藤本健のDigital Audio Laboratory

第1006回

MPEG-H・Atmos・AURO揃い踏み。次世代放送の空間オーディオ聴き比べ実験

昨年末12月26日、東京・渋谷にあるNHKホールで例年どおり「N響第9チャリティコンサート」が行なわれた。その様子は12月31日の大晦日にEテレでも放映されているのでご覧になった方も多いと思うが、実はその裏で非常にユニークな実証実験が行なわれていた。

それは、Eテレでの収録・放映とはまったく別に、8K/22.2ch/MPEG-H 3D Audioによる多地点同時ライブ配信、ラディウス「NeSTREAM LIVE」での4K/Dolby Vision/Dolby Atmosによる5.1.4ch配信(48kHz)、そしてKORG「Live Extreme」での4K/AURO-3Dによる5.1.4ch配信(96kHz)という、3つの異なる配信を同時に行なうというものだった。

あくまでも実証実験ということで配信は非公開で行なわれ、NHKホールから1kmほど離れてNHKテクノロジーズのスタジオ・NTラボに関係者や一部メディアが集まって試聴することができた。3つの異なる配信を体験するとともに、一部のシステムを見学することができたので、その状況をレポートしてみたい。

MPEG-H、Atmos、AURO配信とは

2カ月前のイベントの話ではあるが、公開実験ではなかったため、本記事で初めて知る……という方も多いと思う。

実証実験を行なったのは、NHKテクノロジーズとNHKアートの2社。この2社が8K/22.2ch/MPEG-H 3D Audioでライブ配信する実証実験を行なう隣で、ラディウスがNeSTREAM LIVEを使った実証実験を、さらにコルグがKORG Live Extremeを使った実証実験を実施。参加者はそれぞれを聴き比べることができるユニークな場となっていた。

8K/22.2ch/MPEG-H 3D Audioについては、NTラボへの配信ほか、東京・大田区にあるアストロデザイン本社の8K3Dシアター(8K/2ch)、東広島芸術文化ホールくらら(8K/5.1ch)、海外はドイツSpinDigital本社(8K/5.1ch)へも同時ライブ配信された。

筆者がNHKテクノロジーズに到着して、まず入ってみたのが8K/22.2ch/MPEG-H 3D Audioが配信がされているスタジオだ。

10人ほどが視聴できる部屋で、その時点では、NHKホール側もまだ準備中だったが、大きなスクリーンにNHKホールの様子が8K映像で映し出されていた。22.2chのスピーカーが見当たらないと思ったが、壁に埋め込まれているとのことで、かなりしっかりと作りこんだ視聴室となっていた。

しばらくしてNHK交響楽団の人たちが入場してくると、その様子がスクリーンに映し出されるとともに、NHKホールの音がライブ・ビューイングの形で聴こえてきた。

やはり22.2chもあると、かなりリアルな感じだ。聞いたところ、NHKホールには64本のマイクが設置されており、それがSSLのコンソールでミクシングされ、MADI 48kHz/24chの音声信号としてMediornetシステムで伝送。その後、いろいろなシステムを経由して、8Kの映像と融合。それがSpinDigital Live ENCでエンコードされ、AWS Cloudを介して会場へと届いていたのだ。そのルーティングの詳細を表したのが、下の図面になる。

MPEG-H配信の全体的なビットレートは、映像を入れておよそ80Mbps。オーディオだけを見てみると1chあたり80kbpsに圧縮されているため、決してハイレゾサウンドというわけではないが、大きな超高画質な8Kのスクリーンとともに、しっかりしたオーディオシステムで鳴らしているだけに、かなりのリアリティと迫力を感じることができた。

演奏中に抜け出して隣の部屋に行ってみると、NeSTREAM Liveを使ったDolby Digital Plusでの配信が行なわれていた。Netflixなどで使われているDolby Atmos配信(ロッシー)と同じ技術だそうだが、映像は4K Dolby Visionが使われており、音声は48kHzの5.1.4ch配信となっていた。

22.2chの部屋と異なり、応接室には液晶テレビとGENELEC製モニタースピーカー「6010B」が5台(フロア)+4台(トップ)、そしてサブウーファーが設置された形になっていた。先ほどの図面にもあったとおり、64個設置されたマイクからの音がSSLのコンソールで5.1.4chにミクシングされ、Dolby Atmos Live ENC Systemでエンコードされた状態で届いていた。

こちらは、5.1.4chのオーディオを合わせて640kbps。今回の3つの実証実験配信の中ではもっとも圧縮率が高いこともあり、サクサクと動いている様子だった。ただ音に関していうと、圧縮率が高いためなのか、または小さなモニタースピーカーを使っているためなのか、22.2chの部屋で聴いた音と比較するとちょっと見劣りするかな、という印象ではあった。

さらにその隣の応接室に設置されていたのがKORG Live Extremeのシステム。こちらもDolby Digital Plusでの部屋と同様、液晶テレビを使ったディスプレイとGENELEC「6010B」を9台とサブウーファーを使ったライブ環境となっていた。

ただし、ここまで届くルートやサンプリングレートなどが大きく異なる。64個のマイクで収音され、SSLのコンソールでミクシングされることは同じなのだが、96kHzのサンプリングレートで送り出される仕組み。それがKORG LiveExtreme ENC Systemで映像とともにエンコードされ、KORG Live Extreme Serverを経て、この応接室へと送られてきていた。

KORG Live Extremeでは、AURO-3Dが使われていたので、ロスレスというわけではない。が、それでもトータルで10Mbpsともっとも高いビットレートで伝送されていたので、データ的に見た音質においては、これが一番。実際、隣のDolby Atmosの音と比較すると、かなり高音質で、その差を実感できた。

ただし、ただし、この実証実験においては課題も見られた。課題の一つはインターネット回線速度の問題。今回は一般のインターネット回線が使用されたが、IPv4対応のネットワークで時折回線速度が低下し、第9の演奏途中に何度かフリーズしてしまう……というトラブルが発生していた。

複数のプロジェクトが同時並行で実施された実証実験という事もあり、トラフィックが輻輳したとの見解であるが、見ている側としてはちょっと残念なところではあった。このような経験を踏まえ、品質向上につなげたいとNHKテクノロジーズは考えている。

【修正】伝送経路などシステムの説明が間違っていたため、文章を修正しました(2月26日14時)

イマーシブがミックスできるNHKの最新音声中継車!

第9配信の実証実験がされているさなか、今回のプロジェクトの技術リーダーを務めた、NHKテクノロジーズ メディア技術本部制作技術部の寺田淳氏からお声がけいただき、NHKホール側にあるSSLコンソールシステムや伝送システムのある現場を見せてもらえることになった。

NHKテクノロジーズ メディア技術本部制作技術部の寺田淳氏

この際、オーディオ評論家の麻倉怜士氏とともに見学したのだが、案内されたのはNHKホールの中ではなく、外に止めてあるトラックの中。実は今回の実証実験の中核を担っていたのが、T-2というNHKテクノロジーズの音声中継車だったのだ。

数週間前に全面改装したばかりというこのT-2には、SSLのデジタルコンソールである「System T S500」が装備されていて、この中でイマーシブサウンドのミックスができる環境が整えられていた。

音声中継車の中

さらに各種伝送システムなどが搭載され、ここから配信が行なわれていた。寒い日の夜ではあったが、トラックの中に数多くのデジタル機器が置かれているため、中はエアコンでクーラーオンの状態なのに驚いてしまったが、ホール側から届いた64chの信号を元にサウンドエンジニアが、フェーダーを動かしながらまさに音作りをしていた。

限られた環境での非公開配信ではあったが、今後こうしたマルチチャンネルの配信が広く使われるようになると、面白い世界がやってきそう。

家庭で22.2chや5.1.4chを実現というのは簡単ではないが、まずはライブビューイングなどの世界から広まっていってくれると、多くの人たちがその楽しさを実感できるようになるだろう。

藤本健

リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto