トピック

オーディオの性能はどうやって計測する? 世界標準の計測器Audio Precision

オーディオ機器の“計測器”を手掛けるメーカー

オーディオプレシジョン(Audio Precision)という会社を知っているだろうか? ネーミングからオーディオメーカーと思うかも知れないが、そうではない。実は世界標準といわれるほど高性能な“オーディオ計測器”の企業なのである。

スピーカーやヘッドフォン、アンプなど、オーディオ機器のカタログや製品ページには、そのスペックを表すものとして、「周波数特性」や「全高調波歪率」、「SN比」などが書かれているのをご存知だろう。中には詳しいグラフが掲載されているものもある。そのグラフの右上に「AP」のロゴがあるのを見かけたら、それはオーディオプレシジョンで計測されたことを意味している。

全高調波歪み+ノイズ(THD+N)特性の比較グラフ。右上にあるのが「AP」ロゴだ

AP=オーディオプレシジョンの信頼性は抜群に高く、オーディオ用の計測器の世界ではナンバーワンの業界標準といわしめるほどのポジションにある。ちょっと大袈裟かもしれないが、オーディオプレシジョンで計測されたデータでなければ信頼されないというくらいの、世界的なデファクト・スタンダードなのである。

そのオーディオプレシジョンは、コンパクトディスク(CD)が登場して少し経った1985年に起業している。本拠地は米国オレゴン州にあり、計測器メーカーとしてはかなり後発ながらも、瞬く間に世界標準と称されるまで躍進を遂げてきた。日本では2013年からコーンズ テクノロジー(株)が販売代理店である。それ以前は(株)東陽テクニカが扱っていたと思う。

オレゴン州にあるAudio Precision本社

コーンズ テクノロジーは、フェラーリやランボルギーニ、ロールス・ロイス、ベントレーの輸入販売で知られるコーンズ・モータース(株)と同じくコーンズグループに属しており、ハイテク技術に特化している専門の輸入商社。コーンズの歴史は古く、来日した英国人フレデリック・コーンズ(当時24歳)が同郷のウィリアム・アスピナルと共に始めた輸出入の会社「Aspinall, Cornes & Co.」がその起源。なんと、江戸時代の末期である1861年(文久元年)に会社がスタートしているのだ。神戸港が開港された明治元年(1868年)には神戸の外国人居留地「神戸1番」に「Cornes & Co.」の神戸支店を開設して事業を拡大していったという。

オーディオ関連でいえば、1970年代~1980年代くらいに英国GECのGolden Lion KT88真空管の輸入をコーンズが行なっていたと記憶している。

コーンズグループの特徴的なところは、とにかく世界トップレベルの企業に絞りこんだ輸入商社であること。導入からアフターサービスまで、丁寧かつキメ細やかな対応に定評がある。

PCとソフトウェアの活用で躍進

オーディオプレシジョンは、創業した1985年にリリースした計測器「System One」の成功で一躍トップランナーに躍り出た。

オーディオ製品の開発に計測器は不可欠な存在であり、たとえば海外製ではB&K(ブリュエル・ケアー)やサウンドテクノロジー、ヒューレットパッカードなどが歴史のあるブランドだ。日本ではシバソクやリーダー電子が有名な存在。彼らが販売していたオーディオ計測器の多くは、スタンドアロンタイプだった。わかりやすくいえば、本体に直読できるメーターやカウンターなどが表示されている計測器。外部機器との接続を特に必要としない単体タイプのオーディオ計測器だ。

シンプルなのだが、たとえば数値をグラフ化しようとしたら時間のかかる手作業が求められたりする。

ところが、オーディオプレシジョンのSystem Oneはまったく違っていた。その前年あたりに発売が始まったIBMのパーソナルコンピューター、俗にいう“PC/AT”と組み合わせて使うことを前提としたオーディオ計測器として登場したのだ。つまり、計測に必要な複雑な演算を自社開発のソフトウェアとPCの処理能力に任せたのである。System One本体は計測対象のオーディオ機器や回路と接続するための電気的なインターフェースという役割に徹している。前述したスタンドアロン機とはまったく発想の異なる未来的な計測器だったのである。

