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祝ブルーレイ化!スーパーコンピューターを用いた世界初のSF映画『スター・ファイター』とは
2026年5月12日 08:00
1984公開の『スター・ファイター』は、3DCGを本格的に導入したSF映画だ。もちろん前例には『トロン』(82)があるが、あの作品の場合はゲームの中の空間ということで、メカのモデリングや質感は単純化されていた。
しかし本作では、『スター・ウォーズ』(77)のようにリアルな宇宙船が3DCGで登場する。そしてそれを実現させるため、当時世界最高性能を誇ったスーパーコンピューター「CRAY X-MP」が用いられた。
5月13日の初ブルーレイ化に合わせ、今回は『スター・ファイター』の魅力を掘り下げていこう。
あらすじ
アメリカ西部の片田舎にあるトレーラーパークで暮らす青年、アレックス・ローガン(ランス・ゲスト)は、大学進学を夢見ながらも、家庭の事情や環境の制約に阻まれ、将来への希望を見出せずにいた。
そんな彼の唯一の逃避先が、パークに置かれたアーケードゲーム「スター・ファイター」だった。宇宙戦闘を題材にしたそのゲームで、アレックスは驚異的な腕前を発揮し、住民たちのちょっとしたヒーローになっていた。
ある晩、ついにゲームの世界記録を更新したアレックスの前に、奇妙な車と、その持ち主であるセントーリ(ロバート・プレストン)が現れる。彼はゲームの開発者を名乗り、アレックスを祝福するためにやって来たと言う。
半信半疑のまま車に乗り込んだアレックスは、気付けば地球を離れ、見知らぬ星系へと連れ去られていた。セントーリの正体は、銀河連邦のスカウトマンだという。そして「スター・ファイター」は、連邦を脅かす勢力に対抗するため、優秀なパイロットを見つけ出す“試験装置”として地球に設置されていたのだ。
突然、銀河規模の戦いに巻き込まれたアレックスは、最新鋭戦闘機ガン・スターの操縦士候補として迎えられる。しかし、あまりに突飛な状況に戸惑い、地球に残した家族や恋人マギー(キャサリン・メアリー・スチュワート)のことが頭をよぎる。自分が背負うにはあまりに大きすぎる使命に圧倒され、アレックスは一度戦いを辞退し、地球へ戻る道を選ぶ。
だがその頃、銀河では緊張が高まりつつあった。連邦と敵対する「コ・ダン帝国」との対立は決定的な局面を迎え、アレックスが知らぬ間に、彼の選択が大きな意味を持ち始める。
地球では、アレックスの身代わりとして送り込まれた“ある存在”が、彼の不在を悟られないよう奮闘していたが、やがて暗殺者ザンド=ザンの影が忍び寄る。アレックスは自分が逃げたことで、誰かが危険にさらされている現実を知り、再び選択を迫られる。
自分の人生を変えたいという願いと、守るべきものへの責任。その狭間で揺れ動くアレックスは、ついに大きな決断を下す。彼を待ち受けるのは、銀河の命運を左右する戦いと、想像を超える冒険だった。
ストーリーが生まれるまで
この作品の脚本を書いたジョナサン・ベテュエルは、ニューヨーク大学映画学部を出て、小説や脚本を書いていたものの、まったく芽は出ない。そして、ずるずるとタクシー運転手をしながら、ついに35歳を迎えてしまった。
そんなころ、いつものピザ屋に立ち寄る。当時ベテュエルは、アーサー王伝説を再解釈したT・H・ホワイトの『永遠の王』(The Once and Future King)を読んでいた。
ディズニーアニメ『王様の剣』(63)の原作にもなった小説だが、その主人公と店内に置かれていたゲームで遊ぶ少年のイメージが重なり、「もし石台に刺さった剣が、アーケードゲームだったらどうなるだろう?」というアイデアが生まれる。そして彼は4日間で脚本を執筆すると、エージェントに渡した。
CGを主導したジョン・ホイットニー・ジュニア
時期的には遡るが、小説家のマイケル・クライトンが自分のストーリーの映画化を、自ら監督する計画を立てていた。それが『ウエストワールド』(73)と題されたSF映画で、未来のテーマパークにおいて、人間と区別がつかないほど精密なロボットたちが、突然観客たちを殺し始めるというものだった。
クライトンは、この映画に登場するコントロールルームのモニターに、CG画像を表示したいと考えた。そこで、ジョン・ホイットニー・シニアという最初期の伝説的CG作家に、『Matrix III』(72)というフィルムを借りに行く。
この時、同時に相談を持ちかけたのが、ロボットの主観映像についてだった。クライトンは、低解像度のCCDで撮影したような、モザイク効果を望んでいたのだ。
すると、ホイットニー家の長男であるジョン・ホイットニー・ジュニアが、「自分がやってみたい」と申し出てくる。彼は、父親の映像制作に協力していたインフォメーション・インターナショナル社(以下トリプルアイ)に掛け合い、深夜のみ設備を使用できる許可を得た。
もう1人のキーパーソン、ゲーリー・ディモス
この時期ホイットニー・シニアは、カリフォルニア工科大学で美術の講義を受け持っていた。中でも優秀な学生だったのが、ゲーリー・ディモスである。
彼は、大学にあったモノクロのディスプレイでCGアニメーションを制作し、これをホイットニー・シニアが手作りしたオプチカル・プリンターを用いて、着色するという方法で作品制作を行なっていた。
この時、ホイットニー家の人間と親しくなり、特にジュニアと意気投合することになった。そしてディモスは、ユタ大学内に設立されたエヴァンス&サザーランド社(以下E&S)に就職する。同社は、世界で初めて3DCG製品を商用化した企業であり、創業者の1人であるアイヴァン・サザーランドがユタ大学で受け持った学生たちは、(今日のCGやテレビゲームの基礎を築く)才人ばかりだった。
しかしそのサザーランドが、ユタ大学とE&Sを辞めることになる。彼は、映画にCG技術を用いる構想を抱き、74年にピクチャー/デザイン・グループ社を設立した。そして営業とマーケティングにホイットニー・ジュニアを、ソフト開発にディモスを雇う。しかし出資を約束していた人物が亡くなり、わずか9カ月で倒産してしまった。
再びトリプルアイ
だがホイットニー・ジュニアとディモスは、この失敗に懲りず、再びトリプルアイの役員会に話を持ち掛ける。同社は基本的に、マイクロフィルムレコーダーやフィルムスキャナー、印刷用コンピュ-ター合成システムを開発・販売していた会社だが、その社内にCG映像制作を目的とするエンターテインメント・テクノロジー・グループを、76年に結成させる。
そしてユタ大学の卒業生を集め、かつてないほどリアリスティックな3DCG生成が可能なレンダラーを開発した。この結果に感動したホイットニー・ジュニアは、「映画の特撮シーンを全てCGで作ってしまう」という構想を抱き、この技術に“デジタル・シーン・シミュレーション”というブランド名を与える。
そして彼は、いくつかの企業や放送局、映画会社への営業に邁進するが、その1社がルーカスフィルムだった。
トリプルアイは、『スター・ウォーズ』に登場する宇宙戦闘機Xウィングのプラモデルを計測し、約6万ポリゴンの形状データにし、4×5インチのスライドに焼いた。
さらに78年の夏にアニメーション化し、ルーカスに「『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』(80)にトリプルアイが参加できないか」と提案する。ルーカスは、経済的理由からこれを拒否したが、CGの持つ可能性には感心した。(※1)
トリプルアイは『帝国の逆襲』への参加は出来なかったが、ディズニーの『トロン』という大役を掴む。
しかし会社の業績が悪化し、エンターテインメント・テクノロジー・グループに対する風当たりは日増しに強くなる。そして、経営者がCGに興味のない人物に代わってしまったため、『トロン』のクランクイン前にホイットニー・ジュニアとディモスは、会社を辞めてしまう。(※2)
※1
ルーカスは、トリプルアイのライバル的存在だったニューヨーク工科大学CG研究所のスタッフを、ルーカスフィルムへ大量に引き抜いた。彼らもまた、サザーランドの教え子が中心だったが、後にピクサー社を作るメンバーにもなる。
注2
トリプルアイはマンパワーが大幅に減退したが、MAGI、ロバート・エイブル&アソシエイツ、デジタル・エフェクトといったCGプロダクションにも作業を分散させて、『トロン』の制作を何とか乗り切った。
デジタル・プロダクションの設立と、『スター・ファイター』の始動
ホイットニー・ジュニアとディモスは、81年に6月にデジタル・プロダクション社を設立する。
最初は何の設備も持っていなかったが、とりあえずデジタル・シーン・シミュレーションの実現という目標だけはあり、相応しい脚本を求めて複数のリーダー(アメリカ脚本家組合に登録された脚本を読み、推薦する役職)に探させていた。
そんな時に送られてきたのが、ベテュエルの書いた『スター・ファイター』だった。ホイットニー・ジュニアとディモスは、「これこそ探していた題材であり、同時にゲームとして商品化もできる」と考え、ロリマー・プロダクションズに売り込みに行く。
ロリマーは、主にテレビシリーズを手掛けていた会社で、代表作には日本でも放送された『ダラス』(78~91)や、『フルハウス』(87~95)がある。やがて映画にも進出し、『愛と青春の旅だち』(82)では興収1.9億ドルと大成功を収め、非常に活気付いていたタイミングだった。
プロデューサーのゲイリー・アデルソンは、まだ何の準備も出来ていないデジタル・プロダクションを信用し、ベテュエルと正式契約を結んだ。
そして、共同製作/配給会社としてユニバーサル・ピクチャーズも決まり(このことが後年、トラブルの原因となる)、映画化は一気に動き出す。
監督にはニック・キャッスルが選ばれたが、『ニューヨーク1997』(81)の共同脚本を手掛けた程度の、ほとんど新人と言える人物だった。キャッスルは、ベテュエルと共に脚本のリライトを進め、よりハイテンポなストーリーとして洗練させていった。
スーパーコンピューターの導入
デジタル・プロダクションは、グラフィック・ディスプレイのメーカーであるラムテック社から、当時の邦貨で15億円もの資金提供を受けることに成功した。そしてその資金を基に、スーパーコンピューターの「Cray-1S」を導入する。
さらにその数カ月後、より高い性能を持つ「Cray X‑MP」と交換した。これは当時、世界最高の計算速度を誇るコンピューターで、導入したのは主に国立の研究所や、大手企業の計算センターだが、デジタル・プロダクションに納品されたのは市販第1号機だったそうだ。同社はデビューと同時に、世界一のパワーを持つCGプロダクションとなった訳である。
ただしCrayは、データを1つずつ処理するスカラー型コンピューターではなく、同じ種類のデータをまとめて一括処理する、ベクトル型という設計になっていた。
そのためディモスと、主任ソフトウェアプログラマーのラリー・イエーガーは、新しくFORTRAN(※3)でスキャンライン・アルゴリズムのレンダリング・プログラムを書く必要があった。
しかしCrayは、レンダリング作業や、(本作では使用されていないが)力学シミュレーションなどの計算を一気に行なうための機械(※4)で、CGアーティストが直接オペレートするには不適切だった。
そこで作業用に、DEC社の「VAX-11/780」(※5)も導入される。この32bitミニコンは、当時これだけでCGプロダクションが運営できるほどの高級機だった。
またVAX-11/780は、「E&S PS300」や「IMI-500」といったランダムスキャン・ディスプレイの、ホストコンピューターとしても用いられた。このランダムスキャン・ディスプレイを用い、3Dのワイヤーフレームをリアルタイムアニメーション表示することで、モーションの確認を行なっていた。
なお当時のCGには、今では不可欠なモデラーというソフトウェアが存在していなかった。そのため大きな三面図を描き、各ポリゴンの頂点を1点ずつ手入力していたのである。
そこで、少しでもこの面倒な作業を効率化させるため、2つのカーソルを持った大型エンコーディング・テーブルも、システムに組み込まれた。
※3
当時、本格的な自動ベクトル化に対応していた言語はFORTRANだけだった。
※4
そのため、Cray X‑MPは常時稼働しているわけではなく、どうしても余剰時間が発生してしまう。そこでNSF(全米科学財団)からスーパーコンピューティング・センターとして認定を受け、研究者向けに可視化(サイエンティフィック・ビジュアライゼーション)のサービスも行なっていた。
※5
筆者も当時JCGLというCGプロダクションで、VAX-11/780を2台用いてCGを作っていた。
ロン・コッブの参加
スタッフは新たに集められたが、『トロン』の完成後は、トリプルアイのメンバーの多くもこちらに移ってきた。
異色だったのは、アート・ディレクター/メカデザイナーのロン・コッブが、社員として参加していたことだ。彼は、アニメーター、風刺漫画家を経て、映画のコンセプトデザイン、エイリアンデザイン、メカデザインなどを担当していた人物で、代表的な仕事に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)に登場するデロリアンがある。
彼は、『エイリアン』(79)に登場する宇宙船ノストロモ号の、外観と船内デザインも担当していた。そしてコックピットに表示される、モニターグラフィックスを制作してくれるプロダクションを探していた時、ホイットニー・ジュニアに出会う。
結局トリプルアイは、『エイリアン』には参加していないが、コッブとホイットニー・ジュニアは友人となる。そしてこれが縁となって、デジタル・プロダクションの設立に参加することになった。
コッブは『スター・ファイター』において、スターカー、ガン・スター、スター・リーグの格納庫、フロンティアの防衛線、コ・ダン旗艦、コ・ダン戦闘機といったメカをデザインし、同時に非常に精密な三面図(※6)も描いた。
これらの宇宙船には、50万~500万ポリゴン以上が使用されている。今では何でもない数字だが、当時では驚異的だった。
またコッブは、月や惑星などのテクスチャー素材のペイントも担当していた。さらにデジタル・プロダクションの仕事だけではなく、映画全体の美術監督も担っていたため、グリッグやザール、さらにスター・リーグに集まった異星人たちの、特殊メイク用デザインも手掛けている。
※6
コッブは普段の映画でも、そのまま美術スタッフが使える水準の図面を描いているので、特に苦痛は感じなかったようだ。
レンダリング
CGは約300ショット、トータルで25分間を越え、解像度は6,000×4,000画素で、Cray X‑MPでも1フレームに平均120秒のレンダリング・タイムを要した。
しかし、世界最速のマシンを使っているとは言え、グラフィックスに最適化された機械ではない。
何より、光の反射や屈折、影といった現象を求めるレイ・トレーシング・アルゴリズムは、光線ごとに独立して計算を行なうため、ベクトル型スーパーコンピューター(※7)には不向きだった。
ちなみに本作で用いられた、スキャンライン・アルゴリズムでも影の計算は可能であるが、作業効率を優先させるため、シャドウイングは行なわれていない。
また、「ミニチュアに比べて、宇宙船などの質感が単純だ」という批判もあった。本作でも、テクスチャー・マッピングやバンプ・マッピング、そしてポリゴンの頂点ごとの色指定(頂点間がグラデーションになる)などを用いて、汚れや経年変化、戦闘によるダメージなどを、それなりに表現している。
だが、当時のCGは照明モデルが局所的で、光の拡散や相互反射といった大域照明の要素を扱えなかった。そのため、どれだけテクスチャーを貼っても、光の当たり方が単純化され、結果として“新品の金属のような質感”に見えてしまうという限界があった。大域照明の研究が進み、実制作に導入されるのは90年代以降である。
※7
結局、ベクトル型スーパーコンピューターを採用した米国のCGプロダクションは、デジタル・プロダクションだけだった。しかし筆者は88~92年に、富士通においてベクトル型スパコンのVP-200を用いてCG制作を行なっている。この時は、レイ・トレーシング専用に英INMOSの並列型プロセッサーであるTransputerを併用していた。
爆発の表現
戦闘シーンをCGで描く上でネックとなったのは、宇宙空間における爆発の描写である。
デジタル・プロダクションは、『2001年宇宙の旅』(68)の続編である、『2010年』(84)のCG制作も受注していたため、クレイグ・アプスンのような流体シミュレーションの専門家も雇っていた。
これは『2010年』のクライマックスで、木星が恒星化するという描写のためで、流動する木星表面を2D上で計算し、球体にテクスチャー・マッピングしている。
しかし、宇宙空間でリアルな爆発を表現するには、3Dの流体シミュレーションとボリューム・レンダリングが必要だ。こういった技術が実用化されるのは、2000年代に入ってからになる。
そこで、ケヴィン・パイクをスーパーバイザーとする特殊効果チームが、黒バックで本物の火薬を爆発させ、35mm 8パーフォレーションのビスタビジョンカメラで高速度撮影した。そしてこの素材は、フィルムスキャナーでデジタル化され、CG映像とコンポジットされている。
間に合わなかったデジタル・オプチカル・プリンター
デジタル・プロダクションは、この映画向けにフィルムレコーダーも自社開発した。そして同時に、デジタル・オプチカル・プリンターの開発も進めていたのだが、こちらは締め切りまでに完成できないと判断された。そのため、グリーンバック撮影されたシーンは、光学合成で処理することになる。
そこで急遽、アポジー社で『スター・トレック』(79)や『ファイヤーフォックス』(82)などの合成を手掛けたロジャー・ドーニーに、本作のオプチカル・スーパーバイザーが依頼された。
彼はアポジーの他に、ヴァン・ダー・ヴィア・フォトエフェクツ、パシフィック・タイトル&オプチカル、ハワード・アンダーソン・カンパニーなどの工房に合成作業を分散させ、何とか公開日に間に合わせている。
公開と日本への影響
本作は米国で84年7月13日から公開され、筆者はミネソタ州ミネアポリスの劇場で鑑賞している。これは、CGの学会であるSIGGRAPH’84が、この地で開催されていたからだった。
筆者は、JCGLとマッドハウスで手掛けた、長編アニメーション『SF新世紀/レンズマン』(84)のCG/VFXのスーパーバイザーを担当していたが、このSIGGRAPH’84でもダイジェストが上映されている。
そして、デジタル・プロダクションのデモも同時に上映された。ホイットニー・ジュニアとディモスにも、この学会のパーティーでお会いしている。
日本国内では、東宝東和の配給で85年4月20日に封切られている。「現実では冴えない主人公が、ゲーム的世界で才能を発揮し、英雄化する」というフォーマットは、『トロン』にも共通するもので、小説「エンダーのゲーム」のように、80年代SFによく見られたモチーフだ。
つまり、当時はアーケードゲームとコンピューター文化が急速に普及し、“ゲーム的世界での自己変容”が物語の重要なテーマとなっていた。
この物語類型は、後に「異世界転移系」や「なろう系」と呼ばれる作品群に見られる要素を先取りしていたと言え、現在の日本で活躍しているクリエーターにも影響を与えたのは確実だ。
実際、活動を始めたばかりのガイナックスを筆者が訪問した際、庵野秀明さんが本作を絶賛しており、その熱量は今でも鮮明に覚えている。
公開後のできごと
ロリマー社は、89年にワーナー・コミュニケーションズ(現ワーナー・ブラザース・ディスカバリー)に買収された。そしてこのことが、DVDなどのソフト化を遅らせる原因となった。なぜならこの作品は、ユニバーサル・ピクチャーズも共同製作として出資しており、権利の半分を所有しているからだ。
また、何度も続編やリメイクの企画が持ち上がるも、ワーナー、ユニバーサル、そして脚本を書いたベテュエルの三者が、それぞれ権利の保有を主張しているため、現時点でも平行線のままである。
したがって今回の『スター・ファイター コレクターズ・エディション』のBlu-ray発売は、奇跡のようなチャンスかもしれない。ぜひ、このタイミングを逃すことがないようにしたいものだ。
























