藤本健のDigital Audio Laboratory

第1031回

買えば約20万円の立体録音マイクを約3万円で自作。AMBISONICSマイク自作プロジェクトを追う

会社員であり、兼業ミュージシャンであり、レコーディングスタジオのオーナーでもある木村玲氏

購入すると20万円程度という音を立体的に録音することができるAMBISONICSマイク。「20万円は高すぎるので、自作してしまおう!」と本当に実現してしまった人がいる。会社員であり、兼業ミュージシャンであり、またレコーディングスタジオのオーナーでもある木村玲(きむらりょう)氏が、その人だ。

オモチャ的なものを作ったとか、それっぽい真似事ができるものを作った……というのではなく、業務レコーディングにも使えるレベルのものをDIYで作るとともに、実際レコーディングを行ない、そのサウンドを公開しているのだ。

でも、本当にそんなことが可能なのか? どうやって実現したのかなど気になることもいっぱい。そこで、木村氏の自宅兼スタジオに伺い、実物を見せてもらうとともに話を聞いてみた。

まずはその自作マイクで録音したものの実例ということで以下の2つのYouTube動画でその音を確認してほしい。

Pancho Vladigerov: Aquarelles op.37 No. 4 Pastoral - Naoko Oki / パンチョ・ヴラディゲロフ 水彩画 op.37 より「牧歌」 沖直子
Field Recording with Handmade Ambisonic Microphones at Shirokane Forest, Tokyo - Birdsong

詳細は後ほど解説していくが、1つ目は木村氏がこのゴールデンウィークに作成したAMBISONICSマイクの1号機を使ってコンサートホールでのピアノ演奏をレコーディングしたもの。

木村氏が作成したAMBISONICSマイクの1号機を使ってコンサートホールでのピアノ演奏をレコーディングしているところ

そして2つ目は、5月中旬に完成させたばかりのAMBISONICSマイクの2号機を使って、都内のご自宅近辺で鳥の鳴き声をレコーディングしたものだ。

5月中旬に完成させたばかりのAMBISONICSマイクの2号機で、鳥の鳴き声をレコーディング

これらはステレオのスピーカーで再生することを前提にミックスしたものだが、リバーブなどは使っておらず、素材をそのままステレオに展開しているとのこと。聴いてみると、非常に立体的にサウンドを捉えているのがわかるはずだ。

木村氏自身は技術者ではないし、電気回路などは苦手なほうだと話すが、そんな人が、これだけの性能を持つ特殊なマイクを作れるものなのか? すでにお気づきの方もいると思うが、この木村氏は防音スタジオをDIYで作ってしまった人として、以前Digital Audio Laboratoryで取り上げたこともあった。そんなことができる人はそういないと思うが、工作の実力という意味では、まさに実証済み。とはいえ、スタジオ作りとマイク作りでは、大きさ・規模も違えば、精密性など、いろいろな違いもありそう。

先に言っておくと、木村氏が作ったのは音を電気信号に変換するマイク素子というわけではなく、既存のマイクカプセルを利用してAMBISONICSマイクに仕立て上げた、ということなのだが、なぜそんなことを思い立ったのか?

なぜAMBISONICSマイクを自作しようと思ったのか

「以前お話をした、3年前にこのDolby Atmosスタジオを作り始めたところ、アコースティックフィールドの久保二朗さんのラボを見学にいったことがありました。そのときに、久保さんからAMBISONICSマイクで捉えた音をいろいろ聴かせていただいたんです。花火の音やクルマのエンジンを掛ける音、自然の音などいろいろでしたがすごくリアルで驚いたんです。周りの空気感だったり、気配みたいなものを捉えていて、面白い。私もひとつ欲しい、と思ったのがキッカケです」と木村氏。

それは2022年8月のこと。当時、商業スタジオがこぞってDolby Atmosに対応し始めていたが、アコースティックフィールドのラボは一味違っていた。そこには8chキューブという特殊なスピーカー配置が設置され、どの方向を向いても自然に立体音響を体験できる、真の空間オーディオ環境が構築されていたのだ。

