トピック

ソニーの「耳型職人」に、耳型を採ってもらった

ヘッドフォンの装着性と音質を支える“耳好き”たちのこだわり

左から、2代目耳型職人の投野耕治氏、新しい6代目の潮見俊輔氏、5代目の松尾伴大氏

 ソニーには、同社ヘッドフォン/イヤフォンの開発を支える“耳型”を採取している「耳型職人」がいることをご存じだろうか?

 イヤフォンの耳型といえば、カスタムインイヤモニターを作るときに、補聴器店や耳鼻科などで耳穴の型を採る「インプレッション」を思い浮かべる読者も多いと思うが、ソニーの耳型職人が採る耳型は、耳穴だけでなく、外側の耳そのもの(耳介または耳殻)を含めた形を再現したもの。弊誌記事にも、装着イメージとして耳型を使った写真が時々掲載しており、覚えている読者もいることだろう。

 なぜ、ヘッドフォン/イヤフォン開発のためにそのようなものが必要なのか、そして“耳型職人”を務めるのはどんな人なのだろうか? ちょうど、4月にソニーの耳型職人が代替わりし、“6代目”が誕生したとの話を聞き、同社を訪ねた。

 説明してくれたのは、“2代目 耳型職人”を務めた、ホームエンタエンタテインメント&サウンド(HES)事業本部V&S事業部 サウンド1部 チーフサウンドエンジニアの投野耕治氏と、5代目のHES事業本部V&S事業部サウンド1部 MDR設計2課 松尾伴大氏、そして新しく6代目に就任した、同部署の潮見俊輔氏の3名。

 ソニーの耳型採取は、前述のインプレッションのようにコンシューマに対する直接のサービスではなく、主に同社内を対象に行なっているものだが、今回は特別に、6代目の潮見氏に筆者の耳型を採ってもらった。その模様もレポートする。

ヘッドフォンの設計に“耳型”を使う理由

――耳型職人は、いったいどんな仕事をしているのですか?

これがソニーの耳型。形や大小は様々

松尾氏(以下敬称略):実は会社から指名される役割ではないのですが、ソニーのヘッドフォン設計の部署の中で代々引き継がれている、自分たちで決めた称号です。主に会社の中の、特徴的な耳をした人のサンプルを採ることを目的としていて、それを、新しいヘッドフォンの装着性を確認するために使っています。

 例えば、ヘッドフォンの新しい装着方法を考えた時に、それをどのように実現すればいいかを、様々な耳のサンプルを見ながら、検討したり、実際にプロトタイプを作って、様々な耳に装着させてみたりということをやっています。

投野:変わった形をした耳の人が常にそばにいればいいんですが。小さめの耳、大きめの耳、寝ている耳、立っている耳などいろいろあります。あらかじめ耳型を揃えておけば、試作品のヘッドフォンを装着してみることができます。例えばインナーイヤー型は耳穴にはめてみる、耳覆い型はかぶせてみる、耳載せ型は載せた状態で着けたときの角度を見るなど、いろんなヘッドフォンに使えます。

 また、耳型を切って断面にしても使えるので、例えばインナーイヤーだと、外耳道(耳穴から鼓膜に通じるまでの部分)に対してどう接しているのか、先端はどういう形状になるべきかということを、耳の中の構造を見ながら確認できます。あとは、音を測定するときに、耳型の底にマイクを仕込んで音響特性を測るなど、音響測定にも使えます。装着の確認と、音質の両方に活用しているのです。


耳型を半分に切ることで、イヤーピースがどのように耳に当たり、変形しているかを確認可能
耳穴の奥側(写真下部分)にマイクを当て、録音することで音響測定も

職人は、自身の耳型も活用。写真は松尾氏の左右の耳型

松尾:例えば、耳の一部に負荷がかかるような当たり方をしていると、それが違和感となってしまうこともあるので、ヘッドフォンは音が重要なのと同じように、装着性が重要です。そこを技術的に支えるバックグラウンドとして、こういった耳の形を研究しています。

投野:装着性は、官能評価(人間の五感を使って評価すること)ですよね。「私の耳だとここが痛いけど、他の人は痛いと言わない」というときに、ヘッドフォンが耳にどう当たっているかを、自分の(本物の)耳ではよく見えない。「自分の耳型に入れてみて、ここの当たりが強いけど、他の人の耳型だと違う」というように、自分の装着感に対するフィードバックとしても使えます。

――なるほど。「自分の耳を客観的に見る」ということですか?

