第463回:DSD配信を進める「e-onkyo music」の展望を聞く
~DSDレコーディングのプロが語る、高音質配信の現状 ~
オンキヨーエンターテイメントテクノロジーのe-ビジネス事業部 AV直販グループ・ディレクターの黒澤拓氏(左)と、レコーディングエンジニアの藤田厚生氏(右) |
2005年のオープン以来、ロスレスの16bit/44.1kHzのCDクオリティー、さらにはそれを上回る24bit/96kHzや24bit/192kHzなどのハイレゾサウンドの配信を行なっているHD高品質音楽配信サイト「e-onkyo music」。そのe-onkyo musicでは2010年12月よりDSDによる配信を開始し、現在数多くのラインナップが揃ってきている。
以前記事で紹介した「OTOTOY」とはまた異なるアプローチでさまざまな楽曲を揃えてきているが、実際どのようにしてDSDデータを作成しているのだろうか? 先日、e-onkyo musicの担当者であるオンキヨーエンターテイメントテクノロジーのe-ビジネス事業部 AV直販グループ・ディレクターの黒澤拓氏、そしてDSDについて長年手がけてきたレコーディングエンジニアの藤田厚生氏にお話を伺うことができたので、インタビュー形式で紹介していこう(以下敬称略)。
■ e-onkyo musicにおけるDSD配信の現状
――iTunes StoreのようにAACなどの圧縮データを手軽に安く買えるというのも音楽配信の良さだとは思いますが、個人的にはCDと同じまたはそれ以下のクオリティーならCDを買ってリッピングして使うことが多いのが実際のところです。しかし、24bit/48kHzや24bit/96kHzなどのハイクオリティーなハイレゾサウンドが配信されていて、ほかでは入手できないとなって初めて音楽配信ならではの魅力が高まるように思います。
e-onkyo music |
黒澤:e-onkyo musicではスタートした2005年当初から高音質にこだわって配信を行なってきました。当初はDRMのあるWMA Losslessを使ってきましたが、最近ではDRMなしのデータも増えてきており、現在ではDRMありとDRMなしがほぼ半々というところまで来ています。
――いつからDRMフリーのデータを配信するようにしたのですか?
黒澤:昨年の7月7日からです。きっかけは2009年のInterBEEでノルウェイのレーベル「2L」の担当者とDRMフリーでの配信について話をしたことでしたが、やはり使い勝手のいいDRMフリーは時代の流れであるという思いから、さまざまなレーベルに呼びかけて実現させたのです。この時点ではPCMデータでの配信のみでしたが、当初からDSDでの配信には興味を持っていたので、DRMフリーの実現でDSD配信の下地が整ったという思いはありました。
オンキヨーエンターテイメントテクノロジーの黒澤拓氏。DRMフリーなど、高音質楽曲の配信へ積極的に取り組む |
――確かにDSDの場合、DRM付きというフォーマットはありませんからね。でもハードウェアメーカーとしてのオンキヨーさん自体は、あまりDSDに積極的ではなかったように思いますが……
黒澤:確かにそのとおりで、社内的に難しい面はあるのですが、最近エンジニア、アーティスト側でもDSDをそのまま聴いてほしいという要望が少しずつ増えてきています。またできる限りいい音で聴きたいというリスナー側の要望とも合致するので、DSD配信はこれから重要になるだろうという思いがあったのです。その結果、まずは先ほどの2LのほかMA Recordings、イーストワークスエンタテインメント、そしてクリプトン・フューチャー・メディアの4レーベルが参加してくれることになり、現在約1,200曲のDSDが揃うまでになりました。
――DSDだけでそんなにあるのですね。
黒澤:まだまだ少ないですが、これから着実に増やしていきたいと思っています。5月での売れ筋ベスト10を見てみるとさまざまなジャンルの曲となっているのが分かると思います。ちなみに、24bit/44.1~192kHzまでのPCMでのハイレゾデータが約8,000曲なので、本数的には15%程度に過ぎません。今後はもっとDSDデータを増やし、比率的にも上げていきたいですね。
【5月のDSD売れ筋ベスト10】 | |
楽曲 | アーティスト |
Live at ARISTOHALL | 南博トリオ |
NAMA ~生~ | Puente Celeste |
Stone Rose | Ola Gjeilo |
Opening | Mathias Landaus Trio |
MOZART | Marianne Thorsen TrondheimSolistene |
2L Audiophile Reference Recordings | V.A. |
BEMBE | Milton Cardona |
GRIEG Piano Concerto | V.A. |
Yo! | Silvana Deluigi |
Boot Disk | 工藤拓人ピアノトリオ |
■ DSD楽曲が配信されるまで
――ところで、こうしたDSDデータはどのように作っているのですか?
黒澤:基本的には各レーベルからDSFデータとしてHDDなどで納品いただくようお願いしています。このようにして納品いただいたデータに、(コルグのパソコン用オーディオ変換ソフトウェアの)「AudioGate」を用いてタイトルやアーティスト名などのメタデータやジャケット画像などを埋め込んで、配信用サーバーにアップロードしているのです。ただ、一部DSDIFFで納品される場合があり、そのような場合は当社でDSFに変換する作業から対応しています。 そのため各レーベルから納品される音源において、どのような方法、機材などでDSDデータを制作しているかまでは把握しておりません。 ただし、配信タイトルのなかで「american clave」の一連の作品に限っては、オリジナルデータを米国から取り寄せ、エンジニアの藤田厚生さんに配信用DSD音源を制作していただいるので、当社が制作段階から携わった音源となっています。
――では、ここから藤田さんにもお伺いしていきたいと思いますが、まずは藤田さんがe-onkyo musicでお仕事をされることになった経緯などをお話いただけますか?
藤田:2009年の末だったでしょうか、もっとハイレゾのコンテンツを増やしたいということで相談があったのです。そこでSACDのパッケージがあるのなら、SACDを元にしてハイレゾのデータを生成しようと提案しました。
黒澤:ハイレゾのデータを提供してもらえるレーベルはそれほど多くはないので、SACDから作ってしまおうというわけですね。当時はまだDRMフリーをはじめていなかったので、まず24bit/96kHzなどのPCMデータを生成した上で、DRMをつけてWMA Losslessに変換してリリースしていました。
――SACDからアナログで再生してPCMへ変換するというわけですよね。
藤田:いいえ、直接DSDデータを取り出し、それをPCMに変換するという方法を使いました。
――え? そんな方法があるのですか?
藤田:もちろん、一般には使えないものですが、業務用で抜き出すツールがあるので、これを用いてDSDのファイルとして抽出した後、私の手元にあるDSDに対応しているDAWであるPyramixなどを用いて24bit/96kHzのPCM変換しておりました。
黒澤:そうした仕事を藤田さんにお願いしていた中、DSD配信もスタートしました。各社からDSFファイルで納品してもらっていましたが、アメリカのジャズレーベルであるamerican claveだけはAITというテープメディアでのデータを入手することができたのです。
――AITって何ですか?
藤田:AITはAdvanced Intelligent Tapeの略で、SACDを制作する工程で使用する、つまりエディテッド・マスターのデータを入れるテープメディアです。ここに入っているマスターデータは1アルバムが1データとなっているので、1曲ごとに分割していく必要があります。ただ、作品によっては、曲と曲が繋がっている場合もあるため、音を細かく確認しながら切った上で、フェード処理をかけていく必要があります。しかし、切り取る場所やフェードのかけ方は私だけの判断で行なうわけにはいきません。制作者側に確認してもらう必要もあるので、出来上がったデータをレーベルの制作担当者に一度戻してOKをもらうという工程を踏んでいました。
――音圧や音量など、ほかのところはいじっていないのですよね?
藤田:はい、曲を切る位置の調整と、フェード処理だけで、当然ほかはいじっていません。
――そういう形でデータを生成しているということは、ほかでは配信されていないわけですよね?
黒澤:そのとおりです。今後もこうしたオリジナルコンテンツを増やしていきたいですね。もちろん、当社だけでできることではないので、藤田さんや各レーベルに協力をいただきつつ増やしていけたらと考えています。最近はアーティスト側でも高音質配信への興味が高まってきているようです。以前はあまり関心のなかった方でも最近になってお話をいただくケースがあるなど、徐々にではありますが、勢いが出てきているような感じですね。
藤田:私自身は、SACDの黎明期からDSDに携わってきましたが、e-onkyo musicやOTOTOYなどでのDSD配信によってようやく兆しが出てきたというような思いで見ております。
藤田氏は、レコーディングエンジニアとしての実績だけではなく、オーディオ機器の輸入代理店勤務で多くのハードに触れた経験も |
――もともと藤田さんは、どのような経緯でDSDに取り組むようになったのですか?
