レビュー
有線イヤフォンの逆襲。スティックDAC×DAC POCKETによるポータブルオーディオの勧め
2025年3月4日 08:00
有線イヤフォンの逆襲
ポータブルオーディオには、日常を魔法に変える瞬間がある。電車でも街角でもイヤフォンを装着すればその瞬間、音が弾ける。リアルで生々しい音楽が退屈な日常を異世界に変えてくれる。
年末に帰省する新幹線の中でCampfire Audio「Clara」を聴いていた時のことだ。新幹線の快適なシートに体を沈み込ませ、さあ長い乗車時間が始まると覚悟し、未読だった東野圭吾のミステリーを開く。しかしそのページをめくろうとした手は、Astell&Kern「SR35」に繋いだClaraから音楽が流れ出た瞬間にそのまま止まってしまった。音楽があまりに美しく心地よく、目を閉じてシートに身を任せたくなったのだ。時間はあっという間に過ぎ去り、おかげでそのミステリーは帰宅してから読み終えることになった。
実のところ筆者自身も最近は完全ワイヤレス陣営の術中にすっかりとはまり込み、外に出る時はたいてい完全ワイヤレスで済ませてしまうことが多い。なにしろ手軽だし、それは正義だ。白状すると冬のジャンパーの大きいポケットには完全ワイヤレスが入れっぱなしになっている。
しかし先に書いたような魔法の瞬間に気づいてしまうと、完全ワイヤレスにはそうした魔法の瞬間があまり感じられないということにも気がついてしまう。気づかなければよかったのだが、気づいてしまうと、もう後戻りはできない。
「機材ではなく音楽が大事だ」と、もっともらしいことを言えば正論だが、「筆を選ばず」と言われた弘法大師も実際には筆を選んでいたことが知られている。感動を引き出すために一介の俗人が機材を選んでも悪くないだろう。そのためには有線イヤフォンを活用したい。そう、本記事の隠れた副題は「有線イヤフォンの逆襲」なのだ。
スティックDACを活用したポータブルオーディオの勧め
「有線イヤフォンの逆襲」を考える上で、もう一つのきっかけとなったのは、以前の記事で書いたUSB-CアダプターであるZorloo「Ztella」だ。実際にWestone「ES80」を使った組み合わせではカスタムイヤフォンをポケットに入れて持ち運ぶ愉悦が楽しめた。
では、ClaraをZtella IIに4.4mmで接続しても楽しめるかというと、そこまで甘くはない。まあいいかと満足すると原稿もここで終わりだが、実はここからがクエストの始まりだ。
まずClaraは能率が高いのでZtellaでは背景に「サーッ」というノイズが聴こえてしまう。これはとても気になる。そしてやはりClaraという「超」高性能のイヤフォンは、さらに高い音質で鳴らしたいという欲が深くなる。
もちろん高性能DAPを使えば、簡単に解決する。しかしDAPではやはりストリーミングが使いにくい。最近完全ワイヤレスが流行っているのは便利さはもちろんだが、音源がスマホに移行したことで、DAPが相対的に使いにくくなったというのもあるだろう。
DAPでもWi-Fi環境があればストリーミング再生できる製品は多いが、利便性ではやはりスマホには及ばない。つまり“有線イヤフォンが衰退したのはストリーミング時代だから”という一見関係なさそうなバタフライエフェクトが成り立ってしまう。
手軽に持ち運べて、ストリーミングとも親和性が高く、そして“魔法の瞬間”も味わえる、贅沢な俗人の欲求を満たす製品は何か。
そこで辿り着いたのが、スティックDACである。前置きが長くなったが、「スティックDACを活用したポータブルオーディオの勧め」が本記事のテーマである。
スティックDACというのはスマートフォンに短いケーブルで接続できる小型のDAC内蔵ヘッドホンアンプのことだ。ケーブルが全くない場合にはドングルDACとも呼ばれる。