投野:なかなか、自分の耳を客観的に見るなんてできないんですよね。自分の耳の裏なんか見えませんし。

松尾:たいていの人は、耳型を採ると、「僕の耳はこうなっているんですね」といいます。ずっとそばにいるのに、初対面なんですよ(笑)。

耳型を実際に採ってもらった

 耳型を採る工程は、大まかに説明すると下記のような流れになるという。

  1. メス型(逆型)を採るための型枠を、紙とガムテープで作成
  2. 耳穴の奥にメス型の素材が流れ込まないよう、脱脂綿で耳栓をする
  3. 型枠を耳に当て、その中にメス型となる液体を流し込む
  4. 約3分間で液が固まったら取り出し、実際の耳型となる液体を流し込み、固まるのを約30分間ほど待つ
  5. メス型を丁寧に取り外して完成

投野:では、さっそく耳型を採りましょうか。

――えっ? 専用の部屋ではなくて、ここ(会議室)でするんですか?

松尾:耳型を採るポイントとして、「どこにでもあるものを使う」というのがあります。型となる材料自体は特殊なものですが、それ以外は、その辺にあるものを使うのが基本方針です。材料さえ持っていれば、あとはすぐ手に入るもので作れるので、海外でもどこでも採れます。この枠の部分なんかは、ガムテープの芯を使っているんですよ。


 ソニーが耳型を採るのは、基本的には左耳としている。それは、ケーブル片出しのヘッドフォンは左側にケーブルがあるなど構造が複雑で、それを含めた形で装着のチェックができるためだ。ただし、右耳の方が特徴的な形だと、右耳にする場合もある。

 耳型職人たちによれば、耳型を採りやすい人、取りにくい人というのがあり、例えば凹凸が多い形だと、型から抜く時にちぎれてしまうこともあるという。肉厚で、アンダーカット(えぐれている部分)が少ない耳が採りやすいとのことだ。

紙とガムテープで、型枠を作る

 まず、紙とガムテープ、ガムテープの芯を使って、メス型(逆型)を作るための型枠を作る。ガムテープの芯のサイズが、ちょうど耳型の土台(付け根)のサイズになる。6代目の潮見氏も、慣れた手つきで、あっというまに型枠を作り上げた。

 型を採ってもらう人は、採る側の耳を上にして横向きになり、そこに職人がメス型となる液体を流し込む。使われているのは、歯型などにも使われるアルギン材で、もちろん人体には無害。これを液状にして耳に注ぎ、固まるのを待つ。これは実際に体験すると分かるが、ドロドロの液体の中に潜ったような、奇妙な感覚。しばらくは左耳から音は聞こえないが、気泡を除去する作業に入ると、次第にプツプツという音が聞こえてきて、空気が抜けていることが分かる。流し込んでから固まるまでの時間は約3分と短いため、気泡を丁寧に、素早く抜くことが求められるとのことだ。


完成した型枠は、意外にシンプル
左耳を上にして型枠を装着。メス型となる液体を注ぎ込む

表面に浮き出てきた気泡。これを丁寧に素早く抜く必要がある

 左耳が塞がれた状態のまま待っていると、特に実感はないが「液が固まった」とのことで、いよいよ耳穴から取り出す作業に入る。実はここが難しいポイント。アルギン材は柔らかいため、型が壊れないように抜き出すのが最初に苦労する点だという。「耳の中の形を頭で想像しながら」(松尾氏)、「サザエを貝から抜きとるように」(潮見氏)取り出すとのことだ。

 松尾氏自身も、耳型を採ってもらったときに「こんなに気持ち悪いとは思わなかった」と話していたが、実際にやってみるとこの抜き取られている時の感覚は想像以上。まるで、耳穴にピッタリしたサイズの粘着した棒で、グリグリとゆっくり耳穴をかき回されているようだ。職人の作業は丁寧なので全然痛くはないが、背中がムズムズするようなくすぐったさをしばらく我慢しているうち、耳穴に空気がシュッと入ったのが分かる。そこからはあっという間で、耳型の元となるメス型がキレイに抜き取られた。採れたものを見ると、自分の耳とはいえ、何だか別の生き物を見ているような複雑な気分だ。

ガムテープの芯の部分だけを取った状態。まだ左耳は聴こえていない
グルグルと回転させながら耳穴からメス型の部分を引き抜いていく。この下では筆者が非常に複雑な表情をしている
ようやくメス型が抜けた

 メス型ができあがると、今度は実際の耳型となるシリコン材をメス型の隙間に流し込む。このシリコン材は医療用に使われるものとのことだが、詳細は明らかにしていない。一般には購入できないもので、海外から取り寄せているとのことだ。この液体を流し込んでから固まるのを待ち、メス型を切り離して耳型を採り出す。液体を流し込んでから、取り出し終わるまでの時間は約30分。

抜き取ったメス型。初めて見る自分の耳穴の立体構造だ
再びガムテープの芯を型枠として利用し、耳型となるシリコンをメス型に流し込んでいく

シリコンが固まるのを待ち、メス型と耳型を枠から抜き取る

メス型の部分を丁寧に外す。ここも難しいポイントだという
縁を切りそろえる

完成した耳型。改まって自分の耳をみるとは思ってもみなかった
正面から見ると、耳の“立ち具合”が分かる
耳の裏。肌表面の細かな質感まで再現されていて驚いた。耳たぶの柔らかさなども、本物に近いと感じる

30年以上に渡って耳型を採取。職人に必要な“適性”とは?

――いま、社内にはどれくらいの数の耳型があるのですか?

投野耕治氏

投野:'79年から採り始めて、今は500個ほどあります。初代耳型職人の渡辺さん(当時は耳型職人とはまだ呼んでなかった)と、「インナーイヤフォンを開発するのに、耳の中の形状を知りたいよね」という話になって、渡辺さんが、石膏で耳型を採り始めました。石膏で100個くらいは採りましたね。その時に、井深さん(創業者の一人である井深大氏)の耳型も採りました。

 当時は、まだ三次元CADも無かった時代です。紙に手書きで三次元形状(XYZ軸)をプロットして、立体図を作りました。そうやって耳の形状を割り出して、それがインナーイヤフォンの形状を決めるのに役立ちました。


石膏で作られた井深大氏の耳型も現存する

 私自身が耳型を採り始めたのは、'82年からです。初代の渡辺さんから引き継いだのですが、このときに“耳型職人”と呼んでみようよ、という話になりました。せっかくノウハウを引き継ぐので、これを“世襲制”にして、そう呼んだほうが面白いと。耳型の材料には、バスシール(隙間の補修)などに使われていたシリコンも使ったのですが、硬化に一週間もかかりました。

 その後、'91年に(3代目の)関に引き継ぎ、硬化が速くて、耐久性もある「二液型」のシリコンを使い始めました。その後、'00年に4代目の太田に引き継ぎました。松尾は'06年から就任して、4月に、6代目の潮見へ引き継ぎました。

潮見:私は'83年生まれなので、投野が耳型職人を始めたことは、まだ生まれていませんでしたね。

松尾:私は就任する前の時点で、耳型職人の存在を知っていて、「そんな人たちがいるんだ」と思っていましたが、まさか自分が引き継ぐとは思っていませんでした。

潮見:私がこの会社に入社したきっかけが、たまたまテレビで松尾が耳型職人という仕事をしているのを観たからです。「こんな面白い仕事があるんだ。人に装着する電化製品はヘッドフォンしかない! 」と興味を持ち、そこから憧れてこの会社に入りました。


過去に石膏で作られた耳型
手描きで作られた当時の立体図
新たな素材の模索も続けている。写真はその一例

――松尾さんは、耳型職人を潮見さんに引き継いだ後も、ヘッドフォンの開発を続けるわけですよね?

