藤本健のDigital Audio Laboratory

第925回

スタジオを自作! 低予算で防音/Dolby Atmos対応を実現する方法

木村玲(きむらりょう)氏のスタジオ

昨年、Apple Musicで空間オーディオのコンテンツがリリースされ、徐々にその作品数が増えていることもあり、音楽におけるDolby Atmos作品に注目が集まり始めている。それはリスナーだけでなく、作り手のほうも同様で「どうすれば空間オーディオ作品は作れるのか?」「Dolby Atmosはどのようにミックスするのか?」というような声が、アーティスト、ミュージシャン、レコーディングエンジニアなどの間でも上がってきているようだ。

ただ、Dolby Atmos作品を作るとなると、7.1.4chや7.1.2chといったDolby Atmosに対応したスピーカーシステムを備えたスタジオが必須。しかし、現状そうしたスタジオはポスプロ用のものはあっても、音楽用となると極めて少ないのが実情だ。先日、記事でも紹介した作編曲家兼音楽プロデューサーの太田雅友氏のスタジオなど、数えられるほどしかない。

そうした中、ミュージシャン自らDIYでDolby Atmos規格に対応したスタジオを自宅に作り、DAWを使ってミックスし、空間オーディオ作品として公開するという例が出てきた。

実際に、それを実現させたのは木村玲氏。彼は、昨年11月に「Night Piano」というジャズ作品を自主レーベルでリリースしている。先日、その木村氏の自宅スタジオ(白金ピアノスタジオ)を訪ねるとともに、どのようにスタジオを作り、Dolby Atmos作品のリリースまで漕ぎつけたのか話を伺ったので紹介してみよう。

木村玲氏
木村玲氏の作品「Night Piano」

譲り受けた部材を使って防音室をDIYした

木村氏が、東京・白金にある現在の自宅に引っ越してきたのは2018年のこと。実は会社員であり、兼業ミュージシャンでもある木村氏。引っ越してきたタイミングで、自宅3階にある7.4畳ほどの部屋にクレーンでヤマハのグランドピアノ(C7)を入れ込み使っていたという。

防音環境を作る前のピアノルーム

ここで自身の演奏だけでなく、配信なども行なっていたが、やはり防音のされていない部屋での演奏だといろいろと問題もある。そのため、いつかちゃんとした防音をしたいと思っていた、と木村氏は話す。

「いろいろな業者に防音工事の見積もりを取りました。当然のことながらどこも何百万円という値段であり、簡単にはいきません。配信スタジオにしたいという思いもあったので、補助金制度も検討しましたが残念ながら不採用となってしまいました。そこで専門業者に頼むことを諦め、自身で作るしかないと思い立ったのです」(木村氏)。

普通に考えればかなり無謀な話だが、すでに同じ3階にある4.3畳の部屋をDIYで防音化した実績があったため、できるという読みはあったようだ。

「DIYで防音室を作るしかないと考えていた頃、ちょうど運よく『引っ越しをするので自宅の防音室(環境)を手放したい』という方がいたのです。条件としては『1週間以内に取りに来てくれて、自分で運んでくれれば、防音室は差し上げる』ということでした。1度下見に行ったところ、かなり古かったのですが、タダでもらえるなら! と『次の日曜日に取りに伺います』と返事をしました。一人で運べるようなものではありませんから、知人に手伝ってもらうとともに、弟、息子の4人で防音室をバラし、部材をハイエースに詰め込んで、持って帰ってきました」(木村氏)

防音室をバラした
クルマに部材を詰め込む

すべてが普通の発想ではないのだが、それを実行していくのが木村流。譲り受けた防音室とは、カワイ音響システムの「ナサール」という製品。バラバラになった防音室の部材は自宅のテラスに1カ月程度、詰んだままの状態で放置していたとのこと。一度は業者に組み立ててもらうことも検討したようだが、諸々の事情から自身で組もうということになったそうだ。

その大きな理由の一つが、防音室の大きさ。7.4畳の部屋の中に防音室を作り、そこにC7サイズのグランドピアノを入れるため、6畳程度の防音室が絶対条件。しかし、譲り受けた防音室の部材は3.4畳。そのまま組み立ててもサイズ的にマッチしないのだ。

「サイズが合わないため、だいぶ継ぎ足しました。ある意味、防音室をイチから作るのと同じようなもので、要するに壁を足していったのです。しかも今回は、浮き床式の防音室に挑戦しました」と木村氏は振り返るが、言っていることが想像を超えていて理解が追い付かない。

話を聞いてみると、ナサールの部材を分解すると、だいたい7層の構造になっていたのだとか。具体的にはべニア、ロックウール、ベニア、空気層、重たい石膏ボード、空気層、ベニアといった構造。それを参考にしながら、ほぼ同様の素材を買い揃え、間を埋めることで、6畳まで拡張したという。

「いろいろな回線を引く必要があったので、事前にケーブルを通すチューブをいっぱい設置し、少しずつ壁を立ち上げていきました。やはり一人ではできないので、運搬を手伝ってくれた知人にまた手伝ってもらいながら作業を進めていきました」。

