西田宗千佳のRandomTracking
第570回
実写版『幽☆遊☆白書』はいかにして生まれたか。ハリウッドのVFX制作現場で見えた新しい形
2023年12月13日 21:00
12月14日から、Netflixは実写ドラマ版『幽☆遊☆白書』の配信をスタートする。
『幽☆遊☆白書』は、言わずと知れた大ヒットコミックの1つ。1990年代を代表する作品の1つと言っていいだろう。
コミックの実写ドラマ版は品質が伴わず、なかなかヒットしないものが非常に多かった。近年、ようやく変化の兆しが見えてきたが、中でも、記憶に新しいのがNetflix版『ワンピース』の成功ではないだろうか。
『幽☆遊☆白書』はこれに続くことができるのだろうか? ハリウッドでCG制作の現場を取材した。
実写版『幽☆遊☆白書』はどのように作られているのか、そして、それは「コミックやアニメの実写化」にどのような影響を与えているのだろうか。
「撮影の制約」を減らすためにCGを活用する
『幽☆遊☆白書』は、いわゆるバトルアクション系の作品である。
原作を忠実に再現するには、CGをはじめとしたVFX(特殊効果)の活用が必須だ。それはなにも、爆発やキャラクターの攻撃といった要素だけに関わるわけではない。
『幽☆遊☆白書』の撮影は大半が日本国内で行なわれた。そのうちスタジオ設置を使ったものの多くは、Netflixが東宝スタジオと契約して借り受けている第7スタジオなどで撮影されている。
2022年7月に筆者は、「写真などの撮影は一切NG」という条件で、本編撮影中(正確には、撮影の合間の休憩中)のスタジオセットを見学したことがある。
スタジオには、「ほぼ石にしか見えないが実際にはウレタン製の小石」がばら撒かれていた。理由は、リアリティを出演者が本気で演技してもらうためだ。
だが関係者に質問すると、「それでも、スタントとCGはかなり使う予定」だというのだ。
「格闘時の体の使い方などは、どうしてもアクション俳優の方が優れていて、キレがあることが多い。そこで、全く同じように演技してもらった上で、必要なシーンで顔など一部のパーツを演者のものに差し替える」処理が行なわれるので、演者・スタント担当ともに全力で演じられる環境が必要だったという。
トレイラーを見ても、派手なエフェクトは目立つものの、そこまで細かくVFXを使っているとはわからないかもしれない。
昔は派手なシーンの再現にVFXが使われていたが、今はもっと多彩なところで「撮影の制約」を減らし、求める作品のクオリティに近づけるために使われる例がほとんどだ。
そのため、制作時には「どんな制約があって、そこでどんなVFXを使うべきか」という判断が必須になる。
それを行なうのがVFXスーパーバイザー。昨今は国内の映画などでも見かけるようになった役職だが、規模の大きな作品ほど重要性は増す。
『幽☆遊☆白書』でVFXスーパーバイザーを担当したのが、数多くの映画でVFXを手掛けてきたScanline VFX社の坂口亮氏だ。
Scanline VFXはドイツの会社だが、世界7都市に拠点を持ち、多くの映画制作に携わっている。2021年にNetflixは同社を買収、傘下に収めたが、今もNetflix専業になったわけではなく、幅広く世界中の映画作品を制作している。同社ホームページから「制作中」作品を見ると、皆さんも気になるアレとかアレも手がけているのがわかる。そしてもちろん、そんな「制作中」作品の1つが『幽☆遊☆白書』である。
坂口氏は『幽☆遊☆白書』のプロジェクトの中でも、冒頭の印象的なシーンを挙げて次のように説明する。
「このシリーズのオープニングでは、カメラがトラックに轢かれて死んでしまいます。そこではトラックがカメラの横を通り、主人公がトラックにぶつかるタイミングとカメラのタイミングを合わせなければなりません。そこで私たちは、トラックのアニメーションを作り、VR環境でカメラのフレーミングの練習をしました。そして撮影当日は、リアルタイムではまだ撮っていないカメラの動きを完全に真似て、撮影しています。そうやって、シリーズ冒頭の非常にタイミングが微妙なショットも再現できたんです。こういう風にリアルタイムCGを使うのは、かなり楽しいですね」。