久保氏のシステムで体験したAMBISONICSマイクの録音は、木村氏にとって衝撃的だった。「なんかその周りの空気感というか、気配みたいなものも一緒に収録できちゃうのがAMBISONICSマイクなんだなということをその時に実感して、自分も欲しいなとは思ったんです」。その時の日記には「AMBISONICSマイクを見て私も一つ欲しい」と書き残している。これが、今回の自作プロジェクトの根っこにある体験だった。

しかし、市販品のハードルは高い。ゼンハイザーの「AMBEO VR MIC」やRODEの「NT-SF1」はいずれも20万円程度。レコーダー搭載のZOOM H3-VRもあるが、「業務用のレコーディングで使うものを考えていたので、H3-VRについては、別モノだろう、と除外していましたね」という。

そこで木村氏の「いつもの悪い癖」が発動する。「作れないものかと」――。

正四面体から正八面体へ、形状の探求

AMBISONICSマイクの基本は、正四面体の各頂点に単一指向性マイクを配置すること。「マイクが正四面体の頂点、もしくはど真ん中に外向きでマイクがついていれば、全周に対して均等にマイクが向いているということなわけですね。それでそれはもう決まっていて、AMBISONICSマイクというのはそういうものなわけです」と木村氏は説明する。

理想は3Dプリンターで精密な形状を作ることだが、そのスキルはない。「なんとか自分の工作手作業でできる範囲で作れないかということを考えたわけです」。

まず手がけたのは、ホームセンターで見つけたタオル掛け用の金具を使った試作品だった。竹串でピラミッドを作り、3点で止める金具を利用して正四面体を再現。しかし、これを実用的なマイクスタンドに取り付けるのは困難だった。

竹串でピラミッドを作り、3点で止める金具を利用して正四面体を再現

そこで数学的な発見があった。「正四面体のど真ん中にこのマイクがあれば、さっきの(AMBISONICSマイクの基本)が実現するわけじゃないですか。正四面体の角を切り落としたものが正八面体だということが分かったんですよ。数学がわかる方なら当たり前のことなんだと思いますが、私にとっては大発見でした」。

正八面体なら下から棒を刺して固定できる。紙で正八面体を作って検証すると、確かに方向性の要件を満たしていた。これが今年の3月ごろの話だ。

紙で正八面体を作って検証すると、方向性の要件を満たしていた

オーディオテクニカのグースネックマイクという選択

形状のメドが立つと、次はマイクカプセルの選定だった。木村氏が選んだのは、オーディオテクニカのグースネックマイク「AT857QMLa」。これには明確な理由があった。

オーディオテクニカのグースネックマイク「AT857QMLa」

「昔これでピアノを録音したことがあったんです」。コロナ禍であった2020年ごろ、ネット会議用として購入したこのマイクでピアノ録音を試したところ、「これが割と悪くなくて、SNも良くて。まあ満足ってわけじゃないけど、これもありだな、という評価が私の中であったんです」と木村氏。

さらに、オーディオテクニカの現行品・ATM35という楽器用のアタッチメントマイクと比較検討した結果、非常に近い音だったとのこと。仕様を比較すると若干違いはあるけれど、マイクカプセル部分は一緒なんじゃないか、と判断したという。ただATM35は定価4万5千円と高価で、改造するには惜しい。すでに廃盤となったグースネックマイクであるAT857QMLaなら、より安価に入手できる、と考えたのだ。

オーディオテクニカの現行品・ATM35

重要なのは、AMBISONICSマイクには単一指向性が必須という点だった。無指向性マイクでは、AMBISONICSマイクとして機能しなくなってしまう。その単一指向性を決定づけているのがグースネックマイクのカプセルの側面にあるスリット。「マイクカプセルを丸ごと埋め込んでしまうと見た目にもスッキリするけれど、それだとスリットが塞がれて無指向性になってしまいます。そのため、これを塞がずに工作する必要がありました」。

