藤本健のDigital Audio Laboratory
第741回
復活したソニーのレコード制作現場を見てきた。'70年代の機材と最新技術でどう作る?
2017年10月23日 12:52
東京・乃木坂にあるソニー・ミュージックスタジオが、アナログレコードをカッティングする機材を導入し、レコードの制作をスタートさせている。昨今のアナログレコードブームの後押しを受け、ソニーとしては四半世紀ぶりに導入したとのことだ。一方でソニーグループとしては、レコードのプレス工場も今年度内の稼動を目指して準備中とのこと。これが整えば29年ぶりにソニーがレコーディングからプレスまで一貫したアナログレコード生産体制が整うという。
しかし、今のデジタルレコーディング、DAW全盛で、ハイレゾレコーディングが当たり前の現在、レコードのカッティングはどんなシステムになっているのだろうか? 先日、ソニー・ミュージックスタジオに行ってみた。話を伺ったのはソニー・ミュージックコミュニケーションズのスタジオカンパニー スタジオオフィス次長の宮田信吾氏と、同じくスタジオオフィスマスタリング・ルーム マスタリングエンジニアの堀内寿哉氏だ。
ソニーが導入したカッティングマシンとは
――ここ、乃木坂のスタジオにカッティングのマシンを導入されたと発表されましたが、まずは簡単に、ここにあるマシンがどんなものなのか教えてください。
堀内氏(以下敬称略):これがレコードのマスターを切るためのカッティングレースと呼ばれる機械で、独NeumannのVMS70というマシンです。これは1970年代に作られたもので、Neumannでは、その後VMS80というものも出しており、このVMS70とVMS80で、このシリーズは終了しています。そして、これが一般的に世界中で使われているカッティングの機材です。
宮田:もっとも今、国内で稼働しているのは10台もないはずです。世界でも、それほど多くはないと思います。やはり80~90年代にレコードからCDへ変わっていったことで、どこもみんな廃棄してしまったのです。それは当社も例外ではありません。
――VMS70かVMS80が当時はあったんですね。
堀内:以前はVMS70があったのとともに、ソニーのオリジナルのカッティングレースもあったようです。私自身はオリジナルのカッティングレースをみたことはないのですが、私がソニーのスタジオに入った1989年には、実際にVMS70でカッティングしているのを見せてもらったことがありました。その後すぐに、廃棄してしまっていますね。今から考えればですが、本当にもったいない話です。一方で、海外ではレコード文化が、その後も脈々と現在まで続いているので、ある程度の数のカッティングレースは残っていたようです。
宮田:とはいえ、倉庫で眠ってしまっている機材では、実際に使いものになるのかの確認もできないので、現役の機材をいろいろ探した結果、ようやく見つけたのがこの機材だったわけです。
――具体的には、どこの国にあったものなんですか?
堀内:アメリカですね。やはり機械なので、一回使用をやめて止まってしまうと、いろいろなところに不具合が出てきてしまいます。そういう意味では、現役で使っているものを見つけられたのは本当にラッキーでした。
宮田:まさに掘り出しものです。とはいえ、これが本当の意味で使えるものなのか、そうでないのかを確認する必要があります。そこで日本から音源を持っていき、アメリカのエンジニアに切ってもらって音を確認する……といったことを何度も行ないました。その結果、これなら大丈夫だろう、ということになったのです。
――とはいえ、この大きく重たい機材、どのようにここまで運んだんですか?
宮田:そのままの状態で持ってくるのは難しいので、一度バラバラに分解した上で運搬し、こちらで組み上げたのです。とはいえ、昔なら当時のNeumannの代理店が組み上げて調整してくれたけれど、今、そんなことができる人はいませんし、ゼロから組み上げた経験のある人は社内外探しても見つけることができませんでした。当初は、アメリカからバラした人に来てもらって……とも考えたのですが、なかなか都合がつかず、こちらで行なうことになったのです。とはいえ、やはりかなり無謀な話で、大変なことでした。結局、競合他社も含め、さまざまな人のお知恵をいただき、協力していただき、なんとか組み上げていったのです。
堀内:組み上げることと並行して、コンクリートの厚い床を設置したり、フローティング、天井を三重にする、といったことを含めてスタジオの内装も整えていったので、内装が終わるまでの間、大きいものはそのままにして、各部品をクリーニングしていったのです。ある意味、完全なオーバーホールができ、ゴムとかパイプなどは代替品に置き換えました。そこから組み上げ、調整を行なっていったのです。ようやく無音を切ったのが1カ月後だったでしょうか。まあ、それが正しく切れているのかどうかすらもわからなかったので、うちのOBを講師に呼んで来てもらったり、競合他社の方々の助言などもいただきながら、昨年いっぱいで調整していったのです。
宮田:OBに言わせれば、ちゃんと切れるようになるのに3年はかかる、と。それは、人の力量プラス機材の両方で、きちんとした商品が切れるまでという意味です。でも会社からは「3カ月で」という話でした(笑)。
――ところで、この機材は、どのくらいの価格で入手したのですか?
宮田:ハッキリは申せませんが、100万円台では収まっていません。カッティングレース単体ではなく、ここにあるEQやコンプなども含めて一式で購入しました。もちろん、スタジオの改築費用は別です。
レコードのカッティングって実際はどんな作業?
――では、カッティングに関して、その基本的な工程を教えてもらえますか?
堀内:カッティングというのは、ラッカー盤と呼ばれるアルミにラッカーが塗られたものに、音の溝を刻んでいく作業を指します。音で針を振動させて溝を切っていくので、カッティングというわけです。一方、再生側は昔はアナログのテープレコーダを使っていましたが、現在はDAWを利用するのが主流になっています。ハイレゾの96kHz/24bitといったマスターがここに持ち込まれるわけですが、それをDAWに読み込ませて切っていくわけですね。DAWは通常MAGIXのSEQUOIAを使っています。
宮田:このラッカー盤に切ったものは、レコードプレーヤーを利用して再生することができます。ただ、非常に柔らかいものであるため、一度再生させると、どんどん削れてしまいます。そのため一度針を落としたものは、レコードマスターとして使うことができなくなってしまうのです。
――とはいっても、やはり確認は必要ですよね?
堀内:何度か切っては、実際に再生させて音を聴くのですが、最終的なマスターは音を出さずに目視で確認していくのです。溝がどのようになっているのか、問題はないのか、状況を見ていくわけですが、溝の幅は60~70ミクロンと非常に細かいため、顕微鏡を使ってチェックをしていくのです。まあ、音を聴けば一発でわかりますが、音を出すわけにはいかないので、全部目で見ていくしかないのです。
――実際、どんなことをチェックするのでしょうか?
堀内:最大の問題は音飛びを起こさないかどうかです。左右のチャンネルが逆相になると、溝が太いところと細いところの差が非常に大きくなり、くびれができてしまいます。こうなると、細いところで、針が飛びやすくなってしまうんですね。また音量が大きくなって、隣の溝と近くなりすぎるのも危険です。こういう問題がないかをチェックした上で、問題があれば、位相を調整したり、溝の間隔を調整していくのです。
――ちなみに、このラッカー盤も古いもの残りを使っているのでしょうか?
宮田:さすがに、それだとすぐになくなってしまいそうですが、幸いにして、現在もラッカー盤を制作しているパブリックレコードという会社が長野県にあり、それを購入して使っています。
昔と今のレコード制作はどう違う?
――では、もう少しラッカー盤の切り方について、機械の構造を含めて教えてもらえますか?
堀内:カッティングレースの左側は針を落として切っていく部分、右側は溝と溝の幅を決める部分になります。もし同じ幅で切っていくと、大きな音が来たとき、隣の溝とぶつかってしまいます。そこで、そうならないよう自動的に溝の幅を調整できるようになっているのです。具体的にはちょうど1回転先の音を、この機械に同時に入れることで、少し間を開けてくれるようになっているのです。
――1回転先の音とはどういうことですか?
堀内:たとえば33回転のレコードであれば、1.8秒、45回転だと1.34秒の先の音を、実際にカッティングする音と同時に入れるのです。昔のテープレコーダの場合、先行ヘッドといって、本来再生する音の前の位置にヘッドを置くことで、実現していました。一方でDAWなら、同じ音を別トラックに時間をズラす形で並べて同時に出せばいいだけですね。一方、左側には2つのメーターがありますが、これは温度を見るメーターと、溝の深さを見るメーターになっています。どんな針を使うかによって温度設定が若干異なってきますが、カッティングする上で適度な温度に調整しないとささくれが起きたりして、結果としてノイズが入ったりするのです。もう一つの溝の深さのメーターを見ながら微調整を行なっていきます。
宮田:こうした調整パラメーターはいろいろあり、どう調整するかは人によって違ったりするのです。従来は、レコード会社間などの交流がなかったので、まさにそれぞれのスタジオでの伝統、流儀があったけれど、今はみんなで情報を持ち寄ることができたので、いろいろなことが見えてきました。
――では、このカッティングレースにオーディオ信号を送り出す側についてもう少し教えてください。先ほどのお話だとDAWであるSEQUOIAから信号を出しつつ、アメリカからカッティングレースとセットで購入したEQなどを通して送り出すわけですよね?
堀内:本線系と先行系の2種類をDAWから出し、それぞれを2種類のEQを通して送りだしています。まったく同じ型番のEQではないものの、ほぼ同じ音のものになっているので、同じ設定をするわけです。
――SEQUOIAには、どんなDAC、オーディオインターフェイスを付けているのですか?
堀内:RME HammerfallからAES/EBUの信号を出し、それをソニーミュージック・オリジナルのDACであるDAC-2000というものを通してアナログのオーディオ信号化しています。DAC-2000はマスタリングのモニターには必ず使っているものであり、レコーディングにおいても標準モニターとして使っています。まさにソニーミュージックの音を出すための機材であって、他社にはないものですね。その出力をEQ、またアナログのコンプに通しているわけです。どれも本線系、先行系の2セットあります。
――カッティングレースに送る音の調整、これはアナログEQ、アナログコンプなどの機材でできる一方、当然SEQUOIA側でもできるわけですが、実際どちらをメインに使うですか?
堀内:最終的な音を詰めていくのには、DAWも、アナログ機材も両方つかいますし、場合によってはアナログ重視といったこともありますが、基本的にはできるだけDAWで詰めていきます。もともとハイレゾで音源がやってくるケースが多いですしね。
――たとえば96kHz/24bitのWAVファイルがやってきた場合、そのままSEQUOIAに流し込み、何もせずにそのままカッティングレースに送り出すということも可能なのですか?
堀内:なかなかそうはいかないんですよ。ハイレゾ音源でもCD音源でもそうですが、レコードと比較してレベルが大きいので、これを適正なレベルに下げる必要があるのです。だけどレベルを下げることでロスが生じるため、ここを補正してやらなくちゃいけない。その補正をできるだけDAW側で行ない、最終的にアナログで調整してから切っているわけですね。実は最初は、そのまま切っていたのですが、やっぱり何かが違うなと。
レコードなりの音質というのがあるんだな、ということが分かってきて、それに合わせたマスター補正をした上でカッティングしています。もちろん、そんなに大きく変えるわけではないのですが。とくにデジタルだと超低音とか超高音が入ることがあるため、そこをカットしていく必要があるのです。
――アナログレコードって、「高域まで自然にあるのがいい」なんて言われ方もしますが、やはり非常に高い音域というのは問題になりうるわけですね。
堀内:レコードには刻むことができる音の制限もあるので、そこはカットしなくてはなりません。その上でイメージが変わらないようにするんです。超高域、超低域は聴こえにくい音ではあるものの、音量が大きいと大きく切ることになってしまい問題になるケースがあるからです。
――それだとハイパスフィルター、ローパスフィルターでバッサリとカットしてしまうということですか?
堀内:場合によってはそういうこともありえます。ローの位相が非常に不安定な場合、先ほど話をしたくびれの部分ができるので切ってしまいます。ただ曲全体を通してそうした音であった場合はそうですが、普通問題ある部分は一部分だったりします。そうしたときDAWならば、そこだけを抜き出して処理することが可能です。全部の音に影響を出さずに、そこだけ調整できるのは大きいですね。高域の場合も大きなパワーがある場合、そこをカットしてやらないと、ブレーカーが落ちちゃうことがあるんです。
宮田:最悪の場合ヘッドが壊れる可能性もありますが、ヘッドに代えはなく、大変貴重なもので、壊れてしまったらアウトです。だから高域成分も慎重にやっていかないといけないんですよ。昔だったら、カッティング中に、エンジニアがフェーダーをいじりながら、コンプをいじって……とすごく大変だったけれど、DAWがあれば、そこはオートメーションで可能であり、再現性も100%。そういう意味で3年もかからず実現できたわけですよ。機械ができることは機械に任せる、今の技術で賄えることはそれを活用し、切ることに専念できるようになり、3カ月で実用可能になったわけですね。
「そのままの音を録れる」ダイレクトカッティングも!?
――アナログレコードを切るには、アナログテープを活用する……といった話を時々聞くことがありますが、実際その辺はどうなんでしょう?
宮田:この部屋に、テープは常設していませんが、もしどうしてもテープを持ち込みたいというのであれば、できなくはありません。ただ、実際の作業を考えれば非効率であり、音にとってもあまりメリットはないですよ。通常は96kHz/24bitで取り込んだデータを持ち込んでもらって、SEQUOIAで処理する形になりますね。一般的にどこの会社でもデジタルにアーカイブしているので、それを持ってきてもらいます。当社でも古い素材はすべて96kHz/24itのWAVにアーカイブして保管しています。
――それに輪をかけるような話ですが、演奏した音をリアルタイムにカッティングしていく「ダイレクトカッティングができる」こともニュースリリースで書かれていたのですが、この辺についても教えてください。
宮田:昔は、ダイレクトカッティングということをやっていたのは事実です。また、ここはレコーディングスタジオのあるフロアですので、工事をする際に回線は用意しておこうということになったのは自然なことですし、当然ですね。何かあれば、スタジオから直でここでカッティングすることも原理的にはできる、と。いざというために、ダイレクトカッティングができる用意をしていました。ただ、確かに要望もあったので、回線を作ったわけですが、このカッティング作業がここまで大変なものだとは誰も知りませんでした。実際にやるとなったら大変なことですね。演奏家だって間違ったらやり直しだし、さきほどの低音や高音をカットするというのも、リアルタイムに行なっていく必要があるので、ハードルが高いですね。
――とはいえ、昔はやっていたんですよね?
宮田:確かにそうですが、かなり無理があったと思います。アルバムにするなら曲間も含めてすべて一発ですからね。ホントにライブみたいなジャズの演奏みたいなものを当時はダイレクトカッティングしていたようです。ただし、思い切りコンプをかけながら、レベルもしぼって、すべてセーフな状態にしてやっていたと思います。
――良い音の物を作る、というよりは「演奏のライブ感のそのままがレコードにできる」という意味で、要望があればできます。という表明ですね。
年度内のプレス機稼働で、ソニー社内一貫でレコードが作れるように
――ここでカッティングした作品のプレスも社内でできるようになることを、6月に発表されましたね。
宮田:ソニーDADCジャパンという静岡県に製造工場を持つ会社があり、ここにレコードのプレス機を導入し、今年度中の稼働を目指して準備を進めています。これが完成するとレコーディングからカッティング、プレスまですべて一気通貫でソニー社内でできるようになります。現時点、このカッティングも社内だけでの活用で、外注は受けていないのですが、今後は外注も受けてすべてできるようにしていきます。
――プレス機の導入もカッティングレースと同時並行で進めていたのですか?
宮田:時期的にはカッティングレースのほうが先です。カッティングレースを入れたら、いろいろな人から「ソニーさん、プレスもやらないの? 」なんて言われたんですよ。とはいえ、プレスとなると規模が違います。カッティングは、この機械を1つ導入するだけですが、プレスとなると工場のラインを作る、プラントを作るわけですから、当初は「そんなの無理、無理」って答えていたのですが。結果的には現実になりました(笑)。現在テスト用のラッカー盤を持って行って、工場でテストプレスもして……と準備を進めています。これが年内に稼働すれば29年ぶり、年越しすると30年ぶりということになります。現在、レコードの材料比率を変えたりしながら、まさに努力中です。これまでは国内だと東洋化成さんだけが工場を持っていたので、すべてお任せでしたが、新しい選択肢ができる形にはなります。もっとも東洋化成さんとは規模が違って、プレス機は1台だけなので、そこまで多くの生産はできません。
――一貫生産できるようになると、どのアーティストが最初のレコードを作るのか、話題になりそうですね。
宮田:その辺は、もうビッグネームなども含めて、誰がやるのか、など動き出しているのではないでしょうか。世の中、技術が逆行することって、なかなかありませんから、すごく珍しいケースだと思います。もちろん、新しい技術も取り入れながらのアナログレコードの復活ではありますので、ぜひご期待ください。