藤本健のDigital Audio Laboratory

第779回

音の出ない路上ライブ!? 電子楽器のレジェンドが手掛ける「Silent Street Music」を体験

 駅前や公園など、さまざまなところで行なわれている路上ライブ。ミュージシャンが夢のために頑張っていたり、そこを通る人を楽しませている姿だとは思うものの、一方で問題もあるのも確かだ。許可されている場所以外で、明らかな交通の妨げになるのは論外として、騒音に対する苦情などから警察が出動して、排除するという光景は都内でも頻繁に見かける。海外と比較すると、日本の許容度が低いなと感じられる一方、ミュージシャン側のマナーが悪いケースや、周辺との協調度合いが低いな……と感じられることも。そんな中、騒音を出すことなく路上ライブするというユニークな社会実験が8月25日、浜松駅前の広場で行なわれた。

浜松駅前で行なわれた“騒音を出さない”路上ライブ実験

 使われているのは「Silent Street Music」というシステムで、演奏をワイヤレスで飛ばし、ヘッドフォンで聴くというもの。「もっと路上ライブを広げていこう」というコンセプトで行なわれた。主催者である菊本忠男氏は、元ローランドの社長であり、あのTR-808やTR-909、TB-303など歴代の機材を開発してきた人物。Silent Street Musicシステムにどんな狙いで取り組んでいるのか、菊本氏にうかがうととも、実際、音が出ない路上ライブとはどんなものなのか体験してみた。

Silent Street Musicシステム
菊本忠男氏の自宅工房で話を伺った

 「もともと、Silent Street Musicのシステムを思いついたのは、まだローランドに在籍していた20年ほど前です。さまざまな機材の開発をしてきましたが、自分としては電子楽器の開発に行き詰まってしまったことがあったんです。DTMもコンピュータですべて音が出せるようになってしまい、楽器メーカーとしてこの後どうしたらいいのか、と。その一方でマーケットも広がりが鈍化してきており、この先、演奏する人の数を増やさないとどうにもならないという焦りを感じてきていたのです。モノづくりよりもコトづくりをしなくてはならない」と菊本氏は振り返る。

 現在77歳の菊本氏は、ローランド創業社長である梯郁太郎氏の片腕として技術面を支えてきた人物であり、世界的にも名が知られる電子楽器のレジェンド的存在。その詳細について今回は割愛するが、その菊本氏が今、力を入れていることの一つがSilent Street Music(以下SSM)なのだ。

 「当時社内ではまったく受け入れられませんでした。『なぜ目の前で演奏している音をわざわざ音の悪いヘッドフォンで聴かなくてはならないのか』、『演奏なんて、どこでも好きなところですればいいじゃないか』と。ライブハウスも野外ステージも数多くあるなど、音楽環境に恵まれている浜松だと、なかなか理解できなく、それは今もあまり変わっていないようです。ただ路上ライブ、ストリートミュージックという場は、多くのミュージシャンにとって重要な場ではあるはずです。たった数人であっても自分の演奏する音楽を聴いてもらえれば、すごく嬉しいです。また『あの程度のヤツが路上でやってるなら俺だって』なんて思いの連鎖も起こるはずです。ライブハウスなどに出られるようになるのは、その次のステップ。こうしたところですそ野が広がっていけば、楽器を演奏する人の数も増えていくはずです」と菊本氏は力説する。ただし、誰もが知っている通り、路上ライブには大きな問題点がある。

 「音楽は音を楽しむものではありますが、関係のない人にとっては騒音であり、迷惑に他なりません。またクロストークも大きな問題となります。つまり、駅前だったり、人通りの多いポイントだったり、いい場所はミュージシャンにとっては取り合いになります。そこで誰かが演奏すれば、ほかの人は入ることができない。まさにストリートミュージシャンは排他的なんです。その結果、近所の商店街からクレームが入り、警察が出てきたり……。これは日本だけでなく、ニューヨークでもロンドンでも変わりません。そうした問題を解決できるSSMは大きな可能性を秘めていると思っているのです」(菊本氏)。

 ここで、8月25日に浜松駅前で行なわれたSSM公開実験の様子をご覧いただきたい。以下のYouTube動画は筆者が撮影したものだ。

Silent Street Music公開実験の様子

 なんとなく雰囲気は理解いただけただろうか? PAを置いていないので、路上での音はほとんど聴こえない。もちろん歌ったり、アコースティック楽器を使うので、本当に無音=サイレントなわけではないのだが、ほぼ誰にも迷惑のかからないレベル。ただ、まったく無音なのも寂しいので、少し離れた場所にラジカセ2台を置き、A/Bの2つのステージの音を控えめな音量で鳴らしていた。

路上で音はほとんど聴こえない
離れた場所に置いて鳴らしていたラジカセを

 でもレシーバをオンにしてヘッドフォンで聴くと、目の前で歌っているリアルさを実感できる。ほとんどリハーサルなしで、事前のミキサー調整もできていなかったことから、一部音が割れてしまう部分などはあったけれど、そこはご愛敬というところ。