藤田:やや個人的な話になりますが、1998年に、それまでずっと続けてきたレコーディングエンジニアとしての現場の仕事に区切りをつけて、業務用のオーディオ機器の輸入代理店に転職したのです。使う立場から提案する立場に代わったわけです。その代理店で扱っていた商品の中にdCSやGenexといったイギリスのメーカーが出していたハイエンドフォーマットに対応したレコーディングシステムがありました。ハイエンドフォーマットに対応する機材であり、真っ先に手にとって動作検証をしていました。そのフォーマットのひとつにDSDがあったのです。一方で、ソニー(ソニーミュージックではなく、ハードメーカーとしてのソニー)から、そのdCS及びGenexのDSDレコーディングシステムを購入したいという話をいただきました。というのも、今後SACDを普及させるためにはコンテンツを増やす必要があるので、制作会社に機材を貸していきたいという考えからのようでした。その後、ソニーが制作会社を集めてSACD制作に関するカンファレンスを開き、そこに呼ばれて講師を務めるといったことも何度も繰り返しました。
――まさに黎明期からの関わりですね。ご自身でDSDのレコーディングをされることはないのですか?
藤田:機材の導入からオペレーションまで行なっていたので、現場にはしょっちゅう行っていました。そうした関係で自分でレコーディングをするということも何度もありましたよ。
――ただ、残念ながらSACDの時代が来た、というような感覚はないですよね……。
藤田:今でもSACDは高く評価されていますが、私自身、パッケージはそのうち限界が来るだろうと思っていたのでSACD自体は難しいと思っていたんですよ。ただ仮にSACDがダメになってもDSDフォーマットは残るだろうと当初から思っていました。まあ、エンジニアをしていての勘ですね。ハイビット、ハイサンプリングと進んでいくPCMは何か違うだろう……、と。とはいえ、再生環境がないので、実際にDSDが広まるにはもっともっと時間がかかるだろうと考えていました。その思いからすると、DSDの配信は予想よりもずいぶん早かったですね。
――かなり以前からDSDの配信を考えていたんですか?
藤田:いえいえ、そこまでを考えていたわけではありません。ファイルサイズも大きいのでUSBメモリーのような固体メモリーでの配布などを何となく考えていた程度ですよ。
■ PCの進化とレコーディングの現場にはギャップも
――DSDディスクの登場やPlayStation 3のDSDディスク対応などは大きかったと思います。またKORGのAudioGateのおかげで、手軽にPCでDSDの再生ができるようになったのもDSD配信にとっては大きなポイントだったと思います。ただ、まだまだDSDの再生環境はあまり充実しているとはいえません。みなさん、どうやってe-onkyo musicで購入したものを聴いているんでしょうね?
黒澤:人それぞれですが、AudioGateを使って聴いている人は少なくありませんね。その一方で、当社の直販サイトで実はKORGのMR-2000sを扱っており、これが結構売れていたりするのです。またMR-2をiPod代わりに使っている人もいらっしゃるようですし……。
コルグのAudioGate |
――それなら、ぜひオンキヨーでもDSD再生のための機材を出してくれるといいのですが……。
黒澤:すみません、提案はしているのですがなかなか意見が通らなくて……。まずはソフトを増やすほうから進めていけたらと思っています。
――ところで、そのAudioGate、藤田さんから見ていかがですか?
藤田:リアルタイムでPCMに変換して再生できるなど、とても便利で役立つツールだと思います。ただ、長年DSDに携わってきた経験からすると、PCMに変換するとどうしても音の劣化が目立って聴こえてしまいます。DSDで録った情報量が減ってしまうのですね。そのため、業務用として変換する場合にはPyramixやDDコンバータなどを使っています。今後、DSDでの情報量をできる限り失わない形で再生できる環境が揃ってくるといいですね。
――PC用のDSD-DACなども発表されているので、こうした機材が出てくると面白くなってきそうですよね。
藤田:そうですね。ただ、PCの進歩の仕方は僕らが携わってきたオーディオの世界の10倍以上のスピードで進化していて、レコーディングなどの現場がついてきていないのが実情です。すごくギャップを感じるのです。10年前にレコーディングのお手伝いをした現場の人たちが最近ようやく少しDSDに興味を持つようになって、声をかけてくれるようになったくらいですからね。あまりあせって、機材を出して早期に撤退されてしまうより、5年、10年というスパンで考えて少しずつ充実してくれればちょうどいいのに、と思って見ております。僕もあきらめずにDSDをやってきて、よかったな、と。
――その通りかもしれませんね。ぜひ長い目でDSDを見て、応援していければと思います。ありがとうございました。