松尾:基本的には、設計者がその役割を引き継いで、自主的にやるのが耳型職人です。それぞれの職人は、あくまで、ヘッドフォンの“いち設計者”なのです。音作りをしている設計者が耳型職人をするケースが多いですが、設計をする傍らで、耳型職人としての活動を続けている状況です。

投野:機構設計、音響設計のメンバーは何人もいますが、耳型を採るのは特殊なコツが必要なので、ある程度人選をして、一人の人が担当するようにしているんですよ。職人は、他の設計者に対しても「耳はこういう形だから、こうした方がいいよ」と話ができます。

――設計者の中でも、実際に耳型を採ったり耳に触ったりする機会が多いことが、ヘッドフォン作りに活かされているんですね。

松尾:耳型を管理しているので、各設計者が気になったことがあると、私たちのところに来て「耳型を見せてもらえますか?」とか「こういうのを考えているんですが、検討に適している耳型はどんなものがありますか?」と聞きにきます。

 耳型職人は自主的にやっていることなので、これとは別にやっている仕事ももちろんあります。合間を見ながらやらなければならないので、こういったことに対して探究心がある人間じゃないと務まらないですね。歴代の耳型職人は、みんな好奇心旺盛です。特に耳に関しての話をすると、それぞれいろいろ意見を持っていて、耳談義ができます。投野はその中でもトップクラスです。耳のツボなど、いろいろ知らない“耳ばなし”が聴ける。ただ普通にヘッドフォンの設計をしていると必要ではない情報もありますが。

投野:いつかフィーチャーに使えるんじゃないかと思っているからね(笑)。

耳型の活用で、新たな装着方法を実現

'88年の「MDR-R10」

――これまで投野さんや松尾さんが手掛けてきたヘッドフォン/イヤフォンの中で、特に印象に残っているのはどんな製品ですか?

投野:ひとつは、初めて「イヤーコンシャス」という構造を採用した「MDR-R10」(1988年発売のモデル/当時の価格36万円)ですね。まず、イヤーパッドの後ろを厚くしたほか、硬さを考慮して内側の径を最小限にしました。私はMDR-CD900も手がけました(モニターヘッドフォン・MDR-CD900STの前モデル/'86年。CD900STも投野氏が担当)が、それまでのヘッドフォンは、イヤーパッドとドライバユニットの面が平行でした。しかし、イヤーコンシャス構造では、ドライバユニットに角度を持たせて、ちょうど耳にユニットが正対するようにレイアウトしました。装着性と音の兼ね合いを考え、耳に干渉せずに適度な容積を持たせるために、このレイアウトにしたのです。


初代「EXモニター」として人気となった「MDR-EX90SL」

松尾:私は、ちょうど4代目から耳型職人を引き継ぐ頃に担当した「MDR-EX90SL」ですね。これは、初めて13.5mmの大口径ユニットを使ったモデルでした。事前の検討でも、密閉型で大口径ドライバユニットを使うことによって高音質になりそうだと考えてはいましたが、単純にユニットを大きくして筐体が大きいと、耳への装着性が損なってしまいます。そこで、どういう構造にすれば装着性を損ねずに実現できるかを、耳型を使って検討しました。

 MDR-EX90SLでは、耳の中にドライバユニットがある程度水平に収まる構造で、ダクト(音導管)が前方斜め前に向くような形にすることで、筐体も収まりつつ、耳に対して負担が無いようにできました。当時、私はメカ設計を担当していて、音響設計が4代目の耳型職人の太田でした。そこで、実際に太田から耳型を借りて、一緒に検討していました。その流れで、耳型職人を引き継ぐことにもなったのです。当時も、耳型を半分に割ってみて、ダクトの収まりを確認していました。

 ソニーは、これまでヘッドフォンの装着性について新しいことにずっと挑戦してきましたが、これと、耳型の存在はリンクしています。こういうことをやっているから、新しい装着性、新しい音響構造のヘッドフォンを作ることができるのです。この“斜めダクト”もソニーが始めたもので、特許も持っています。

――EX90SLは、「EXモニター」の最初のモデルですよね。

松尾:はい。口径が大きくなったことで、中域の感度もある程度稼げるようになって、“モニターサウンド”と呼べるものができた、最初のモデルです。このモデルの基本的なところは投野が検討を進めていたのですが、商品にするところで「(太田氏と松尾氏に)お前たちがやれ」と(笑)。2代目の構想のもとに、4代目と5代目が試行錯誤して実現しました。

投野:そのほか、最初のカナル型「MDR-EX70」は、プロトタイプまでを私が作って、3代目耳型職人の関が商品にしました。20年前に作った9mm径ユニットをひっぱり出してきて、「補聴器とかで使われているイヤーピースを組み合わせると、昔使えなかった9mmのユニットが使えるんじゃないか?」と作ったのが最初です。

松尾:こういう風に、投野がきっかけを拾ってくることが多く、それを他の人間が試行錯誤して実現するパターンは多いですね。

――職人どうしで、話もスムーズにできるということなのでしょうね。

松尾:耳型職人は、耳に興味があるというのももちろんですが、それよりも、新しい製品を作りたいという思いの方が大きいです。これまでの耳型職人は、イノベーティブなモデルを担当してきたことが多く、“新しいヘッドフォンを作るんだ″という意気込みの強い人間が多いです。

潮見:私も、入社してすぐのころに、MDR-Z1000のイヤーパッドの形状を検討していました。耳型をたくさん見たり、実際に人の耳に着けてもらったりしながら、サイズや厚みなどを検討していましたね。

投野:Z1000のイヤーパッドは、内側を高く(耳に当たる部分に近いほど内径を狭く)、当たりを強くしています。これは、髪の毛の生え具合を考慮したものです。耳の際(きわ)に髪の毛は生えないですが、耳覆い型のヘッドフォンは、載せた時に髪の毛が挟まると、そこから音が抜けてしまう。なるべく耳の際にイヤーパッドを強く当てて、気密性を高くとるようにしました。耳の外径と高さの関係を潮見たちに検討させ、デザイナーにも「内側を強く当てたい」と言いました。Zシリーズは“モニター″なので、機能性重視でF1カーのようにギチギチにしています。「MDR-1シリーズ」(MDR-1Rなど)は、逆のテーパー(耳に近いほど広がる)にしています。快適性を出すにはその方がいいですね。

潮見:社内にいる丸刈りの同期に装着してもらって、髪の毛が長い人とどれくらい違うのか、音の漏れを含めて調べたりもしました。


MDR-Z1000
MDR-1R

右側の6個が、ノイズアイソレーション用イヤーピース

投野:そのほかにも、イヤフォンのイヤーピースでは、遮音性を高めるために作った「ノイズアイソレーションイヤーピース」(MDR-EX1000などに採用)もあります。これは、ウレタンフォームを充填することで耳穴のカベに押し付ける力を強くしたものですが、これが生まれたのは、ある方のおかげでした。その方は、ノイズキャンセリング搭載のイヤフォンを試した時に、「効果があまり良くない」と話していました。実際に耳を見たところ、なんと極太の耳毛をお持ちだったのです。イヤーピースの反発力を増やさないといけないという方が実際にいて、それに対応できていなかったのは製品側の問題でした。

――個人的な話ですが、私は耳穴が大きいので、イヤーピースはいつもLサイズを使うしかないんですよ。

投野:大きさもそうですが、追従性も重要です。赤ちゃんの頃って、耳穴は真ん丸ですが、大人になると次第にひしゃげてくるんです。それにフランジ(イヤーピースのカサの部分)が追従しないと、低音が出ないといったことがあります。イヤーピースも、これまで形や材料を変えたりして進化してきました。

“耳型ワールド”を揺るぎないものに

――潮見さんは、どういった経緯で6代目の耳型職人に決まったのですか?

松尾:次の世代はどういう人が良いかなと、投野を含め先代たちと相談しているなかで、「好奇心が旺盛で、やる気がある人がいい」という話になりました。潮見は昔から耳型職人に興味があったようで、何かあると「手伝いますよ」と言ってくれていました。

投野:松尾に言わせると、「女性からみてイヤな感じがしない。拒否感が少ない人がいい」のも適性だそうです。

松尾伴大氏

松尾:私はこれまで100個くらい採ってきたのですが、その中で“見つけたい耳”も変わってきました。2000年より前は、今のインナーイヤー型(カナル型)の検討が始まっていて、それまでは耳の外側の部分に着目する場合が多かったのですが、耳の内側とか耳甲介腔(イヤフォンが収まる部分)の狭い人のサンプルを集めたい時に、やはり女性の耳の型を採ることが重要だという流れになってきたんです。当時、4代目の太田が耳型職人だったのですが、彼が“耳型職人史上、最もイケメン”とされてきたんですよ(笑)。それまでは、耳型を採るという話になると、嫌がる女性も多かったのですが、4代目は見た目もさわやか、ソフトな人あたりで、女性の耳型をたくさん採るのに貢献しました。それ以来、そういったことも重要なんだね、という話になりました。

投野:松尾の代から、外国人の耳型も増えてきましたね。海外の販売会社の人間が定期的に会議などで日本に来て、そのときにちょっと呼んで、耳型を採ると。

松尾:そういう時は、だいたい1週間ほどの間に販売会社の人たちが一度に来るので、30分単位でタイムスケジュールを組んで、1日に10人の耳型を採るということもありました。これは相当大変でしたね。型を採っている間、次の人がそれを見ているという。

 また、私の代では、(ソニーの)デザイナーの耳型を採ることも多くなりました。既にヘッドフォンのデザインに慣れている人だと、装着性と形状の兼ね合いについて分かっていますが、初めてヘッドフォンをデザインする人の場合は「耳にどういう形で着くのか」ということが分かりにくいということがありました。実際に耳型を採るのをきっかけに、普段から、電車の中などでどのようにヘッドフォンが耳に装着されているかを気にして見るようになったようです。

投野:ヘッドフォンのデザインというと、どうしても平面上で設計してしまうことも多いんですね。机の上に置くオーディオは平面に載せた形で使いますが、ヘッドフォンは耳に載っているので、装着状態でどう見えるか、耳に着けた状態で耳の形に対してどう収まっているかを見せなければならない。耳とどう干渉するのか、ケーブルがどういう角度で出たらキレイだろうか。そういうデザイン的な視点のためにも、耳型が必要だと言えます。

――音響的な良さと、デザイン的な美しさを結びつける役割を、耳型が持っているわけですね。

松尾:あと、海外の販売会社の方々の耳型を採るとすごく喜んでくれて、「ソニーはヘッドフォンのためにここまでやっているのか。自信をもってオレは売ってくるよ!」と各地でそれぞれがアピールしてくださったりということもあります。こういったコミュニケーションにも役立っていますね。

――松尾さんと投野さんは、6代目の潮見さんに、どんな職人になってほしいですか?

松尾:耳型職人をやっていると、いろんな“耳寄りな耳情報”が入ってきます。忙しいときもありますが、変わった耳を見かけた時に、すかさず耳型を取りに行くという、フットワークの軽さが重要ですね。

投野:耳のことは、世界中のだれよりもよく知っていて、それがヘッドフォンの製品につながるようにしてほしいです。そのよりどころになるように、耳型を活かしてほしいですね。マニアックさを極めて、“耳型ワールド”を揺るぎないものにしてほしいですね(笑)。

潮見俊輔氏

潮見:電車で珍しい耳を見ると、キュンとします。

松尾:いい。素質あるよ(笑)。歴代の職人たちと、よく「どんな耳が好きですか?」という話になります。それくらい、いろんな耳があって、人のキャラクターを表しています。以前、耳を見て、その人の年齢を当てたこともあるんですよ。

――なるほど(笑)。潮見さんは、こうしたお話を聞いて、これからどんな耳型職人を目指していきますか?

潮見:いま持っている最小のものより小さな耳型、いまの最大よりも大きな耳型を集めていきたいですね。また、最近気になっているのは“耳の柔らかさ”です。軟骨の柔らかさも、人によって違います。型に反映するのは難しいと思いますが、硬度計か何か測定できたらと思っています。

――ありがとうございました。これからも耳型職人としての活躍と、新しいヘッドフォンの登場を楽しみにしています。

(中林暁)