藤本健のDigital Audio Laboratory

第672回:曲に合った音質へ自動調整。車載オーディオ向け「Gracenote Dynamic EQ」の仕組み

第672回:曲に合った音質へ自動調整。車載オーディオ向け「Gracenote Dynamic EQ」の仕組み

 CDをプレーヤーなどにセットすると、自動的に曲名やアーティスト名などが表示されるシステム「CDDB」。そのCDDBの運営・管理を行なっているのが米Gracenoteだ。創業時のCDDB.Incからソニー傘下を経て、2013年より42局という全米最大のテレビ局を保有するメディア企業、Tribune Companyの傘下にあるGracenoteは、日本国内にもグレースノート株式会社という日本法人がある。そのグレースノートは先日、「Gracenote Dynamic EQ」というユニークなテクノロジーを発表した。

Gracenote Dynamic EQ

 自動車メーカー向けの音響技術とのことだが、技術的には車載オーディオ機器に限らず、一般のオーディオ機器でも活用できそうな面白いシステムだったので、これがどんなものなのか、グレースノートのセールスディレクターである鬼沢和広氏と、シニアディレクターのスティーブ・マテウス氏に話を聞いた。

グレースノートのシニアディレクター スティーブ・マテウス氏(左)、セールスディレクターの鬼沢和広氏(右)

Gracenoteならではの、カーオーディオへの新たなアプローチ

――Dynamic EQがどんなものなのか、まずは概要を教えてください。

鬼沢和広氏

鬼沢:Dynamic EQは車載用としてリリースした、まったく新しいEQです。もちろんEQ自体は何十年もクルマで使われてきた技術であり、クルマの形状によって調整されたりもしてきました。つまりクルマの大きさであったり、シートの素材がファブリックなのかレザーなのかによって音質が変わってくるので、それを最適化するための物理的調整としてEQが活用されてきましたが、今回はそれとは大きくことなり、楽曲ごとにEQを調整しようというものであり、どのメーカーもやったことのない新しいアプローチです。

――楽曲ごとにEQを調整するということですが、もう少し具体的に教えてもらえますか?

鬼沢:曲によって、これはローをブーストしたいとか、この曲はハイをカットしたいなど、いろいろと要望があっても、運転しながらではなかなか操作できたいため、一度決めてしまったら、すべての曲で同じEQ設定で使うというのが大半だと思います。そこで、曲ごとに推奨するEQ設定を用意し、それぞれで適応させていくのがDynamic EQなのです。つまり、ドライバーが設定することなく、裏ですべて自動で行なってくれるのです。

ドライバーに代わって、曲ごとにEQを自動調整
大まかな処理の流れ

――EQ設定を曲データにタグ情報として埋め込むということですか?

スティーブ・マテウス氏

マテウス:グレースノートはビッグデータといってもいいほどのDBを持っており、そのひとつとしてEQ情報を持たせています。ほかにも、「イントロは何秒目までで、サビは何秒から何秒」といった曲構成のデータやコード進行がどうなっているかのDBなど、数多くのデータがあり、これを楽曲認識技術「MusicID」と照合して取り出すのです。この照合は曲を再生するごとにネットに問い合わせるのか、事前にローカルにある程度のデータベースをダウンロードしておくのかは車載オーディオ機器メーカー次第です。

鬼沢:そのMusicIDで見出したEQ設定を適合することで、最適なEQカーブとなるわけです。

――そのEQ設定値はどのように作られているのでしょうか?

マテウス:「ハッピーな60年代のデトロイト・ソウル」、「メローな70年代のクラシックロック」など、ジャンルや時代、ムードなどによって約8万個のクラスターに分類しています。その各クラスターの中で、「これがそのクラスターを象徴する曲だ」という代表曲を選んだ上で周波数解析を行ない、それをそのクラスターにおけるリファレンスとしているのです。同じクラスタの曲を再生する場合、そのリファレンスに合うようにDynamic EQの設定がしてある、というわけなのです。

8万個のクラスターに分類

クラスターを象徴する曲(Iconic Song)を選ぶ
各クラスターのリファレンスとなるEQを設定

――なるほど、どの時代の曲を聴いても今風になるというわけではなく、その時代に即した形でのEQになるというわけなんですね。

マテウス:その通りです。60年代の曲を、現在流行りの音にしてしまったら、曲の雰囲気が台無しになってしまいます。ただ、同じクラスタ内の曲でも、いいレコーディング、ミキシング、マスタリングがされていないものもあるので、その時代、その雰囲気にマッチした音にするのがDynamic EQなのです。

――最近は同じ曲でも、リマスター版などが出ており、EQ設定をかなりいじったものもありますよね。そうした曲の場合はどうなるのでしょうか?

鬼沢:GracenoteのMusicIDでは、オリジナル曲とリマスター版では違う曲として認識されます。そのため、いずれの曲も、同じクラスター内の代表曲の特性に近い形で再生されるようにDynamic EQが設定されているため、結果としては似た音で再生されることになるはずですね。

マテウス:Dynamic EQのEQプロファイルのデータは5バンドのパラメトリックEQの値となっています。5バンドとはLow、Low-Mid、Mid、Mid-High、Highの5つでそれぞれに周波数とゲイン、バンド幅を意味する3つのパラメータが用意されているのです。そのため、複雑な個別のEQ設定を単一操作で調整可能となっているのです。

初めての「音を変える」取り組み。今後の展開は?

