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世界初の半球IMAXドーム×総天然色×完全3D! 伝説の「富士通パビリオン」秘話

花の万博の富士通パビリオン

1985年に開催された「国際科学技術博覧会(つくば万博:Expo'85)」と、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会(花の万博:Expo'90)」において、最高人気だったのが「富士通パビリオン」だ。ここの目玉展示は、ドームスクリーンにIMAXフィルムを用いた立体映像を投影するというものだった。

これは「奥行きがある」「飛び出して見える」という、ありがちな3D映画的表現を遥かに超え、空間全体が映像になってしまったような効果を実現させていたのだ。

しかし当時を体験していない若い方には、その雰囲気が分からないだろう。そこでなるべく詳細に、その内容と制作工程をお伝えしたい。

「富士通パビリオン」記念パーティー

2023年10月28日のハロウィンでごった返す渋谷の街。

喧噪から少し離れた場所に、文化総合センター大和田という施設がある。ここのベルマーレカフェ渋谷を貸し切って、「THANKS FOR THE MEMORIES 1983~2023」と題したパーティーが開催された。

主催者は、つくば万博と花の万博の「富士通パビリオン」において、CGスタッフを務めたダグラス・ラーナー氏。パーティーの題名にある“1983”とは、ラーナー氏がつくば万博のために初来日した年のことで、以来40年間も日本で暮らしている。今回のパーティーには、当時のスタッフの多くが参加した。

ダグラス・ラーナー氏
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏
「THANKS FOR THE MEMORIES 1983~2023」パーティーの参加者

つくば万博・富士通パビリオン

「富士通パビリオン」とはどのようなものだったのか。

まず、つくば万博の場合だが、傾斜式ドームスクリーンに魚眼レンズで70mm 15パーフォレーションの映像を投影するOMNIMAX(その後IMAX Domeと改名)を3D化した、OMNIMAX 3D方式を用いていた。

OMNIMAXシアターの構造

今でこそIMAXと言うと3Dのイメージが強いが、IMAX社が手掛ける立体映像はこれが最初だった。もっとも研究自体は1977年から始まっており、NFB(カナダ国立映画制作庁)や、カナダのウォータールー大学のモーリス・コンスタントによって、OMNIMAXの映像を立体化する共同研究が行なわれている。

やがて開発のリーダーはコンスタントから、アメリカのLLNL(ローレンス・リバモア国立研究所)の応用物理学研究者であるネルソン・マックス博士(現・カリフォルニア大学デービス校教授)に引き継がれる。

ネルソン・マックス博士
2023年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

マックス氏は、ドーム・ディストーション(ドームスクリーンに投影した際の像の歪み)を補正するアルゴリズムを1979年に開発し、さらに1981年に立体化のアルゴリズムも完成させて、CGの学会であるSIGGRAPHの会報で公開した。また1982年に、日本コンピュータ・グラフィックス協議会が主催するNICOGRAPHにおいて、論文発表も行なっている。

「ザ・ユニバース」

電通の加藤圓プロデューサーと富士通の角文雄氏は、マックス氏が開発した技術をつくば万博の富士通パビリオンに採用する計画を立て、コンピュ-ティング・ディレクターとして彼を日本に招く。

そして彼の推薦で、分子動力学シミュレーションのプログラマーとして学生/研究アシスタントだったラーナー氏も来日。こうして世界初のOMNIMAX 3D作品となる、「ザ・ユニバース」(We Are Born of Stars, 1985)のプロジェクトが始まった。

つくば万博の富士通パビリオン

監督を務めるのは太陽企画の柳瀬三郎氏と、IMAX社の創業者の1人で社長のローマン・クロイター氏だ。

柳瀬三郎氏
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏
ローマン・クロイター氏
2005年、筆者撮影

ストーリー(※1)は、恒星内部での核融合で様々な元素が作られ、それが超新星爆発によって宇宙空間に撒き散らされる。やがてそれらの原子は互いに結び付き合い、水分子が生まれ氷となる、氷は隕石と共に原始の地球に降り注ぎ、アミノ酸からDNAが組み上がっていき、最終的に生命が生まれる……というものだった。

作品は11分全編がフルCG(※2)になっており、富士通とトーヨーリンクス(※3)の2社で手掛けることになった。

富士通は、太陽の表面と内部の核融合反応、水分子から氷の結晶への相転移、DNAの分子が徐々に複雑なラセン構造を作っていき、最終的に染色体へとなるシーンなど、分子動力学シミュレーションを必要とするパートを担当している。

主要マシンとして、超大型汎用コンピューター(メインフレーム)の「FACOM M380」を2台用いた。

太陽内部の核融合反応(ステレオペア)
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス
水分子から氷の結晶へ相転移する様子(アナグリフ・イメージ)
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス
DNAが染色体を形作っていく過程
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス

一方、オープニングの人物、銀河、超新星爆発、土星、隕石、原始の地球、水中、ラストの生命賛歌などは、トーヨーリンクスが担当。

同社は、メタボール(※4)によるモデリングとレイ・トレーシング(※5)によるレンダリングを可能にした、並列コンピューター「LINKS-1」システムを開発していた。

トーヨーリンクスが担当した土星(アナグリフ・イメージ)
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス

※1
元々は、クロイター氏と「ザ・ユニバース」にも参加しているNFBのコーリン・ロー氏が共同で監督した科学教育映画「宇宙」(Universe, 1960)のストーリーがベースになっている。トロント大学の天文学者ドナルド・マクレイの研究活動を柱に、驚異的なリアリティの特撮映像で宇宙の神秘を描き出すという内容だった。

この「宇宙」に、特に高い評価を与えていた人物が、映画監督のスタンリー・キューブリックである。彼は当時、「2001年宇宙の旅」(1968)のストーリーとイメージを固めるために、ありとあらゆる映像を見まくっていた。そして特に目を付けたのが、「宇宙」で、プリントを数本ダメにしてしまったほど繰り返し見たそうである。

そして実際にこの作品のスタッフは、初期の「2001年…」の企画・デザインに参加している。しかしNFBのスタッフは、Expo'67「ラビリンス」パビリオンの仕事に集中するため、この作業は短期間で中止され、特撮を担当したウォーリー・ジェントルマンだけが残されて映画後半の星雲のイメージを作っている(しかしキューブリックの威圧感で内臓を壊し、途中で離脱した)。

Universe

※2
実写の場合、OMNIMAXは魚眼レンズで撮影することから、LR互いのカメラが映り込んでしまうため不可能、と当時のマックス博士の論文には書かれていた。

※3
トーヨーリンクスとは、映画プロデューサーの山本又一朗が、大阪大学工学部の大村皓一らによって開発された並列処理によるグラフィック・プロセッサLINKS-1システムを使ったプロダクションを計画し、東洋現像所(現IMAGICA GROUP)と山本のフィルムリンク・インターナショナルの共同出資という形で、1982年に設立された会社である。1988年にはリンクス・コーポレーションと改名され、現在はIMAGICA Lab.に統合されている。

※4
メタボールとは、滑らかな自然物の形状用に開発されたCGのモデリング技術。空間中に置かれた複数の点に対し、それぞれ電荷(重み)を定義し、それらの電界強度の等しい点が作る曲面によって、物体の表面を表す手法。

※5
レイ・トレーシングとは、視点からスクリーン上の1つの画素を通って物体に向かう光線を考え、その光線の反射、透過、屈折を追跡する。そして予め定義された物体の属性とその環境から、注目画素の色を決定する。以後、この作業を全画素に対し行なっていくことにより、CG画像を完成させる手法。

ドームスクリーンによる立体映像

パビリオン内の「コスモドーム」と名付けられた全天周立体映像ホールでは、直径20mの半球状スクリーンが29度傾斜して配置された。

「ザ・ユニバース」の上映イメージ
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス

なぜ、ドームスクリーンに立体映像を投影する必要があるのか。

通常の四角いフレームに表示される映像では、常にフレーム内に映像が納まっていないと、正しく立体視ができない。そのため運動の方向や、物体の大きさ、前後の奥行き感などが、著しく制限されてしまう。

フラットスクリーンにおける3Dの問題
立体視可能な領域は、スクリーンの4つの角と目を結んだピラミッド状の空間のみ

しかし、きちんとドームスクリーンに立体映像が投影されると、様々な立体視の制限から解放される。

ドームスクリーンでは立体視を妨げるフレームから解放される

そのため巨大な物体を手前に出現させたり、スクリーンから飛び出してきた物体が観客の頭上を通過して後方まで飛んでいったり、真横から伸びてきた物体が反対側へ抜けていったりという、本当に没入感のある映像が表現できるのだ。

実際に「ザ・ユニバース」では、DNAが複雑に捻れながらタワーのように頭上に伸びて行くという、これまでにない映像体験を実現させた。当然、奥行き感もあるため、実際のドームのサイズよりも大きく拡がって感じられる。

複雑に捻れながら、頭上高く伸びて行くDNA。通常の3D映画では得られない経験
(C)1985 富士通/IMAX/電通/トーヨーリンクス

特に人々に強い印象を残したのが、観客の周囲を漂う水分子の表現だった。

子供たちは、キャッキャ、キャッキャと騒ぎながら、手を伸ばしてそれらを掴もうとし、何かに触れたような印象を語る人もいる。筆者も、一瞬自分の目に何かが当たったような錯覚を感じたくらいだった。結果、1985年3月17日から9月16日まで筑波研究学園都市で開催された、つくば万博の最高人気パビリオン(※6)となり、連日長い行列ができていた。

ただしこの当時、ドームスクリーンに偏光方式を用いると、偏光が崩れて立体視ができなくなる(※7)と説明されていた。そのため「ザ・ユニバース」はモノクロで作成され、アナグリフ(赤青)方式で上映されている。(※8)

富士通パビリオンで使用されたアナグリフ眼鏡

だが、アナグリフ方式を選択したおかげで、横浜こども科学館(現・はまぎんこども宇宙科学館)の「宇宙劇場」(※9)や、パリのシテ科学産業博物館の「ラ・ジェオード」などといった、既存のOMNIMAXシアターに配給され、そのまま3D上映された。

さらに「大阪ビジネスパーク」に仮設の上映館が設けられた他、フラットスクリーン用35mm版のアナグリフ・プリントも作られ、数多くの博覧会で公開されている。

海外版ポスター。水分子を掴もうとする子供たちが描かれている

※6
映像だけでなく、樋口康雄氏が担当した音楽も素晴らしかった。樋口氏は、現代音楽からポップス、手塚治虫総監督による長編アニメ映画「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」(1980)などの映画音楽、テレビ番組、舞台、CMなど多方面で活躍されている作曲家で、本作でも映像にピッタリと音をシンクロさせている。

※7
現在では、少なくともハーフドーム(視野の前方のみに映写されるタイプ)なら、偏光フィルターで問題なく立体視できることが確認されており、実際にテーマパークなどで用いられている。フルドーム(視野の後方まで完全に覆うタイプ)の場合は、Dolby 3Dと同原理のInfitecフィルターを使用する方式が使われている。むしろOMNIMAXを3D化する上で最大の障害となったのは、シアターの中心部に2台のプロジェクターを収める方法が、この当時では見付からなかったというのが真相だろう。

※8
その後IMAX社は、2台のIMAXカメラを垂直L字型リグに搭載して撮影。上映は2台のIMAXプロジェクターを横に並べて、フラットなシルバースクリーンに投影するという、IMAX 3Dシステムを開発。完全なフルカラーの立体映像を可能とした。

同社は、御膝元であるカナダのバンクーバーで1986年5月2日~10月13日に開催された「国際交通博覧会」(Expo'86)において、カナダ・パビリオンの3D映像を手掛けることになった。上映された作品は、NFBが制作した「Transitions」(1986, 監督: トニー・イアンツェロ/コーリン・ロウ)である。つまり平面スクリーンのIMAX 3Dは、OMNIMAX 3Dの後に開発されていることになる。

※9
現在OMNIMAXのシステムは撤去され、「宇宙劇場」は「プラネタリウム」へ表記が変更されている。

富士通パビリオンの印象

ではこの当時、筆者が何をしていたかというと、JCGL(コンピュータ・グラフィック・ラボ)というCGプロダクションでディレクターを務めていた。

筆者
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

JCGLでは、つくば万博において「みどり館」「つくばエキスポセンター:コズミックホール」「講談社ブレインハウス」の3館を請け負っていたが、筆者の担当は万博とは無関係のチームだった。

しかし、博覧会の開催が間近に迫っていた年末、みどり館の5面マルチ映像「バイオ星への旅」が、ほぼ全面的にリテイクとなる。そこで筆者が緊急に呼び出されたのだが、社内のCPUリソースは他のパビリオンの作業で完全に埋まっていた。仕方なく社外の機材だけを用い、正月休み返上の突貫工事で、「バイオ星への旅」を何とか間に合わせる。

だが、パビリオンとしての構想自体が弱く、大いに不満が残る仕事になってしまった。そんな時に富士通パビリオンを見て、あまりの素晴らしさに愕然としたのである。その一方で「なぜアナグリフなのか?」という点に納得がいかなかった。「ドームスクリーンでは偏光が崩れてしまう…」という説明も疑問で、解決策はすぐに思い付いた。

その解決策とは、液晶シャッター眼鏡を用いるアイデアで、今の映画館で言えばXpanD方式のような方法だ。液晶シャッター眼鏡自体は、当時から「立体VHDプレーヤー」(※10)などに採用されており、けっして珍しいものではなかった。そこで、いくつかの学会やセミナーで自説を発表してみたのだが、「あのIMAX社ができないと言っているのだから、不可能に決まっているだろう」と、まったく聞く耳を持ってもらえない。

筆者はこのアイデアをCG雑誌に投稿したところ、富士通の角文雄部長から誘いを受ける。実は、IMAX社でも同様の案が計画されているという。ちょうど同じころ、JCGLがナムコ(現・バンダイナムコグループ)に買収される話が持ち上がり、ゲームの分野には進みたくなかった筆者は、塩沢敏明氏(※11)や岡野秀樹氏(※12)らと共に富士通に入社。花博システム部に所属することになった。

塩沢敏明氏
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏
試写用のラッシュフィルムを編集する岡野秀樹氏
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

※10
VHD(Video High Density Disc)は、レーザーディスク(LD)に対抗する形で、日本ビクター(現JVCケンウッド)が中心となって開発し、1983年に発売されたビデオディスク規格。最初は15社ものメーカーが参加してLDを圧倒していたが、形勢は徐々に逆転してしまう。

そこで日本ビクター、シャープ、松下電器産業(現パナソニック)、東芝などは、VHDのシェア奪回を狙って「立体VHDプレーヤー」を1986年に発売する。液晶シャッター方式を、コンシューマー向けで初めて採用するもので、1986~1987年に日本ビクターから発売された専用ソフトも、フルカラーで立体視できる世界初の商品となった。

※11
塩沢氏は「タイタニック」(1997)や「アバター」(2009)のCG制作にも参加している。
参考記事:「タイタニック」の海は国防省向け物理シミュレータで!? CGスタッフが明かす秘話(2023年2月掲載)

※12
岡野氏は現在DNEG(Double Negative)に勤務しており、「ブレードランナー 2049」(2017)や「DUNE/デューン 砂の惑星」(2021)、「デューン 砂の惑星PART2」(2024)などのVFXを手掛けている。パーティー当日はバンクーバーにいたため、オンライン参加となった。

「ユニバース2~太陽の響~」のスタート

こうして1988年から、花の万博において富士通パビリオンの映像「ユニバース2~太陽の響」(Echoes of the Sun)の制作が開始された。

ラーナー氏はつくば万博の後も日本に残っていたため、今回も参加し、テクニカルディレクターを務めることになった。柳瀬氏は、他の博覧会の仕事もあったため、ナレーションなどを担当する協力監督という立場となり、監督はクロイター氏と再来日したマックス博士が務めた。音楽は再び樋口康雄氏が担当している。映像全体の尺は20分となり、半分がアンドリュー・キザヌクを撮影監督とするIMAX社によって実写で作られた。

オペレーションルームで画像をチェックするクロイター氏(左)とマックス博士
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

CGパートは富士通が単独で手掛けている。物理シミュレーションやレンダリングには、スーパーコンピューターの「FACOM VP-200」が専用で与えられた。その他ワークステーションには、サンマイクロシステムズ SPARCstationのOEMであるFUJITSU Sシリーズが使用され、モーションデザインには、E&S社のPS-390が使われた。

オペレーションルームで、ストーリー会議を行なうメインスタッフ。左から塩沢敏明氏、マックス博士、山藤真二氏、岡野秀樹氏、林伸彦氏、筆者、クロイター氏。写真を撮っているのがラーナー氏なので、ここには写っていない
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

ただし水滴が滴り落ちるショットでは、反射・屈折を伴うメタボールの表現が必要となった。そこで、富士通研究所内に別チームを立て、開発に当たってもらった。しかしVP-200はベクトル型スーパーコンピューターであるため、レイ・トレーシングは不向きだった。

メタボールで表現された水滴
(C)1990 富士通/IMAX

そこで英インモス社のトランスピューターを導入して、並列処理を行なうことになった。レイ・トレーシングは、筋原繊維のアクチンフィラメントとミオシンフィラメントにも用いられている。

トランスピューター。小笠温滋氏提供

ストーリー

脚本はクロイター、ロー、マックスの3氏によってまとめられた。まず、パペットのカメレオン、イモムシ、テントウムシたちが登場し、太陽の光によって、生物が動く仕組みを観客に問い掛ける。

パペットのカメレオンとテントウムシ(ステレオペア)
(C)1990 富士通/IMAX

観客は、ブドウの実から落ちた水滴(ここからCG)の中に入って行き、水分子の挙動を見る。水分子はブドウの根から吸収され、猛スピードで道管を上昇して葉の細胞に辿り着く。

ブドウの根の先端
(C)1990 富士通/IMAX
道管を猛スピードで上昇していく水分子
(C)1990 富士通/IMAX
葉の細胞
(C)1990 富士通/IMAX

そして、気功が取り込んだ二酸化炭素と共に葉緑体に向かい、太陽から降り注ぐ光子によって光合成が始まる。こうして高エネルギーを持つATP(アデノシン三リン酸)が生成され、さらにいくつもの酵素反応を経てブドウ糖が作られる。このブドウ糖は篩管を通って、ブドウの実に蓄積される。

葉緑体内部のチラコイドディスク
(C)1990 富士通/IMAX
チラコイドディスクの内部で光合成が生じる
(C)1990 富士通/IMAX

シーンは再び実写になり、ブドウの実を食べるアライグマが登場。こうして後半部の動物編になる。

ブドウの実を食べるアライグマ
(C)1990 富士通/IMAX

画面は再びCGとなって、赤血球と共に血管内を流れるブドウ糖が筋肉細胞に入って行く。そして光合成と逆の反応が始まり、酵素の働きによってATPなどの物質に分解される。ATPは筋原繊維に到達し、アクチンフィラメントとミオシンフィラメントに滑り込み運動を生じさせ、筋肉全体が収縮する。

筋肉細胞に入った糖が、酵素の働きによってATPなどの物質に分解される
(C)1990 富士通/IMAX
筋原繊維。ピンク色がアクチンフィラメント。赤いのがミオシンフィラメント
(C)1990 富士通/IMAX

このミオシンフィラメントの動き(ミオシンヘッドと呼ばれる箇所が首振り運動をしている)は、鼓童による太鼓の演奏へとディゾルブする。さらに様々な人々(ジャグラー、新体操、太極拳、枕投げをする子供など)が実写で登場し、筋肉が動くということの素晴らしさを伝えて物語は終わる。

IMAX SOLIDOシステムの採用

映像はフルカラーの立体映像となり、新たに「IMAX SOLIDO」というシステム名が与えられた。3D眼鏡はワイヤレスの液晶シャッター方式になり、点滅周波数96Hz(左右交互に毎秒96回ずつ点滅させ、同じフレームを4回映写してから1コマ送る方式)で、目障りなフリッカーの除去に成功した。

実写撮影に関しては、LR互いのカメラが映り込んでしまうため、前作では不可能と考えられていた。しかし、Expo'86用に開発されたIMAX 3Dカメラでは、この問題を回避。魚眼レンズではなく、あえて40mmのワイドレンズ(※13)を使用。歪みが予想された周辺部は、照明を暗くしたり、ディテールを不明瞭にすることで、気にならないようにしたのだ。(※14)

Expo'86用に開発されたIMAX 3Dカメラ。「ユニバース2」でも、これと同じ物が使用された

ただし映写時は、「ドームシアターの中心にプロジェクターが置かれなければならない」という問題もある。

そこで、1つの筐体に2つのレンズを持ち、LR 2本のIMAXフィルムを同軸ツインローターで映写するプロジェクターの開発が行なわれた。そのためレンズは左右ではなく、上下に配置させている(※15)。そして、劇場用としては初めて液晶シャッター眼鏡が採用され、赤外線パルスによるワイヤレス駆動を実現させた。

IMAX SOLIDOシアターの構造
IMAX SOLIDOプロジェクターのレンズ部分。縦に2つのレンズが並んでいる
パビリオン工事中の1989年に筆者撮影
液晶シャッター眼鏡

スクリーンの材質も改良されている。通常ドームシアターでは、スクリーン自体による相互干渉によって、彩度やコントラストが低下する問題があった。

そこで、穴あきアルミパネルにアルミの粉末をコーティングし、標準OMNIMAXの5倍の反射率を持つ、高利得スクリーン素材が開発に成功する。こうして完成した直径24mのドームスクリーンが、28度傾斜して配置された。

※13
IMAXフィルムカメラでは80mmが標準レンズになっている。

※14
その後IMAX社は、フラットスクリーン用に制作した作品をOMNIMAX(IMAX Dome)で上映することが増え、2D作品であっても魚眼レンズで撮影することは減少していった。実際に鑑賞してみると、歪みはさほど気にならない。

またIMAX 3Dカメラ自体も改良され、韓国で1993年8月7日~11月7日に開催されたテジョン世界博覧会の「人間と科学館」で上映された「Imagine」(監督: ジョン・ワイリー)では、1台の筐体に2つのレンズをサイド・バイ・サイドで配置し、2本のフィルムを搭載するIMAX SOLIDOカメラが考案された。以降デジタル化されるまで、IMAXの3D作品はこのカメラが使用されている。

※15
IMAX SOLIDOのドームスクリーンにおいて実際に投影される範囲は、水平方向160度、垂直方向123度である。これは通路腰壁や座席設置など、劇場建築の事情と関係している。

映像デザインとレンダリング

映像のデザインは、まずロー氏によってコンセプトアートが描かれた。しかしヘッドデザイナーとなった筆者は、ロー氏のデザインに納得がいかなかった。それまでの科学教育映像に用いられるCGは、抽象化もしくは模式化されることがほとんどで、ロー氏の案もそういう感じだったのだ。

コーリン・ロー氏が描いた植物の道管内のコンセプトアート

だが筆者は、JCGLにいたころから、科学雑誌や図鑑に掲載される精密でリアルな想像図を、その質感のまま3DCGで動かしてみたい夢を持っていた。

そこで、脚本に登場する植物や動物の組織を描いたイラストを、一般書から学術書まで大量に集め、コピーを取って並べてみた。すると筋肉細胞に関するイラストが、「この絵はここからの引き写し…」といったことを追跡できた。

結果として、人間の筋線維とされていた図が、元はウサギのものだったということが分かり、間違いを繰り返さずに済んでいる。結局、資料用にシネ・サイエンス社(現アイカム)に、新しく組織の顕微鏡写真を撮影してもらい、そこからデザインを始め、コンセプトアートも全て描き直した。

根の細胞のスケッチ
筋繊維のスケッチ
筆者が描き直したコンセプトアートの一部

だが、そのデザインを実現させるにはCGツールを開発しなければならない。当時もウェーブフロント・テクノロジー社のPersonal Visualizerという元祖DCCツール(統合型3DCGソフト)が発売されていたが、あくまでもUNIXワークステーションを対象としていた。

しかし、VP-200では動作しない上、ドーム・ディストーションも必要とされる。そこで基本となるアルゴリズムから、新たに考案する必要があり、マックス氏や富士通SSLの亀田慶一氏らによって、まったく新規にレンダラーが書かれることになった。

亀田慶一氏
1988年撮影。画像提供:ダグラス・ラーナー氏

一番問題となったのが、3D映像が正しく出来ているか、チェックする方法だ。そこで富士通社内に、魚眼レンズを装着した35mmプロジェクター2台と、小型のドームスクリーンを設置した特別試写室を作成。しかし、実際のドームとはサイズが異なるため、設計通りには見えないことが判明してしまう。

富士通社内に小型のドームスクリーンを設置した特別試写室
画像提供:ダグラス・ラーナー氏

結局、通常のOMNIMAXシアターを借りて、2Dやアナグリフでチェックを行なうことになり、さらにカナダのIMAX本社まで出向き、開発中のIMAX SOLIDOプロジェクターで試写を実施。そして、パビリオンがある程度出来上がった段階では、大阪まで行って最終試写を行なった。

工事中のパビリオンで行なった最終試写
画像提供:ダグラス・ラーナー氏

結果として、当時としては相当にリアリスティックな映像(※16)が作られた。今でこそNHKやBBC、ナショナルジオグラフィック、ディスカバリーチャンネルなど、多くの科学ドキュメンタリーでフォトリアルな生物のCGが用いられているが、この「ユニバース2~太陽の響~」はその先駆けだったと言える。このことは、SIGGRAPH’89において「ユニバース2」のクリップが、特別に3D上映されたことでも実感することができた。

※16
CG制作のスタッフとして、富士通社員で筋肉シーンの担当だった林伸彦氏は、現在NHKアートの部長として「チコちゃんに叱られる!」などを手掛けている。

葉の細胞の担当だった山藤真二氏は、山陰中央テレビからの出向として参加しており、現在はslantedというプロダクションのエグゼクティブ・プロデューサーを務めている。

また現在、「GODZILLA 怪獣惑星」(2017)や「GAMERA -Rebirth」(2023)の監督である瀬下寛之氏(現Studio KADAN 代表取締役副社長)も、日本電子専門学校からの学生アルバイトとして参加していた。

公開とその後のIMAX社

完成した作品は、1990年4月1日から9月30日に大阪の鶴見緑地で開催された花の万博で公開され、つくば万博と同様に最高人気のパビリオンとなった。

その後、1991年5月19日に船橋の「ららぽーと富士通パビリオン」が仮設劇場として設置され、1992年に開催されたセビリア万博の富士通パビリオンでも公開されている。さらに常設館として、幕張の富士通ドームシアター(1992〜2002)と、フランスのテーマパークである「フュテュロスコープ」「Le Solido」(1993~94, 1999年に再公開)でも公開された。

その後IMAX社は、全面的にIMAX 3Dに力を入れて行き、現在のデジタル化されたIMAXシステムへと繋がっていく。しかしIMAX SOLIDOは、その後ラスベガスのシーザーズパレス・フォーラムショップスに設けられた「Race for Atlantis」(※17)(1998~2016)に採用されただけで終わってしまった。システムのコストが高過ぎる点や、ドーム3Dコンテンツ制作の難しさが問題になったのだろう。

だが現在であれば、エクイレクタングラー、キューブマップ、ドームマスターなど、CGでドーム映像を生成する技法がいくつも開発され、困難さは激減している。また、プロジェクターや3D眼鏡も、光を波長別に6バンドに分割し、交互に左右に振り分けるInfitecフィルター方式が普及しており、特別なプロジェクターも必要なくなっている。

世の中には「3D映像が大好きだ」という人が一定の割合でいると思うが、人生のどこかで、今回紹介した「ザ・ユニバース」や「ユニバース2~太陽の響~」を体験した人も、少なくないのではないだろうか。

しかし現在、この両作品を鑑賞する方法はない。かろうじて「ユニバース2」だけは、米国版DVD「The Hidden Dimension」の特典映像として収録されているが、3Dではない。このあたりが特殊なフォーマットを持つ展示映像の保存の難しさで、後世の人が鑑賞することを非常に困難にしている。この問題に関しては、別の機会で掘り下げてみたいと思う。

特典映像として「Echoes of the Sun」(ユニバース2~太陽の響~)を収録している、米国版DVD「The Hidden Dimension」

※17
6軸駆動27人乗りのモーション・ベース4台によるシミュレーションライド・シアターで、映像は直径25mのドームスクリーンに、IMAX SOLIDOプロジェクターを用いた3D映像が映写される。内容はアトランティス伝説を元にしており、チャリオット(2輪馬車)に乗って、ネプチューンやチャストゥリアスと幻想的なレースに参加するという設定で、映像はリズム&ヒューズ・スタジオがフルCGで制作していた。

大口孝之

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、機関誌「映画テレビ技術」、WEBマガジン「CINEMORE」、劇場パンフなどに寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。