西田宗千佳のRandomTracking
第654回
DAZNが描く次の10年 AIで変わるスポーツ視聴体験と事業モデル
2026年6月2日 08:00
スポーツ専業の映像配信サービス「DAZN」が、日本でビジネスをスタートして10年目を迎えた。今年はFIFAワールドカップの日本向け配信権を獲得。6月のワールドカップ開催に向け、サービス利用拡大のアピールが続く。
一方で、今年のシーズンからはF1の配信権を失うなど、スポーツコンテンツの獲得競争は厳しさを増している。
では同社はその中でどう戦うのだろうか……。そんな話を取材したいと考え、DAZN Japan CEO(最高経営責任者)の笹本裕氏に取材を申し込んだ。
だが、その中で語られたのは、もっと幅広い変化だった。
同社は現在、「ストリーミングのビジネス基盤自体が大きな変革を必要としている」という認識を持っている。
それはAIを軸にした「視聴スタイルの大幅な変化」であり、「コンテンツは独占せねばならない」という形をどう崩すか、という話だった。
笹本CEOに、「ここからの10年」のためにDAZNをどう変えていくのか、そして今どう準備が進んでいるのかを聞いた。その中では、「DAZNと言えば高価」というモデルの転換も含まれていた。
ワールドカップで変わるDAZNのサッカー中継
笹本CEOは、元Twitter Japanの代表取締役でもある。筆者はその時にも取材したことがある。
冒頭で前職の話をした時に、「イーロン(・マスク)の話じゃないですけど、AIで本当に色々変わってきていて……」と笹本氏は切り出した。
まずワールドカップなどの話を聞こうとしていた筆者はちょっと驚いて、どういうことなのかを尋ねた。
笹本CEO(以下敬称略):今年を起点にこの先は、10年先のことなんて何にも想像ができないぐらいです。この3年から5年で大きく変わってしまうんだろうな……というのが僕らの見立てです。
それもあって、今回のワールドカップへの投資なのです。
ワールドカップはもちろん非常に大きく、日本全国のみならず、世界的にも盛り上がるイベントです。これを機会に、当然、我々の事業としては利用者を増やしたいという思いはあります。
一方で、「今後の数年間でスポーツの視聴体験が変わる」ということをある意味宣言して、ワールドカップがそれを体験していただく機会になればな、とは考えています。
ワールドカップでは、DAZNが「データテインメント配信」と呼ぶ機能や、「マルチアングル」「イマーシブビュー」という機能が提供される。
データテインメント配信は、試合の映像に重ね、シュートの初速や軌道といったプレイにまつわる情報が表示される。
マルチアングルは自分で試合中のアングルを自由に選べるもので、イマーシブビューは、試合後に、あらゆる好きな角度からプレーを見られるものだ。
笹本:昨年のクラブワールドカップに続き、FIFAと向き合った結果が今度のワールドカップ配信権取得になります。
昨年のクラブワールドカップでは、今までなかった審判がつけているカメラでの映像であったりとか、マルチスクリーンで見ていただけるようにするとか、多面的な見方を技術的に実現してきました。それがさらに広がるのが今回のワールドカップだと思います。
本来スポーツは、非常に多様な情報量を持つ存在だ。サッカーでいえば、ボールの動きに選手の位置、審判の判断、フォーメーションの変化、チーム全体の流れなど、多数の見方がある。
しかし現状の放送や配信では、技術や見せ方の都合上、多くの場合、一つの見せ方に整理されてきた。それが放送事業者や配信事業者の役割でもある。安定した配信には技術基盤が必要だ。
笹本:去年のクラブワールドカップで全世界でのべ27億人に、シングルプラットフォームとして配信できた事は、プラットフォームとしての強度をしっかり作れたということだと思うのです。
今回のワールドカップは日本、イタリア、スペインだけで配信権をいただいているのですが、当然ながら去年のクラブワールドカップを上回る、日本なりイタリアでの配信量、アクセス量になると思いますから、そういうのを盤石なシステムで裏側は動かしていくという意味でも、やはりAIがすごく重要な技術要件になっています。
配信条件のコントロールなどで、AIは重要な要素になっている。一般的な通信事業者はもちろん、配信事業者にとっても、そのシステムの中でAIを使うことは必須であり、DAZNも例外ではない。
AIで「見たいシーンだけを見る」世界に
ワールドカップをいろいろな形で、安定して視聴できる基盤を提供することの先で、DAZNは、どう「視聴のあり方」を変えようとしているのだろうか?
映像配信の定着により、我々は「いつでも」「どこでも」「どのデバイスでも」という、視聴の自由を手に入れた。DAZNは日本でサービスをスタートし、10年間でスポーツ配信を大きく変えてきた。
「いつでも」「どこでも」「どのデバイスでも」が当たり前になった今、次にはどういう世界に移行していくのか……という点がテーマになってくる。
そこで中心になるテクノロジーはやはり「AI」だ。
笹本:今まで我々配信事業者でも、放送事業者でもそうだと思うんですけれども、ある意味一方的に皆さんに「お届けしてきた」わけじゃないですか。送り手と受け手という関係での一方通行だったと思います。
しかし今後は変わるでしょう。つまり、「なにが見たいか」ということをプロンプトで指示できる時代に入ってくる。
極論を言えば、編成権を視聴者にお渡しするというのが、これから起きる「本当の意味での双方向」になってくるのではないか、と考えています。
実はすでにDAZNは、ドイツやイタリアでは実験を始めているという。
笹本:例えば、「ゴールシーンを全部見せてくれ」みたい指示は、分かりやすいプロンプトだと思います。さすがイタリアのサッカーファンはシュールだな、と思った例のひとつに「ゴールポストに当たったシーンだけ見たい」という指示がありました。
それだけでなく、「未来のロナウドを見つけて」と言えば、若いプレイヤーの映像から、有望な選手を見つけてくれるようになるかもしれません。
これはどういうことなのか?
技術を分解して説明しよう。
まずDAZNは、中継で記録した映像の中身をすべてAI、いわゆるLLM(大規模言語モデル)で解析する。すると、各シーンにはどんな選手が映っていて、なにをしていて、どんなことが起きたかをインデックス化する。さらにテキスト(音声認識でもいい)で「こんなシーンが見たい」と指示すれば、インデックスから目的のシーンを見つけてくれる。
さらに、映っている内容を解析できるということは、プレイの特徴を掴めるということでもある。過去の傾向と比較することで、どんなプレイヤーに大きな可能性があるかを見出せるかもしれない。
これもまた、スポーツの見方を変えるものになり得るわけだ。
独占より体験、「高価格モデル」から急ブレーキを踏む
映像配信では「独占」が重要だと言われる。DAZNも権利を独占することを目指してきた。
しかしここから大切なのは「独占することではなくなるのか?」と訊ねると、笹本CEOは「そうです」と答えた。
笹本:我々としては、重要なのは「独占で見せる競争」じゃないと考えています。
今OTT(ネット上の映像配信)の市場は、視聴時間の奪い合いです。そこで制作費が上がる、ライツフィーが上がる。
そう考えると、もう、独占の取り合いを続けても疲弊するだけ。そういう危機感もあります。
大切なのは「体験作り」です。視聴体験、イマーシブであったりデータテインメントであったりと、様々な「見る体験」で差別化していくことを我々の強みにしていこう、と思っています。
同時に、応援する体験や参加する体験、すなわち「見る」「参加する」「応援する」というこの3つの体験が、一つのファンダムを作り出すんじゃないかと考えています。
もちろん、独占するのがどんどん難しくなっている、という事情はあるだろう。配信権を獲得するコストはどんどん上がっており、独占配信権を獲得できるのは巨大なプラットフォーマーだけになってくる。獲得したコストを回収するには、とにかく規模を大きくするか、1人あたりの売り上げ(ARPU)を上げていくしかない。
笹本CEOは、「これから、ARPUは下がっていくことでしょう」と話す。
DAZNはこれまで、豊富なスポーツコンテンツをまとめて提供する「プレミアムなサブスクリプション」として見られてきた。
しかし現在の市場環境では、物価上昇や他サービスとの競合もあり、これ以上の「一律高価格で束ねる」形には限界がある。
笹本CEOは「ここから私たちは、急ブレーキを踏んで(高価格には)逆行しようと思っている」と言う。
笹本:市場環境を見てみると、我々はこの数年間の中で、プレミアムな視聴料を業界に先立って実装しました。今、他社さんもそれに追随して値上げしてきたり、これから値上げしていく流れがあります。
しかし、僕らはもう、ここから急ブレーキを踏んで逆行しようと思っているのです。
その最初の例が、「サッカープラン(月額2,600円)」や「ベースボールプラン(月額2,300円)」のような分解型商品だ。従来のフルパッケージを軸にするのではなく、スポーツ単位からチーム単位、さらにはもっと細かい単位へと、利用者の興味に合わせる方向へ進む。
ここで重要になるのが「マイクロペイメント」だ。視聴者に合わせて課金を組み立てて行けるのであれば、全員に同じ月額を課す以外の収益モデルが成立する。
笹本:我々社内では「スーパーパーソナライゼーション」と呼んでいるのですが、より一人一人の利用者の方々の趣味嗜好に合わせられるようにしていきます。その裏ではもう一つの要素、マイクロペイメントの仕組みをどう設計していくかが必須です。
その先駆けが、サッカーパック。分解して料金プランを作るのも、相当フレキシブルになりました。
今回、ワールドカップに合わせた「サッカーパック」をはじめとした価格設定も、当然マーケティングとしての策があってのことでもあります。ですが、その実装のための仕組みを作るのには、1カ月もかかっていません。今、ペイメントに関する僕らの仕組みは、相当柔軟性のあるものになってきていて、細かく分解できるんですよ。
今イタリアでテストをしているのですが、「自分が応援したいチームだけ買いたい」という需要もありますよね。
そういう需要があるのは当然わかりますから、そこに応じられる仕組みの準備もできています。
その上で、結局「すべてセットにした方が得」という発想もあるでしょう。
マイクロペイメントで視聴のハードルを下げ、より多くの人がサービスに加入できる条件を整えつつ、その先で「せっかくだからセットで」という方向へと誘導もする。
DAZNとしては、ワールドカップからの数年で、そういう新しいサービスモデルへの移行を実現しようと考えているのだ。
独自のAIを2年前から開発、グローバルの強みを生かす
AIにしろマイクロペイメントにしろ、背景には技術が必要になる。大量の配信を捌くための技術と並行し、DAZNは、笹本氏がCEOとして着任して以来、ずっとこうした部分への投資を続けてきた。
例えば、前出の映像解析などに使うAIは、DAZNが独自に開発し学習したLLMだ。「2年前から独自開発している」と笹本CEOは言う。
笹本:AIで解析する場合も、OpenAIやAnthropic、GoogleなどのAIを使えばできるのでは? という方もいるでしょう。でも、その場合とはコストが違うのです。自社のLLMを使う場合と、サードパーティーのLLMで同じようなことをするのでは、1000倍違う。
ということは、我々にはその分投資力がつく。それをライツの獲得に回すのか、さらに技術的な要件に回すのか、色々考え方はありますが。これだけ大きな開発ができるのは、グローバルにビジネスを展開してきたからでもあります。
また、10年スポーツのライブストリーミングをやってきたという過去の実績、すなわちデータもありますし、FIFAとのジョイントベンチャーの経験もあります。
少なくともサッカーにおいては、類似できるような要素を作れるところはきっとないだろうな、と思います。
その上で、AIの用途としてさらに考えられるのが、解説や実況などの「補完情報」の生成である。
笹本:日本だけでも、我々は年間で1万以上の試合をライブ配信しています。もちろんこれからもっと増えていきますが。
そうやって増やしていく過程の中で、全試合に解説や取材をつけていくとなると、やはり相当なコストがかかります。
場合によっては、アバターで試合前とか試合後の解説をすることもあるでしょう。今のアバターって、もうほとんど人間と区別がつかないレベルになっている。
問題はそのアバターに、なにを話させ、議論させるかということです。ここはまた、独自のLLMが重要になってきます。その品質で、価値は全く変わってくると思います。
AIと計算資源が十分に使えるなら、配信内容を個人の要望に合わせ、さらに映像の上に情報を重ね、アバターなどを組み合わせ、個人ごとに異なる切り口で観戦できる仕組みも整えられる。DAZNが「見る競争ではない。体験作りだ」と語る背景には、こうした発想があるのだろう。
他方で問題になるのは、「では、今のオリジナル番組や実況はどうなるのか」ということだ。DAZNに高価な月額料金を支払っているのは、プロ競技者として経験のある人々による独自の実況や解説番組があるから、という人も多いはずだ。
場合によっては、AIアバターの活用はそうした方針とバッティングする可能性を生み出してしまう。
ライブの実況や解説は、人間の熱量が乗るからこそ意味がある。その価値は変わらない、と笹本CEOは話す。
笹本:やはりライブがオリジナルだと思います。リアルに人間の生み出す熱量が強い。ライブで解説・実況するとなると、その熱量が大切です。そこは本当に大切にはしていきたいところですし、人間がきちんとお伝えするべきだと思います。
一方で、試合前後の解説やハイライトなど、いわばストック情報として整理できる部分はAIとの親和性が高い。ライブをフロー、プレ(試合前)・ポスト(試合後)をストックとして捉え、その組み合わせをどう設計するかが今後の編成で重要になる。
笹本:ただ、いわゆるプレもしくはポストのハイライトであったりとか事前解説であったりとか、どちらかというとストック的な情報は、結局見せ方だと思います。
それに対して、ライブはやはりフロー。
ここの組み合わせと言いますか、編成の仕方は結構重要なポイントになってくると思いますね。
DAZNはスポーツ界のOSになるのか
個人に合わせたスポーツコンテンツを、最適なコストで配信可能になり、その中には人間のライブコンテンツも、AIが解説するストックコンテンツも存在する時代が来たとしよう。
その先でDAZNはどうなるのだろうか?
笹本CEOは「極論、DAZNというアプリが不要になる時代が来るかもしれない、と思っている」と話す。
現在のスマホで、我々はなにかをしたいときに「アプリ」を開く。ゲームにしろソーシャルメディアにしろ映像配信にしろ、まず「やりたいこと」を決めてアプリを開くのが常識だ。
だが、今後AIが進化すると、AIにやりたいことをお願いすると表示される時代がやってくる可能性は高い。その時には、「アプリ」という窓に頼るだけでは、サービス事業者として選ばれない時代が来るかもしれない。
さらに言えば、個人が好きなスポーツを好きな形で見るようになるなら、放送以来基本となってきた「皆が同じアングルで見る」、すなわち、編成してスイッチングして映像を届けるという形すら希薄になる可能性が出てくる。
笹本:極論は、DAZNというアプリが不要になる時代が来る可能性がある、と思っています。
その時、DAZNはサービスとしては「スタジアムにあるカメラに対するアクセス権を提供する存在」になる。
要は「中継映像を提供する存在」ではなくなる可能性があるのです。そういう技術環境になるだろうという想像のもとで、ほぼ技術要件は整っているというところはあります。
アプリそのものが不要になる時代が来るとしたならば、なにが我々の存在意義になるのか? そのためのスーパーパーソナライゼーションであり、そのためのLLMであり、そのための技術をどう設計するかっていうことですよね。
このスタイルを、笹本CEOは「DAZNがスポーツ界のOSになる」という言い方をする。ソフトウェア的なOSとは異なる概念だが、「中継現場のカメラを束ねて消費者に届ける基盤」という意味では、確かにオペレーティングシステムと言える。
新しい技術によって基盤を整備していくことが、DAZNのこれからを左右する。
CEO着任当時、笹本氏はDAZNのアプリを見て、映像配信として古典的である構造を見て「これは改善しなくてはいけない」と、思ったとも話す。
今はその準備が整った段階、というところだろう。ここからいかに「過去のDAZNと違う姿へと変わるか」が、ある意味で勝負どころと言えそうだ。






