トピック

45年ぶりに蘇った日本館の市川崑『日本と日本人』。8トラック音声知りませんか?

1970年の日本万国博覧会・日本館の外観。昼間は石油タンクを連想させるシンプルな見た目だが、夜間は5色にライトアップされた
「日本万国博覧会 公式記録 第1巻」日本万国博覧会記念協会(1972) より掲載

過去の博覧会においてどんなパビリオンが造られていたかを、映像展示に注目して語って行くシリーズ。2回に分けて、日本万国博覧会(Expo'70)の「日本館」と、そこで上映された世界最大級のスクリーンサイズを誇る、8面マルチスクリーン作品『日本と日本人』を取り上げる。後編では、ポストプロダクション、上映、そしてアーカイブの問題について解説する。

1:オプチカル作業

完成した『日本と日本人』には全8面だけでなく、各面がそれぞれ別の映像からなるシーンも多い。またオプチカル・プリンターを用いて、16分割や32分割にしたシーンもある。

各面が別の映像である『日本と日本人』の1シーン。東京現像所によってデジタル復元された
画像提供:東宝
各面が別の映像であるシーンの絵コンテ
撮影協力:崑プロ
32分割シーンの絵コンテ
撮影協力:崑プロ
32分割シーン
写真提供:ナックイメージテクノロジー

オプチカル作業が行なわれた箇所は、この他にもタイトルスーパー、ディゾルブ、ワイプなどがあるが、映画冒頭に登場する30万年前の富士山は、35mm 4パーフォレーション(以下P)の4倍速で爆発、噴火の素材を撮影し、ネガの天地を半分トリミングして、32倍ものブローアップが施されている。こういった作業は当時、東洋現像所におられた金子昌司氏によって行なわれた。

この時に使用された機械は、『日本と日本人』の作業が決定した際に、東洋現像所が仏アンドレ・デブリー(André Debrie)社製の“ツルーカー”(Truca)(※1)というオプチカル・プリンターの土台だけを使用して、新たにプロジェクターとカメラを取り付けたものだった。プロジェクター部は、35mm 8Pの他に16mm、35mm 4Pのフィルムも掛けられるよう、90度まで回転可能な構造になっている。

アンドレ・デブリー社のツルーカー。ただしこれが、東洋現像所・京都工場に導入されたマシンと同型機であるかは不明である
H. Mario Raimondo Souto 著:“Motion Picture Photography:A History, 1891-1960” Mcfarland & Co Inc Pub (2006) より掲載

カメラ部は国産のセイキ製で、35mmの4Pと8Pのムーブメントが交換できるように設計されていた。8P作業時も縦走りで操作するため、ルーペ(接眼レンズ)に映る像は左側が天、右側が地になり、オペレーターは苦労を強いられた。また8面を同時に確認できないため、全画面同一カットの場合、位置合わせや色の調整も大変だったそうである。

セイキ製35mm 8Pカメラ。アニメーション・スタンド用に改造した時に、バイパックの巻き取り部分を三光映機が作っている
写真提供:金子昌司氏
内部
写真提供:金子昌司氏

※1
ツルーカーは、1952年に東洋現像所・京都工場へ初導入されたオプチカル・プリンター。『日本と日本人』の作業終了後は、ツルーカーの土台を破棄して、通常の4P用オプチカル・プリンターに改造され、カメラはアニメーション・スタンド用として残された。

2:映写と音響

上映プリントは、撮影フィルムと同サイズの35mmダブルフレームだ。当たり前のように思われるかもしれないが、上映時まで8Pというケースは、ほぼ前例がなかった(パラマウントのビスタビジョンも、ほとんどが4Pで上映されている)。そこで専用プロジェクターの開発も、ジェトロからナックに1968年12月と1969年10月に依頼されることになった。

問題となるのが、フィルムの走行がカメラと同様に横送りとなることだった。

ナックは、フィルムの流れの安定性、フィルム通路の摩耗、装填の容易さなどの点から縦送りを選択する。そのためには、途中で映像を90度回転させなければならない。これはミラーに2回反射させることで実現された。

35mmダブルフレームのプロジェクター。光軸を90度回転させるミラーが確認できる
写真提供:ナックイメージテクノロジー

フィルムの装填は、20分間の観客入れ替え時間に、8台の映写機のセットを済ませるため、映写終了後にリールを取りはずすことなく、上部マガジンに巻き返しを行なえる半自動式を採用した。

光源には3.6kWのキセノンショートアークランプを使用。全映写機の速度は、シンクロナスモーターを使用し、電源周波数に同期させて一定の速度で回転を得ることにした。だが撮影時と同様、度々フィルムが切断することに悩まされた。

音響は8トラックのテープに6chで録音され、残りの2トラックにプロジェクターと音響装置などを同期させるコントロール信号が記録された。現在8トラックテープが未発見なため、音声の内容はシナリオから推測するしかないが、音楽を山本直純氏、ナレーションを谷川俊太郎氏が務めていた。

上映システム図
「日本万国博覧会政府出展報告」通商産業省(1971) より掲載
日本館・音響再生系統図
写真提供:ナックイメージテクノロジー
日本館・制御室
写真提供:ナックイメージテクノロジー

「公式記録映画 日本万国博 DVD-BOX」に収録されている日本館・大ホール内部を撮影した映像では、ホステス(※2)による上映前の「このスクリーンは縦16m、横48mもございます、大マルチスクリーンでございます。この映画をご覧くださいまして、皆様の心の中に、人間として、また日本人としての、心のふるさとを植え付けていただければ幸いと存じます」というアナウンスがある。

続いて、風のSEに重なって子供たちの合唱による「…からだに雪の着物着て、霞のすそを遠く曳く、富士は日本一の山」と、童謡「ふじの山」が聞こえてくる。これはエンディングに流れた音声だったようだ。

なお『日本と日本人』の正確な動員数は不明だが、日本館の入場者のほとんどが見た(メイン展示を見ない可能性は極めて少ない)と考えると、1,163万人が観賞していたと推定される。

一方、市川崑監督作品で最も観客を動員した作品は記録映画『東京オリンピック』は、1,950万人とされているが、これには一般観客750万人+学校動員1,600万人の合計2,350万人というデータもある。単純な比較は出来ないが、『日本と日本人』の観賞者数は、『すずめの戸締まり』(2022)よりも多かったと言えば分かりやすいだろうか。

日本館・大ホールの入口に並ぶ人々
「日本万国博覧会 日本館運営報告書」日本貿易振興会(1971) より掲載

ちなみに筆者は、万博開催時にこの作品を一度だけ見ているが、まだ小学生だったため、オープニングの重低音が印象的だったことと、富士スバルラインのヘアピンカーブからスポーツカーが転落するシーンが衝撃だったことぐらいしか覚えていない。

富士スバルラインのヘアピンカーブからスポーツカーが転落するシーンの絵コンテ
撮影協力:崑プロ

※2
日本万国博では、コンパニオンのことをホステスと呼んでいた。上映前にスクリーンの前にこのホステスを立たせて説明をさせることで、人物との対比によって画面の大きさを強調するという演出意図もあった。

3:展示用大型映像の保存問題

時が経た2007年。筆者に、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)主任研究員(現・学芸課長)の入江良郎氏から、2007年4月7~12日に開催される「第63回 国際フィルム・アーカイブ連盟 東京会議2007」(以下FIAF 2007)における講演依頼のメールが送られてきた。この会議のテーマは「短命映画規格の保存学的研究」ということだった。

実は筆者は、かねてより不満に感じていたことがあった。それは、国内外のフィルム・アーカイブ施設が、映画初期のフィルムや視覚玩具、劇映画、および一般的な記録映画などの収集・保存に偏っているということである。

そして、メカニズムが素朴で公開規模が小さい映像ほど重宝される傾向があり、当然のことながら時代が古ければ考古学的価値も高まる。例えば、サイレント期の巨匠のフィルムなどが発見されると、マスコミが大きく取り上げるのは、よく目にすることだ。

しかし、近年の博覧会や公共施設、テーマパーク向けの大型フィルム作品、マルチスクリーン、サークルスクリーン、ドームシアター、シミュレーション・ライドなど、“規格外”の映像は“映画”として顧みられることすらなかった。以前のフィルム・アーカイブ会議に参加して、海外からの講演者にこの問題について質問したことがあったが、「どこの施設も保存していないし、やる必要も感じていない」という回答を得て愕然とした記憶がある。

そこで筆者は「日本の大型映像フィルム」と題し、博覧会、博物館、テーマパークにおける展示用大型映像の種類と歴史について語ることにした。だが、今回も単純に大型フィルム映像の保存を呼びかけたところで、誰も関心を持たないことは目に見えている。そこで世界のフィルム・アーキビストたちに興味を持ってもらうため、有名スタッフに着目した。

そしてFIAF 2007において「ほとんどの作品は何の痕跡も残さず忘れられていきます。しかし日本の映画史を考えた時、そこに無視できない巨匠たちの仕事があったことは、もっと知られてしかるべきでしょう。(中略)何も、有名監督が手掛けた作品だけに保存価値があると言うつもりはないですが、作家の正確なフィルモグラフィーを作る際に、これらのフィルムを無視してはいけないと思われ、何らかの形でのアーカイブが強く望まれます」と語った。

ここで具体例として取り上げた作品は、日本万国博の「みどり館」で上映された監修・音楽:黛敏郎、脚本:谷川俊太郎による全天周映像アストロラマの『誕生』。同「自動車館」の脚本:安部公房、監督:勅使河原宏による4面マルチ作品『1日240時間』。そして同「日本館」の『日本と日本人』などだった。

またこの講演用の調査として、五藤光学研究所、東京現像所、IMAGICAなど数社を訪問し、制作当時の機材や資料などを探している。「みどり館」と「自動車館」のフィルムは保存されていることが確認できたが、『日本と日本人』に関しては手掛かりすら見付けられなかった。

しかし、撮影に使用されたダブルフレーム・カメラ「MC-358」には、心当たりがあった。

筆者がかつてディレクターを務めていたCGプロダクションのJCGL(コンピュータ・グラフィック・ラボ)では、「国際科学技術博覧会(つくば万博:Expo'85)」の「みどり館」や「講談社ブレインハウス」「つくばエキスポセンター:コズミックホール」のフィルムレコーディング用に、MC-358を長期レンタルしていたからだ。実際1994年4月までは、カメラもリグも、ナックイメージテクノロジーで保存されていたそうだ。

そこで2007年当時、ナックイメージテクノロジーに在籍しておられた松尾悟氏を訪ねる。だが松尾氏によると、「創業50周年記念イベント『ナック映像制作フェア2007~Film & Digital:現在と未来~』(2007年7月11~13日)向けに、創業初期のシンボリックな機材を展示したく所在調査をしているのだが、残念なことに既に廃棄されてしまったようだ」ということだった。

松尾悟氏
2016年に筆者撮影

だが、FIAF開催後の2007年5月24日。松尾氏より、「意外な所から、どうやら1台残っているらしいとの情報が入ってきました」とメールをいただく。これは、同社の中島聖司社長が個人的に一時保管しておられた1台だそうで、現在は同社の横浜工場に展示されている。

ナックイメージテクノロジーの中島聖司社長
撮影協力:ナックイメージテクノロジー
ナックイメージテクノロジー横浜工場
撮影協力:ナックイメージテクノロジー
ナックイメージテクノロジー横浜工場に展示されているMC-358
撮影協力:ナックイメージテクノロジー
MC-358の説明
撮影協力:ナックイメージテクノロジー

4:ネガの発見

そして筆者は、このFIAF 2007のレポートを、業界向け機関誌である「映画テレビ技術」(No.658, 2007.6)に執筆。この時、保存の緊急性を強調するため「世界最大級のスクリーン。撮影ネガの面積でも世界最大級という『日本と日本人』が、一切何も残されていない」と書いた。

すると当時、九州大学 大学院芸術工学研究院の脇山真治教授(現・九州大学名誉教授・博士(芸術工学)が、筆者の記事を読まれ、フィルムの捜索を開始する。

現・九州大学名誉教授の脇山真治氏
2016年に松尾悟氏撮影

まず、かつて大阪府吹田市にあった独立行政法人日本万国博覧会記念機構の文書資料室を調査し、フィルムコンテを発見している。これはラッシュプリントをカットごとに分け、片側のパーフォレーションを切り取って8面を構成し、絵コンテ状に配置したものだった。

日本万国博覧会記念機構の文書資料室で発見されたフィルムコンテ
脇山真治氏撮影
ラッシュプリントをカットごとに分け、片側のパーフォレーションを切り取って8面を構成し、絵コンテ状に配置している
脇山真治氏撮影
現在はアルバムに整理され、市川崑記念室で保存されている
撮影協力:崑プロ

脇山氏:万博当時、私は高校生でして、会場には行ったのですが『日本と日本人』を見ていません。でも日本で初めての国際博覧会で、しかも日本政府出展のパビリオンの作品ですから、「どこかに残っているのではないか」と漠然と思ったわけです。

それで調べてみたら、当時現像を担当していたのが東洋現像所だったので、大学の後輩に当たるIMAGICAイメージワークスの小野雅史さん(現・コスモスペース 映像プロデューサー)に連絡を取りました。

それで分かったことは、一応“映画”ですから、公開後しばらくは原版が東宝に置かれていたでしょうが、焼き増し要請に速やかに対応できるように、東洋現像所が保管をしていた。ところがその後、どこに行ったか分からなくなっちゃった。台帳を調べてもらっても、記録が途中で切れていました。

それで数年が経ち、「台東区の倉庫にありそうだ」という情報を得て、行ってみたら本当にそこにフィルムがあったわけです。しかし音に関しては、やはり「無い」というのが現状です。

発見された完成原版は、2,000フィート缶で24巻あった。そして脇山教授は、プレスリリース(PDF)で発表され、新聞など多くのメディアがこのことを取り上げている。

2013年5月27日に、東京都内の民間倉庫において発見された時の、『日本と日本人』の完成原版
脇山真治氏撮影
完成原版
脇山真治氏撮影
完成原版。中に入っていたネガ
脇山真治氏撮影

5:動き出した復元計画

脇山教授はプレスリリースを出すに当たって、2013年に東宝株式会社 映画事業室の南大介氏に許可を取った。すると、南氏自身が市川監督の大ファンということもあり、この作品を実際に見てみたいと考え始める。

また1975年以降、市川監督作品すべての編集を担当された長田千鶴子氏や、市川崑プロダクションを継承した崑プロの方々からも、「是非見てみたい」という声が上がることに。しかし、ダブルフレームの8面マルチという特殊フォーマットゆえ、なかなか計画は具体的に進まなかった。

やがて2015年になり、ちょうど市川監督の生誕100年という絶好のタイミングを迎え、1月頃から復元プロジェクトが具体的に動き始める。まずマルチスクリーンは現実的ではないと考えられ、8面を1画面にデジタル合成したマスターを作ることが決まった。4月頃に南氏から相談された東宝グループの東京現像所(※3)は、7月に作業説明用のフローを用意する。

『日本と日本人』復元作業フロー
提供:東京現像所

まず合計24巻のネガをチェックした上で、1Kスキャンし、カラーコレクションを実施。次に仮合成をして、ここからさらに細かいカラーコレクションやレストアに入る。最初は4Kで作業する予定だったが、最終的にHDCAM-SRでの納品ということになったため、実際はHDサイズで作業されている。

困難だったのはアオリ(※4)の軽減。原因はフィルムの経年劣化によるものだが、特にオプチカル処理が行なわれていたインターメディエイト(※5)のデュープネガに目立った。通常のレストア作業と異なった点は、フリッカーの出方が画面ごとに違うことで、調整が大変だったそうである。

こうして復元された『日本と日本人』は、2015年9月に完成し、第28回 東京国際映画祭の担当者に試写を見てもらう。その結果、日本映画クラシックスの「市川崑 生誕100周年記念上映」(※6)として、2015年10月26日に新宿バルト9において、サイレントのまま公開。さらに、日本映画専門チャンネルでのオンエア(※7)も行なわれた。

東京国際映画祭での『日本と日本人』の上映について報じた、読売新聞2015年9月28日 夕刊

※3
東京現像所は、2023年11月30日をもって全事業を終了した。映画フィルムの修復やデジタル化といった、映像デジタルアーカイブ事業は、TOHOアーカイブ株式会社に継承されている。

※4
被写体を見上げる形で撮影することではなく、この場合は明暗がパカパカと点滅する現象を指す。

※5
一般的にオプチカル作業は、一度オリジナルネガを、微粒子で低コントラストのインターメディエイトフィルムにデュープして、マスターポジを起こす。そして、それをさらにインターメディエイトフィルムにデュープする段階で、合成などの視覚効果処理を施す。オリジナルネガと比べて、世代を二段階経ているため、その分だけ劣化も進んでいる。

※6
同時上映は、『炎上』(1958)の4Kデジタル復元版と、市川監督の初期アニメ作品『花より團子シリーズ第三話 弱虫珍選組』(1935)だった。

※7
日本映画専門チャンネルの「生誕100年 市川崑劇場」で、2016年2月29日、3月5日、3月13日、3月21日に、サイレントのまま放送された。

6:「展示映像総合アーカイブセンター」の活動

その後、脇山名誉教授は、2021年4月に「一般社団法人 展示映像総合アーカイブセンター」を福岡に開設。展示映像に関する調査、作品データや資料の収集、保存、権利関係の整理、修復、デジタル化などの活動を行なっている。

『日本と日本人』に関しても、引き続き音源の捜索が続けられており、いつかは完全な形での公開と保存が望まれる。山本直純氏による楽譜の発見はあったが、8トラックテープはいまだ未発見のまま。もし見つかったとしても、再生する手段を探す必要もある。

この記事を読まれた、『日本と日本人』に関する情報、ならびに展示映像に関する資料をお持ちの方は、ぜひ展示映像総合アーカイブに御連絡をいただきたい。

『日本と日本人』概要

プロデューサー:今 日出海/藤本真澄
製作協力:馬場和夫/森 栄光/西山 宏
製作担当:根津 博
撮影監督:西垣六郎
撮影:長谷川 清/山口益夫
音楽監督:山本直純
シナリオ/ナレーター:谷川俊太郎
監督部:高橋薫明/岩村秀夫
撮影部:鷲尾 馨/木村大作/関口政雄/宇賀 節/坂本 寿/熊木 隆
特殊機械:三輪野 勇/福田喜平
機材:ナック
現像:東洋現像所
記録:扇 瑞枝
製作課:安木吉信
経理:森実 佐太子
協力:山梨県/静岡県
製作:東宝株式会社
総監督:市川 崑

「『日本と日本人』復元プロジェクト2015」概要

プロデューサー:南 大介(東宝)
協力プロデューサー:槌谷昭人(日本映画チャンネル)
デジタルリマスター作業:東京現像所
ラボ・マネージャー:清水俊文
テクニカル・コーディネーター:川俣 聡
原版検査・修復:伊藤岳志/小泉洋子/山地俊明/松浦 豊/日留川 正人
スキャニング:三木良祐
D.I.カラリスト:松本康弘
デジタルレストア:加藤良則
合成・タイトル:廣田隼也
監修:長田千鶴子
協力:崑プロ/日本映画専門チャンネル/脇山真治(九州大学大学院・芸術工学研究院教授)/樋口尚文/経済産業省/JETRO

大口孝之

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、機関誌「映画テレビ技術」、WEBマガジン「CINEMORE」、劇場パンフなどに寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。