――部屋の特性によってEQを整えるというのは別にして、本来EQはフラットにしておくことで、作り手側の思いが聴き手に届くのではないかと思いますが、Dynamic EQに作り手の思いというのは何か乗せられているのでしょうか?

鬼沢:ここではとくに作り手側からの情報というものが入っているわけではありません。あくまでも各クラスターごとの代表曲に音を整えて出すという手法を使っているだけなので。ただ、多くの人にとってはDynamic EQをかけることによって、よりよいニュアンスで音楽を楽しめると思います。

――曲ごとに、動的にEQ設定を行なうという意味でDynamic EQという名前になっているのだと思いますが、それは1曲を通して固定な設定なのでしょうか? それとも時間軸に沿ってEQ設定が変わっていくとか、イントロの設定はこれで、Aメロの設定はこれ、というように変わっていくものなのですか?

マテウス:現在のDynamic EQの仕組みでは1曲を通して設定は固定されています。先ほどお話ししたとおり、グレースノートでは曲ごとに膨大なデータを持っているので、将来的に必要性が出てくれば、そうしたこともできるとは思います。

――今回、このDynamic EQはクルマの用途であるとのことですが、今のお話しからすると、とくにクルマである必要はないように思うし、かえってポータブルオーディオを含め、一般的なオーディオで利用しても大きな効果があるように思いますが。

鬼沢:その通りですね。今回Dynamic EQを車載用途としたのは、本社のある米国においてはクルマ業界への売り上げが大きいからというのが理由で、車載向けのシステムを開発しているグループが開発しました。今後は広くオーディオ業界に向けて横展開していくことも考えられます。実際「これがiPhoneにあったらいいよね」といった声も届いていますから、モバイルであったり、ヘッドフォンであったり、いろいろな応用が考えられると思います。

――クルマの用途として考えると、EQで音と整えることよりも、音圧・音量調整のほうが、より効果的な気もするのですが、その点はどうでしょうか?

鬼沢:確かにそうですね。曲によって、音量が大きく変わるので、運転中にボリュームを調整するというシーンは結構あります。また高速道路に乗ったらエンジン音が大きくなり、ボリュームを上げるというようなこともよくあるので、それに対応させるというアイディアはありそうですね。

マテウス:いろいろなことを行なってきたグレースノートですが、「音を変える」ということに取り組んだのは今回が初めてです。これからいろいろとやってみたいですね。音圧のノーマライゼーションなども一つのテーマにはなりそうです。

――Dynamic EQ、いまデモを聴いた感じでは、確かに良さそうではありますが、やはりユーザーによっては「オリジナルのニュアンスをなるべく残したいので、EQのかかり具合は低めに抑えたい」といった要望も出てくるように思うのですが。

マテウス:その辺はシステムをセットアップする機器メーカー次第ではありますが、効き具合を調整するためのSTRENGTHというパラメータもあるので、それで強さを調整できるようにはなっています。また人によっては、「もっと低音を持ち上げたい」といった積極的にEQをいじりたい人もいると思います。そういう方に対してはDynamic EQと掛け合わせる形で個人設定のEQを利用するというのもあり得ると思います。もちろん空間用のEQもメーカーが行なっているので、これらを掛け合わせていく感じですね。

ラジオの認識技術も車メーカー各社が採用

鬼沢:もう一つ、この車載用として製品化しているGracenote MusicID Radioというラジオ認識技術についても紹介させてください。

Gracenote MusicID Radio

――ラジオ認識技術ですか?

鬼沢:はい、すでにBMW 2015年に「7シリーズ」から搭載をしており、順次採用を広げているものなのですが、車載において唯一のアナログソースとして残っているラジオを扱うという技術です。これまでラジオを聴くときだけは、何の表示もされませんでしたが、ほかのデジタルオーディオソースと同じようにデータ表示できるようにするというものです。技術的には2秒間のフィンガープリントを認識して、「その曲はこれですよ」とすぐに表示させようというものです。

フィンガープリントを認識
曲名やジャケットを表示

――これまでもiPhoneアプリなどで、店内で流れている音などを捉え、その音からフィンガープリントを利用して曲名を表示させるようなものがありましたよね。それをラジオに適応するという意味ですか?

マテウス:はい、その通りです。それはMusicID Streamという技術でしたが、これはかなり負荷がかかるサービスでした。しかし、MusicID Radioでは、ローカルにデータを持っておくことで、サーバーに負荷をかけず、非常に簡単に曲認識を可能にしているのです。

鬼沢:BWM 7シリーズのあと、TESLAの「MODEL S」に採用されたほか、日本やヨーロッパの各メーカーとも話が進んでいるので、近いうちにいろいろな製品が登場してくると思います。まずは曲の認識からですが、これを利用することで、もっとアクティブにラジオを利用することも可能になります。つまりラジオはあくまでも聴くだけの受け身ですので、次々と流れる曲も変わってしまいます。でもMusicID Radioを利用すれば、気に入った曲がかかった後、それに近い曲、そのアーティストの曲など、自分の持っている曲のライブラリに移動して聴いていくといったことも実現が可能になります。これによって、カーオーディオの楽しみ方も大きく変わってくるのでは、と思っています。今後もグレースノートでは、さまざまな技術を提供していくので、ぜひ多くの方に楽しんでいただければと思っています。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。EPUBマガジン「MAGon」で、「藤本健のDigital Audio Laboratory's Journal」を配信中。Twitterは@kenfujimoto