「先に本物がある角から作り、足りないところは似た素材で埋めていく格好です。壁も床も屋根もロックウールが入る同じ構造です。すべての設計図は自分の頭の中にあるだけ。それを元に知人にはのべ5、6日来てもらって組み上げていきました。正味、工事期間は3週間くらいでしたが、まあ、まだ今も工事は継続中ですね(笑)。もともと天井との隙間がなく、ギリギリの作業でした。中にエアコンを設置するのも絶対条件だったわけですが、これについてもクーラー屋さんを呼ぶことなく、自分たちで取り付け、配管工事も行ないました」と、こともなげに話すので驚くばかりだ。

「材料費的には50万円くらいはかかりましたが、業者に頼んだ場合と比較して、圧倒的に安く仕上げることができました。それから、どうしてもやってみたいことがあって。それは漆喰を塗ること。壁紙じゃなく、自然素材で響きのいいスタジオにするために、やってみたかったのです。これも自身で塗ったのですが、最初に試しに塗ってみたときは『わあ、これは、やっちまったかも……』という気持ちになりましたが、一度始めたら、もう後戻りはできません。妻には“忍者屋敷”と言われましたが、なんとか雰囲気のある部屋になったのではないかなと思っています」(木村氏)。

漆喰を塗った様子

十分な防音性能。動画が撮れるスタジオとしても機能

気になるのは、実際に防音効果はあるのか、また音漏れなどはないのかということ。それだけの苦労をしても、DIYでまともな防音室ができるのか不安にも感じる。

「音を漏れないようにするというより、外から入ってくる音を遮断したいというのが第一義にありました。夏はセミの鳴き声が入ってきて録音できないし、羽田空港への着陸ルートが変わったこともあり、天気によっては自宅の真上を通るためまともにレコーディングできません。でも、今回の防音工事によって、その辺はすべて解決することができました」。

「もともとのナサールの仕様は-30dBでしたが、それと同程度の遮音性は実現できていると思います。飛行機を含め、外の騒音はまったく入りませんし、スタジオ内の音は、家の2階だと少し聴こえる程度。1階ではまったく聞こえませんし、家の外にはまったく漏れません。ですから夜中、ピアノを弾いても問題ありません。自分の目指していた環境は十分達成できたと思っています。また、漆喰のおかげもあって、いい響きを実現できるようにもなりました。以前はアンビエントマイクなんて立てても意味がなかったのですが、現在はこの響きが生かせる部屋になりました」と、DIYスタジオが完全なものになっていると木村氏は語ってくれた。

実際、スタジオでの音の鳴りを確認させてもらったが、確かに木村氏の言うとおりで、かなりの遮音はできているし、音の響きも気持ちいい。ピアノの真上にカメラが設置されていて、鍵盤を俯瞰して撮影できるのもこのスタジオの面白いところだ。

完成したピアノルーム

「真上から撮るというのをどうしてもやりたかったのです。『真上ピアノ』とか『俯瞰ピアノ』で検索するとかなり引っかかるようにもなってきました(下動画参照)。自身で使うだけでなく、外貸しスタジオとしても展開しているのですが、ピアノコンクールの審査方法が変わったことが、私にとってはいい方向になりました。というのも従来のピアノコンクールはホールで順番に演奏するスタイルだったのですが、このコロナ禍で基本映像審査に変わりました。結果、うちのスタジオでコンクール応募用の撮影をしたいという依頼が多く来るようになったのです」。

Tanaka Wao Jun & Ryo Kimura - Tea 4 Tee (ICE) / THE FIRST TAKE
齋藤 正樹 - スクリャービン 即興曲 Op. 14-2 / Masaki Saito - Scriabin: 2 Impromptus, Op.14 - No.2

「平日は会社員として出かけているため、土日・祝日だけの運営ですが、昨年はフルで予約が入りましたし、今年もかなり予約で埋まっている状態。カメラが設置されているので、来てもらったらすぐに撮影できる体制を整えています。かなり録音にこだわった撮影をしていることも伝わるようになったので、アルバム収録のためのレコーディングに使ってくれる方なども増えています。さらにピアノの楽譜を売る際に、お手本動画として真上からの撮影させてほしいといった声も来ていますね。撮影、録音含めすべてワンオペで行なっています」と、このスタジオはすでに業務用として十分稼働している様子。

DIYで7.1.4chのAtmosスタジオを造る

さて、ここからが本題だ。実はこのピアノルームとは別に、先に作った3畳のコントロールルームがあり、ここが現在Dolby Atmos対応のスタジオとなっているのだ。

「このコントロールルームは、ヤマハの防音室・アビテックスを使った3畳のスタジオです。遮音性能としてはDr-30(-30dB相当)になっています。リサイクルショップがオークションで安く出品していたアビテックスを購入し、自身で組み立てました。こちらは継ぎ足しはしていません」。

