小寺信良の週刊 Electric Zooma!
第971回
“スピーカーの聴こえ方”を再現するイヤフォン、Artio 3モデルを全部試す
2021年1月27日 08:00
音質だけではない、ユニークな発想のイヤフォン
2週連続でイヤフォンレビューをお送りする事になるが、昨年あたりからオーディオがまた面白くなってきている。今回お送りするのは、“スピーカーの聴こえ方”を再現するイヤフォンとして、2019年から展開しているArtioの「CRシリーズ」だ。
そもそもArtio(アルティオ)は、「ポータブルオーディオフェスティバル2017 WINTER」でお目見えした「RK01」と「CU1」が注目を集めた、比較的新しいブランドである。当時から高いアコースティック音響技術設計がウリのブランドだったのだが、2019年にクラウドファンディングで発売を開始した「CR-V1」と「CR-M1」は、独自技術「WARP(Wide Area ReProduction)」システムにより、スピーカーのような音の聴こえ方を実現するとして話題になった。
その後一般発売も決定し、CR-V1が39,930円前後、CR-M1が14,850円前後で発売され、人気となっていたのは知っていたものの、実際に聴く機会がないまますっかり忘れてしまっていた。しかし昨年末にこのCRシリーズの新モデルとなる「CR-S1」が発売され、そういえばこれ聴きたかったんだと思い出した次第である。
新製品の「CR-S1」は価格もグッと下がって店頭予想価格5,400円前後。これならちょっと試せる値段だ。ただせっかくなので、前モデルのCR-V1とCR-M1の音も聴いてみたいところである。今回はCRシリーズ3モデルをお借りすることができた。
スピーカーの聴こえ方とは、一体どういうものなのだろうか。早速試してみよう。
見た目は普通のイヤフォンだが……
CRシリーズの違いを把握しておこう。最上位モデルの「CR-V1」は、フロント部にチタン合金、 ボディにアルミ合金を採用した、シルバーモデル。日本国内工場で生産管理を行ない、チューニング及び検査ののち、パスしたものだけが出荷されている、いわゆる「選別品」である。
ドライバーユニットは10mmのダイナミック型で、エンクロージャは密閉型。イヤフォンの根元からケーブルが着脱可能で、製品にはOFCケーブルと、銀ケーブルの2タイプが同梱されている。イヤーチップはシリコン製で、SS、S、M、L、LLの5サイズが付属する。
ミドルレンジの「CR-M1」は、フロント、ボディともにアルミ素材を使用したモデル。こちらもリケーブル可能になっている。ただし同梱ケーブルはOFCケーブルのみだ。ドライバはCR-V1同様10mmのダイナミックドライバで、密閉型だ。付属イヤーチップもCR-V1同様だ。パッケージはかなり小さくなっており、CR-V1相当のサウンドをできるだけ低価格で実現しようとした努力が偲ばれる。
この両機は発売時期が同じということで、内部の採用技術には差がありながらも、ベースの設計は同じようである。
そして昨年末発売になった新モデル「CR-S1」は、設計がガラリと変わって、樹脂製の新筐体となっている。ボディ全体はかなり小型化され、軽量化も実現した。ただケーブルはボディ直付けでリケーブルできなくなっている。ケーブル自体はOFCだ。
ボディにL/Rの表記がないので装着に戸惑うが、L側には小さくポッチがあるので、手触りで把握できる。イヤーチップも同じくシリコン製だが、サイズがS、M、Lの3サイズとなっている。
ではここでCRシリーズに搭載の技術をご紹介しよう。まずメインとなるWARPシステムとは、スピーカーの再生状態を仮想的に再現する技術だ。スピーカーから音を聴く場合、まずは前方から聴こえるという大前提があるのだが、右のスピーカーから出た音は、右耳に到達するが、遅れて左耳にも到達する。顔のサイズからすればほんの少ししか遅れないのだが、そうした違いや音の強弱によって、人間は音源の距離と方向を判断している。
一方イヤフォンで聴く場合、右の音は右耳でしか聴こえず、左耳に到達することはない。そのため、左右のセパレーションはいいが、音の定位は左右の音量差のみで決まる。左右から同じ音量が出ていれば真ん中、というわけだ。これは一見十分なようだが、音像としては耳と耳の線をまっすぐ結んだ直線上に配置することになる。こうした頭の中だけで定位する現象を、脳内定位と呼んでいる。
脳内定位の問題は、昔から様々な解決策が模索されてきた。2007年にソニーのパーソナルフィールドスピーカー「PFR-V1」を取材したことがあるが、これはアコースティック技術で脳内定位問題に取り組んだ例である。近年ではクリエイティブの「Super X-Fi」があるが、これはオーディオプロセッシングによるアプローチと言える。
さらにAppleのAirPods Pro及びAirPods MaxとiPhoneとの組み合わせでは、「空間オーディオ」が体験できるようになった。ジャイロセンサー情報を使い、音を常に画面方向から定位させる技術だが、これも脳内定位問題解決の重要なアプローチである。ただこれは音源が立体音響でないと機能せず、主に映画鑑賞用での利用となる。
一方でWARPシステムは、電気的アプローチでこの問題を解決する取り組みのようだ。公式サイトの説明には、「帯域・レベル等を調整したLチャンネルとRチャンネルの信号をそれぞれ反対側のチャンネルに混ぜ合わせるイヤフォン向けの音響回路です」とある。
CR-V1とCR-M1はリケーブルできるが、2股に分かれたケーブルの先には、右左の区別がない。つまり左右どちらのイヤフォンもステレオ信号を受け取っており、それぞれのイヤフォン内で電気回路処理がされている、ということであろう。別途電源なども必要とされていないので、純粋にアナログオーディオの信号処理のみで、デジタルプロセッシングなどはされていないはずである。
“SkIS”(Six kilohertz Intercept System)という技術は、耳の穴が塞がることで発生する6kHzの共振を抑制するものだ。振動板の背面に共振抑制パーツを配置して、空気の動きを制限するもので、2018年発売の「RK0」で搭載されている。なお上位モデルのCU1には同じく6kHzの共振を抑える"a.i.m"(Absorbing Ideal Mechanism)という技術が実装されているが、これはSkISとは違うアプローチのようだ。
"s.n.a"(Smart Nozzle Adjuster)という技術は、製造最終段階での音のチューニングを実現するものだ。ノズル内に調整機構を配置することで、左右のばらつきを微調整できるため、音の定位感を向上させるという。これも2018年のRK01に搭載されたものである。
CRシリーズは、この3つの技術の実装が異なる。まとめると以下のようになる。
最終行程で個別にチューニングするs.n.aを搭載するのは最上位モデルのCR-V1のみで、CR-M1とCR-S1の搭載技術は同じだ。ただエンクロージャ設計が違うのと、リケーブルの可否が異なる。
ナチュラルな音像が魅力
では実際に音を聴いてみよう。とは言っても、聴けるのは筆者1人であり、聴こえ方をいくら言葉で説明しても抜本的な理解は得られないのではないかと思う。なんか地球上全てのオーディオ評論を敵に回すような言い方だが、読者の皆さんにも可能な限り体験していただける方法はないかと考えた結果、CRシリーズの聴こえ具合をダミーヘッドで録音してサンプルとして掲載してみる。使用するダミーヘッドは、久しぶりの登場となるサザン音響の「SAMREC Type2500S」、通称「サムレック君」である。
しかし、ただCRシリーズの音だけをお聴かせしたところで、普通のイヤフォンとの違いがわからないと思われる。そこでリファレンスとしてzionoteのリファレンスイヤフォン「UCOTECH RE-1」と比較してみる。RE-1はDFカーブを忠実に再現したフラットな特性がポイントで、オーディオ機器評価の利用を想定している。これはこれでいいイヤフォンなので、覚えておいて損はないはずだ。
今回使用した音源は、CR-S1発売記念スペシャルサイト上にある、声優の高橋花林さんによるASMR音源と、YouTubeのオーディオライブラリにあるフリー音源で効果がありそうなものをピックアップした。再生はM1 MacBook Airである。わかりやすいように、RE-1とCR-S1の音が交互に聴けるようになっている。
2つのイヤフォンは特性が違うので音質が違うのは仕方がないとして、注目していただきたいのは音の定位感である。1曲目のロックっぽい音楽では、リファレンスであるRE-1の方で“一般的なイヤフォンではこう鳴るだろう”という感じを耳に入れていただいて、CR-S1での耳に馴染む定位感がお分かりいただけるだろうか。派手に違うわけではないが、音が広がりすぎず、若干中央に寄る感じを掴み取っていただきたい。
2曲目のピアノ演奏では、リファレンスイヤフォンでは広がり感はあるものの、センターが凹んでいる感じがある。またピアノのサイズも、頭の中でかなり巨大なもののように聴こえる。一方CR-S1では、センターの抜けが改善され、真ん中に定位した音ががしっかり聴こえる。またピアノのサイズ感も現実的なサイズとなり、よりリアリティが増している。
最後のASMR音源は元々バイノーラル録音だということで、イヤフォンとは馴染みがいいのだが、冒頭の雨音の中の車の音に注目していただきたい。リファレンスの方は右から左への車の移動が、センターあたりで曖昧になるのに対し、CR-S1では右からセンターを経由して左に流れる様子がよりリアルに聴こえる。WARPシステムは、脳内におけるセンター抜けを改善する効果があるようだ。
脳内定位解消という視点では、CRシリーズを聴いたからといって、音が前から聞こえるわけではない。スピーカー聴こえ方としてそこをメインに考えると、「なんか違う」という事になる。ただイヤフォンでありがちな、両端とセンターは定位するがその間が曖昧、といった聴こえ方はかなり解消され、ナチュラルな定位感が楽しめる。
3モデルの音質の違いについて色々聴いてみたが、一番説明しやすいのがビートルズの「サムシング」(2019年アニバーサリーエディション)なので、これで評価してみたい。
CR-S1は、音の定位という面ではWARPシステムの面白さを存分に楽しめるモデルだ。その点では上位モデルとの差は少ない。低域はよく沈むのだが、「サムシング」独特のロータムのボンつく感じが残る。高域の伸びもあるが、ボリュームを上げても耳に刺さる感じはない。マイルドな伸びとでも言おうか。長時間のリスニングには耳疲れしないが特徴だろう。ボディの軽さもあり、軽快な装着感がある。
CR-M1は、S1よりも高音の抜けがかなり改善される。音の明瞭度が一段高い音だ。ベースやバスドラの低域の響きも輪郭が改善され、よりリアリティが増して聞こえる。定位感もしっかりしており、どセンターに位置するドラムに対してベースがちょっと右寄りに逃げているのがわかる。
CR-V1は今回銀ケーブルで聴いているが、M1よりもさらに定位感が改善され、真ん中に定位しているボーカルのリアリティが増す。ロータムのボンつく感じもあまりなく、ベースとはっきり定位位置が違うことが聞き取れるため、音が整理されて聞こえる。ミックスエンジニアの狙いもよりはっきり聞き取れる。
総論
音質的には、S1<M1<V1の順に音の緊張感が高まるイメージである。その中にあってCR-S1の面白さは、価格が前モデルと全然違って低価格なのに、基本的な音の聞こえ方は同じということである。音質面では大人しめになるが、古い音源で何やってるかよく聴こえないものに対しては、絶大な威力を発揮する。
例えば1976年録音のジェフ・ベック「レッド・ブーツ」なんてドラムが何をやってるのかゴチャゴチャしてさっぱりわからなかったが、S1で聴くと音の定位と粒立ちがはっきりするので、労せずナラダ・マイケル・ウォルデンのとんでもなさがよくわかった。M1、V1で聴けば、さらに高域の輪郭がはっきりする。
脳内定位の解消を目的に試聴したのだが、結果的には聴き慣れた音楽が違った視点でより楽しめるというところを評価したい。3モデルそれぞれに個性はあるが、音楽の再発掘にどれか1台あってもいいイヤフォンだ。