System One

もちろんデータのグラフ化は簡単そのもの。System Oneは発展形として登場したAES/EBUや同軸と光のデジタルオーディオ用インターフェースを搭載する「System One DUAL DOMAIN」で世界的にシェアを拡大していった。

現在のオーディオプレシジョンも方向性は変わらずに継承していて、PCやMacと接続して使う高性能オーディオ計測器としてのポジションを確立している。彼らが世界的にシェアを拡大したからなのだろうか、ライバル関係と目されている著名な計測器メーカーは次第にオーディオ計測器のジャンルから退いていってしまった。日本でもほとんどのオーディオメーカーがオーディオプレシジョンの計測器を活用しているはずだ。

ソフトとUSBドングルキーだけの製品も登場

専用ソフトウェアで演算と計測を行なうことから、オーディオプレシジョンを代表するオーディオ計測器は大別して4機種に絞られている。トップエンドの「APx555B」シリーズは最高性能を誇る2chの専用機で、続く「APx52xB」シリーズではアナログ入力が4chまで拡大することができる。

最高峰の「APx555B」シリーズ

加えて、アナログ入力が8chもしくは16chで、アナログ出力が2chもしくは8chという「APx58xB」シリーズがある。そして、2chのコンパクトなオーディオアナライザの「APx515B」がベーシックな人気機種。APx515Bを除く機種はモジュール方式なので、計測の必要に応じた専用のI/Oがいくつも用意されている。

2chのコンパクトなオーディオアナライザ「APx515B」

APx515BはAES3/SPDIF+光のデジタル入出力を標準装備しておりASIOにも対応。ちなみに、APx555Bの価格は470万円~で、PC用の解析ソフトウェアは同社のWebサイトから無償でダウンロードできる(Register登録は必要)。オプションでHDMIやBluetoothなどを実装することもできる。ベーシックなAPx515Bの本体は110万円~(APx515用ソフトウェアのフルオプションは28万円)なので、アマチュアが個人購入するような製品ではなさそう。

他社製の機器をインターフェースとして活用できるというのも、オーディオプレシジョンの特徴と言えるだろう。新製品の「APx500Flexオーディオアナライザ」がそれで、製品内容は制御と計測を行なうPC用の「APX500ソフトウェア」とUSBのドングルキー「FLEX KEY」がセットになったもの。

ソフトとUSBドングルキーだけの「APx500Flexオーディオアナライザ」。ユーザーが好きなオーディオインターフェースを測定器にできるわけだ

現状ではRMEの「Fireface UC」やLynx Studio Technologyの「Aurora (n)」や「E22」が推奨インターフェースになっているので、オーディオプレシジョンならではの高性能計測がローコストに実現できるといえよう。

標準機能として、レベル&ゲイン、ラウドスピーカー製造工程テスト、ステップド周波数スウィープ、Signal Acquisition、THD+Nなどが計測でき、そのほかにパック化されたオプションが3つほど用意されている。

また、必要な機能だけをアラカルト的に追加することも可能という。APx500Flexは、ベーシック機能の2chタイプが約42万円。ほかに4chタイプや8chタイプもある。これなら小規模なオーディオメーカーも導入できそうに思える。

現場ではどのように使われているのか

さて、実際に現場ではオーディオプレシジョンの計測をどのように使っているのだろうか。品質管理に役立てているという直近の導入事例を紹介しよう。

DACが人気の米MYTEK Digitalや、高級イヤフォンブランドのNoble Audio、アンプやDAPが人気のFiiOといった、海外オーディオ製品の取り扱っているエミライだ。彼らはオーディオプレシジョンのベーシックなAPx515Bと、詳細は後述するが「音響カプラー」もセットで導入。それをアフターサービスや製品開発の協力などに積極的に活用しているという。

ベーシックなAPx515B。右上に乗っているのが音響カプラーだ

用途としては、例えばユーザーから「イヤフォンの片方の音がおかしい」と修理の依頼があった時に、人間の耳で聴いて判断するのではなく、計測して客観的に故障しているのかどうか、どのように音がおかしいのかなどを、チェックするわけだ。また、メーカーから開発中の試作機について助言を求められた時などにも、音について人間の感覚だけでなく、計測したデータも活用するそうだ。

実際の計測では、例えばNobleの有線イヤフォン「KHAN」では、APx515Bからアナログのアンバランス出力を、ポータブルアンプの「HA-2SE」を経由してKHANに送り込み、その音をオーディオプレシジョン製の音響カプラーで受けてAPx515Bで計測している。実際の使用環境に近づけていることにも注目してほしい。

イヤフォンをポータブルアンプでドライブするなど、実際の使用環境に近づけながら、計測を行なっている

また、完全ワイヤレスの「Falcon」の場合は、APx515BからのASIO出力をUSB-DACのFiiO「M9」で受けて、M9とのBluetooth接続したFalconの音声出力を、同じく音響カプラーで受けて計測するのである。やはり実際の使われ方と同じシチュエーションを再現しながら計測することで的確な判断ができるという。

音響カプラーにイヤフォンを取り付けているところ。写真は完全ワイヤレスの「Falcon 」
PCのソフトウェアを使って、計測していく

使われている音響カプラーは金属製でイヤーピースにフィットした穴が開いており、その奥に高性能マクロフォンが仕込まれている。

オーディオプレシジョンでは両サイドにシリコン製の耳型がある「AECM206」というヘッドフォンテスト用アクセサリー('20年8月2日時点/※現在は「GRAS 45CA」を推奨)もラインナップしており、それを使うとイヤフォンに加えてヘッドフォンの計測も可能になる。

「AECM206」というヘッドフォンテスト用アクセサリー

このような計測によって発覚した問題点は、すぐに製造元にフィードバックされて対処が検討される。ここで大きく役立っているのは、計測結果に記されている「AP」のマークだ。オーディオプレシジョンで計測しているデータは信頼性が高く、エンジニアにとって共通言語のようなもの。もちろん製造元でもオーディオプレシジョンを採用しているため意思の疎通がスピーディーに行なわれるのだ。

エミライの島幸太郎氏は「オーディオプレシジョンのアナライザと音響カプラーを導⼊してから、弊社のサービス業務の効率はかなり⾼まりました。趣味性の高い音響製品を取り扱う弊社においては、聴感と測定の両方をうまく組み合わせて評価すること、そして測定にあたっては業界最高峰の測定器を使って正しく測定することが、メーカーとのスムーズな意思疎通を図る上で非常に重要と感じています」と語る。

エミライの島幸太郎氏

実際の計測を担当している技術部の羽賀武紀氏によれば、メーカーから開発中の新製品のサンプルが送られて来た際は、「その動作確認、従来品との差異などをメインに、周波数特性や単信号に対するFFTスペクトルなどを確認しています。修理依頼が来た際は、故障状況の確認のために音で確認するのと同時に、周波数特性/THD+N(全高調波歪み+ノイズ)のFFTグラフでも確認。サンプルや修理上がり品の動作確認時にも、出力波形とFFTスペクトルを連続監視して、動作安定度を評価しています」という。

測定機の導入前から、イヤフォンの「左右の音が違う」「他の個体と音が違う」といった修理/交換依頼が多くあったそうだ。しかし、耳への装着状態なども含め、ユーザーの指摘が必ずしも全て確認出来る状態では無かったという。だがオーディオプレシジョンを導入してからは、「試聴確認と同時に測定を併用する事によって客観的な評価の精度を上げることができ、“故障”の判定“と“異常無し”の判断を大幅に下しやすくなりました」とのこと。

さらに、「電子部品の寿命や故障の前兆として、ノイズフロアが不自然に変動したり再生音の歪みが異常な値を示すことがあります。それらをデータとして捉えられる様になったので、故障判定の精度をより上げることができるようになりました」という。

技術部の羽賀武紀氏

高精度な計測器の“精度”を守る

ところで、オーディオ計測器で最も重要なのはその“精度”だ。オーディオプレシジョンの輸入商社であるコーンズ テクノロジーは東京都港区の芝に本社を構えるが、その“高精度”を支える、技術的な拠点といえる場所はちょっと意外なところにある。東京都八王子の高尾にある拓殖大学の産学連携研究センター・マイクロ波研究棟だ。

まだ日差しの暑い8月24日、私と担当編集は研究棟を訪れた。出迎えてくれたのは、コーンズ テクノロジー 電子通信ソリューション営業部 電子計測チームの霜多由夏氏と、高野辺武志氏、そして邵 奇氏。

左から邵奇氏、霜多由夏氏

ここにはオーディオプレシジョン製品の修理や校正を専門に行なう部署もある。精密計測器は定期的に校正作業=キャリブレーションが必要であり、オーディオメーカーから依頼された計測器がここに届き、キャリブレーションされ、再びオーディオ機器開発の現場へと戻っていく。本国以外で修理や校正を認められているというのは世界でもここだけというから驚きだ。

計測器自体の精度を維持するため、定期的な校正作業=キャリブレーションが行なわれている
本国以外で修理や校正を認められているというのは世界でもここだけだという
キャリブレーションルームは温度・湿度まで管理されている

この研究棟には無線機器の実験やEMC(電磁両立性)の計測を行なうための電波無響室に加え、音響用の無響室が1つ設置されている。

実際に、無響室にセッティングされていたダミーヘッドやAECM206ヘッドフォンテストアクセサリなどを見せていただいた。

ダミーヘッドの中に音響カプラーが配置されている
形状の異なる耳のパーツが多数用意され、付け替えられるようになっている

最高峰の「APx555B」に、スピーカーやイヤフォンの計測に最適な音響測定用トランスデューサテストインターフェース「APx1701」を組み合わせたシステムで、霜多氏がプライベートで使っているイヤフォンをターゲットに、計測のデモンストレーションも見せていただいた。

下段が最高峰の「APx555B」シリーズ、上段がインターフェース「APx1701」
左右イヤフォンの音圧を計測中
位相特性を確認
全高調波歪み率をチェック
様々な項目を自動で測定し、レポートとして書き出す機能も備えている

個人的になるほどと思ったのは、理想的な計測のためには接続されるPCの電源環境も問われるということ。使われていたノートPCは内蔵バッテリーで駆動されていて、一般的なAC電源や電源アダプターから発せられるノイズの影響を受けないよう配慮されていた。そして、ターゲットにしたイヤフォンは想像していた以上に左右の特性が揃っていて特に問題がなかったことを確認。

AC電源や電源アダプターからのノイズを受けないよう、ノートPCは内蔵バッテリーで駆動されていた

ノートPCにインストールされていたAPx500オーディオテストソフトウェアは日本語ローカライズなどはされておらず、アメリカ本国と同じ英語版であった。ソフトウェアを購入すると分厚い英語マニュアルが付属するそうだが、電子計測チームのフィールドアプリケーションエンジニアである石井氏によれば、慣れてしまえば扱いはさほど難しくないという。コーンズではユーザーを対象にしたセミナーも行なっているほか、YouTubeにチャンネルを作り、使い方講座も配信するなど、アフターフォローも万全ということだ。

オーディオプレシジョンは創業当初から得意としているエレクトロニクス機器の計測に加えて、スピーカーやイヤフォン、ヘッドフォンといった音を発するトランスデューサーの計測にも注力している。スピーカー関連の計測では独ドレスデンにあるクリッペル社が有名であるが、オーディオプレシジョンはその牙城に挑んできて存在感を高めている。最近ではデンマークの音響学の先駆者であるGunner Rasmussen氏が1994年に設立した著名な計測用マイクロホンの会社GRAS社と密接な関係を築くようになり、トランスデューサーの計測分野でも「AP」が世界標準といわれるよう研究開発を進めている。

AV Watchでオーディオ計測器を紹介するというのは意外かもしれないが、日々のニュースで登場している高性能なオーディオ製品、その開発や、修理・保守を支えてくれている。縁の下の力持ち的な存在が、Audio Precisionというわけだ。

APx500 ソフトウェア紹介
Loudspeaker Test Methodologies(スピーカーのテスト方法)【前編】