「当初はステレオのコントロールルームとして運用していたのですが、以前からDolby Atmosに興味がありまして。Dolby Atmos Rendererがあれば個人でもDolby Atmos作品が作れるということを知り、これは面白そうと思うようになったのです。ただ、ヘッドフォンでのモニターではなく、ぜひスピーカーでDolby Atmosを鳴らしてみたいという思いがありました。そこで家にあるスピーカーをかき集め試してみたら、これは結構いけるぞ、と」。

具体的にどのように設置していったのか。

まずは5chのスピーカーを設置。均等にスピーカーを設置するため、糸を使ったり、レーザー測定しながら作業していったそうだ。もっとも3畳しかないスペースなだけに、横幅が足りないのが厳しいところ。そこで、少し変形はするもののRs、Lsに関してはディレイ補正することで等間隔に設置した状態と同等にしているという。

リスニングポイントを糸で確認
レーザー墨出し器でツイーターの位置を合わせる様子
スピーカーの設置図面

また種類が異なるスピーカーを並べたものの、音がパンで回ると音色が変わって違和感が発生。やはりスピーカーを揃えないとダメだと実感し、Genelecなどのモニタースピーカーを置きたいと考えるもそのような余裕はない。

「一番安く揃えられそうで、まともなスピーカーを探したところ、中古品が数多く出回っているヤマハ『MSP5 STUDIO』という製品にたどり着きました。これを7つ揃え、サブウーファーだけは新品を1つ購入しました。またハイトスピーカーは重さの関係もあって、MSP3を採用し、7.1.2という構成にしました。本来であれば7.1.4にしたかったのですが、Dolby Atmos Production SuiteがMac版しかなく、Pro Tools用のWindows PCでは使えません。ただ、Windows版Pro Tools Ultimateであれば、7.1.2まで作れますから、まずはこの環境でいいだろうと判断しました」。

ヤマハのスピーカー「MSP5 STUDIO」
Pro Toolsの画面

7.1.2であれば、Dolby Atmos RendererがなくてもADMファイルを書き出すことができる。しかし今年に入ってから、7.1.4環境に設置し直すとともに、Dolby Atmos Rendererも積極的に使うシステムに移行させたという。

「Dolby Atmosでミックスしたいというよりも、とにかくDolby Atmos環境に合わせた作曲をしたいというのが最優先事項でした。ですから最初は7.1.2で十分と踏んで、曲制作に取り組みました。全トラックができてからミックスするのではなく、それぞれの音の位置を決めてレコーディングしていきました。ピアノとWurlitzer(ウーリッツァー)、それにギターは自身で弾いて、ドラム、ベース、シンセは打ち込んでいきました。ここのスタジオでできる音だけでレコーディングしましたが、かなりいい感じに作ることができたと思っています」。

ただ、Atmosの楽曲をリリースするまでには、苦労があったそうだ。

「リリースするにあたっては、Avidの配信サービスであるAvid Playを使ったのですが、いろいろ大変で。実際にリリースできるまで1カ月近くかかりました。曲ができたら、すぐ配信できるとイメージがありますが、そもそもがアメリカのサービスですから。日本のサービスだと、作品名やアーティスト名に漢字、フリガナなどを入力していきますが、英語のサービスでは英語でしか入れられない。そのためRYO KIMURA、として入力しました。当然アルファベット表記で配信サービスに並ぶと思いきや、勝手な日本語の漢字が当てはめられ、Amazon Musicでは“木村凌”となってしまいました」。

「また、2chバージョンとDolby Atmosバージョンの2つを配信したはずなのですが、なぜか2chバージョンしかリリースされず、待てど暮らせどDolby Atmos版の配信が始まらない。もしかしたら、こちらのデータにミスがあったのでは? とミックスの違うバージョンを作成して再度送ったところ、今度はすぐにDolby Atmos版がリリースされたり、かなりちぐはぐな状況でした」と苦労を話す。

名前の表記に関してはAvidのカスタマーサービスとやりとりすることで、先日無事解決。また、リリースされていなかった最初のDolby Atmos版も年明けになってリリースされるなど、不可解な点はあるものの、一通り解決したようだ。現在はApple Music、Amazon Music、Spotifyほか各種配信サービスで聴くことができるようになっている。

Dolby Atmos版を木村氏のスタジオで聴かせてもらったが、かなり感激できる作品になっており、まさに立体的な音作りであるのも楽しいところ。ステレオでは絶対に表現できない音作りが、この手作りDolby Atmosスタジオで作られ、実際に配信できているのを見ると、ちょっとグッとくるものがある。

さすがに誰もが木村氏のように、スタジオを自作し、Dolby Atmos環境を構築し、自ら作曲・演奏・レコーディングして、というわけにはいかないだろう。とはいえ、大資本がなくても、頑張れば個人でもDolby Atmos作品を作って、メジャーアーティストの作品の横に並ぶ形で配信できることは、大きな夢を感じる。

ぜひ、ここから今後ヒット作が生まれてくれることを期待するとともに、木村氏に続く“個人Dolby Atmosスタジオ”が次々と誕生してくれることを願いたい。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto