300)や、LGのスマートフォン「isai Beat LGV34」などと、オーディオテクニカ「ATH-DSR9BT」などaptX HD対応ヘッドフォンを組み合わせて聴き比べれば、コーデックによる音の違いを実感できるはずだ。

aptX HD対応のオーディオテクニカ製ヘッドフォン。左が「ATH-DSR9BT」、右が「ATH-DSR7BT」

aptXとaptX HDは何が違う?

 そのような背景で登場した「aptX HD」だが、符号化アルゴリズムは他のコーデックとどう異なるのか、aptXとはどの点に違いがあるのか。aptX HDを担当するクアルコム マーケティングマネージャー 大島 勉氏に話を聞いた。

aptX HDを担当するクアルコム マーケティングマネージャー 大島 勉氏

 まずは、符号化アルゴリズムについて。MP3やAACは「聴覚心理モデル」に基づく非可逆圧縮(ロッシー圧縮)の利用によって大幅なデータ量低減を実現しているが、aptX HDはどうなのだろうか。音源に含まれる音域を識別し、特に人間の聴覚では聴き取りにくいとされる高域部分を大胆に取り除くことがMP3やAACの特徴だが、それでは空間表現など音の微妙なニュアンスが損なわれてしまう。ロッシー圧縮を伴う性質上、aptX HDにも同様のことは言えるのだろうか?

 答えはシンプルで、「aptX HDのアルゴリズムは基本的にaptXと同じく、聴覚心理モデルは利用していません」(大島氏)とのこと。その違いはビットレートであり、各帯域に割りあてるビット数(情報量)の違いであるという。

 aptXというオーディオコーデックは、PCMのあるサンプルデータの直前値との差分をとり波形を表現することでデータ量を圧縮する手法(Differential PCM/DPCM)に加え、大音量が生じるなど差分が大きい場面ではスケーリング幅を拡大することで追従性を改善させた「ADPCM」をベースに開発されている。原音に対し4対1という固定の圧縮比率は、DPCM/ADPCM由来のアルゴリズムによるものだ。

 さらにaptXでは、PCMサンプルを帯域に応じ4つに分けて符号化を行なう。我々コンシューマがスマートフォンやオーディオ機器で利用しているaptXは、それをBluetooth/A2DP向けに仕様を整えて規格化されたもので、そのビットレートはソースがCD品質のとき44.1kHz×16bit×2÷4=352Kbps、48kHzのとき48kHz×16bit×2÷4=384Kbpsとなる。

 一方のaptX HDは、ソースがCD品質のとき529.2kbps(44.1kHz×24bit×2÷4)、48kHzのとき576kbps(48kHz×24bit×2÷4)。ビットレートは1.5倍に増えるが、それでもSBCの規格上限値(512kbps)と大きく変わらない。

 そしてaptX HDは“aptXの量子化ビット数を拡張したもの”というより、兄弟分的位置付けのコーデックである「aptX Enhanced」のBluetooth版だという。「プロフェッショナル分野の独自無線や有線IP通信などに採用されてきたaptX Enhancedをベースにしています。もちろん、Bluetoothへの最適化を実施したこともあり、プロトコル構造など仕様は異なります」(大島氏)。

aptX HDの主な特徴

 96kHzや88.2kHzといった48kHzを上回るハイレゾ品質のサンプリング周波数を入力する場合については、「ダウンサンプルするスキームは、弊社コーデックに入力される前段の処理になります。Android OSに関していえば“AudioFlinger”の作りに依存することになるでしょう」(大島氏)と、aptX HDのエンコード処理前段のプロセスになると説明している。AudioFlingerは、Android OSのオーディオシステムで、WindowsのWASAPI、macOSのCore Audioに相当する機能を持つものだ。

 aptXに特徴的な、帯域を4分割したうえでのビット配分(下図参照)については、「各帯域の配分にやや差は付けていますが、敢えてアルゴリズムの根本を変えていません」(大島氏)と、aptXと基本的には変わらないという。それはプロフェッショナル分野からの支持と要請によるものとのことで、長く放送業界で利用されてきたからだろう。聴覚心理モデルでは大幅に削り取られてしまう高域に対してもビット配分されるため、音の“雰囲気”も大きく損なわれることはない。ビット配分の比率は非公表とのことだが、それがaptX/aptX HDのテイストにつながっていることは確かだ。

aptXとaptX HDの概念図。帯域の4分割など基本的なアルゴリズムは共通だが、ビットレートおよびビット配分が異なる
aptX/aptX HDと主要コーデックの比較

ソニーの高音質コーデック「LDAC」とは何が違うのか?

 同じく“ハイレゾ相当”をうたう、ソニーの「LDAC」との相違点についても尋ねてみた。「例えていえば、LDACはVBR、aptX HDはCBRです」と大島氏。LDACは各周波数帯域へ動的にビット配分の最適化を行なうため、ビットレートも変動するが(詳細はソニー取材時の記事で掲載)、aptX/aptX HDのビット配分は固定のためビットレートは一定だ。

 LDACは最大990kbps(96/48kHz)で伝送される音質優先モードのとき、電波の状態次第では再生がシビアになることもあるが、最大576kbpsのaptX HDは比較的余裕があるため再生が途切れにくい。

 この「常に一定」という特徴は、ハードウェアに実装するにあたってaptX/aptX HDのアドバンテージになる。「高負荷の処理を伴わないぶん、ICへの要求スペックは抑えられます」(大島氏)というから、コンシューマ製品、特にスマートフォンやオーディオ機器のように生産台数が多いデバイスにとっては重要な部分だろう。

 ただし、aptX HDにはaptXより“一段上”の処理性能が求められる。「帯域が16bitから24bitに増えた分、高いスループット性能が要求されます」(大島氏)とのことで、aptX HDをサポートする最新のチップが必要になるという。aptX HD対応を実現しようとなると、スマートフォンやポータブルプレーヤー、ヘッドフォン/スピーカーの買い替えが必要になるわけで、普及は順を追ってということになりそうだ。

プロフェッショナルからの信頼、一貫したコンセプト。今後の普及は?

 このように、aptXおよびaptX Enhancedのアルゴリズムを引き継ぎつつ、最大48kHz/24bitというハイレゾ相当の情報量を現行のBluetooth規格内で実現した「aptX HD」。音質に対する評価は、放送局などプロフェッショナル分野での実績からもうかがえるが、カギは「キープ・コンセプト」にあると感じた。そのコンセプトとは、原音に対し4対1という固定の圧縮比率であり、4分割した帯域へのビット配分だ。アルゴリズムの一貫性も、音に対する自信の表れといえるだろう。

 aptX HDの利用には最新チップが必要となるため、スマートフォンやオーディオ機器の世代交代が求められるが、そこはチップベンダーの販売戦略次第。ソフトウェアたるコーデックの提供も、aptXはWindowsやmacOS、Android OS向けに実績があるが、aptX HDはまだこれから。未対応の機器の先にはiOSという“最後の砦”も待っている。aptX HDの普及はポータブルオーディオファンにとってもメリットが大きい。クアルコムにはソフト+ハードの二正面作戦を期待したいところだ。

海上 忍

IT/AVコラムニスト。UNIX系OSやスマートフォンに関する連載・著作多数。テクニカルな記事を手がける一方、エントリ層向けの柔らかいコラムも好み執筆する。オーディオ&ビジュアル方面では、OSおよびWeb開発方面の情報収集力を活かした製品プラットフォームの動向分析や、BluetoothやDLNAといったワイヤレス分野の取材が得意。2012年よりAV機器アワード「VGP」審査員。