藤本健のDigital Audio Laboratory
第769回
工場で見たソニーのレコード作り。一貫生産による高音質へのこだわりを聞く
2018年6月4日 08:00
ソニーミュージックグループにおける自社一貫生産アナログレコードが、29年ぶりに復活した。その第1弾としてビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」、大瀧詠一作品集Vol.3「夢で逢えたら」の2タイトルが3月21日に発売されたのだが、”一貫生産”とはいったいどこで、どんな風に行なわれているのだろうか?
前回の記事では、一貫生産における前工程ともいえるカッティングについて、東京・乃木坂にあるソニー・ミュージックスタジオで聞いてきた。今回は後工程ともいえる、プレスを行なっている静岡県焼津市にある生産工場を見学するとともに話をうかがったのでレポートする。
レコード生産、昔と今の違いとは
静岡県にはCDやDVD、Blu-rayなどの生産を行なう株式会社ソニーDADCジャパンの工場が2カ所ある。ひとつは光ディスクのプロセス開発と原盤製造を担う大井川工場、もうひとつは光ディスクのプレスを行なう静岡工場。
今回訪ねたのは、JR藤枝駅からクルマで15分ほどのところにある大井川工場だ。光ディスクと比較してレコードの生産は小規模であるため、この大井川工場のほうで全て行なっているという。
レコードの生産は、乃木坂でカッティングされた「ラッカー盤」を元にして行なうのだが、まず原盤となる「スタンパー」というものを作り、その後プレス機を使ってレコードがプレスされていく。このスタンパーを製造する場所とプレス機が置いてある場所は分かれているが、プレス機が置かれているのは、以前は研究棟と呼ばれていた場所の一角とのこと。行くまでは、なんとなく大きな工場の流れ作業などがあるラインを想像していたけれど、思っていたより結構コンパクトな機械だったことには驚かされた。
今回話をうかがったのはソニーDADCジャパンの静岡第一プロダクションセンターのセンター長を務める青木功雄氏、同品質管理部の望月大氏、アナログ製造グループの室田公氏、マスタリンググループの岡村康博氏、そして生産管理・購買部の山下博之氏だ。
――こちらの工場では、東京・乃木坂のスタジオでカッティングされたラッカー盤が届いてから、その後の工程を請け負っていくのですよね。
青木氏(以下敬称略):はい、ソニー・ミュージックスタジオのエンジニアである堀内さん(前回の記事で登場いただいたマスタリングエンジニアの堀内寿哉氏)がカッティングしたラッカー盤が届いた後、そこからスタンパーとよばれる金型を作る作業をした上でレコードをプレスすることで、ソニーミュージックグループとして一貫生産を実現できるようになりました。当初は、スタンパーは外注するという話もあったのですが、やはり一貫生産で行こうということになり、昨年末にスタンパーを作るための機械を導入したのです。
――それによって29年ぶりにレコードの一貫生産が可能になったわけですね。
青木:もともとの計画では、今年度に体制を整えるということで予定していたのですが、市場からの期待も大きく、前倒しで導入する形になったのです。レーベルによっては、(他から)スタンパーを持ってくるというケースもあるのですが、基本的には乃木坂で堀内さんが切ったものがこちらに届き、生産していく形です。今回のビリー・ジョエルの「ニューヨーク52番街」もその形になります。
――工場側にとって、一貫生産のメリットとは何でしょうか?
青木:堀内さんと直接やり取りすることで、制作側の声が生で聞けること。そうしたフィードバックを反映するスピードが速いですね。堀内さんのところで音を決めてもらうのですが、工場でもスタンパーやプレスで若干の音の変化はあります。そこでどう変わったのかフィードバックを受けながらやり取りできる。これは「品質」に対しても、「音質」に対してもいい方向に影響すると思っています。
――発売は3月21日でしたが、実際の生産にはどのくらいの時間を要したのでしょうか?
青木:最終的な生産に行くまでに、音質部分での調整が非常に重視されたこともあり、乃木坂と何回も往復してやりとりしながら、約1か月かけて作っていきました。この体制を復活できたのは30年前のプレスのときにいたメンバーが、今も残っていたからです。ここにいる室田と望月です。
望月:私が新入社員のころ、まさにレコードの生産をしており、それから何年かして終了となりました。当時、レコードを生産していたのは、道を隔てた向こう側で、現在は((ソニーミュージックグループの会社である)ジャレードがある場所です。当時、そこはレコードの生産ラインとカセットテープの生産ラインがありました。
――今回は、当時のものをそのまま復元したということなのですか?
室田:いいえ、昔はもっとずっと大きいプレスマシンでしたが、今はすごくコンパクトになっているので、違うものです。サイズ的には半分以下になっていますね。当時はレコードのプレス機が50台くらいありましたが、今回入れたのは1台。その意味では規模はずいぶん違いますね。また、そのころは今のようなコンピュータもありませんでしたから不良率も高かったです。その意味では機械の能力的にはかなり向上しています。とはいえ、温めて材料を溶かして流し込み、水で冷却するという構造の根本は変わらないですね。
――ちなみに、そのプレス機というのは、今も生産されているものなのですか?
青木:昔はスタンパーを作る機材も、プレス機もすべて自社設計、自社開発でしたが、現在は規模が小さくなったこともあり、海外から輸入しています。スタンパーを作る機材はアメリカから輸入する一方、プレス機のほうはアメリカ、カナダ、ヨーロッパなどいろいろと検討した結果、スウェーデンから導入しています。
レコードは実際どうやって作られる?
――では改めて、スタンパーの作成、プレスと現場を見つつ詳細を教えていただきたのですが、そのスタンパーとはどのように作るのでしょうか?
青木:スタンパーとはレコードをプレスするための金型のことなのですが、ラッカー盤からこれを一発で作るわけではないのです。まずラッカー盤からメタルマスターというものを作ります。さらにメタルマスターからメタルマザーというものを作り、そしてこのメタルマザーから、プレスするためのスタンパーを起こすのです。凹、凸、凹、凸さらに、プレスで凹を作るというように繰り返すわけです。これをA面、B面でそれぞれ作っていくのです。
――面倒そうにも見えますが、なぜそういった工程が必要なのでしょうか?
青木:簡単にいえば、スタンパーは消耗品であり、そんなに長く持たないからです。だからメタルマザーから何枚もスタンパーを取って、オーダー数に合わせて生産していくわけです。もし10万枚ものオーダーがあれば、複数のスタンパーを作って、複数のプレス機で生産するということが可能になるわけです。
――ここに、銀色のレコードのようなものがいろいろありますが、これらがメタルマスターやメタルマザー、スタンパーということなのでしょうか?
岡村:その通りです。順を追って工程を説明していきましょう。ラッカー盤は、本当にラッカーでできているので電気を通さないので、メッキをするためにあらかじめ銀の薄い膜を付けるのです。銀鏡塗装というのですが、数ミクロンという銀を吹き付けるのです。これによって電気が流れるようになるので、ここにニッケルをメッキして厚くしていきます。ただ、ラッカーは熱に弱いので、まずは低温で薄くニッケルをメッキします。これがある程度の厚さになったところで温度を上げてさらに厚く成長させていくのです。
――メッキというのは溶液の中で電気を流して金属イオンを飛ばしていくことだと思います。中学校か高校で行なった実験の記憶によると、電極のあるところが厚くなってしまうように思うのですが。
岡村:はい、ここに我々のノウハウがあるのです。この導入した機械自体、均一にいくような作りにはなっているのですが、さらに独自のノウハウを使って、より均一なものにしています。こうしてメタルマスターなのです。
――ここのメタルマスターからメタルマザーを作るというお話でしたよね。
岡村:メタルマスターからラッカー盤を人の手で剥がした後、また溶液の中でニッケルメッキをしてメタルマザーを作ります。メタルマスターは表面が銀でしたが、メタルマザーは100%ニッケルでできています。このでき上ったメタルマザーとメタルマスターをキレイに剥がす必要があるのですが、ここも我々独自のノウハウがあるのです。さらに同じような手順でメタルマザーからスタンパーを作り出すわけです。
青木:このように精密な作業をしているのですが、大きなポイントは、これをクリーンルームで行なっているという点です。30年前は、こんなクリーンルームではありませんでしたし、海外の工場を見ると、ほとんど外のようなところでスタンパー作りをしているところもあります。世界中探してもここまでしているところは他にないと思います。徹底して、ラッカー盤と同じものを作ろうというポリシーで生産しているのです。
――なるほど、昔と比べて現在のレコードの音質が大きく向上している要因はこういうところにあるわけですね。では続いてプレスのほうについても教えてください。
青木:少し場所を移動して、研究棟のほうに行きます。こちらはもともと研究棟の事務があったところで、ここにプレス機を設置しました。工場全体からすれば、まだ極めて小規模ではあります。
――アナログレコードの原料というのは何を使っているのですか?
望月:PVCと呼ばれるものですが、塩化ビニールを主原料とした材料です。これを160gほどスチームで温めて粘土状に溶かします。約150度にすることで粘土っぽい塊になるのです。その塊を紙レーベルで両方から挟んで成型機にかけます。そこにスタンパーが設置されていて、両面から潰すわけです。その板もスチームで160~170度にしているので、塩ビが溶けていくわけです。
――スタンパー側が凸になっているから、PVC側が凹となってレコードができていく、と。
望月:そのままだとドロドロで取り出せないので水で金型全体を冷却してから取り出します。また、周りに余分な材料がはみ出ているので、これを切り取って完成です。
室田:基本的には昔と何も変わらないのですが、とにかくプレス機が小さくなっています。昔は高さが3~4mあったので、上に登るのが怖かったほどですから(笑)。
品質を保つための徹底ぶり。あの会社とのつながりも?
――ラベルはあとで糊付けするのかと思ってたら違うのですね?
室田:ラベルも成型する過程で入れているので、紙そのものが樹脂の中に食い込んでいます。紙自体も過熱され、冷却されるので、インクと紙の材質も下手なものを使うとプロセスしただけで変色してしまいます。そのためそうした点もしっかり管理しています。
――先ほど、現在は精度も高く、コンピュータ管理なので歩留まりもいいという話がありましたが、どうやって品質をチェックするのですか?
望月:スタンパーはある程度生産していくと劣化していくので、それが品質上の問題となります。そのため、定期的にできあがったレコードに問題がないか、実際に耳で聴いてみてチェックしています。ここで問題がなければ、そこまで生産したものは大丈夫、ということになります。もちろん、なんらかのトラブルが発生することがゼロではないので、全数目視検査も行なっています。昔と違って異物が混入することはありませんが、塩ビのガスが入る可能性はゼロではありません。昔はそうした不良があったけれど、今はほとんどないですね。
青木:CDやDVDは非接触なので、すべて機械で検査していますが、レコードの場合は接触メディアですから目で行なっているのです。
――昔は異物混入があったのに、今はない理由というのはどういうことですか?
室田:昔はミックス材といってパウダー状のものを原料にしていました。これは廃棄したレコードを粉砕したものと混ぜていたのですが、いまはバージン材を使っています。
青木:その意味でも世界的に最高のものをここで生産しているのです。いま、日本でレコード生産ができる工場は、ここと東洋化成さんの2社しかありません。でも、歴史を紐解くと、東洋化成さんにも大変なお世話になっているんですよ。
――東洋化成ともつながりがあるんですか?
青木:実は、30年前にレコードの生産を終了したときに、「5億枚の足跡 ~静岡工場アナログ・ディスクの歴史~」というレコードを作って、社員や関係者に配布していたんですよ。その中では、社員一人一人に声でインタビューしたものがレコードに残っているんですよ。私も何度も聞きましたが、レコード生産をスタートした時点、ここから何名か東洋化成さんに研修を受けに行っていたようなんです。「あの時は、朝日を浴びて帰りましたね……」なんて、東洋化成さんでの研修時代を振り返っているものがありました。
――競合であるとともに、これからは数少ないレコード生産の場だから協調する面もあるのかも知れませんね。さて、今後はソニーミュージックグループグループのレコードだけでなく、他社からオーダーを受ける可能性というのもあるのでしょうか?
山下:そうですね、まだこれからというところではありますが、CDなどでお付き合いのあるレーベルには声をかけ始めているところです。それはソニー・ミュージックコミュニケーションズが窓口となって、アナウンスしています。その場合、やはり堀内さんがカッティングして、一貫生産でということもあるでしょうし、レーベルによってはカッティングマシンを持っているところもありますから、我々が(ラッカー盤を)直接受けとって生産していくということもありそうです。
――今後、さらに生産規模が拡大する可能性はありますか?
青木:そうなることを期待しています。現在、プレス機が1台なので、小規模ではありますが、需要に応じて、今後さらにプレス機を増やしていければと思っています。このような工程を踏んで生産しているので、音質面では世界最高を自負しております。ぜひ、この最新のアナログレコードを多くの方に味わっていただければと思います。
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