戸愚呂兄弟を「ボリューメトリックキャプチャ」で再現せよ
Netflixで日本国内におけるコンテンツ制作の責任者を務める坂本和隆氏は、このプロジェクトの中心人物でもある。そして、自身も『幽☆遊☆白書』世代。だから作品には一層の思い入れがある。
コミックの実写化はなかなか成功例が出ない。どうすればいいか、複数の課題がある中、VFXは1つの大きなテーマだった。
「ここまで技術が進化してようやく、『幽☆遊☆白書』を実写で実現できるようになりました。やはり、原作に近いイメージを実現できないと醒めてしまいます。原作を知らない方々にアピールするにも一定の水準が必要なのです」。
坂本氏はそう話す。
そして、『幽☆遊☆白書』で必要なVFXの中でも特殊性が高かったのが「戸愚呂兄弟」の表現だ。
『幽☆遊☆白書』のファンには説明不要かと思うが、戸愚呂兄弟は同作の中心的なヴィラン(悪役)であり、その姿も人間そのまま、というわけではない。
今ならCGで……ということになるわけで、実際、戸愚呂兄弟は多くの部分がCGで再現されている。
だが問題は「表情」だ。
CGでリアルな表情を作るのはなかなか難しい。ゲームなどで見ているように、もちろん作ることはできるのだが、実写の俳優の演技と並べた場合、どうしても差は生まれやすい。
一般的なモーションキャプチャでも、顔にマーカーなどをつけて表情を取り込む「フェイシャルキャプチャ」が使われるが、それだと顔や首のしわ、顔色の変化などは別途再現することになる。実際の演技に比べるとどうしても情報量は落ち、それを補完するには手間も時間もかかる。
そのため、顔以外をグリーンなどのつなぎで覆って撮影し、あとから合成するテクニックも多用されるが、人の形を大きく逸脱しているとそれも大変になってくる。
Scanline VFX・坂口氏も、技術選択の難しさを次のように話す。
「CGでキャラクターを描く技術は多数あり、どの技術にも長所・短所があります。だから単純な答えではない。基本的にはそのショットの要求とのバランスです」
そこで『幽☆遊☆白書』プロジェクトでは、戸愚呂兄弟の描写に新しい技術を使うことにした。
それがScanline VFX内で使われている「ボリューメトリックキャプチャ」技術だ。
ボリューメトリックキャプチャとは、3Dキャプチャ技術の一つ。大量の写真を撮ってそのデータをAIで処理し、3Dのデータに変換することは、CG制作では一般的なこと。今はスマートフォンでもできるようになった。
ただ、一般的な3Dキャプチャと、ここでいうボリューメトリックキャプチャはかなり違う。
ポイントは2つある。動き続けて形が変わる形状とそのテクスチャをそのままキャプチャすること。そして、その精度が高いことだ。
今回は、戸愚呂兄弟を演じる滝藤賢一・綾野剛両氏がハリウッドに渡り、Scanline VFX内のスタジオで「顔に集中」して演技を行ない、それをそのままCG化した。
フェーシャルキャプチャのように表情の動きだけを取り込んで再現したのではなく、目や唇の動きはもちろん、細かなしわや首筋の張り、顔色などを全体に取り込んでいる。そのため、ボリューメトリック・キャプチャを使ったシーンの表情もかなりCGっぽさがない。
Scanline VFX・坂口氏は次のように説明する。
「ボリューメトリックキャプチャから得られる演技は本物です。実際に俳優の演技であり、小さなシワのひとつひとつが動いていて、そこに感情が込められています。キーフレームアニメーションでやろうとしても、この品質に到達できない可能性が高い。実現しようと思えば、クオリティを上げるために何年も何年もかかることになります」
「顔の演技をここまで再現しつつ、戸愚呂兄弟をCGで表現できるVFXスタジオは、残念ながら日本にはなかった」とNetflix・坂本氏も話す。
ボリューメトリックキャプチャを行なうスタジオ内には、150台のカメラとディスプレイで球体内を覆ったブースがある。その中央に演者が立って演技をするわけだが、歩きながらも演技できるよう、全方向に動くトレッドミルも組み込まれている。ディスプレイには、演技中に周囲がどのような状況で、演技をする相手がどこにいるかも表示される。一人での演技にはなるが、そのシーンがどのようなものになるかを見ながら演技ができるわけだ。
それを監督やスタッフは、外から見ながら確認する。時には一緒に中に入ることもあったようだ。監督・スタッフ・キャストはハリウッドのスタジオに2週間ほど入り、演技のボリューメトリックキャプチャを行なったという。
普段は全身で演技をするので、顔に集中して演技するのはちょっと大変だったようだが、綾野氏は次のように話していたという。
「普段は指先まで、全身に気を使って演技をするのに、ここでは顔だけに集中して演技をした。これはある意味で、とても贅沢なこと」。
コロナ禍の葛藤から生まれた「ボリューメトリックキャプチャ」
では、ボリューメトリックキャプチャはどのように生まれたのだろうか?
Scanline VFX内でこの技術の開発がスタートしたのは、2020年のことだという。ちょうどコロナ禍に入り、大規模な撮影が難しくなってきた頃のことだ。
映画は作らねばならないが、従来のように大量のスタッフが集まったり、キャスト全員が移動して撮影したりするのは難しい。
だとすれば、どうしたことができるのか?
そこでスタートしたのが、演技そのものを詳細にキャプチャするボリューメトリックキャプチャの開発だ。
通常のモーションキャプチャと違って動きも詳細にキャプチャできる。もちろん表面のテクスチャや、服のしわなどもそのまま再現できる。これを使えば、少ない人数でリアルな演技をデータ化し、素早く実制作に反映できるわけだ。
カメラは初期には60台でテストしていたが、より詳細なキャプチャができるように数を増やしていき、今は150台を使っている。
カメラにはそれぞれ別々のレンズがついていて、フォーカスも違う。撮影する対象の場所に合わせ、それぞれ全てが調整されているという。
現在は、シーンによっては背景も3D CGで再現されている。Scanline VFXには、LEDを大量に配置した「バーチャルプロダクション」用の設備もある。その前で演技をすれば、現地に行かなくても撮影できるパートは多くなる。
さらに、ボリューメトリックキャプチャでリアルな演技を取り込むことができれば、撮影の自由度はもっと高くなる。
「どちらも本質は同じ。それは演技に没入できること」
Scanline VFX子会社でバーチャルプロダクションなどを担当するEyeline Studiosの最高研究責任者(CRO)であるPaul Debevec氏は、これらの技術の本質をそう説明する。
バーチャルプロダクションはグリーンバックよりも演技がしやすくなるし、ボリューメトリックキャプチャも、フェースキャプチャなどより質の高い演技が再現できる。確かに本質的な変化だ。
大切な「ローカルファースト」と「原作の価値」
当然ながら、『幽☆遊☆白書』でこれだけVFXに力を入れているのは、国際的なプロジェクトだからでもある。
今回の場合、世界各地にあるVFXスタジオ(Netflixインハウス制作を含め、6カ国18社)の協力体制で作られた、非常に大規模なものとなったという。その中でもScanline VFXは中核となった存在だ。
こういう話をすると、いかにもこの作品が「海外の要請によって作られたもの」というイメージを持つかもしれない。
しかし、Netflix・坂本氏は「そうではない」と話す。
「今の企画は完全に『ローカルファースト』です。今のNetflixでの企画は、ほとんどが地域の需要とアイデアから生まれます。それがワールドクラスのヒットになるかは結果次第です」
巷では、Netflixのような外資系サービスのコンテンツは「海外でのヒットを前提に作られる」と考えがちだ。実際Netflixも初期にはそうだった。だが、現在は「ローカルでヒットしなければ世界でもヒットしない」という考え方のもとに、ローカルファーストでのコンテンツ作りが中心になっている。
ただしコンテンツ自体を作る場合には、Netflixが持っている全世界的なリソース・人材・コネクションなどを十分に活用する。Scanline VFXなどを生かしたVFXはその一例だ。
Netflixと言えば、実写版『ワンピース』のヒットが記憶に新しいが、実は『ワンピース』も『幽☆遊☆白書』とは別の形で出来上がっている。
『ワンピース』はアメリカが中心になって企画・制作がスタートしているが、その過程で日本側と綿密な打ち合わせがなされた。原作者の尾田栄一郎氏中心としたチームとともに、どのように作ればファンを納得させられるのか、徹底した作り込みが行われたからだ。
『幽☆遊☆白書』も同様に、ファンをどう納得させ、ファンでない人々にも原作の魅力を伝えられるのか、撮影の前段階で徹底した検討が行なわれたという。
その過程で最初に作られるのが「ストーリーバイブル」だ。これは脚本やキャラクター作りのもとになるもので、まさに作品の根幹をなすもの。全スタッフが共有し、全てがここに書かれている基本に従って作られる。
「アニメと実写は同じものではありません。物語の展開も原作通りではありません。しかし、これだけのファンがいる原作では、改変する上でも、原作者の意図、キャラクターの行動原理などがずれてしまってはいけない」
坂本氏はそう話す。だからこそ、「ストーリーバイブル」作りに時間をかけ、戸愚呂兄弟の表現を中心としたVFXにも力を入れた……ということなのだ。
「世界的なプロジェクトを日本から」の経験をシェアして拡大へ
実際、Netflixにとっても、Scanline VFXにとっても、『幽☆遊☆白書』は少し特別なプロジェクトでもある。VFXに関し、これだけ国際的な取り組みを、日本から行なうのは異例のことだからだ。
バーチャルプロダクション・プロデューサーのConnie Wai Lan Siu氏は、その様子を次のように説明する。
「我々はグローバル企業です。ドイツ・カナダ・アメリカ・韓国・インドにオフィスがあり、すべてのタイムゾーンを越えて仕事ができるようなツールを用意していますし、遠隔地の人たちとも仕事ができます。だから、今回のような国際的なプロジェクトでも集中し、新しい技術を創造すると同時に、視覚的なイメージや物語も創造しているんです」
Scanline VFX・坂口氏も、プロジェクトの特殊性をこう説明する。
「今回のような国際的なプロジェクトは、日本からの制作による初の試みでした。ですから、私たちがやったことを記録して、将来の日本の番組が知識として活かせるようにしていきたいです。すべてを記録して公開したいです。未来のアジアの番組や、ハリウッドクオリティの視覚効果をやろうとしているローカルプロダクションにとっては、とてもユニークなプロジェクトですから。実制作にかけた3年間で、私たちは多くの知識を得ることができました。これはぜひコミュニティと共有しようと思っています」
ボリューメトリックキャプチャのスーパーバイザーを務めたJan Huybrechs氏は、プロジェクト自体の印象を次のように話してくれた。
「私は子供の頃からアニメをたくさん見て育ちました。アメリカには、アニメ発の作品へのニーズは多くある。だから、こういう作品はもっと増えて欲しいと思う。正直に言えば、このプロジェクトに参加するまで、この作品のことは知らなかったんです。私はこの種の仕事を20年間やってきたから、ハリウッドでの仕事はなんとなく予測可能になっているけれど、今回はちょっと違った印象の、面白い体験でしたよ」
確かに、このような流れが世界中に広がれば、日本発のIPのファンもさらに拡大していくことだろう。