グースネックマイクのカプセルの側面にあるスリット

ケーキ型で作る1号機の誕生

具体的な製作に入ったのはゴールデンウィーク。「世の中にあるものでどうやって作ろうかと考えた時、ケーキやゼリー、ムースとかを作るお菓子用の型がピラミッド状で理想的だと気づいたんです」。

お菓子用の型がピラミッド状で理想的だと発見

当初は型の外側に、先ほどのタオル掛け用の金属金具を取り付け、そこにマイクカプセルを設置する予定だったが、「この金具をピラミッドの内側に付ければ、もうちょっとだけマイクが内側に寄せられる」ことが分かり、より複雑だが精度の高い内側配置を選択。

ただ、タオル掛け用の金具ではうまくいかない。ここで登場するのが、Amazonで購入した「フランジカップリングコネクタ」。「何でもAmazonです」と木村氏は笑う。この金具を型の内側に向けて配置することで、マイクのスリットを外に出しつつ、中心により近い位置にマイクを配置できた。

配線は既存のグースネックをノコギリで切断し、カプセル部分だけを利用。木製の棒に取り付けて1号機が完成した。

1号機が完成

5月5日、五反田文化センターで開かれた妻のピアノ発表会に持参し、いきなり実戦投入。ZOOM F8のAMBISONICSマイクモードを使用して4チャンネル録音を実施したのが冒頭のYouTubeビデオというわけだ。

五反田文化センターで開かれたピアノ発表会でいきなり実戦投入

「想像していた以上よりは、なんか非常に良い音が録れました」――素人工作、寄せ集めの部品にも関わらず、期待を上回る結果だったというのだ。特に印象的だったのは、4つのマイクで録音した波形のスタートラインが完全に一致していたことだったという。

4つのマイクで録音した波形のスタートラインが完全に一致

「これまでいろいろな配置でマイクを設置して録音してきましたが、やはり配置によって波形のスタート位置はズレます。それを敢えてそのままにして、立体感を出したり、ディレイを使って揃えてみたりといろいろしていました。しかし、このAMBISONICSマイクは1点で録音しているというのが最大の特徴でもあります。だから当たり前だけど、分かってはいたけれど、こんなにこの波形レベルでぴったり合うんだなと驚きましたね」と木村氏は話す。

専門家からの指摘と2号機への改良

1号機についてSNSに投稿すると大きな反響があった。しかし、専門家から2つの重要な指摘を受けることになる。

一つは反射の問題。「この形状だとここ結構反射してるよね」――ステンレス製の型がマイクの周囲で音を反射している可能性があった。

もう一つは回折の問題。「この形状だとマイクは確かに4つ付いてるんだけれど、このマイクが向いている方向だけの音だけ拾ってるかっていうとそうではない。別の方向から来た音を回折して拾っている」――後ろからの音が構造物を回り込んで到達している可能性が指摘されたのだ。

これらの問題を解決するため、木村氏は改良に着手。まず反射対策として、エプトシーラーという吸音材を貼り付けた。しかしこれだけでは回折の問題は解決できない。まあ、1号機の音に問題を感じたわけではないけれど、専門家に指摘された部分はなんとかしたい。そして根本的な解決策として、より小型の正八面体での2号機製作を決意する。

転機となったのは、オーディオテクニカのグースネックマイクを分解した際の発見だった。マイクカプセル部分にネジが切ってあることが判明したのだ。「この内側にもネジが切ってあるじゃないですか。だから、これを利用してより小さな正八面体に刺すような形で取り付ければ小型化ができ、市販品に近い構造が実現できると考えたのです」。

マイクカプセル部分にネジが切ってある

6cmの型から4cmの型に変更すると、容積は約1/5に。中国から中空ネジと呼ばれる芯部分が穴になった部材を取り寄せ、内側からネジ止めする構造に変更した。

6cmの型から4cmの型に変更
中空ネジと呼ばれる芯部分が穴になった部材

さらに、Facebookのネット音響部で中古品を募集したところ、状態の良い4本のグースネックマイクを譲り受けることができ、それを金ノコで切断し、再度組み合わせていいくことで2号機の完成度を高めた。

完成度を高めた2号機

2号機の完成とさらなる挑戦

5月17日、1号機から約2週間で2号機が完成。「かなり市販品に近いフォルムになったのではないかと思います」と木村氏は満足げだ。

2号機が完成

最も大きな改良点はSN比の向上だった。1号機では自作の延長ケーブルを使用していたが、2号機では切断・再接続のみで済ませ、ほぼグースネックマイクがそのまま使われているような状態になった。

音色面では同じマイクカプセルを使っているだけに、1号機とすごく似た音だが、構造的な問題は確実に改善された。「2本とも使えるなっていう感じで、そのAMBISONICSマイクを2本使った録音の仕方もあるらしいんですよ」と、新たな可能性も見えてきた。

2号機完成後は積極的な録音活動を展開。近所での鳥の鳴き声を録音したのが冒頭の2つ目のビデオの音だ、

近所での鳥の鳴き声を録音

その後、代々木上原のけやきホールでのピアノ録音もおこなっている。特にけやきホールでの録音では、以前にソニーのハイレゾマイク、EMC-100Nを3本使って自作したデッカツリーマイクと組み合わせた7チャンネル録音にも挑戦している。それが、こちらのビデオだ。

EMC-100Nを3本使って自作したデッカツリーマイク
7チャンネル録音にも挑戦
間宮 芳生「ピアノの小径」より 夕ぐれのうた - Naoko Oki

AMBISONICSワークフローの確立

録音した4チャンネルのAMBISONICS Aフォーマット音源は、専用ソフトウェアでBフォーマットに変換後、最終的にステレオに展開している。木村氏が使用しているのはaudio brewers社の「ab Transcoder」(14ユーロ)で、視覚的に音の方向性を確認しながら作業できる点を評価している。

audio brewers社の「ab Transcoder」

「やっぱり聴いてみて思うのは、リバーブは不要だな、という点ですね。これだけで十分部屋の響きがあるんですよね」――これが木村氏の最大の発見だという。従来の録音では空間性を演出するためにリバーブを多用していたが、AMBISONICSマイクならマイクだけで捉えることができるというわけだ。

さらに5月31日、6月1日の一泊二日で、長野県黒姫山に出かけて、鳥の声を捉えたビデオを制作している。

自作アンビソニックマイクでフィールド・レコーディング 長野県 黒姫山 - 鳥の声/雨音~ピアノの調べ / Field Recording with DIY Ambisonic Microphone
長野県黒姫山での収録の様子

ここでは、実際のセッティングなども含め、その様子が映っているのも面白いところ。23分40秒という長めのビデオだが、後半は雨の中の森での音と、ピアノの調べがミックスされた気持ちいい作品に仕上がっている。

今後の展開

現在木村氏が取り組んでいるのは、実用性を高めるアクセサリー類の製作だ。ピアノのペダルの振動を拾いやすいという課題に対してはショックマウントを、屋外録音のためには赤ちゃん用ボールを活用したウィンドシールドの製作を進めている。

赤ちゃん用ボールを活用したウィンドシールド

「手作りとはいえ、まずは完成品を買っても良かった」と振り返る木村氏だが、DIYの醍醐味は単なる代替品製作にとどまらない。自分の手で作り上げることで得られる深い理解と、既製品では実現できない独自の改良の可能性。それこそが、木村氏の一連の活動の真の価値と言えるだろう。

20万円の投資を3万円程度で実現し、さらに自分仕様にカスタマイズできる――。木村氏のAMBISONICSマイク自作プロジェクトは、単なる節約術を超えた、オーディオ/レコーディング愛好家の新たな可能性を示している。

藤本健

リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。 著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto