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先取り過ぎた!? マルチ映像×立体音響に挑んだ「フィリップス館」の功績

『ポエム・エレクトロニク』の画面
(C)Wikimedia Commons

過去の博覧会においてどんなパビリオンが造られていたかを、映像展示に注目して語って行くシリーズ。これまで「つくば万博」(Expo'85)、および「花の万博」(Expo'90)に出展された「富士通パビリオン」や、「日本万国博覧会」(Expo'70)の「日本館」などを紹介してきた。今回は、映像展示に革命をもたらした「ブリュッセル万国博覧会」(Expo'58)の「フィリップス館」を取り上げたい。

ブリュッセル万国博覧会とは

ブリュッセル万国博覧会(Expo'58)は、1958年4月17日から9月19日まで、ベルギーのブリュッセルで開催された国際博覧会(当時の分類では第1種一般博※1)だ。

ブリュッセル万国博覧会を紹介する書籍「Expo 58: Between Utopia and Reality」Lannoo Publishers(2008)の表紙

当初は1955年開幕の予定だったが、朝鮮戦争を理由に3年間延期されての開催であり、また第二次世界大戦後初の大型国際博(※2)ということもあって、「より人間的な世界へのバランスシート:科学文明とヒューマニズム」をテーマに、42カ国と10の国際機関が参加した。会期中の入場者は4,145万人を記録している。

Hildreth Meiere's footage of Expo '58, Brussels, Belgium

※1
参加各国が、それぞれ自身のパビリオンを持つというカテゴリーで、1933年から1976年まで用いられた分類。

※2
カリブ海のハイチでは、1949年12月から1950年6月8日に「ポルトープランス万博」という国際博覧会(第2種一般博:パビリオンの躯体は開催国側が用意するというカテゴリー)が、入植200年を記念して開催された。

またロンドンでも、1951年5月3日~9月30日に「英国祭」(Festival of Britain)という博覧会が開催されている。第二次世界大戦で荒廃したロンドンを新しくデザインする目的と、1851年にハイドパークで開催された第1回万国博覧会から100年目を記念する意味を持っていた。ただし元々、大規模な国際博を予定していたが、予算不足から国内博になってしまった。

ル・コルビュジエがプロデュースしたフィリップス館

このExpo'58において、人気を二分したパビリオンがあった。

一つは「チェコスロバキア館」。そしてもう一つが、今回紹介する「フィリップス館」だった。オランダのアムステルダムに本拠を置く電気機器関連機器メーカー・フィリップス社が単独出展した企業パビリオンである。

フィリップス館
(C)Wikimedia Commons

このパビリオンの総合プロデューサーを務めたのは、ル・コルビュジエだった。日本でも、2016年に世界文化遺産に登録された上野の国立西洋美術館で知られる人物で、近代建築の始祖とされる偉大な建築家である。

ル・コルビュジエ
(C)Wikimedia Commons

だが意外にも、コルビュジエは「フィリップス館」の設計には直接関わっていない。彼は当時、インド北部チャンディーガルの大規模な都市計画に取り組んでおり、こちらまでは手が回らなかったのである。そこで彼がもっぱら担当したのは、展示についてだった。ただしコルビュジエは、詳細はほとんど決めず、観客がどういった経験を得るべきかという、漠然としたコンセプトだけを提示した。

ちなみに、この「フィリップス館」以前の博覧会における企業パビリオンと言えば、企業理念や業務内容を解説するパネル、商品やコンセプトモデルの陳列、未来的なジオラマといったPR展示が中心だった。

だが“最新技術を利用した複合的芸術表現”というフィリップス社の要求に応え、コルビュジエは商業的・説明的要素を一切省き、「マルチ映像」「立体音響」「色彩が変化する照明システム」、天井からぶら下がった「幾何学的オブジェ」などで観衆を包み込むという、非常に斬新な展示方法を提唱した。

では、建物を設計したのは誰だったかと言うと、これがまた意外なことに、現代音楽家のヤニス・クセナキスだった。

ヤニス・クセナキス
(C)Wikimedia Commons

クセナキスは、パリ音楽院でオリヴィエ・メシアンらから作曲を学びながら、コルビュジエの助手を13年近く務め、数多くのプロジェクトの設計を手伝っていた。元々、ギリシャのアテネ工科大学で建築と数学を学んでいたクセナキスは、双曲放物面を組み合わせ、非常に美しいパビリオンをデザインしている

フィリップス館のスケッチ
(C)WikiArquitectura

コンセプトとしては、来館者が500人ずつのグループで“牛の胃袋”に入って行き、トータル10分で“消化”されて、出て行くというものだそうである。

確かに床面(下図)は胃の形をしている。クセナキスはこの形状を実現させるために、エンジニアのホイト・デュイスターと検討を重ねる。その結果、コンクリートの型枠流し込み工法では不可能と分かり、張り渡した高張力鋼ケーブルに、約1平方メートルのプレハブコンクリートパネルを、2,000枚ほど取り付けていく方法が考案された。内壁には、アスベストが厚く吹き付けられ、洞窟内のような反響特性になったという。

フィリップス館の平面図
(C)WikiArquitectura

展示映像『ポエム・エレクトロニク』

展示映像は、コルビュジエのコンセプトを基に、『ポエム・エレクトロニク』(電子の詩)と題された8分間のフィルムが制作された。

脚本は、コルビュジエの書籍の編集者として知られるジャン・プティが書いた。また撮影は、『舞踏会の手帖』(1937)、『快楽』(1952)、『男の争い』(1955)、『幸福への招待』(1956)などといったフランス映画でカメラを手掛けた、フィリップ・アゴスティーニが担当している。

全部で7つからなるシーンには、「創世記」(Genesis)、「精神と物質」(Spirit and Matter)、「暗闇から夜明けまで」(From Darkness to Dawn)、「人が作った神々」(Man-Made Gods)、「文明が生まれたころ」(How Time Moulds Civilization)、「調和」(Harmony)、「すべての人類に」(To All Mankind)といった副題が付けられ、コルビュジエが考える人類の歴史と未来へのメッセージをテーマとしていた。

とは言っても、その描写は極めて抽象的であり、牛、フクロウの目、人々の目、貝殻、ほろほろ鳥、赤ん坊、民族的な彫刻や仮面、キリスト像、仏像、学者、機械、爆撃機、レーダー、ミサイル、喜劇役者ローレル&ハーディ、核爆発のキノコ雲……などといった多数の白黒スチル写真が難解な配列でモンタージュされたものだった。

そして、フィリップス製のフィルムプロジェクターを用いて、対峙する2つの大画面が、カーブした壁面に直接映写され、その周囲に複数のスライドプロジェクターで静止画が投影された。

『ポエム・エレクトロニク』の画面
(C)Wikimedia Commons
『ポエム・エレクトロニク』の画面
(C)Wikimedia Commons
『ポエム・エレクトロニク』の画面
(C)Wikimedia Commons

音響は、パビリオンの壁面に425台(※3)のスピーカーを埋め込み、ここから現代音楽家のエドガー・ヴァレーズが提供した電子音楽が流れた。

パビリオンの壁面に埋め込まれたスピーカー
(C)WikiArquitectura
エドガー・ヴァレーズ
(C)Wikimedia Commons

タイトルは映像と同じく『ポエム・エレクトロニク』と題されており、純粋な電子音だけでなく、人の声や鐘の音、パイプオルガン、ドラム、ホイッスル、サイレン、エレベーターのモーター音などを組み合わせて加工する、ミュージック・コンクレートの手法が使われていた。

『ポエム・エレクトロニク』の楽譜
(C)Wikimedia Commons

ヴァレーズは、オランダのアイントホーフェンに設けられたフィリップスの音響研究所を独占的に使用して、この曲を作っている。

フィリップスの音響研究所で作業するヴァレーズ(左)
(C) Wikimedia Commons

曲自体は3ch録音だが、スイッチングによって11chに振り分けられた。そのサラウンド効果を、クセナキスは「音の線が、空間の点から点へと複雑な経路で移動し、あらゆる場所から飛び出す針のようだった」と表現している。(※4)

入場口では、クセナキスによる約2分40秒間のミュージック・コンクレート作品『Concret PH』も流された。

この曲は、炭を燃やした時のパチパチいう音を録音し、オープンリールのテープを切り張りしたり、回転数を変える、リバーブなどのエフェクトを掛ける、多重録音を繰り返すといった加工を行ない、音の密度や音域を変化させている。

不思議なタイトルは、建材のコンクリート(Concret)に、ミュージック・コンクレート(Musique Concrète:具体音楽)を掛けたものと、パビリオンの形状に用いられた双曲放物面(Paraboloïdes Hyperboliques:PH)を組み合わせた言葉だ。

結果としてこの「フィリップス館」は、展示内容を芸術家の自由に任せた点や、視覚と聴覚を刺激して非日常的空間を表現しようとした点、スクリーンの形や位置、数、組み合わせの可能性を拡げた点などにおいて、後の博覧会の展示手法に与えた影響は極めて大きかったと言える。