Aステージは94.1MHzで送受信
Bステージは92.1MHzで送受信

 「20年前、社内を説得しつつ、社外への働きかけも行ないました。ちょうど井の頭公園で演奏場所の取り合いでバンド同士のいがみ合いがあって警察が出動するという新聞記事を読んだのがキッカケでした。当時、最重要と考えたのが、まさに規格をまとめつつあったBluetoothへの対応です。Bluetoothオーディオは1:1での接続が基本となっていますが1:n(複数)の接続が必要だろうと、当時Bluetooth規格の幹事会社であった東芝に出向いて説明するとともに、ローランドに招待して実証実験を見せたのです。社内でいくつかのバンドを編成してPAなしで同時に演奏するとともに、即席で作ったFMトランスミッタで音を飛ばした」とのこと。

当時5台作ったというFMトランスミッタ

 「外からはほとんど音が聴けないけれど、FMラジオを使うと音が聴こえ、チャンネルを切り替えれば別のバンドの音が聴こえる、そんなデモを行なったんです。演奏していたメンバーは、何のための演奏だったのか理解できていなかったようですが、東芝の方々にはある程度、意図は伝わったように思います。とはいえ、規格化が検討されるという段階までは行かず、そこでいったん途切れてしまいました」とBluetoothの規格化への働きかけもしていたことを菊本氏は明かしてくれた。

 それから20年。またSSMの話が動き出した。

 「愛知県東海市で無音盆踊りというのがニュースに登場したり、海外ではサイレント・ディスコが話題になるなど、SSMと同じような考え方のものが少しずつではあるけれど、広まってきています。昨年、昔の仲間に声をかけるとともに、ローランドにも声をかけたところボランティア的に賛同してもらえ、昨年10月にこの浜松駅前で公開実験ができました。1:nのブロードキャスト型ではありませんが、1:1を多数設置するマルチキャスト型で実現できました。気になっていたレイテンシーもリスナー側にはほとんど気にならない程度であり、面白い実験ができました。今回は、それ以来3回目の公開実験となります」と菊本氏。

 ただし、今回はブロードキャストを前面に出すためにBleutoothは使わず、ローテクではあるがFMトランスミッタを使い、FMレシーバで受けるという手法。

 「FMトランスミッタもFMレシーバも数百円で買うことができるためとっても安上がりでシステムを構築できるのがメリットでした。このレシーバは3chをメモリーでき、簡単に切り替えられるので、この手の規模のシステムとしては十分な機能、性能を備えているといえます。昔と違ってヘッドフォンの性能も非常によくなっており、低音もずいぶんしっかりと出ますからね」と菊川氏は話す。実際、FMの電波でもそこそこ悪くない性能を発揮してくれた。

希望する人にレシーバとヘッドフォンのセットを貸し出していた
トランスミッタは安価で非常に小さいが、見通しのきく30m程度はキレイな音で飛ぶ
普通のラジオでももちろん聴ける

 ちなみに、ミュージシャン側の音はローランドのミキサー「HS-5」でまとめている。このHS-5のメリットは、最大5chの入力が可能で、ミュージシャンそれぞれが個別に好きな音量調整で聴くことができるほか、トランスミッタへ送るメインバランスは別途調整できるようになっている。まさにSSM向きのミキサーといえそうだ。

ローランドのミキサーHS-5を使用

 「路上ライブに使えるPAを買うよりも安く構築できるし、より高音質でリスナーに音を聴かせられるのもSSMの大きなメリットです。今回の実験でもわかる通り、すぐ隣り合った場所で演奏していても、トラブルにならないし、システムが共通化されていれば、リスナーは落ち着いた環境で複数を聴き分けて楽しむことも可能です」(菊本氏)。

 それならば、このFMトランスミッタを使うことですべて解決するのだろうか?

 「やはり最終的にはスマホとBluetoothワイヤレスヘッドフォンの世界に持ち込んでいきたいです。まずはSSMを奇異なものではなく、一般的なものにした上で、ライブをする場所にQRコードを設置し、それを読み取ればそのチャンネルを聴けるようにしたり、『いいね! 』をクリックすれば、ミュージシャンにも伝わるようにすれば、承認欲求の強いミュージシャン的には大きな励みにもなるはず」とのこと。

 「オンラインでの音楽配信と連動させたり、場合によってはそのライブをそのままネット中継するなど、デジタルと組み合わせと、広がりはより大きくなっていくと思います。そうしたとき、Wi-Fi接続がいいのか、音はBluetoothヘッドフォンへブロードキャストを行なえるようになるのかなど、まだ課題はいろいろですが、さらに発展させて、多くの人に受け入れてもらえるようにしていきたいです」と菊本氏は熱意を持って語る。

ステージBの様子

 今回の公開実験を見て感じたのは、実際に参加してみると非常に楽しいし、ヘッドフォン越しではあっても目の前でライブ演奏は十分に楽しめるものだと実感できた。ただ、部外者の目で見てみると、音がほとんど出ていないため、何をしているのか分からず、やや奇異に感じるのでは……とも思えた。

 それでも、多くのストリートミュージシャンにとって大きな課題解決になりそうな手段だし、デジタルとの融合という面においてはミュージシャンにとっての新しいビジネスチャンスも生まれそうに思える。こうしたムーブメントがどこまで受け入れられるのか、どう広がっていくのかが最大のキーとはなりそうだが、見守っていきたいと思う。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto