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Apple Vision Pro向け“イマーシブ映画”野心作『沈没へのカウントダウン』がすごい

アップルが10月10日に公開した『沈没へのカウントダウン(原題:Submerged)』

VR機器を使って没入的な映像を……といっても、そのこと自体にはもう驚きはない。きっと読者の皆さんも、そういうニュースが目に入っても「はいはい、またああいうのね」くらいの認識になるんじゃないかと思う。

Apple Vision Pro

だが、10月10日(アメリカ時間)に、Apple Vision Pro向けに公開を開始した『沈没へのカウントダウン(原題:Submerged)』は、いわゆる「イマーシブな映像作品」の固定概念をぶち破る、画期的な作品になっている。

作品はApple Vision Proからのみ視聴可能

『沈没へのカウントダウン』は、16分ほどの短編映画作品。第二次大戦中を舞台に、潜水艦とその乗組員が体験する瞬間を描いている。

Submerged — Official Trailer | Apple Vision Pro

厳しい環境の中で戦う潜水艦乗組員が攻撃に晒され、極限環境下で生還を目指す。

文章で書くとシンプルなストーリーではあるが、それを新しい視覚体験として見事に構成している。

映像は、視界180度・2眼の3Dで撮影されている。閉鎖的な潜水艦内での生活、そして敵艦からの攻撃。攻撃後には、爆発よりもさらに恐ろしい「水」との戦いが待っている。

それを映画のカメラとなったような視界で、自分も共に体験するのがこの作品だ。

撮影は視界180度・2眼の3Dで行なわれている

「体験する」と書いたが、実は正確に表現するのが難しい。

登場人物とともに体験する、というとゲーム的なイメージを思い浮かべそうだ。だが『沈没へのカウントダウン』は「映画的な体験」であり、しかも没入的な感覚としか言いようがない。

撮影としてもセット美術としても映画としてのリアリティを備えたものであり、短いが映画体験としてストーリーが作り込まれ、カット割も練り込まれている。

イマーシブな作品というと、色々な方向を見せるために音や絵を工夫し、キョロキョロと見渡しながら見るような作りのものが少なくない。アトラクション的な効果を狙ってのものであり、それはそれで良いものだ。

ただ、『沈没へのカウントダウン』はそういう作りではない。映画的に集中するようなイメージだ。

没入感は、一般的な映画とも3D映画とも異なる。前出のように、作品は視界180度・2眼の3D映像。そのため「視界の周囲」もしっかり描写されており、それがリアリティ・没入感演出につながっている。

メイキング動画

監督はエドワード・ベルガー。Netflix配信の戦争映画『西部戦線異状なし』(2022年)で、第95回アカデミー賞・国際長編映画賞受賞/作品賞ノミネートを獲得している。

監督のエドワード・ベルガー氏。画像は前掲メイキング動画より

全編は撮影・グレーディング含めて「いかにも映画的」な価値観で作り込みが行なわれているが、視界は広く立体的。Vision Proの解像感の高さを生かし、「映画を見ている体験そのもの」でありつつも、いわゆるVR的な没入感が実現されている。

監督をはじめとした製作陣が徹底して作品制作に臨む姿は、公開されたメイキング映像をみるとよくわかる。アングルをひんぱんにチェックし、コストをかけたセットを用意し、慎重に撮影に臨む姿はまさに「映画撮影」。彼らは新しい映画表現として、映画の手法そのものを使って撮影に取り組んでいる。

本格的なセットをプールに設置して撮影
メイキング動画より。撮影は視界などを頻繁に確認しつつ行なわれている

もちろん「いかにもイマーシブ」なショットもある。潜水艦内の狭い通路をカメラがなめらかに移動し、襲い来る海水の中に没していく様が主観視点で描かれる様は、伝統的な映画以上に没入感があり、驚きも強い。一方で、そうしたシーンは大きな動きも伴うことから、「酔い」に弱い人には影響を与えるかもしれない。「酔い」との関係は作品の唯一の欠点だ。だが、この作品が「映画的」であることをスポイルするものではなく、映画が持つ没入感・参加感などを強化する役割を果たしている。

撮影中の様子。映画と同じように見えるが、使っているのは二眼の特殊なカメラ

これまでのイマーシブビデオは、自然やスポーツを描くものが多かった。ドキュメンタリー的な手法と相性が良いことに加え、セットを含めた作り込みの問題を回避できるから、ということもあったろう。

アップルはこれまでにもいくつもの素晴らしいイマーシブビデオを作ってきた。近作かつ質の良いもので言えば、NFL・スーパーボウルの様子を描いた『SUPER BOWL LVIIIの4分間』や、『沈没へのカウントダウン』と同時に公開された、ハワイ上空の様子を撮影した『Elevated』のもつリアリティは素晴らしい。アップルは来年に向けて、音楽ライブ作品など複数のコンテンツを公開していくとしている。

アップルのプレスリリースより。ライブ感のある作品を中心に、2025年に向け、多数のイマーシブビデオが公開される

この種の映像はその没入感から、アトラクション的な可能性もより強く感じる。『沈没へのカウントダウン』にもその要素は多分に盛り込まれていて、重要な価値かと思う。

ただそれとは違う新しい表現として、徹底的に映画として作り込まれた体験が、『沈没へのカウントダウン』には込められている。

もちろん、通常の映画よりも手間がかかるし、2時間の長尺がふさわしいのかも疑問は残る。Vision Proのような(一般的な言葉で言うところの)XR機器は普及率の問題もあり、ビジネスとして短期にリクープするのが難しい、という課題もある。

だから、『沈没へのカウントダウン』のような作品はそうそう量産できるものではないだろう。

しかし、「映画としての没入感」という新たな魅力とその将来性を考えるとドキドキしてくる。

映画ファンならぜひ体験して欲しいし、今後もより多くの、同様の作品が現れていくことを期待している。

西田 宗千佳

1971年福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主に、取材記事と個人向け解説記事を担当。朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞、AERA、週刊東洋経済、週刊現代、GetNavi、モノマガジンなどに寄稿する他、テレビ番組・雑誌などの監修も手がける。 近著に、「生成AIの核心」 (NHK出版新書)、「メタバース×ビジネス革命」( SBクリエイティブ)、「デジタルトランスフォーメーションで何が起きるのか」(講談社)などがある。
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