スティックDACはスマートフォンから3.5mm端子が消えてしまった時から人気となり、最近では4.4mmバランス端子を備えた高性能のモデルもたくさん出てきている。本記事の裏テーマは「有線イヤフォンの逆襲」なのだから、そうした高性能のモデルから選びたい。それでストリーミングを楽しみつつ、音質も満足できる有線イヤフォンの活用ができるだろう。だから「ストリーミング時代」は「スティックDAC全盛期」なのである。
そこで手持ちのスティックDACをClaraに次々と試してみた。するとスティックDACでもハイパワータイプのものはやはりノイズが乗ってしまい、「サーッ」というノイズが消えない。
取り替えながらまず見つけたのはiFI Audio「Go Bar」だ。これもそのままだとノイズが多少乗るのだが、Go Barの良さは多機能という点だ。豊富な機能を有しているのだが、その中でこういう時に役立つのが「IE Match」機能だ。これはClaraのようなとても感度が高いイヤフォンの時にノイズを減らしてくれる。
しかし、Go Barの音自体はとても解像力が高くて良いのだが、Claraとあわせた時にもう少しClaraの有機的な低音の魅力が物足らないように思った。これも好みの点ではあるのだが感じてしまうと仕方ない。なにしろオーディオというのは言い換えると、出音をいかに好みの音に持っていくかという趣味なのだ。
iBasso「DC Elite」で聴いた時は衝撃を受けた。これは優れもので、まず素のままでノイズがほとんど乗らない。そして音がとびきり美しい。これはまだ珍しいローム製のDACチップが使用されていることもプラスになっているに違いない。このロームのDACチップは内部の配線や回路を変えながら聴感テストで音質設計をしたというユニークなもので、まるで音にこだわったオーディオ機器のように設計されたICなのだ。
そして何と言ってもマニア心に刺さるのはステップアッテネーターの採用だ。これはボリュームではなく抵抗を束ねて音量を変えられる仕組みで、普通は超高級なオーディオ機器にしか採用されない。それがこんな小さな機材に採用されるとは驚きだ。しかしDC Eliteの抜群の透明感はこうしてボリュームを省いたことにもよるだろう。
ClaraとあわせたDC-Eliteの魅力はこれらの要素が合わさった圧倒的な魔王感だ。魔王感ってどんなポエムだよと言われるかもしれないが、小さな体躯から説明しがたいほどの音の凄みと威圧感が吐き出されるのはまさに魔王と呼ぶにふさわしい存在だ。冒頭で書いた魔法のような瞬間をバフ全盛りで攻撃してくる圧倒的な存在だ。
特にこの圧倒的な力強さは凄まじい。これは上品な宮廷魔法使いではない、まさに魔王のような存在だ。
この力強さがダイナミックドライバーと絶妙に相性が良い。一回り大きなハンマーで殴られるような打撃感、トールハンマーで殴られたというべきだろうか。音楽に躍動感がある。
この凄さはClaraのようなハイエンド機だけではなく、同じiBassoブランドの「3T-154」イヤフォンと組み合わせても生きてくる。DC Eliteと3T-154で聴くメタルのドラム連打は「低域のアタック感が力強く」なんていう上品なポエムでは到底表現できないような「ズガズガドガガン」というようなパワフルさなのだ。
しかし、聴いていくと微妙に少し乾いて硬質な音色が気になり出してくる。ほとんど気に入っているのにわずか10%が気に入らないと余計に気になる。硬質感は高再現力の機材にはありがちだが、Claraの美しい有機的な音にはもう一工夫欲しい。こうしたちょっとした味変をするには色々な手段があるが、手っ取り早くケーブルを交換することにした。
これも買うというよりも手持ちの短いUSB-Cケーブルを色々と変えて試して行った。その結果、Shanling H5に付属していたケーブルが音を暖かみをつけてくれることがわかった。
なぜデジタルケーブルで音が変わるのか、と問われても変わるのだから仕方ない。ここは都合よくさっさと先に進むことにする。
これで女性ヴォーカルが歌い上げる声のかすれ具合は感動的なほどになった。これで音としてのシステムはひとまず完成だ。
スティックDACをどう持ち歩くか?
しかし魔王にも弱点はある。そうでなければストーリーが面白くない。その弱点とは重さだ、大きさだ。DC Eliteはなにしろデカい。おいおいスティックDACというのはケーブルの中間にぶら下がって邪魔にならないようなものだろう、と突っ込まれるかもしれないが全くその通りだ。しかしオーディオマニアというのはいったん味わった至高の音を諦めはしない生き物なのだ。本末転倒こそ上等だ。
そこで解決策を考えた。昔はiPodにポタアンを二段重ねしていた人も多いだろう。ここではそれにならってゴムバンドで固定することもできる。しかしかつてのiPodと違ってスマホにゴムバンドを使うと画面が見えなくなる。これはいかがなものか。
もう一つの類例としてはポタピタシートのような粘着ジェルマット類を貼ることもできる。しかしもう売っていないようだ。Amazonで購入できる点灯防止のマットを流用することもできるだろうがちょっと厚い。
これで万策尽きたのか?いや、世の中には賢い人もいるもので、スティックDACにちょうど良いアクセサリーが販売されてヘッドホン祭で展示されていた。それはルピークの「DAC POCKET」だ。価格も安いのでこれを購入することにした。これで魔王が迷い込んだダンジョンの迷路にも光が差してきた。
DAC POCKETの特徴はiPhoneのMagSafe機構をそのまま利用して背面に磁石で簡単に取り外しができるということだ。表面には伸縮性に優れたバンドが二組ついていて、大きい方でスティック型DACを挟み込むことができる。小さい方は使用していない時にUSB端子を収納するのに使うことができる。取り外しはMagSafe製品らしく大変に楽だ。取り付け方向に注意すればそう容易には外れない。これは優れものだ。
しかし、光が差し込んだように見えたダンジョンにもまだトラップが隠されていた。それはDAC POCKETのバンドのサイズによってスティックDACの大きさに制限があるということだ。具体的にいうとスティックDAC自体の大きさが横が34mm以内、幅が14mm以内であることだ。
これは実際に使用してみた方が良いだろうということで、DC Eliteを入れてみたところ……やはりきつい。ゴム製なので多少伸びるが、DC Eliteのサイズではかなり厳しい。しかし、パツパツというやつだ。バンドの横の台座が捲れ上がってしまっている。これはさすがに保証対象外を覚悟で使うしかない。
試しにスリムな先ほどのGO barを入れてみたところすんなり入った。のだが、まだ安心するのは早かった。オーディオ趣味は本当にトラップだらけのA級ダンジョンのようだ。
Go Barはすんなり入ったが、横にある操作ボタン類がバンドに隠れて使えなくなるのだ。おまけにLEDも見えなくなる。しかもGO barでは装着した後はiPhone側のボリュームが効かないので、あらかじめボリューム位置を設定してから取り付けねばならない。つまりイヤフォンが変われば、入れ直さなければならない。
DC Eliteもサイドボタンが使えなくなるが、主な音量操作のステップアッテネーターのつまみは外に向いているので取り付けても音量操作はできる。
完全にダンジョンに迷っていたところ、天から救いの手が差し伸べられた。ただし有料だ。
それは大型のバンドを採用した「DAC POCKET LARGE」の発売だ。やはりDC Eliteの使用を考えていたユーザーが多いようで、これはバンドに余裕がある。これに買い直してみると、なんとかバンドに収まった。それほど余裕があるわけではないが、通常版のような無理やり感は無くなる。
それと気がついたのだが、DAC POCKETを使うとノートPCに使う時でも机の上で滑り止めになって使いやすくなる。特にケーブルが硬いものやクセがついているものではとても便利だ。
このDAC POCKET LARGEに取り付けたDC EliteにClaraを装着して街に出てみる。電車に乗る。すると耳は外界から遮断され、感じる全てを美しい音の色彩が塗り替えていく。電車に乗る時間がもっと欲しくなり、駅に降りてからも音楽が終わるまではそこに佇んでいたいと思いたくなる。使うと電池がもたなくなるが、そんなことはこの音に比べれば瑣末なことだ。なにしろこれは有線イヤフォンの逆襲なのだ。
実のところ完全ワイヤレスに比べれば難があるし、便利で完璧な道具ではない。ボリューム調整のたびにケースからDACを取り出す姿は、スマートデバイスの時代に逆行するかのようだ。しかしこの小さなスティックDACが、日常を少しだけ特別にしてくれる。それこそがクエストの達成であり、久しく忘れていたポータブルオーディオの愉悦であり、魔法のような瞬間なのだ。