さらに『ポエム・エレクトロニク』は、'60年代に流行した芸術形態である“マルチメディア”(※5)の先駆けでもあった。そして、建造物の壁面をそのままスクリーンにするアイデアは、現代のプロジェクション・マッピングにも繋がると言える。

だがその独自性は、コルビュジエに対する賞賛ばかりになってしまう。彼自身もそれを否定することなく、積極的にクセナキスの名前を表に出すことはなかった。やがて両者は対立するようになり、クセナキスはコルビュジエの事務所を去る。そして以降は、現代音楽家としての活動に専念するようになった。

※3
最大450台まで可能とされていたらしいが、再生時に音響技師がダイヤルでスイッチングしていたため、実際に利用できたスピーカー数は350台が限界だったようだ。

※4
コルビュジエの当初の構想では、自身の声で観客に直接語りかける間、フィルムを一時停止させるというアイデアになっていた。しかしヴァレーズは、コルビュジエの声が彼の曲の上に重なると聞いて猛反対し、コルビュジエのナレーションは中止される。

※5
現在言うマルチメディアとは異なり、'60~'70年代にはライトアート、スライド、抽象フィルムなどと音楽を組み合わせたサイケデリックなショーをこう呼んでいた。

「フィリップス館」を疑似体験するプロジェクト!?

博覧会終了後、「フィリップス館」を保存しようとする試みはあったものの、最終的に跡形もなく解体されてしまった。元々、耐久性を考慮した構造にはなっておらず、仮に残されていたとしても大量のアスベストの処分など、安全に保存するのは難しかっただろう。

そこで、これを復元したいという人々が現れる。例えば、新宿センタービルにあった「大成建設ギャルリー・タイセイ」(現在は閉館し、ネット上で継続)では、2007年2月5日~4月13日に「ル・コルビュジエのパビリオン建築展」が開催された。この展示では、『ポエム・エレクトロニク』のフィルムが、「フィリップス館」の内壁を模してカーブさせた壁面に投影され、ホリゾントの色彩照明も再現されていた。

また、国立西洋美術館において2013年8月6日~11月4日に開催された「ル・コルビュジエと20世紀美術展」でも、『ポエム・エレクトロニク』の上映と、ヴァレーズの音楽が流されている。

さらに、イタリアのトリノ大学のヴィンチェンツォ・ロンバルド准教授が発案し、EUのカルチャー2000プログラムが資金を提供して、英国のバース大学、ドイツのベルリン工科大学、ポーランドのシロンスク工科大学が参加した「VEPプロジェクト」(The Virtual Poeme Electronique Project)が発足。

このプロジェクトでは、「フィリップス館」の設計図や音楽、映像、照明、ブリュッセル万博全体の写真など、当時の資料を発掘。バーチャル空間内にリアルタイムCGで再現し、鑑賞者はHMDを装着して『ポエム・エレクトロニク』を疑似体験できた。

ただ当時は、VRブーム(※6)の谷間の時期であり、HMDを所有していた組織は非常に限定されていた。プロジェクトは2005年に終了したが、設備はトリノ大学 CIRMAによって維持されている。

CGで再現した『ポエム・エレクトロニク』の映像はYouTubeで観ることができるが、VR版は現在普及しているHMDに適合していない。これは安易にアーカイブをデジタルで行なった時に、システムの寿命がどれほどあるのかが、予測し辛いという問題に繋がっている。

多くの映画のアーカイブ施設では、必ずオリジナルのネガフィルムを廃棄しないで保存している。またデジタル映像でも、アーカイブ専用のセパレーションフィルム(RGB別に分解した白黒フィルム)にレコーディングして、フィルムの形で保存している所もある。

しかし展示映像には、こういった保存方法のルールや、大規模なアーカイブ施設が存在しない。真剣に解決しないといけないことなのだが、早く取り組まないとカラーフィルムはどんどん劣化が進んで行ってしまう。これは音響テープにも言える問題で、磁性体の劣化や、再生装置の動態保存など、課題は多いといえるだろう。

※6
ジャロン・ラニアーがVPLリサーチ社を設立し、HMDのEyePhoneや、データグローブ、データスーツ、レンダリングエンジン、プログラミング言語、専用OSなどの、VR製品を送り出した1980年代後半~'90年代中期が第一次VRブーム。2014年にFacebookがOculus VR社を20億ドルで買収したことをきっかけに、突然巻き起こったのが第二次VRブーム。この間の時期もHMDは発売されていたものの、極めて限定的使用に留まっていた。

大口孝之

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、機関誌「映画テレビ技術」、WEBマガジン「CINEMORE」、劇場パンフなどに寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。