第485回:1年でバージョンアップしたPro Tools 10の進化
~Avidに聞く「AAXへのシフト」、「DTM向け機能」 ~
Pro Tools 10 |
先週のInter BEEのレポートでも紹介したとおり、10月20日、米国で開かれていたAESコンベンションでAvid TechnologyのPro Tools 10およびPro Tools HD 10が発表された。その発表と同時にオンラインでのダウンロード販売がスタートされ、10月24日には国内でも正式に発表されるとともに、パッケージ製品が店頭にも並ぶようになった。
筆者もすでにWindows版のPro Tools 10を入手して使ってみたが、実はパッと見では、Pro Tools 9とそれほど大きく変化していないようにも感じる。しかし、実際には、かなり大きな変革があり、Pro Tools 10、Pro Tools HD 10とがよりシームレスにつながる形にもなってきている。この辺については、一人でソフトを触っていてもよくわからないので、日本法人であるアビッドテクノロジー株式会社のアプリケーションスペシャリスト、三橋武氏にいろいろと話を伺ってみた(以下敬称略)。
Pro Tools 9とパッと見では差がない作業画面 | アビッドテクノロジー株式会社のアプリケーションスペシャリスト、三橋武氏 |
■ TDM/RTASプラグインが使える最終バージョン
――これまでPro Toolsのバージョンアップは、ずっと3、4年置きだったので、今回はずいぶん唐突にも感じられました。こんなに急なバージョンアップになった理由はどこにあるのでしょうか? また、今後は毎年バージョンアップというようなことになるのですか?
三橋:Pro Tools 8、Pro Tools 9でミュージック、ミュージックと来たので、今回はポストプロダクション系の要素を強めに打ち出しました。そうした点も含め、さまざまな要素が重なり合って、結果的に発表日が決まるのであって、タイムスケジュールに則って、今回、そして次のリリース予定を決めているというわけではありません。とはいえ、確かに今回はちょっと早かった印象はありますね。
――先日のInter BEEでのセミナーの説明を聞いていて印象的だったのは、今回Pro Tools 10をリリースしたけれど、これが9と11の架け橋的な存在である、とPro Tools 11についても言及されていた点です。
三橋:Pro Tools 11の登場を約束しているわけではありませんが、当然今後もバージョンアップを続けていきますから、普通に考えれば次は11ということになりますよね。その11がどんな製品であるかは、まだ先のこととして、確実にいえるのは今回のPro Tools 10がTDMプラグイン、RTASプラグインが使える最後のバージョンであるということ。そこから先はAAX(Avid Audio eXtension)プラグインになります。
――今回のバージョンアップにおいてはAAXプラグインが大きなカギを握るものだと思います。なぜ、これまで実績のあるTDM、RTASからAAXに切り替えることにしたのですか?
三橋:ご存知のとおり、TDMはDSPを利用したプラグイン、RTASはCPUで動作するプラグインです。しかし、アーキテクチャの違いなどから、その信号処理の方式に違いがあり、仮に同じ名称のプラグインであっても、TDM版とRTAS版では結果の音が異なってきてしまいます。
ユーザーからも、ここを解決してほしいという声が非常に多くあったため、DSP処理とCPU処理でまったく同じ音になるようにしたのがAAXプラグインなのです。とはいえ、いきなり完全にAAXに移行してしまうと、困る方も多いでしょう。従来のPro Tools|HD AccelなどのDSPボードを使っている方、TDM、RTASのプラグインをお使いの方は、当面はそれを使いつつ、少しずつAAXに切り替えていくというのが現実的なのではないでしょうか。そのため、当面は従来の資産がそのまま使えるようにしています。
――Pro Tools 10を動かしてみましたが、ほとんどのプラグインは従来のRTASのものと見た目は大きく変わっていません。でも、これらはすでにRTASからAAXに置き換えられていると思っていのでしょうか?
三橋:手元に細かい対応表があるわけではないのですが、現行バージョンにおいては、まだRTASプラグインがかなり残っています。一方で、Channel Stripのように今回新規に追加されたプラグインはAAX対応になっています。GUI的に見てもAAXは従来のものと少し変わっています。サードパーティー製も含め、AAXのガイドラインというものを決めているので、このChannnel Stripに近い形で統一されていきます。これにより使い勝手の面でも向上すると思います。
新規追加されたプラグイン「Channel Strip」はAAX対応 | 従来から少し変化したAAX対応のGUI |
■ DTM向け機能も強化。DSPはTI製に
――ここで一旦、AAXの話を離れて、Pro Tools本体の話をお伺いしたいのですが、今回のPro Tools 10もPro Tools 9と同様に32bitのアプリケーションなんですよね? 64bit対応となるのはPro Tools 11からという理解でいいでしょうか?
三橋:11と約束したわけではありませんが、将来的にはMac、Windowsともに64bit対応していきます。そうした方向性は今回指し示すことができたのではないでしょうか?
――bitという言葉でちょっと混乱しそうではありますが、オーディオ処理に関しても今回32bit浮動小数点処理に変わったというお話だったと思います。
三橋:そこも大きく3つに分けて考える必要があります。まず「処理=プロセッシング」が今回大きく向上して32bitフローティング(浮動小数点処理)に変わりました。また「ミックスバス」、つまりオーディオ信号のミックス処理においては64bitフローティングになっています。これまでPro Tools 9が32bitフローティング、HDが48bit固定でしたので、ここも大きな進化点です。さらに、「ファイルフォーマット」においてもこれまで24bitだったのが32bitフローティングをサポートするようになりました。CubaseやSONARといったソフトが以前からファイルフォーマットにおいて24bitフローティング、32bitフローティングをサポートしていましたので、これで追いついた格好だと思います。
――こうした変更点を見ると、やはりポストプロダクション向けの機能を強化したんだなと実感しますが、プリプロ用途、先ほどの話でいうミュージック用途という点で、Pro Tools 9からPro Tools 10への大きな変更はありますか?
各クリップの左下をクリックし、ドラッグして音量調整を行なえるクリップ・ゲイン |
三橋:もちろんDTM系のユーザーにとっても魅力的な製品に仕上がったと自信を持っております。たとえば、クリップ・ゲインという機能を搭載しており、各クリップの左下をクリックし、ドラッグするだけで音量調整ができるようになっています。
またDisk Handlerというハードディスクへのマネージメントをしている機能が新しくなりました。今回の改善によって、たとえばRAIDやNAS、USBメモリーまでを録音ドライブとして指定できるようになったのです。これまでシステム必要環境がかなり厳しかったので、無理に外付けハードディスクを接続して拡張するといったことが必要でしたが、そうした制約がなくなっったのです。
もちろん、一気に多くのトラックをUSBメモリーにレコーディングしようとすると転送速度的に無理が生じることはありますが、ボーカルを録る際、USBメモリーにレコーディングといったことができるようになっています。このディスク関連でいうと、Pro Tools HD 10ではディスクキャッシュができるようになったので、より快適に録音、再生ができるようになっています。また先ほど挙げた新プラグインであるChannel Stripも音楽用途で大きな威力を発揮するはずです。
――先ほどの処理で32bitフローティング、ミックスバスでは64bitフローティングで行なえるようになったとのことでしたが、これはネイティブ(CPU処理)でもDSPでも同じなんですよね?
三橋:そのとおりです。その辺が今回のPro Tools 10の大きな特徴です。AAXプラグインを使った処理を含め、音質的な違いなく、小規模なものから大規模なものまで扱うことができるようになっています。
Pro Tools|HDX |
――でも音的に違いがないのだとしたら、CPU処理能力さえ大きければ、DSPは不要ということになりませんか?
三橋:確かにDTMユーザーなどチャンネル数が少なくてもいい人、またインストゥルメント中心に扱っている方にとってはそうかもしれません。ただ、やはりDSPを使うことで、圧倒的にレイテンシーを小さくすることができます。
さらに、大規模なスタジオ環境などでチャンネル数を多く必要とする場合、どうしてもDSPは必須となると思います。つまり規模に応じてスケーラブルに展開できるのがPro Tools 10の世界なのです。ユーザーからは、より多チャンネル、より高速に……という要望が多数寄せられていましたが、今回リリースするPro Tools|HDXとPro Tools HD 10の組み合わせでようやく実現することができました。
――これまでのPro Tools HDでは、その中枢となるDSPにMotorola(Freescale)のチップを使っていましたが、確かこのDSPが整数演算のためのチップであったため、先ほどの処理、ミックスバス、TDMプラグインにボトルネックが生じていたと認識しています。実際同じプラグインでもTDM版よりRTAS版のほうが音がいい、という声をよく聞きました。今回のAAXプラグインでは、DSPを使ってもネイティブと同じ音になるということは、DSPそのもののアーキテクチャが変わっているわけですよね。昨今の情勢からすると、Pro Tools|HDXではTIのチップを搭載しているのでは……と推測しますが、いかがですか?
三橋:そのとおり、TIのDSPを採用しています。今回のアーキテクチャ変更には、さまざまな要因がありますが、直接的なものとしては、これまで使ってきたMotorolaのチップの供給が止まってしまったことにあります。すでに、チップの入手が困難なため、今のラインナップを続けていくことができなくなったのです。一方で、処理パワーであったり、フローティング演算ができることなどから、TIのDSPを採用するシステムへ移行したわけです。
――なるほど、そういう背景があったのですね。ただ、すでにPro Tools|HD Accelなどのハードウェアを持っているユーザーにすぐにリプレイスを促すのはなかなか難しいのではないでしょうか? 最近のレコーディングスタジオはどこも景気が悪そうですし……。
三橋:だからこそ、すぐに移行しなくても大丈夫なように、Pro Tools 10は設計されているわけです。先ほど説明したとおり、Pro Tools 10およびPro Tools HD 10ではTDM、RTASプラグインが使えるほか、当然ながらハードウェア的にはDTMなどを使うための従来のDSPをサポートしており、これまで通りに使えるのです。ただ、Pro Tools|HD Accelなどを使った場合、処理やミックスバスは、そのハード的な制約に引っ張られてしまうため、フローティング処理はできなくなってしまいますが……。
――気になるのは、そのTIのDSPを搭載したPro Tools|HDXの価格ですが、どのくらいの設定になっているのでしょうか?
三橋:Pro Tools|HDXは単体での販売はなく、基本的にI/Oおよびソフトとセットになります。たとえば、HD OMNIとPro Tools HD 10をセットにしたものが実売価格で88万円前後、16×16 DigitalとPro Tools HD 10とセットにしたものも同じく88万円前後となります。
Pro Tools|HD Native |
――個人ユーザーの手の届く範囲ではなさそうですが、業務用と考えたら、比較的リーズナブルな価格設定のように思います。そういえば、昨年でPro Tools|HD Nativeというものがリリースされていましたが、これは今回のPro Tools HD 10でも引き継がれるのですか?
三橋:そのとおりです。ある意味Pro Tools|HD Nativeが先にリリースされてしまったような形になっていますが、これがPro Tools 10とPro Tools HD 10の間を埋めるような製品なのです。つまり、そこまで多くのチャンネル数は必要なく、処理はCPUで行うけれど、機能的にはHDのものを使いたいという場合の答となるのです。HDでできる機能は一通りなんでも使えるので、先ほど説明したディスクキャッシュの利用などもできるわけです。
■ AudioSuiteも機能強化、ワークフローの進化も
プラグインの画面右上部分(ポインタ付近)に、DSPまたはNativeという表示がある |
――ところで、新プラグインのAAXですが、Inter BEEでのセミナーの話を聞いたところ、AAXプラグインを実行した際、DSPが搭載されていればDSPで動作し、DSPがなければネイティブ、つまりCPUで動作する、という話だったと思いますが、その理解で正しいでしょうか?
三橋:そのとおりです。起動した際、プラグインの画面を見ると、右上部分に、DSPまたはNativeという表示がありますが、そこを見ると、どちらで動いているかがわかるようになっています。
――ひとつのプログラムでどちらでも動作するというのは、とてもわかりやすくていいと思います。ただ、Inter BEEでサードパーティーを回ったところ、ネイティブ版はRTASからの移植は容易だけど、DSP版の開発は難しいので、まだメドが立っていない……、といった話がありました。ちょっと話が食い違っているような気もしましたが、やはり安く販売されるAAX NativeのプラグインをDSP用として使うことができるわけではないんですかね?
三橋:他社製品に関するコメントは控えさせていただきますが、販売戦略上でそうしたことはあるかもしれません。ただ、すでにSDK(ソフトウェア開発キット)は配布していますので、DSP版の開発がそれほど難しくはないはずです。
――最後にAudioSuiteについても教えてください。RTASがRealtime AudioSuiteの略だったわけで、リアルタイムにエフェクト処理するもの。一方のAudioSuiteはオフライン処理というか、波形編集的に処理するものですが、Pro Tools 10のメニューなどを見る限り、AudioSuiteは従来どおりあります。ここについては今後も変わらないと考えていいですか?
三橋:これまで大半はRTAS、AudioSuiteで共通となっていましたが、一部リアルタイム処理できない、ゲイン、トリム、ノーマライズなどAudioSuiteのみで対応しているものがありました。こうした点については、今後も変わりません。一方、このAudioSuiteはPro Tools 10になって機能が強化されたり、ワークフローが大きく進化しています。
まずは「ウィンドウ構成」という機能を利用することで、複数のウィンドウがオープンできるようになり、操作しやすくなっています。このウィンドウ構成で、EQカーブやコンプの設定をそれぞれウィンドウ構成として登録しておけば、後で簡単にリコールして、適用することができるのです。また、このAudioSuiteの画面下を見ると、「2.00」という表記があることに気づくと思います。これは適応するクリップの前後2秒に対しても、処理するということを意味しており、この設定を自在に変えられるようになっています。リバーブやディレイなどがある場合は、ここをある程度に設定しておくことで自然な処理ができるようになっています。ぜひ、この辺もうまく活用してみてください。
――ありがとうございました。
「ウィンドウ構成」という機能を利用することで、複数のウィンドウがオープンできる | AudioSuiteの画面下の「2.00」は適応するクリップの前後2秒に対する処理を表し、設定変更も可能 |